十六話
翌日の夕方、豪華な馬車が城の前に来た。
きらびやかで派手な家紋が入った馬車。
御者の服装も上等だし、馬の毛艶も良い。
「いってらっしゃい、アンジェ」
カトリーナは満面の笑みだ。
一歩下がって後ろにいるサラも笑顔である。
前は困ったような、悲しいような雰囲気だった。
それが今日は二人ともにこやかな笑顔である。
「いってらっしゃいませ、アンジェリナ様!」
きっと伯爵は優しく良い人なのかもしれない。
カトリーナもサラも、幸せそうに送り出してくれている。
その隣で、オスカーは濁ったような、暗く険しい顔でアンジェを見ている。
手には馬車から出てきた、大きく立派な箱を抱えて。
(…………)
険しい表情のオスカー。でもそれはいつものことだ。
だからこそ、笑顔のカトリーナとサラに笑顔で手を振った。
馬車が走り出し、国のある伯爵家を目指す。
(……………)
座席はベルベットの滑らかな手触り。
たっぷりと詰め物が入ってる。
お尻どころか、置いた手も優しく沈むほどだ。
優しく、心地よい乗り物だ。
コツン、と窓に頭をつけてもたれかかる。
(……良い香り)
サラが丁寧に結わえた髪をぼんやりとなでる。
蜜蝋ですべすべの髪。
甘い、ほのかな蜂蜜の香りが鼻をくすぐる。
永遠に乗っていられそうな、乗り心地の良い馬車。
あっという間に大国の伯爵の屋敷へ着いた。
「…………」
馬車を降りて屋敷を見上げる。
建物はとてもきれいで、レンガを積み上げた作りになっていた。
それも、均一ではなくところどころ色が違う。
模様を描いているようだ。
「アンジェリナ様、ようこそ」
メイドや執事といった使用人がずらりと並んでいる。
三十人はいそうだ。
どのメイドも美しく、どの男性も老人か醜い。
中心にはひときわ背が低く、醜く目立つ男。
アンジェが三人並んだほどの、とても太った男だった。
「ようこそ、我が妻アンジェリナ。……本当に美しい」
異様に声の高い男が、唾を飛ばしながらアンジェに手を差し出した。
口の端が裂けそうなほどに吊り上がっている
(笑ってる……?)
笑顔を返し、恐る恐るその手を掴む。
途端に、身体を引き寄せられた。
強い香水の臭い。むせ返りそうだ。
アンジェの頭のてっぺんに荒い鼻息がかかり、髪が揺れる。
気持ち悪い。
「若くて可愛くて私好みだ! とても卑しい国の姫とは思えない!」
「……う……」
そういいながら、アンジェの頬に男は頬ずりをした。
急な接触にアンジェは呻く。
べっとりとした脂ぎった髪がアンジェの額にかかる。
(……いや……)
しかし、男はとても楽しそうに笑っている。
アンジェもつられて笑った。
大丈夫、オリヴィアの汚い頭よりは清潔感がある。
「君は今日から私のものだ。好きなだけ食べて、好きなだけ自由に過ごしていいからな」
「…………」
「さ、お前たち。アンジェを部屋に案内しろ」
「「「かしこまりました」」」
三人のメイドがアンジェの周りに集まる。
整った顔立ちの、無表情なメイドたち。
「………?」
声を上げる間もなく、メイドたちに囲まれてアンジェは歩き出した。
「そのあと、私の部屋に連れてくるように」
後ろで伯爵が甲高い声をあげている。
(…………)
三人のメイドに囲まれたまま、アンジェは建物に入った。
ホールには絨毯が敷き詰められている。
階段の踊り場には伯爵の、大きな肖像画。
金の装飾の中で賢そうに微笑んでいる。
「………」
金の装飾が施された階段を上る。
廊下のいたるところにある調度品はどれも真新しい。
ぴかぴかと光り輝いていた。
(綺麗……)
物珍しさに、アンジェは顔を輝かせて周りを見た。
ドアを開け、メイドが部屋の中に案内する。
広くて綺麗な部屋。
豪華で巨大な、天蓋付きのベッド。
家具も白くて清潔感のある部屋だ。
棚は白漆喰だろうか、滑らかな表面をしている。
「……わあ……」
つい触れる。
つるりとした滑らかな触り心地。
「こちらへ」
案内されて隣の部屋に入る。浴室だ。
あっという間に服を脱がされ、髪と身体を洗われる。
今朝一生懸命塗り込んでくれたサラの蜜蝋。
泡とともに流れていく。
かわりに塗りこまれるのはバラの香油だ。
「……う……」
声が漏れる。
たっぷりと塗り込まれ、鼻が曲がりそうだ。
しかし三人のメイドたちは、アンジェの嫌がる様子に反応しない。
てきぱきと髪を整えたり、髪飾りをつけていく。
「…………」
サラでは再現できない、凝った髪型。
化粧をされる。
ドレッサーには、まるで人形のようなアンジェが映った。
(……私?)
とても派手な女性。まるで自分ではないようだ。
なんだか、とても気持ちがざわつく。不安である。
これからの記憶がなくなりそうな、そんな気がした。
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作中の記憶喪失期間に合わせて、こちらの更新を少しお休みします。




