二十一話(後編)
もういや、逃げたいと思っても身体は動かない。
だから、何も変わらない。
(早く、早く終わって……)
ただそう思うだけ。
しかし、ガシャガシャガシャと金属がぶつかる音が、だんだんと近づいてきた。
ウィロウがドアを押さえている手に力を入れる。
アンジェは息を呑む。それは、一瞬だった。
「きゃあああ!」
ドアがけ破られ、ウィロウがはじけ飛ぶ。
全身甲冑を着た兵士たちが数人入ってきた。
ウィロウの言葉通り、皇帝直下の近衛兵たち。
鈍色の鎧。手に持っている剣は紅く光り、雫が滴っている。
(………………)
怖いのに、視線を外すこともできない。
硬直し、動けないアンジェ。
「う……痛い……」
小さな声に、やっとアンジェは首を動かした。
腰をさすり起き上がろうとしたウィロウは、また崩れる。
動かない。
「………………!!」
見なければよかった。固まったままでいればよかった。
心の中で悲鳴を上げる。
「きゃああああああああ!!」
アイヴィーがテーブルの下で絶叫した。
それを見て、兵士たちは机を投げ飛ばす。
大きな音を立て、食器や食べ物が飛んでいく。
そして、さらけ出された三姉妹。
アンジェは、椅子から三姉妹を見下ろす形になる。
「やだ、やだやだ私たち関係ない!!」
アイヴィーがその場で泣き叫ぶ。
ポピーがその場に座り込んでいるアイヴィーを引っ張ろうとするが。
しかし、その場に座り込んでわんわん泣いている。
デイジーは素早くアンジェの後ろに隠れた。
「アイヴィー、早く来て」
「やだ、なんでよお、やだよお、お父様あ!」
「アイヴィー、いいから早く!」
「怖いよお、やだよお、やだ―――」
泣き叫んでいたアイヴィーが静かになり、倒れた。
アンジェの足元を赤く染める。
「あ、あ、あ………そんな………」
転がるアイヴィーにポピーは手を伸ばした。
そしてすぐにひっこめる。
「ア……アイヴィー!! いやあああ!!!!」
ポピーが悲痛な叫びをあげる。そして、すかさずアンジェの後ろに隠れた。
「……………」
目の前に迫りくる兵士たちに、アンジェはただただ見上げるしかなかった。
「私たちは何も知らない! 何も知らないのよ!!」
「そうよ、この女が悪いんだから!!」
アンジェの背中で椅子越しに、二人は喚いている。
「『国家転覆予備罪および敵国通謀罪』により、この屋敷にいる者たちは全員始末する」
「ちがあああう、してないいい!!!」
「何も知らない、何も知らないって言ってるでしょ!?」
ポピーが泣きながら怒鳴っている。
「悪いのはお父様よ、お父様だけなんだから!!!」
そんなポピーの目の前、そしてアンジェの顔の近くに、近衛兵は握った手を差し出した。
「ひっ!!!」
「お父様………!!!」
垂れ下がる、上品な質感のスカーフ。
ダニエルが先ほど身に着けていたかもしれない。
二人はついに大泣きをする。
アンジェも泣きたかった。
だが、あまりにも突然なできごと、そして皇帝直下の兵士という戦慄に涙が潤むだけだった。
口も喉も動かない。動かせられない。
(……もう、いや……)
半ば諦めた気持ちで、アンジェは目を閉じた。
一筋の涙が頬を伝う。
もう何も見たくなかった。
終わるのは、一瞬でいい。
(……ああ、静か……)
目を閉じる。何も見ない。
そうすると、耳も遠くなったのか何も聞こえなくなった。
後ろで何か声が聞こえている気がする。
「……アンジェリナ様……傷付けるな……」
「……プラチナブロンド……お方だ……」
遠くで話し声が聞こえる。
アンジェリナってなんだっけ。聞いたことある気がする。そう思った。
そして、ぼんやりした五感の中で、鈍い振動が二回。
(………………)
再びの静寂。静寂……?
ゆっくりと目を開けた。
目の前には、たった一人の兵士。
他の兵士たちは背を向けて食堂の外へ出ようとしている。
「…………」
「……アンジェリナ様、お気を確かに」
「………え?」
目の前の兵士がそう呟いた。
アンジェリナ。それは、アンジェの名前。
兵士が口に出したということは、アンジェの存在は皇帝に知られている。
仮に知られていないとしても、この後確実に耳に入るだろう。
(い、いや………!)
つま先から頭のてっぺんまで震えた。
恐怖に心臓が止まりそうになる。
先ほど飲み込んだ食事が、口から出てきそうだ。
兵士は震えるアンジェを抱きかかえた。
(……やだ、やだ、いや……!)
更に身震いする。気が遠くなりそうだ。
このまま皇帝のもとに戻りたくない。
「この件、皇帝陛下は大変ご立腹です」
「……………」
「建前のため今回も小国へ送りますが、近いうちにきっと大国に戻られるでしょう」
冷たい、兵士の声。
鈍色の甲冑でアンジェの身体を冷やし、声と言葉の心を凍てつかせる。
寒いのか、怖いのか分からずにアンジェはただ震えた。寒気。
「……う……」
無意識に、逃げようとして顔を背けた。
そむけた先は、開けた廊下。
何人ものメイドや執事が倒れている。
血を流して。ピクリとも動かない。
(……怖い……!!)
慌てて顔の位置を戻す。
真っ赤な廊下。静かだ。
話し声は聞こえず、甲冑の金属音だけが響く。
(もう、いやああ………)
広がる惨劇、ガブリエルへの恐怖。
そして、ガブリエルの支配下にある兵士に抱き上げられ逃げられない状況。
アンジェは、眠るように意識を失った。
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