二十四話(後編)
賑やかな声。アンジェの意識がふわりと戻る。
鼻をくすぐる良い匂いに、お腹が鳴った。
(……う、痛い……!)
起き上がろうとして触れる足の裏。
とんでもない激痛が走った。
目の前がチカチカする。
「あ、アンジェさん起きたよ」
気配を感じたのか、ララがドアからこちらを見て、駆けて行った。
「もう少しでご飯の用意できるから待ってて! 動いちゃだめよ、痛いんだから!」
姿の見えないタニアが、大きな声でアンジェに言った。
(…………)
辺りはすっかり暗くなっている。橙色の光。深い紺色の空。
既視感があった。昨夜のことを思い出す。
胸がざわりと波立った。
「アンジェ、大丈夫?」
次に顔を出したのはセオだった。
快活な表情はなくなり、代わりに悲しそうに眉が下がっている。
「……うん……」
「ごめん、あの時無理やりにでもおぶればよかった」
ベッドに座りながら謝っている。
「俺は、俺たちは何日も歩いたりするから気にしなかったけど、アンジェは……綺麗な服も着ているし良いところのお嬢さんなのかな」
良いところのお嬢さん。
今の地位は小国の王女だ。
だが、その言葉は言えなかった。
「気が利かなくてごめん」
深く頭を下げるセオ。アンジェは無言で見つめるしかなかった。
(私………)
謝られて、どういえばいいのか分からなかった。
いい、とか、許す、とか、そういう言葉。
どれを選べばいいのか分からない。
昨日は喋れたセオに、今日は無言になってしまう。
だからこそ。
「…………アンジェ?」
セオを抱きしめた。
今まで、いくどとなく抱きしめられてきた。
たくさん感じた、温かく優しい体温。
(………………)
目の前にある、アンジェと同じ色の髪を見つめる。
「………………」
「………………」
暫しの無言。
(……あれ……?)
この後どうしたらいいのか分からない。
「ご飯できたってよー」
遠くで聞こえるララの声に、セオは素早く立ち上がった。
「俺が運んであげるから」
「……うん……」
セオに抱えられ、アンジェは部屋を出る。
炉端のテーブルを囲んで、楽しくおしゃべりしているララとタニアがいた。
「来たね、ここに座って」
恐る恐る座るアンジェのふくらはぎの下に、台を設置した。
「これで足の裏がつかないから痛くないでしょ」
「……ありがとう、ございます……」
たどたどしくお礼を言う。
(……優しい……)
目が潤む。タニアの心遣いが胸にしみた。
「泣かないでよ、セオさんには今日たくさん手伝ってもらったから。お釣りがくるくらいだよ」
「いやあ……たくさん手伝っちゃったなあ」
疲れた顔をしながら、セオが横に座った。
「ほら、うちに限らずだけどどこも男手がないでしょ。だから溜まっていた重労働頼んだの」
「……いやあ本当に……容赦なくて疲れたなあ……」
セオは半笑いを浮かべて、ため息を吐いた。
「宿と食事の代わりに労働力! それが教会の人の勤めってものですよ」
「……ごもっともです」
腕をさすりながら、セオは頷く。
「なんてね、早く食べて。ララが取ってきた魚も木の実もあるよ」
目の前に欠けた皿を持ってララが置いた。
木の実を一つつまむ。
甘い味。果物のような風味。今まで食べたことのない木の実。
(男の人がいない……?)
そういえば、サラも父と弟を戦争で失くし母と二人暮らしだ。
タニアとララと同じ。
「戦争で、多くの命が失われた……だから、俺たちが手伝いに来ているんですよ!」
「じゃあ明日も頼むよ!」
「いや、明日は……。今夜にでも出ようと思っています。食事をしたら、すぐ」
「そっか、怪我の状態が良くないけど……でもわけありなんでしょ。アンジェさんの服、かなりいいチュニックに見える」
チュニックではなくシュミーズだが、訂正しなかった。
顔が赤くなる。下着で出歩いていたのを忘れていた。
「チュニックじゃなくてこれ下着じゃ……」
「…………」
「チュニックか! 女の子の服は分からないなあ!」
言いかけるセオに、アンジェは無意識に軽く眉を寄せて唇を尖らせる。
その顔を見て、セオは慌てて言い訳をした。
「二人は仲が良いね。さ、温かいうちに食べて。お替わりある分だけは好きなだけ食べていいからね」
二人の様子に、タニアは声を上げて笑う。
ララもクスクスと声を出していた。
他愛のない話をしながら、暖かい火の近くでの団らん。
そのせいか、アンジェの疲れ切っていた心が解れた気がした。
(………楽しい……)
自然に緩む表情。活気のある声、和やかな雰囲気。
質素だけど、味のある美味しい食事。
ずっと続けばいいのに、そう思った。
「そろそろ出ようか」
食べ終わり、会話が途切れたところでセオが切り出した。
アンジェは頷く。
「ほら、乗って」
そんなアンジェの前に、セオはしゃがんだ。
広い背中を向けている。
「……………」
タニアとララに支えられながら、その背中にそっと乗った。
「アンジェは軽いね。最初からおぶればよかったよ」
明るい声。
笑っているのが、背中越しにアンジェに伝わった。
「気を付けて。怪我が治ったら顔を見せに来てね。今度はもっと長く泊まってくれていいですから」
「あはは、そうですね。このご恩は忘れませんよ」
笑う声に、セオの背中が小刻みに震えている。
「また来てね!」
「アンジェさんは安静にね、これもあげるから」
タニアはアンジェにランタンと、小さな袋を握らせた。
「これの中身は痛み止めと化膿止めの薬草だよ。水に溶かして傷を洗って使うんだよ」
「助かります、何から何までお世話になってしまって!」
「持ちつ持たれずってね」
何度もお礼を言いながら、セオは家を出た。
「バイバーイ!」
「バイバーーーーイ!!」
ララの大きな声に、セオも大きな声で返した。
明るい家から離れると、周りはすっかり夜の帳が下りていた。
「この川沿いに歩いていけば大国に行けるよ」
アンジェが持つランタンの光が、漆黒の道を照らす。
まだ暖かい家族の余韻が心の中に残っていた。
「良い家族だったね」
「……うん………」
「教会の人たちもすごく良い人たちなんだ、だから懐かしくなったよ」
「……そう、なの……」
「うん!! きっとアンジェも気に入るよ!! だから急ごう」
確信に満ちた、強いセオの言葉。
(……そっか……)
少しだけ、心が弾む。
そわそわとした気持ち。
アンジェもまた、まだ見ぬ教会へ心が急いていた。
「無事に教会に着いて落ち着いてから、また二人で挨拶に来ようね」
「……うん」
「怪我も治ったよって報告して、そしてたくさん働かされるんだろうなあ」
「……………」
「タニアさん、容赦ないから」
「………ふふふ」
ふざけた調子でセオはため息を吐いた。
ただ、嫌そうな感じはしなかった。
暗い道、ランタンの光、少し肌寒い夜の空気。
温かく広いセオの背中に頬をくっつけ、アンジェも微笑んだ。




