十九話(後編)
ここでの暮らしは申し分ない。
食事は美味しいし、ウィロウが丁寧にアンジェのことを世話してくれる。
温かいお風呂、優しい香りの香油、きつくないコルセット。
沈むほどの柔らかいベッド、軽い掛け布団と肌触りの良い毛布。
広い部屋に、落ち着いたデザインの家具。
朝食をすませ、一人でくつろぐ。
(……美味しい……)
とても懐かしい、香しい紅茶。
丸い可愛らしいテーブル。椅子に座り、ソーサーを持って淹れたての紅茶の香りを楽しむ。
飲む前に、ウィロウがノックをして入ってきた。
「奥様が紅茶を楽しまれることを伝えたら、ポピーお嬢様たちがご一緒にと言われたのでお迎えに来ました」
「…………」
まだ一口も飲んでいない紅茶。ゆらゆらと、湯気が出ている。
「お待ちになっていますよ。せっかくだから行きましょう」
「………はい……」
なかなか動かないアンジェに、ウィロウはそう声をかけた。
アンジェは手に持っていたカップを置いた。
「お義母様ようこそ、ささ、座って座って」
デイジーが笑顔で迎えた。
昨日と同じ席順。同じ風景。
ただひとつ、テーブルの横には丸い椅子が置いてあった。
「お義母様の席はここよ」
アイヴィーが椅子を扇子で叩く。言われた通り座る。
三姉妹を見下ろす形になった。
「ありがとう、下がっていいわ。あなたもゆっくり休んでいていいわよ」
「ポピーお嬢様、いつも寛容なお心遣いありがとうございます!」
ウィロウは深々と頭を下げ出て行く。四人になる。
「ふふふ、ウィロウにはあとで手伝ってもらわないといけないから」
紅茶を一口飲んで、ポピーは優雅に微笑んだ。
アンジェの目の前にも、まだほんのりとか細い湯気が出ている紅茶が置いてあった。
「それで、お義母様はレモン派? ミルク派?」
アイヴィーがレモンとミルクが乗った皿を見せてきた。
たっぷりの砂糖とミルクを入れたミルクティーが好きだ。
しかし今は食後でお腹もいっぱいなため、ストレートで飲みたい。
どっちがいいか。どっちも違う。
黙り込むアンジェに、アイヴィーは段々と顔を曇らせる。
「……どっち?」
「……あ、……えっと………」
「ねえ、どっち?」
「…………」
強く言われてさらに迷う。
視線をきょろきょろと動かすと、デイジーと目が合った。
途端に、デイジーが目を細める。
「どっちも好きなんじゃない? 両方入れてあげれば?」
「え? レモンとミルクを?」
アイヴィーが面食らった顔をする。
「いいわね、とてもいいわ。お義母様は決められないみたいだから、どちらも楽しんでもらいましょう」
手を合わせるポピー。パン、と少し鈍った音が響く。
「そ、そう……よね! じゃあお義母様のために……特別よ」
アイヴィーはアンジェのカップにミルクを入れかき混ぜる。
澄んでいた紅茶は、白茶色のコクのありそうな色になった。
そこに、レモンをぎゅっと潰してぽたた、と汁をこぼした。
(……………)
アンジェはその先を知っていた。
くるくるとティースプーンでかき混ぜる。
みるみるうちに、ぼそぼそした白いカスがカップの中に現れる。
「はい、どうぞ」
満面の笑みのアイヴィー。
アンジェも微笑み、カップを受け取って飲んだ。
(……………)
コクのある口当たりと、レモンの酸味が聞いた懐かしい味。
まだアンジェが、小国に行く前にたまに飲んでいた味。
「……ほう」
懐かしさに、短く息を吐いた。
三人が無言でアンジェを見ている。カップを置いて、アンジェも三人を見た。
「………。……え、それだけ!?」
アイヴィーが素っ頓狂な声を上げる。
「飲んだふり? ううん、紅茶飲んだことないから知らない?」
デイジーがカップの中を覗き込んだ。
分離した、白いカスがゆらゆら漂っている。
「お義母様にはものたりなかったのかもしれないわね」
冷めた目を向けていたポピーは、アンジェがら視線を外す。
その視線を受けたのはデイジーだ。表情が強張っている。
「貪欲な小国では、これしきのも何ともないのでしょう。逞しいお義母様だわ」
そういって、ポピーは水の入ったグラスをデイジーの方へ押した。
無言で見つめるデイジー。
「お水のお替り、もらえるかしら」
「あ、もちろんですわお姉さま」
デイジーはグラスを持ちあげ立ち上がった。
そして、
「あ!! 手が滑ったわ」
「…………!!」
アンジェのドレスに水をかけた。
じわじわと染みてくる水が冷たい。
「ああ……お母様のドレスが………」
アイヴィーが小さく呟いた。
本当に悲しそうで、今にも泣いてしまうのではないかという弱弱しい声。
「……お母様のドレスはもう諦めなさい」
冷たい、それでいて少し悲しそうなポピーの声に、デイジーはみるみると青ざめた。
「あ、えっと」
「デイジー、お母様のドレスはもう諦めなさい。お義母様が着た、ドレスのことよ。アイヴィーもいいわね」
「う、ううう………」
アイヴィーが呻くような声を出す横で、デイジーは真剣な表情で頷いた。
「……そうね、わかったわ」
「ええ、じゃあお水を早くちょうだい」
その言葉に、デイジーは水差しを取りに行った。
たっぷりの水が入った水差し。
それを傾けて、アンジェの頭のてっぺんからかけた。
「……………」
大量の冷たい水が、アンジェの髪も顔もドレスも濡らし、その場所に大きな水のシミを作った。
全身がびしょ濡れであった。
(……冷たい……)
濡れた身体がぶるりと冷えた。
ぽた……ぽた……と髪にしずくを受けながら、アンジェはぼんやりとした。
静かな空気、四人は動かない。暫しの間。
「……うう、お母様……」
最初に動いたのはアイヴィーだ。
顔を背けて泣いている。震える肩が弱弱しい。
ポピーは冷たい視線でアンジェを見ている。
何も言わず、口の端も下がりじっとアンジェの様子を見ている。
「ふ、ふ……ふふふ」
そして、デイジーは泣いているような、笑っているような引きつった顔でアンジェを見ていた。
口から洩れる声は、泣いているのか笑っているのか分からない。
(……………?)
どういう状況で、どう反応したらいいのか分からない。
一人は泣き、一人は怒り、一人は泣いて笑っている。
「………ふふふ………」
とりあえず、アンジェも笑っておいた。
そうすれば、誰かが笑うと思ったのだ。
しかし、返ってきたのは啜り泣き。
「こ、この人いやよ……気持ち悪い!」
アイヴィーがハンカチで目を押さえながら泣き出した。
「……戻りましょう」
ポピーが立ち上がり、アイヴィーの横に行き抱きしめた。
デイジーは空の水差しをテーブルに置く。
「不快だわ、行きましょう」
ポピーに手を引かれるアイヴィー。その後ろをついていくデイジー。
ドアが締められる。
頭から水をかけられたアンジェは、その場で動けずにただ座るだけだった。
顔には、先ほどの笑顔を張り付けて。




