二十九話(後編)
ぼんやり秋の空を眺めながら待つ時間。
時折、可愛らしい鳴き声を出しながら鳥が飛んでいる。
二匹でじゃれ合いながら窓を横切る。
(……可愛い……)
耳を窓の外に傾ける。
姿は見えなくても、とりの楽しそうな鳴き声が聞こえてきた。
何分くらいそうしていただろうか。
ギッとドアが開く音がした。
視線を向ける先。エミリーが立っていた。
心臓が跳ね上がる。
「メイドが、ルーシー様が自室に戻ったことを教えてくれたんです。親切ですよね」
底冷えするような声。
張り付いた笑顔も、甘い声も何もないエミリーが、アンジェに近付いてきた。
「まるで私から守るみたいに、ずっと付きっきりだったみたいですね? 侍女は私なのに」
遠くを見ながら、エミリーは吹き出した。
「ぷはは、私は見てないけど、この宮廷に相応しくない薄汚れた中年女性だったみたいですよ。あーおかしい、見れなくて残念」
何がおかしいのか、お腹を抱えてエミリーは声を上げて笑っている。
「おっかしい、おかしい、おかしい……狂ってる!!」
アンジェのベッドに手をつき、上ってくる。
四つん這いになりながらエミリーが近づいてきた。
「お前、なんで生きているの? 何のために?」
「っ………!」
言いながら、目前に迫ったエミリーはアンジェの頬を叩いた。
小気味の良い、破裂音が響く。
じわり、と痛みが広がる。
叩かれた頬を押さえようと震える手を上げる。
パン。と今度は反対の頬が叩かれた。
「卑しい国で金のために三回も嫁いだあばずれが」
パン。反対の頬が叩かれる。
「配偶者はみんな死んだ? お前が殺したのか?」
パン。
(……痛い……)
交互に叩かれる頬。
「しかもお前、小国からすらも逃亡しようとしたんですってね」
パン。
「なぜ余計なことをする?」
パン。
「お前が逃げたせいで、一緒にいた男は処刑されたんですよ?」
パン。
浮かぶのはアンジェの腕の中にある、セオの頭。
「リオン様も、その男も……お前が殺したも同然だ」
パン。
あんなに優しかったリオンもまた、死んでしまった。
「お前に関わるとみんなが死ぬ」
パン。
「でも、良いですね! その調子でルーシー様も殺せよ!」
パン。
(……ルーシー……)
腫れあがった顔を見たら、ルーシーはまた悲しんでしまうだろう。
「皇帝陛下すらお前に興味がない! 様子だって気にしない、見に来ない!」
パン。パン。パン。パン。パン。
規則正しいリズムで、頬が交互に叩かれる。
皮膚の裂けそうな痛みは通り越した。
骨に響くような、重く鈍い痛み。
容赦のないエミリーの腕力によって、首も折れそうなほどに痛い。
「ルーシー以外には見向きもされない、忘れ去られた無価値な女!!」
髪が引っ張られ、顔を無理やりあげさせられた。
「ぷ……! くくく、ぶっさいくな顔ですね。皇女様だなんておこがましい」
アンジェの顔を見てエミリーは心底楽しそうに大声で笑っている。
両の目尻からは、涙すら流している。
「ん……? なんですかこの汚いモノ」
掴んでいたアンジェをベッドに叩きつけ、ネックレスを引きちぎった。
「……っつ……!」
首が裂けそうな、刺す痛み。
ぷちっとか細い音を立てて繊細な銀の鎖はちぎれた。
ペンダントがエミリーの手に渡った。
(あ………)
首を押さえ、エミリーを見上げる。
「……ふーん」
アンジェの顔に不安や恐怖や、きっとよくない感情が出てしまったのだろう。
エミリーは嫌らしく笑うと、壁に向かった。
燭台を手に取り、すぐに戻って来た。
「大事そうなお前のペンダント、返してほしい?」
「…………」
アンジェは頷いた。あまりにも弱弱しい動きだったが、エミリーには伝わったらしい。
「じゃあ返してあげますね」
そういって、ペンダントに火を近づけた。
「…………!」
焙られたオリーヴの木は、黒をまといながら火に包まれた。
『……それ、あげる。私の大事な木で作ったペンダントよ。お守りなの』
オリヴィアの大切な木で作られた、ペンダント。
ゆらゆらとした炎をまとっている。
じっくりと時間をかけて火は燃えている。
ただ眺めることしかできないアンジェ。
『元気でね、アンジェリナ。私はここであなたの幸せを願っているわ』
可愛らしい声と、穏やかで安心する口調は鮮明に思い出せる。
アンジェの幸せを願ってくれたオリヴィア。
火が消え、真っ黒な塊になったペンダント。
エミリーはアンジェに投げつけた。ぱらぱら、と形が崩れる。
「ああ、汚らしい。火遊びは駄目ですよ。いつか……ふふふ、火に包まれたりして」
とても綺麗な、愉悦にまみれた笑顔でエミリーは軽やかな足取りで出て行った。
「あ、ああ……オリヴィア……」
初めて、忌々しいとすら思っていた名前を口にする。
燃えたペンダントを拾った。
ずっと忘れていた存在。やっと思い出したのに。
かろうじて残っていた形は、少し力を入れただけで破片になる。
(……そんな……)
無残に、ぱらぱらと塵になってベッドに散らばった。
かき集めようとするが、シーツに擦れて消えるだけだった。
(……………)
昏睡状態になってしまったオリヴィア。
彼女は今、落ち着いただろうか。元気になっただろうか。
(…………そうだ……)
いつかオリヴィアが元気になったら、会いに行けばいい。
その時はきっと、見た目も元に戻り、化け物の姿ではないだろう。
だって、アンジェが三度も嫁いでそのたびに城が豪華になっていったのだ。
オリヴィアの薬だって、治療だって、十分すぎるくらいの金貨が手に入ったと思う。
「……………」
ペンダントは燃やされてしまったが、オリヴィアに会いに行けばいい。
いつか、そう、いつかきっと、また。




