二十八話(前編)
近衛兵たちにより、アンジェは再び、ガブリエルのいる宮廷に戻って来た。
フリルとレースがあしらわれた、純白のシュミーズはボロボロだ。
地面にへたり込み動かないアンジェを近衛兵が抱え、城内に移動した。
「アンジェ様……!!」
アンジェの帰りを待っていたのか、ホールの前でルーシーは駆け寄ってきた。
「ああ、ああ……なんて酷い……」
アンジェの姿を見て、ルーシーはすすり泣いた。
久々の、懐かしい声。
しかしアンジェはぐったりと兵士に抱きかかえられたまま自室に運ばれた。
「ああ、なんて惨い……、こんな、こんな……」
そのあとを、ルーシーは泣きながら付いてくる。
部屋の中に入り、アンジェをおろす。そのまま崩れるようにアンジェは倒れた。
「ああ、ああ、エミリー早く、手を貸して!」
ルーシーは鼻水を垂らしながらアンジェを抱えた。
いつの間にいたのか、エミリーが無言でアンジェの腕の下に手を通し風呂場に引きずった。
「エミリー!! そんなに乱暴にしないでちょうだい……!」
「ええ、でも私とルーシー様じゃ抱えられません。早くお綺麗にしないといけませんから」
いつも甘ったるい声を出していたエミリー。
しかし、今は声が強張っていた。
ぶっきら棒な、投げやりの声。
「そ、それもそうね……」
あたふたとしながら、ルーシーは着替えのためアンジェの服を脱がせる。
「ああ、お顔がこんなに傷ついて……手も、手もこんな怪我を……足も!?」
「では薬の用意をお願いします」
「……でも、それじゃ………」
「私は侍女ですよ? ルーシー様は?」
「……わかったわ、すぐに戻ってくるから、すぐによ!」
ルーシーは何度も振り返りながら、部屋を出て行った。
「……ったく、信じらんない」
ルーシーがいなくなってから、エミリーは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
それは、かつてのいやらしいほどの満面の笑みではなく、憎々し気な不快感を露にした顔。
「どの面下げて戻って来たんですかお前は!!」
エミリーがアンジェの髪を掴み、引っ張る。
「お前が! お前が役立たずだから! リオン様が!」
グラグラと揺れる頭。
眩暈がしてきた。
「ちょ、ちょっとエミリー!?」
「ああ、戻られたんですね」
「あ、あ、アンジェ様……!」
浴槽に、力なくもたれ掛かるアンジェを抱きしめ、ルーシーが真っ赤な顔をしてエミリーを睨む。
「手が滑ってしまいました」
悪びれる様子もなく、エミリーが手のひらをぷるぷると振った。
「………ぐすっ、アンジェリナ様……顔色が……」
「最初からですよ」
「………そう、なら私がやるわ、手当は得意だから。あなたは休んでいていいわよ」
「では、お茶の準備をします」
今度はエミリーが部屋を出て行く。
「アンジェ様……アンジェ様……」
ルーシーは泣きながらアンジェの身体を洗う。
手桶でお湯を汲み、髪も、身体も、顔も、傷も、時間をかけて丁寧に洗った。
お湯がかかるたびに傷が痛む。しかし、それだけだ。
アンジェの身体は動かない。動けない。
「う、う、……アンジェ様……」
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、香油を髪に絡ませた。
懐かしい香り。ルーシーの香りだ。
「う、う……ごめんなさい、アンジェ様………」
そういってルーシーはアンジェの身体に大きなふわふわのタオルを巻く。
三枚も使い、脚も綺麗に包んでからアンジェの脇の下に腕を通し引き摺るように浴室を出た。
「た、立てますか……!?」
少しも動かない、無言のアンジェ。
ルーシーは慌ててアンジェの身体に巻いているタオルを広げ、そこに座らせる。
「ああ、もう……こんな……こんなに弱ってしまって、傷だらけで……」
また大粒の涙を流しながら、ルーシーはゆったりとした部屋着を着せる。
悪戦苦闘しつつ、なんとか形にする。
髪を乾かし、傷に薬を塗り込み、全てを終えたころ。
ルーシーはびしょ濡れになっていた。
顔は涙と鼻水でぱんぱんに腫れ、全身は水に浸かったように大汗をかいている。
「アンジェ様、立ちますよ、立ちますよ!」
ルーシーに声をかけられるが、動けなかった。
「ああ、では……誰か呼んできますわ!! すぐに戻りますから!!」
広げたタオルの上にアンジェを寝かし、ルーシーは転がるように部屋を出て行った。
ぼんやりとした視界の中に広がる天井。
見慣れたはずの模様。生まれた時からずっとこの場所で育ってきた。
焦点が合ったり合わなかったり、ゆらいだり鮮明に見えたり。ぶれる。
「お待たせしました!!」
ルーシーが三人ほどメイドを連れてきた。
複数人に支えられながら、ベッドに横たわらせられる。
沈み身体を包む柔らかなベッドと枕。
肌触りの良いシルクのシーツ。
羽のように軽い掛け布団。
「ああ、アンジェ様…………」
まるで死体のように動かないアンジェ。
ルーシーは涙を流し、両手を組んでいる。
「何か、何か食べ物や飲み物をお持ちしますわ……ゆっくり休んでください」
アンジェを優しく抱きしめ、涙を拭いながらルーシーはまた部屋を出て行った。
しんとした部屋の中。慣れ親しんだ内装。
豪華であり、洗練されたデザイン。
虚ろに瞬きをしながら、アンジェはただ部屋の中を瞳に映した。
ルーシーは温かかった。
セオの背中も温かかった。温かかったのに。
あのとき、手の中で冷たくなっていった体温。
瞬きした目尻から、温かい涙が静かにこぼれた。
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