三十二話(前編)
断片的ではあるが、話を聞いてからあんなに美味しかった食事が喉を通らない。
味気なく感じ、飲み込むことが苦しくなってきた。
常時胸が締め付けられるように苦しい。喉の奥がざらざらする。
厚い液体が体内からせりあがる感覚がある。
「……皇帝陛下より拝謁の仰せがありました」
浮かない表情で、ルーシーが報告した。
軽く身だしなみを整えてもらい、靴を履く。
昨日までは外に出られることが楽しみだったのに、ガブリエルに会うと思うと気が沈む。
(でも、でも……勘違いかもしれない……本当じゃないかもしれない……)
ガブリエルが身内に手を下したかもしれない事実と、そうではない事実を天秤にかける。
一晩考えても答えは出なかった。だからこそ、直接聞こうと思った。
本日も三人で前室に向かう。
目的ができたとはいえ、足取りは重い。
重い足取りはルーシーもエマも同じらしく、昨日よりも歩みが遅い。
「皇帝陛下、クリスティナ様をお連れいたしました」
先日と同じように、玉座の間のドアが開くとエマは挨拶をした。
三人で、俯きながら進み、昨日と同じ場所で止まる。
「陛下の御前である。これより私が代弁する」
しんとした室内に、一人の男性の声が響く。
顔を上げると、胸にだけ甲冑を着たマント姿の男性が立っていた。
(この人だけ、全身甲冑じゃないわ……)
壁に並ぶ全身甲冑の兵士ではない姿に、少し気持ちが軽くなる。
「クリスティナ公爵令嬢、ガブリエル皇帝陛下は、貴殿を我が帝国の皇妃として迎えると仰せである」
「……え!?」
短く声を上げ、思わずクリスはガブリエルを見上げた。
冷たい視線。少しだけ綻んでいる口元。
「……私と、結婚………?」
まだ気持ちの整理がついていない。
黙って見上げるクリスの横で、ルーシーは、
「クリス様、クリス様お顔を下げてくださいませ!」
と小さな声で一生懸命に繰り返している。
ごくり、と喉が鳴る。
「謹んで従わせていただきます、です! 謹んで従わせていただきます!」
やはり、小声でルーシーが一生懸命に繰り返す。
「あ……謹んで……畏れ多き御言葉、身に余る光栄に存じます。陛下のご聖断に、謹んで従わせていただきます……」
まったく感情が乗らないまま、ルーシーが言うとおりに言葉を紡ぐ。
「これにて謁見は終了である。退出を――」
「あ、あの!」
兵士の言葉を遮って、クリスはガブリエルに向かって叫んだ。
隣でルーシーが大きく息を吸う音が聞こえた。いや、悲鳴だろうか?
「あの、……第一皇子や前皇帝陛下は……どうされたんですか?」
その場の空気が凍り付く音がした。
なぜなら、先ほどまで無表情だった兵士が両の目を極限まで見開き、鼻を膨らませているからだ。
「崩じた」
低く短く、ガブリエルが言い放つ。
ちらりと兵士を見ると、目が飛び出しそうなほど見開かれていた。
しかも、汗が吹き出し服を濡らしている。
「……前の皇妃様は?」
「口を慎め! 不敬であるぞ!」
唾をまき散らしながら、兵士は叫んだ。
「構わぬ」
後ろから響いた声に、兵士が滝のように汗を吹き出した。
口を開けたり閉じたり、目を左右に動かして様子を見ている。
かなり狼狽えている気がした。
隣を見ると、ルーシーも絨毯に汗を滴らせ、大きなシミを作っている。
(……大丈夫……?)
二人の様子が気になりつつも、クリスは意を決して手を握りしめガブリエルを仰ぐ。
赤い双眸がクリスを見下ろしていた。
赤いのに凍っているように硬く、まるで刺されているようだ。
「意見を申した。ゆえに殺した」
「……それだけ………?」
意見を言っただけで?
あまりにも冷酷無慈悲な返答に、背中が冷たくなるのを感じた。
「お前の席を空けておいた」
口元を歪める、僅かに目を細めるガブリエル。
放たれた言葉は矢のようにクリスを貫いた。
(もしかして、私の……私のせい……?)
身体の力が抜けていく。四肢の感覚が不確かだ。
目の前が歪む。ぐらりと崩れそうな足元。
隣にいたルーシーが慌てて支え、エマが何か言いながら前室へ戻った。
「……様、……様、クリス様!」
虚ろいでいた意識が引き戻される。
前室のソファーに座っていた。
隣では青白い顔をしたルーシーとエマが顔を覗き込んでいる。
「あ……れ……?」
「歩けますか……? お水をお持ちいたしましょうか……?」
「ええ、ルーシーが飲んだほうが良いわ……汗がすごいもの……」
首元をびしょ濡れにしたルーシーにそう言う。
「私じゃなくて、クリス様ですよ!!」
目にも汗を浮かべ、潤ませながらルーシーは身を乗り出してきた。
「ルーシー、落ち着きなさい。歩けるならいったん戻りましょう……」
エマが冷静な、それでいて強張った声で制した。
震える手を握りしめている。
「……早く離れましょう」
「………。わかった、大丈夫よ。歩けるわ」
気丈に振舞おうとするも、身体に力が入らなかった。
慌ててルーシーとエマはクリスを支えて立ち上がらせる。
「ゆっくりでいいわ、早く行きましょう……」
ゆっくりといいながら、エマは焦っているようだ。
少しだけ歩みが速い。
「ルーシー、部屋に戻ったら私のお水飲んでいいからね」
「私の心配は結構ですから!!」
鼻声になりながら、ルーシーは半ば叫んでいた。
螺旋階段を進み、やっと部屋に戻るとクリスはベッドに倒れ込んだ。
靴を脱がせながら、ルーシーは声をあげて泣く。
(…………疲れたな……)
まだ体の感覚が遠く感じる。
クリスは、重い頭で呆然と見上げていた。




