三十一話(後編)
約束……小さく口の中でつぶやく。
ただ、まだ言葉を、状況を飲み込めずに反芻だけする。
「下がれ」
冷たく言い放たれる言葉。
それを合図に、ルーシーが考え込んで棒立ちしているクリスの背中を押す。
床に張り付いていた足が、強い力によって動かされた。
「どういうこと……?」
前室に戻るなり、開口一番ルーシーを責める。
「どうなっているの!?」
「ええ、申し訳ありません……これは皇帝陛下が決めたことで……」
「妻になるなんて聞いてない! しかも……皇妃様は? 空いてるって、なに?」
眉を下げ、困った表情でうろたえているルーシーに詰め寄ると、エマが鼻を噛みながら制した。
「……塔に戻ったら説明するわ」
「塔にって……ねえ、今説明してよ。皇帝? あの人、皇帝なの?」
「……まずは塔に戻りましょう。ここで騒いでいたらいけないわ」
宥めるように言いながら、エマはドアの横に立つ二人の兵士に僅かに視線を向けた。
まるで、様子を窺うように。
二回強く瞬きしたエマの意味はわからないが、クリスは食い下がる。
「だって……!」
「部屋に戻りましょう。着いてきなさい」
酷い鼻声で、それでいてしっかりとした口調でエマが厳しく言った。
クリスも、混乱した頭を抱えながら黙る。
来たときと同じく、先導するエマにクリスははやる気持ちを抱きつつ、重い足取りで進んだ。
(なに……? どういうこと? あの人、前線に出てたわよ?)
皇帝が前線に出るわけがない。
なにより、皇太子が戦争に出るはずもない。
確かに、皇帝が変わったという話は聞いていた。
それが、怪我をしていた彼なのか?
(そんな、だって……だってそんな……どういうこと?)
答えの出ない考えが頭を巡る。
思考を巡らせているうちに塔に着いた。
三人で部屋に入る。
「考えても分からない……教えてよ。あの人、私に皇妃になれって言ったの!?」
狭い室内で、クリスは叫んだ。
「ええ、まあ……そうなります」
ルーシーは言葉を濁らせながら頷く。
「なぜ!? なんでよ。おかしいわ。皇太子殿下もいらっしゃるわよね!? 説明して!」
床を踏み鳴らし、クリスは怒りをぶつけた。
ルーシーはエマに指示を仰ぐように見つめる。
「はあ……ええ、お話ししましょう。でもまずは落ち着いて。私の言葉が聞けるように心を整えて」
「もう整ってるわ!」
渋るように宥めるエマに、クリスは噛みつくように言う。
「皇帝陛下……ガブリエル様は三年ほど前までは第三皇子であらせられて……」
「……三年前まで、第三皇子!?」
そうすると、クリスと出会ったあの寡黙で真面目な青年は、皇子だったようだ。
(なんで皇子が戦場にいるのよ……!)
そのクリスの考えを呼んだのか、エマは言葉を続けた。
「ええ、陛下は当時、第二皇子殿下の右腕として出陣されていました。そこで深手を負い、クリス様に助けられたと……聞き及んでいます」
眉を寄せ、苦しそうにエマは言い、クリスから視線を外した。
「……帰国されたガブリエル様は……前皇帝の命により、前皇妃をお迎えされ………皇子、リオン様が誕生なさいました」
「…………前皇妃………」
「その後、第二皇子が戦地で帰らぬ人になり、先代の皇太子殿下は毒に倒れ……」
エマは視線を伏せたまま、小さな声で呟く。
「前皇帝陛下は……病に伏せられ崩御なされ、そしてガブリエル様が皇帝陛下に即位されました」
あまりの事実に、言葉が出てこない。
「……前皇妃も、不敬により……極刑に……処されました……」
「……それって」
「いいえ、違います。滅多なことを口にしてはいけません」
それまで言いにくそうに説明していたエマが、はっきりとした口調で釘を刺した。
(……なによ、答えを言っているようなものじゃない………)
考えたくない。
かつて、優しく真面目だったガブリエル。
彼が兄弟や親、そして妻を殺害した事実に頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
(ううん、そんなわけない!)
自分が大怪我をしたというのに、戻らないとと戦場に戻ったガブリエル。
必ず迎えに来るといったガブリエル。
あの精悍な青年が、そんな、家族を手にかけるはずがない。
「……違うわよね?」
勘違いだ。何もかもが勘違い。
希望を込めて、エマに確認した。
淀んだエマの表情。また視線をそらされる。
「……ルーシー、あとはお願いね」
「え……!? か、かしこまりました」
部屋を出て行くエマに、ルーシーはおどおどしながら視線を動かした。
「ルーシー、本当のことを言って。教えて」
縋りつくようにルーシーに迫り、問いただす。
「あ、えっと………」
「違うわよね? 嘘よね? 皇妃様のことを……殺してなんか、いないわよね!?」
肩を掴み、まっすぐと目を覗く。
ルーシーは怯えて震えているが、クリスから目を離さなかった。
「あなたは侍女でしょ? 仕えるのは私よ。だから本当のことを言いなさい。……皇帝がそんな……違うわよね?」
クリスの鬼気迫る気迫に押され、ルーシーが少し仰け反る。
だが、絶対に逃がさない。ルーシーの肩を掴んだまま、クリスは近付く。
「あ、あの……本当でございます」
「どっちが!? 何が!?」
「皇帝陛下が……不敬ということで前皇妃様を処刑されたのは……事実でございます……」
頭の中が真っ白になる。
ルーシーから手を離し、おぼつかない足取りでベッドに座った。
埃が舞い、窓から差す光で塵が煌めいた。
「……そんな……どんな理由で?」
「…………」
「どんな理由よ!!」
「え、えっと、皇帝陛下の……不興を買って、です」
「……不興を、買って……」
詳細の分からない、もっともらしい理由だ。
四年前までは第三皇子だったガブリエル。
それが、たった数年で三人も立て続けに亡くなり、皇妃までもがいない状態。
(まさか、まさかよね………)
そんなはずはないと思いたかった。
恋焦がれていた相手が大国の第三の皇子だったのは百歩譲って納得しよう。
しかし、そのあとはあまりにも人が死にすぎだ。
まるで、ガブリエルが屠っていったかのように――。
「皇子は!? 前皇妃のご子息は!?」
「ご、ご無事でございます……!」
胸をなでおろす。
さすがに、子どもは無事なようだ。
ルーシーはそわそわとした態度で、所在なさげに佇んでいる。
(ガブリエル……あなたは本当に彼なの……!?)
まだ心が現実を受け入れられない。
ただ、先ほど見た、かつての雰囲気が一切ない冷徹なガブリエル。
あの様子を見るに、噓偽りはなさそうである。
(ああ、帰りたい……)
考えても、ルーシーを問いただしても納得しない心。
そして残酷なほどに用意されている無為な時間。
こういうときこそ、身体を動かして忘れたかった。




