二十七話
少しだけ寝たら、気持ちが落ち着いていた。
まるで氷が溶けるかのように身体の中に温かさを感じた。
まだ少し眠い目をこする。
馬車から見える窓の外は、大国の風景だが見慣れない眺めだ。
(……痛い……)
擦り切れていた、足の裏の傷が痛む。
薬草をもらったが、水もないので手当もできない。
それに、自分で傷を見ることもしたくなかった。
生々しい傷は、怖い。
(……………)
セオに会いたかった。
必死の形相で何かを訴えていたが、耳に入っていなかった。
呼吸ができなくなり、それどころではなかった。
今なら、またセオと喋ることができる。
ほどなくして馬車は広間に着いた。馬車から降ろされる。
(……やだ……)
すぐに鈍色の全身甲冑を着た三人の近衛兵に囲まれる。
まるでアンジェが逃げ出さないかのように、前と左右に張り付いた。
ガブリエルがいる、玉座の間にいる兵士たち。
解れた心が、また少しずつ凍っていく気がした。
(……………?)
兵士の盾でほぼ塞がれている視界。
その隙間からきょろきょろと視線を動かす。
カトリーナが一緒に大国に送るといっていた、セオの姿がなかった。
一緒の馬車ではなかったし、違う馬車なのだろうか。
「……………………」
まだ確認したいのに、兵士たちはまるでアンジェを追い立てるかのように進む。
そのせいで、アンジェも歩くしかなかった。
(……賑やか……)
広間には人だかりができていた。
ざわざわと話し声が聞こえる。
たくさんの人たちが集まっている、お祭りでもしてるようだ。
しかし、屋台は出ていないし、大衆はみな同じ方向を向いている。
アンジェは兵士の隙間からその様子を見ながら、視線の先へと向かった。
(……………?)
異様な空気、異様な雰囲気。
集まった人たちの服装を見るに、平民や貴族、商人、多彩な服。
「……もっと早くに布告してくれたらいいのに」
「……今日急に決まったらしいよ」
「……仕事投げ出して見に来ちゃった」
「……私も! だって久々の処刑だもんね!」
飛び込んできた会話に、耳を疑う。
処刑。そう聞こえた。
「……いったいどんな罪なんだろうね」
「……窃盗とか?」
「……そんな生温い罪状で急遽処刑なんてする!?」
「……卑しい国の民ならありえるよ」
「……バーカ、だったらその場で切り捨てて終わりだろ」
少年たちが話しながら、大きな声ではしゃいでいる。
アンジェの心から、温度が抜けていく音がする。
(…………私……?)
今、この先。みんなの視線の向こうへ向かうアンジェ。
処刑されるのは、アンジェだろう。
(…………そっか………)
少しだけ、安心した。終わるんだ。
もう怖がらなくていい。怯える必要がない。
指先の感覚はもうない。
しかし、不思議と心はそこまで冷えていなかった。
(………あ……)
重々しい足取りで、処刑台の近衛兵が上がる。
「静粛に! 帝国臣民、皆々。神聖ガブリエル皇帝陛下が直々の御神託である!」
ざわざわとしてた民衆が、しんと口を閉ざす。
人がたくさんいるのに、物音一つない静寂。
「罪人セオドール。我が国の皇女殿下を拉致し、あろうことかその御身を危険に晒した」
兵士が遠くまで聞こえるように大きな声を一層張り上げる。
その声に合わせ、セオが、セオが処刑台の上にのぼっていく。
一段、一段と階段を踏みしめて。
アンジェは息を呑み、目を見張った。
「万死に当たるその所業、その首を以て帝国の法と秩序の証とする!」
信じられない。ありえない。
口の中が乾き、心臓は張り裂けそうなほど鼓動を打っている。
そして、冷えていたはずの身体は燃えるように熱くなり、汗が吹き出した。
「――罪人セオドール、この場にて断首に処す!」
「や、や……やだ、やだやだやだや…………!!!」
アンジェの口の中で音が鳴る。
ブクブクブクと似た音が、口の中で弾けた。
口の中同士が張り付いている。掠れ声の、小さな悲鳴。
目を極限まで開ける。
両手を開き、頬に爪を立てた。
「やだ……やだ、やだやだやだ……やめて、やめてやめて!!!」
咄嗟に走り出そうとするアンジェの身体を、兵士が抑える。
「ねえ、やめてよ、やめてってば!!!」
兵士に抑えられながら、アンジェはセオに手を伸ばす。
掴もうと手を動かすが、当然のように距離があるため届かない。
ただ目の前で、手が開いたり閉じたりを繰り返している。
「セオ、セオ……! ねえ、離して、離して!!!」
虚しく空を握る手。
その様子に、セオは顔をあげた。
虚ろな表情、光のない目、くすんだ肌の色。
数時間しか離れていなかったのに、驚くくらい老けていた。
だが、セオだ。
「セオ! セオ……!!」
涙が溢れた。
ラベンダー色の瞳が交わる。目が合っただけなのに嬉しい。
また、歯を見せて笑ってほしかった。
安心させてほしかった。
「セ―――」
しかし、逸らされる目。
ラベンダー色の瞳は閉じ、俯く。
「セオ!? セオってば!!! ねえ、セオ!!」
アンジェは兵士を押しのけるように体をよじる。
しかし、びくりとも動かない兵士の身体。
アンジェはただ叫びながら暴れる。
「離してよ!! セオ、こっち見て!! 何か言って!!」
何度も何度も逃げようと身をよじる。
ス……と兵士の銀の剣が空を刺す。
「あ、あ、セ……セオ、セオ!!!!」
とん、と振り下ろされた。
「あ………」
銀に光る剣は、光を反射し赤い弧を描いた。
「あ、あ、あ……………………」
空に伸ばしていたアンジェの手が、だらんと落ちる。
地面に崩れるセオの身体。
「あ、セ、セ………」
また頬に爪を立てた。
そして、両手の爪を噛む。
ゴチゴチと鈍い音が出る。
爪だけではなく、指の先まで噛み千切りながらアンジェの目はセオだった身体の釘付けになっていた。
「あ、あ、………」
信じられない光景に言葉が出てこない。
すると、断頭台にいた兵士が歩み寄ってきた。
極限まで見開いた目だけを動かし、睨みつけた。
目の端に痛みが走る。
それでも逸らさなかった。
「皇帝陛下からです」
そういって、アンジェに差し出されたもの。
視線を落とす。セオの首だ。
「……………。……あ……、あ…………」
金と銀に輝くアンジェと同じ髪の色。
ラベンダー色の瞳。
『逃げよう!』
初めて会った夜の、セオの言葉。
アンジェに道を示してくれた、初めての友達。
『大丈夫、アンジェのことは俺が絶対に守るから!』
白い歯を見せて、少しいたずらっぽく笑うセオ。
そのセオはもう動かない。
「や、やだ………セオ……」
あまりの衝撃。
締め付けられる心。喪失感。
アンジェはその場で意識を失った。
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