二十三話(後編)
「うわ、びっくりした。お化け!?」
一人の青年が現れた。
身構えていたが、拍子抜けしアンジェはその場に座り込んだ。
「ちょっと大丈夫? 女の子、だよね? いや、下着姿のお化け……?」
失礼な青年だ。アンジェは思わず顔をしかめる。
しかし、そういえばシュミーズのまま外に出ていた。
「なんで泣いていたの? そうだ、水飲む?」
青年は腰から革袋を取り出し、差し出してきた。
「……………ずびっ」
「ハンカチも貸してあげるよ」
革袋とハンカチを受け取る。
鼻をかんでから、水を飲んだ。
冷たい水が胃に流れるのを感じる。
革袋を握って、アンジェは放心した。
「大丈夫? じゃなさそう……だけど……何があったの?」
「……………」
「こんな夜中にこんな場所で泣くなんて、よっぽどだよね」
「……………」
「話したくないならいいけどさ。危ないよ」
「……………」
「幽霊でもね!」
そういって、青年は破顔した。
いつもならアンジェも笑うが、今はそんな気になれなかった。
「俺はセオドール。セオって呼ばれてるよ。幽霊さんは?」
「………。アン、アンジェ……リナ……」
「アンジェリナ! じゃあアンジェだね!」
快活な青年はセオと名乗り、向かいに座った。
ランタンを隣に置き、腰から何か取り出す。
アンジェの前で広げた。
「これ、ビスケット。知ってる? クッキーより甘くなくて美味しいんだ」
「…………」
「お腹空いてないの?」
そう言いながらセオは一枚口に入れた。
目の前でぱりぱりと美味しそうに食べる。
「あれ……アンジェの髪の毛って……」
不躾に、唐突に、アンジェの髪に手を伸ばした。
身をよじって逃げる気力もない中で、髪を触ってきた。
そしてまじまじとアンジェの髪の毛を見る。
「やっぱり! ほら、見て! 俺の髪の毛と同じ色じゃない!?」
急にセオがはしゃいだ。
明るく楽しそうに、自分の短い髪を触る。
「あ、自分じゃ見えないか……。でも、同じじゃない? 日に当たると金色で、暗いところでは白くなる髪だよね?」
その通りだった。セオの言う通り。
「へー、同じ髪色の人に会うのは初めてだよ!」
楽しそうに言いながら、またビスケットを食べた。
「あ、じゃあさ……」
おもむろにランタンを手に取る。
「目は何色なの? 見てもいい?」
「……………」
正直嫌だ。
見ず知らずの人になぜそんなことをされないといけないのか。
それに泣いたばかりだ。間近で見られたくない。
「……………」
絶対に見られないように、むすっとしながら俯く。
「ねえ、教えてよ。俺はね、ラベンダー色なんだ」
「………え?……」
思わず顔を上げる。
アンジェは目元を触る。
少しくすんだ紫、ラベンダー色。
「まさか一緒!?」
アンジェの反応から推理したのか、セオは盛大に喜んだ。
「髪の色も目の色も同じなの!? そんな人、初めて会ったよ!!」
「…………うん」
アンジェも頷く。
伯母のカトリーナですら、明るい金色の髪だ。
オリヴィアは分からない。白かもしれない。
顔ばかり見ていたせいか、今となっては色が思い出せなかった。
「すごいね。なんだか他人と思えないよ」
そんな大げさな言葉を吐く。
まるでカトリーナなようだ。
しかし、カトリーナなほどの強い意志は感じない。
「俺、今晩はここの見張りなんだ。って言っても、ただ見張りをするだけの簡単な仕事」
楽しい話でもないのに、セオは白い歯を見せ笑った。
「ここには教会の復興支援活動で来ていて……ええと、実は、大国の人間なんだ」
大国出身者。アンジェと同じだ。
頭をよぎるのは、嫁ぎ先。身体が強張る。
「実は戦争孤児で生まれてすぐ、教会に預けられてそのまま付属の孤児院で育ったみたい」
まるで他人事のようにセオは語る。
「国のはずれにある村の、小さな教会と小さな孤児院」
再びビスケットを手に取り、口に放り込んだ。
一気にかみ砕いて食べる。その様子に、野蛮だ、と思った。
「あ、別にそれ自体は何とも思ってないよ。神父もシスターも孤児のみんなも優しくて、とても恵まれていたし」
「……………」
アンジェだって恵まれている。
大国の皇女で、小国の王女で、三人の配偶者たちがいた。
家族に囲まれて……。
……本当に? そうだろうか。
「だからさ、小国の人は大変だよね。敗戦して、貧しくて、労働力が足りなくて……助けたい、って思う」
「……………」
「アンジェのことも助けたいんだよ。本当だよ」
「……………」
「なんでこんな時間にここで泣いていたの? 教えてよ」
「……………」
暫しの間が流れる。
一分。二分。五分。
(……………………)
口を噤むアンジェの横で、セオは黙って待っていた。
まるで、時が止まったような時間。
(……だって………)
何を言えばいいのか分からない。
三度の結婚が嫌だった。四度目も嫌だ。
カトリーナとオスカーがアンジェを売り飛ばしていたのが嫌だった。
笑顔でいたのに、それだけじゃダメだったのが嫌だった。
なんとなく頭では分かっている気がするが、何を話していいのか分からない。
「アンジェは強情だね。ま、いっか」
落胆も怒りも悲しみもない声。
黙るアンジェに、セオはまたビスケットを食べた。
「明日は仕事休みなんだ。だからずっと一緒にいてあげるよ」
「……………?」
言葉の意味が理解できずにまた動きが止まる。
「だってこんなところに女の子一人置いて行けないし、それに、辛いことがあって帰れないんでしょう?」
「……わかるの……?」
心を読まれたかのような言葉に、アンジェは目を丸くしてセオを見る。
同じ、ラベンダー色の瞳が交わる。
アンジェをまっすぐに見たセオの瞳が揺れた。
「孤児院でも、たまに喧嘩して家を飛び出して泣いてる、なんてよくあったからさ」
心なしか嬉しそうな声。
「アンジェも一緒かと思って」
「わ、私は………」
気づけば、アンジェは口を開いていた。
セオと髪と目の色が似ているからだろうか?
親近感? 屈託のない笑顔? 快活な話し方?
それとも、立場の違いがない、その場限りの人間だから?
「……それで、私は」
理由は分からない。
ただ、三度結婚したこと。お金のために嫁ぐこと。
今度は四回目の結婚、さらにはその先も繰り返されることをぽつりぽつりと語る。
(私……喋ってる……)
今まで頷いて、肯定して、笑顔でさえいればよかった。
でも、それだけではいけないと突き付けられた。
だから、セオの言葉に少しだけ気持ちを乗せようと思った。
「………酷いね、それは家にいたくないよね。外に出て大泣きしたくなるよ」
「……うん……」
上手く話せた気はあまりしない。
だが、セオは急かすことなく、アンジェの口から零れ落ちる途切れ途切れの単語に耳を傾けていた。
セオの言葉に、また涙が溢れる。
「実の娘を四回も結婚だなんて、そんなに小国は追い詰められているのか……」
「……………」
話終わり、口を噤む。
皇帝の娘であり、今は国王の娘ということは言えなかった。
言ったら、嫌われるような気がした。
今までそうだったように。
「可哀想に……俺と同じくらいかな? 十六歳くらい?」
「うん………」
「同い年だ!! うーん、このままアンジェの家に帰っても解決しないし、ここにいても……」
「……もう疲れた……逃げたい……」
どきりとした。自分の口から出た言葉に。
心臓がバクバク鳴る。初めて自分の気持ちを、意見を言った。
慌てて口を押える。
だが、音になって出た言葉は戻せない。
「……なるほど、そっか!」
立ち上がり、アンジェに手を差し出すセオ。
つい掴んで立ち上がるアンジェ。
「逃げよう!」
「……え!?」
「小国だからいけないんだよ。貧しい国だから……。俺が育った孤児院は、大国だから凄く優しい人たちしかいないんだ!」
「……………」
逃げる、それが許されるなら。
繰返される結婚。ガブリエルの監視。近衛兵たち。
何もかもを捨てて、新しい生活を始められるなら。
「神父だってシスターだって、先生たちだって! 孤児院のみんなも! もちろん、俺ね!」
黙っているアンジェの手を強く掴み、セオは力強く、それでいて少しふざけたような口調で言った。
「……本当に……?」
「もちろん! 売り飛ばす大人たちなんていないんだ! だから、一緒に俺のいる教会に行かない?」
「い、いいの……!?」
セオの言葉に、アンジェは顔を輝かせた。
アンジェの言葉に、セオも快活に返事をした。
「いいよ、行こう! うちの教会は来るもの拒まず、去る者追わず!」
言葉の意味は分からないが、なんだかとても頼もしく思えた。
「じゃあ、急ごう。家族が心配して探しに来る前に。直接教会に行って、相談するんだ!」
「………う、うん………」
「大丈夫、アンジェのことは俺が絶対に守るから!」
「あ、ありがとう………」
セオによって、凍っていた心が少し溶ける。
また涙がこぼれるが、アンジェは自然に笑えていた。




