表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/70

二十二話(後編)

サラに部屋に案内され、アンジェは泥のように眠った。


(………………)


ゆっくりと浮上する意識、ゆっくりと開く瞼。


(……重い……)


まだ頭の中は鈍く、意識はぼんやりとしている。

身体もベッドに張り付いたようになかなか起きれない。

部屋の中は薄暗い。

着いたときは黄色い光と澄んだ青空が、今ではオレンジと藍色になっていた。


「………う……ん……」


ベッドから引きはがすように無理やり身体を起こした。

ゆっくりとまた、瞬きをした。

丸一日寝ていたようだ。

お腹が鳴る。空腹だ。しかし、食欲はない。

それよりも喉が渇いた。


(…………)


棚の上を見るが、何もなかった。

アンジェが寝るとき、サラがいつも用意してくれている水差しとグラスがない。

鉛のような体を起こし、アンジェは食堂へ向かおうとした。

すると、そのタイミングでノックの音。


「………………」


返事をしようと思ったが、喉が詰まっているのか声が出なかった。

ぼんやりとドアを見る。

アンジェの返事がないのだから、それで終わりのはずだった。

しかし、ゆっくりとドアノブが回った。

静かに、音を立てずに開くドア。

その隙間から顔を覗かせたのは、サラだった。


「あ、……起きていたんですね」


一瞬驚いた表情をしたが、見慣れた笑顔を浮かべている。


「お水、用意するのを忘れてしまって……持ってきたんですけど……」


たっぷりと水が入った水差しを見せて、サラは部屋の中に入ってきた。


「たくさん眠っていましたね。何度か来たんですけど、全然起きなくて」


グラスに水を注ぎ、アンジェに渡した。

まだ少し震える指先で、アンジェはグラスを受け取った。

サラのワンピースの袖口には、可愛いフリルがついていた。

そして、夕日を受けてきらりと光る眩しい金色のボタン。


「お食事の用意ができているんですけど、行きますか?」


アンジェが飲み干したグラスにまた水を注ぎながら、サラは聞いた。


「……………」


もう喉は乾いていないが、グラスを受け取る。

冷たいグラスを両手で支える。


「オスカー様もカトリーナ様も、気にされているから顔を見せに行っても良いと思いますよ」


少し投げやりな言葉。

いつもの、明るく元気なサラとはどこか違う。


「行きましょうか。その間に私が、アンジェリナ様の鞄の中身を整理しておきますから」


しかし、すぐに顔を綻ばせる。

いつもの、アンジェがよく知るサラに戻った。


「……う……ん……」


声を振り絞って返事をした。

掠れた音。これが自分の声なのか、と驚く半面、どうでもよかった。

明るく弾んだ声の、ご機嫌そうなサラに案内されて食堂へ向かう。


(………………)


ふらふらとする足取りのアンジェに気づいていないのか、サラはすたすたと先に行く。

そして、食堂の入り口でアンジェのことを笑顔を浮かべ待っていた。

いつもと変わらないサラ、のはず。

それなのに、どこか違う人のような感じがした。


(………………)


食堂に入るとあまりの眩しさに目がくらむ。

手で影を作り、少しだけ開いた。


「…………………………」


天井には豪華なシャンデリアが吊り下がっていた。

古い城壁とは似つかわしくない、とても豪勢で煌びやかなシャンデリア。


「アンジェ! 大丈夫? 落ち着いた?」


すかさずカトリーナが駆けよってアンジェの身体を支える。


「シュミーズのままなの? でも、食事が終わったらねるだけだし、いいわね……」


暖かな温もり。優しい言葉。安心する笑顔。

反して、アンジェに一瞥もくれずにオスカーは沈んだ暗い表情でひたすらに食事を続けていた。


「さ、たくさん食べてね。美味しいはずよ」


目の前に並んでいるのは、白いパンと少しだけ野菜の入ったスープ、厚いハム、そしてチーズ。

卵をゆでたものが、一つ。

ふやかした芋を潰したものには、細かく刻まれた謎の草が混ぜられている。


(…………………)


確かに、今までよりは豪華といえば豪華かもしれない。

ただ、ほとんどがそのままの素材である。

料理とは名ばかりの、食材の陳列。


「驚いた? まだ輸入の物ばかりだけど……少しずつ、良いものになってきているのよ!」


カトリーナは、まるで楽しい報告をするかのように元気に言った。


(…………………)


スプーンですくい、ふやかした芋を食べた。

途端に鼻を刺すのは、芋なのか草なのか分からない強烈な青臭さ。

手が止まった。


「……疲れているわよね、ゆっくり食べていいのよ」


カトリーナはその様子に、労わるように声をかけ席に戻った。


「あら、オスカー? アンジェへの特別な一品、今日はないの?」


カトリーナが不思議そうに、それでいて少しからかうかのような声でオスカーに聞く。

聞こえているはずだが、オスカーは無言で食べている。


「歓迎の印って、毎日張り切っていたじゃない」

「……………」

「あ、ごめんなさい。これ、アンジェには秘密のもてなしだったわよね……?」

「……………………」

「……ごめんなさい、余計なこと言ったわ……」

「……………。………今日は食欲がなさそうだからな……」


たっぷりと間を開けて、オスカーはおもむろに言った。


「そう? それもそうね」


カトリーナはそれ以上気にせずに、食べかけの食事を口に運ぶ。


「あら、アンジェ。全然食べていないじゃない。どうしたの?」


その様子をなんとなく見ていると、カトリーナが首を傾げた。


「たくさん食べないと元気が出ないわ。クリスだってあの子……ふふふ、あんなに細くてよく食べる子だったんだから」


アンジェを見つめるカトリーナ。

しかしその目は遠くを見るような、懐かしむような表情になった。


「……ねえ、本当に大丈夫? 食べないなら食べないでいいのよ。無理しないで」


動かないアンジェの目の前の皿を、カトリーナが手に取った。

そして、オスカーの皿と自分の皿に振り分ける。


「そういう日もあるわよね。食べ終わったら……オリヴィアの部屋に行きましょう」


オリヴィア。

その単語に、虚ろだったアンジェの瞳が揺れた。

可愛らしい声とは裏腹に、見た目が崩れた姉。

見るたびに段々と姿が変わり、悍ましさが増す。

脳裏によぎる姿に、鼻の中が痛くなった。


「じゃあオスカー、またあとでね」


珍しくカトリーナは食堂を出るときにオスカーに声をかけた。

唸るようなくぐもった返事をしアンジェの残り物を食べている。


「入るわよ、オリヴィア」


ノックをするカトリーナ。

しかし、部屋の中からは、澄んだ綺麗な声はしなかった。

無音である。


(………あれ?)


カトリーナは少しだけ待ってからドアを開けた。

強烈な異臭が廊下に充満する。


「さ……入ってアンジェ」

「……………」


言われるままに部屋の中に入った。

オリヴィアはいた。

ベッドに横たっている。いつも通りだ。

しかし、その落ち窪んだ眼は閉じられている。


「……オリヴィア、アンジェが帰って来たわよ」


歌うような、小さな声でカトリーナはオリヴィアの耳元で囁いた。

そして、そのままオリヴィアの口元に耳を近づける。

暫しそのままの状態で、カトリーナは止まった。


「……生きている……良かった」


身体を起こしながら、安堵した表情を浮かべる。


「ごめんなさいね、アンジェ。オリヴィア、昨日からずっと寝たきりなのよ」

「………………」


灰色の溶けた皮膚、原型を留めていない顔。

髪はほとんど抜け落ち、皮膚はカサカサと粉を吹いていた。

前見た時と同じ、醜悪な見た目。

アンジェにはオリヴィアが動いているのかもわからなかった。


(………………)


少しだけ開く灰色の唇、黄色い歯と、深淵のように真っ黒な口の中。

そこから紡がれる言葉や声。それはもうない。

心の奥がきゅっとなる。寂しいと思った。


(……好きだったのに……)


そう思った。


「………あ………」

「……アンジェ……?」


ふいに漏れた一言。

カトリーナがアンジェを振り向く。

立ち尽くすアンジェ。

アンジェはオリヴィアの声が好きだった。

安心する可愛くて綺麗な声、優しい言葉、涼しげな音。

今無性に恋しくなった。聞きたかった。

全身が痺れる。


「そろそろ行きましょうか。オリヴィアが起きたら教えるわ」


カトリーナが立ち上がり、ドアを開けた。

従ってアンジェも外に出る。


「せっかく帰って来たんだから、クリスの小屋にも行ってみなさいね。明日にでも」


クリス……小屋……森の中の……何もない、建物。

まだ痺れているアンジェは、カトリーナの言葉を上手く飲み込むことができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ