二十六話(後編)
男たちは、傍に待機させていた馬に拘束したアンジェとセオを乗せた。
そしてセオがアンジェを背負って歩いた道をあっという間に駆け、数時間で城に着いたのだ。
(……………)
サラとの格闘の怪我が痛むのか、セオはずっと黙っている。
覇気は消え、大人しい。
「アンジェ、心配したのよ!」
高く響く大きな声。
二人の前にカトリーナとオスカーが現れた。
「この男に攫われていたのね……なんて酷いことを……!」
アンジェを抱きしめ、セオを憎々しげに睨んでいる。
触れる肌に温もりを感じるが、今は冷たく思えた。
「そういうえばサラは?」
「……身内の世話が忙しいから辞めるそうです」
カトリーナに引き渡した男が淡々と言う。
「そう、よくあることよね。お金はたくさんあるだろうし、それでもいいわ。今はどうでも」
ため息交じりにカトリーナはアンジェの髪を優しくなでた。
「それよりもごめんなさい、アンジェ……あの男が、アンジェを返してほしいというのよ」
あの男。
理解するよりも早く、冷えていた心が凍てついていく。
ぴしぴしと音を立てるように固まる心。
震える手足。白くなる指。
きっと、唇まで青くなっているだろう。
「どうも、私たちが嫁がせていたことが気に入らないみたい。勝手な男よね……」
「……だから言っただろう」
小さな、呟くような声でオスカーは吐き捨てた。
「娘の幸せを願って嫁がせることの、何が悪いのよ!」
「……わかったから、早く大国へ送れ」
「それこそわかってるわ!! 早くしないと本当にまた戦争が始まりそうだし……」
カトリーナが今一度強くアンジェを抱きしめた。
「本当にごめんなさい、でもアンジェだって戦争は嫌よね? せっかく復興しかけているのに。だから、わかってくれるわよね」
「……戦争? 復興? 大国に送る?」
そこで、セオが叫んだ。
カトリーナはアンジェから身体を離し、冷ややかに一瞥する。
「ああ、こんなのもいたわね」
「物騒なことを言って、あ、あなたたちは何を言ってるんだ!?」
状況が理解できていないのか、セオが質問を投げかける。
まるで悲鳴のような小さな叫び。切羽詰まったような、焦っている声。
「知らないなんて言わせないわ。アンジェは私たち、国王と王妃の娘……王女よ」
「国王!? 王妃……!? し、知らない……! 王女だなんて……知らない!!!」
「ふん、いくらでも言い訳はできるわね。良いわ、この男も一緒にあの男へ献上しましょう」
「……カトリーナ、さすがにそれは……」
「なぜよ? アンジェを攫った男よ? あの怪物、さぞ喜ぶでしょうね」
聞いたこともない、腹の底からの笑い声。
カトリーナの口から出ているとはにわかに信じられず、アンジェは呆然と聞いている。
「ふふふ、これは私からの餞別よ。きっとあいつは容赦しないわ。でも、それでいいのよね。だって、アンジェ……あなたに危害を加えようとした男」
「………………!」
違う、そう叫びたかった。
だが、口角を上げ目尻に皺をたくさん作ったカトリーナの顔に、何も言えなかった。
そして、目も離せなかった。
カトリーナの顔が、いつもと違うように感じた。
「大国の教会からきている男のようだし、私たちが勝手に裁くことはできないの。だから、任せましょう。皇帝に」
更に目尻の皺が深くなった。
目頭にも若干のひびが入っている。
(………怖い………!!!)
ガブリエルの恐怖と、目の前にいるカトリーナの顔に対する恐怖。
二つの恐怖がまじりあい、底冷えしていく。
息が苦しい。浅い呼吸を繰り返す。
「知らない、俺は知らない!!!」
セオが悲痛な叫び声をあげている。
「俺は復興支援に来ているんだ!! あなたたちの国を助けるために!!」
「はあ、それが王女攫いってわけ?」
「知らなかったんだ!! なあアンジェ、説明してくれよ!!!」
「………………」
小さく口を開け、浅い呼吸を繰り返すアンジェ。
全力で疾走したように、肺が痛い。
虚ろな目でセオを見る。焦点がうまく合わない。
「なあ、アンジェってば!! 説明してくれよ、俺たち友達だよな!?」
微かな音しか出ない呼吸。
喋るだけの力が入らない喉。
「友達ですって、孤児のくせに身の程もわきまえずに。ほら、アンジェもあなたについて何も言わないわ。これが答えよ」
「なあ!!! どうして!? どうして何も言ってくれないんだよ!!!」
「アンジェ、あなたと離れるのは凄く寂しいけど……いつでも帰ってきていいのよ。あなたの部屋は残しておくわ」
「お願いだ、このままじゃ俺は……お願いだよアンジェ!!!」
「そろそろお別れの時間ね。会いに行くわ、絶対に。愛しているわ、アンジェ」
「なあ、アンジェ!! アンジェリナ!!! 何か言ってくれよ!!!」
二人が名前を呼んでいる気がした。
霧掛かったように、ぼんやりと。
薄い水の幕を張られたような、遠くから聞こえる声。
(………苦しい………)
今、自分の身体はどうなっているのだろうか。
既に感覚のない四肢、苦しい胸。ぼんやりした頭と視界。
カトリーナに促され、ふらりふらりと歩いている、気がする。
(夢………?)
一体どこからどこまでが?
カトリーナの笑顔も、サラの笑顔も嘘?
あんなに優しく安心する顔が、醜く見えたのも夢だからだろうか。
くわん……くわん……と揺れる身体。
近くにいるはずのカトリーナが怒鳴り、セオが悲鳴を上げている。
頼もしいセオ、優しいカトリーナ。
夢なら早く覚めてほしいのに。
優しい人たちが、優しく正しい笑顔な世界。
(まだ……?)
アンジェが大国から小国へ来たときに乗った馬車。
今ならわかる。
伯爵の馬車よりも、ダニエルよりも。
とても高級でとても上品。乗り心地の良い馬車。
中には、アンジェ一人。
(寝よう……)
もう一度寝たら夢が覚めるだろうか。
アンジェは静かに瞼を閉じた。
意識を手放すのと同時に苦しかった呼吸が戻ったのを、アンジェは気づけなかった。




