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十四話(後編)

くたくたになって戻って来たアンジェ。

小屋まで往復したり、埃を叩いて掃除したり疲れ果てた。


「お帰りなさいアンジェ」


ほうきを戻していると、背後から声をかけられた。

振り返る。

優しく微笑むカトリーナが立っていた。


「……ただいま」

「こんなに早く帰らなくても。私たちのことは気にせず、クリスの小屋に泊まってきても良かったのよ」

「……え……」

「でもいいわ、もうそろそろ夕飯の時間だから。オリヴィアに挨拶して来てくれる?」

「…………」


アンジェの髪をなで、カトリーナは更に目を細める。


「一人で行けるわよね? 大丈夫よね?」

「……は、はい……」

「良かったわ! サラが早めに帰ってしまって……私が食事を作っていたの」


サラが不在ということに少しだけ驚く。

今までになかったことだ。

アンジェが寝るときに帰り、朝は朝食の支度をしに城に来る。

準備をすませ、ドアの傍に立って待っている。

それが当たり前だと思っていた。


「だから私の替わりにオリヴィアの様子を見てきて。お願いね」

「……わかり、ました」


本当はすぐにでも入浴したかった。

汗や埃にまみれた汚い身体。

サラがいないなら、無理そうだ。

オリヴィアの部屋に向かう。

近付くにつれ、オリヴィアの嫌な臭いが強くなる。

廊下まで臭っていた。


(……………)


入りたくない。

オリヴィアに会いたくない。

しかし、カトリーナに笑顔で頼まれたのだから……しなくてはいけない。

ノックをすると『はい』と綺麗な声が聞こえた。


「入るわね……」

「アンジェリナ!? どうしたの!? 来てくれたの!?」


声をかけると、弾んだ可愛らしい声が聞こえた。

そっとドアを開ける。

むわっとした、淀んだ……嫌な臭い。


(……………)


カトリーナが先陣を切って中に入ると、アンジェも否応なしに入るしかなくなる。

しかし一人の今、どうしても足が進まない。


「……アンジェリナ……?」


先ほどとは打って変わり、不安そうな声。

それでも声には、澄んだ心地よい響きがあった。


「あ………」


ドアから半分顔を覗かせ、オリヴィアを見る。

寝たままのオリヴィアと視線が合った。

落ちくぼんだ、骸骨のような顔。


「…………。……お母様に言われて来てくれたのね……」


言葉を噛みしめるような、ゆっくりと紡がれる言葉。


「……そのままでいいわ。様子、見に来てくれたんでしょう?」


いつまでも聞いていたくなるような、そんな声。


「今日はサラが早めに帰ったようね。さっき足音がしたの」


少しずつ少しずつ、ばれないようにアンジェは動いた。

少しずつ、ドアに隠れるように。

オリヴィアを見なくてすむように。


「……いいわよ、ドアを閉めても。でも、ちょっとだけお話ししてくれる?」


オリヴィアが最後まで言い終わる前に、アンジェはドアを閉めた。

空気の流れで、オリヴィアの部屋の臭いが廊下に充満している。

吐きそうになる。口元を押さえた。


「ねえ、アンジェリナ。……気を付けてね」


姿さえ見えなければ、ただの可愛らしい声だ。

見えさえしなければ、こんなに気持ちが良い。


「なんだか変な感じなの……。嫌な感じがする……上手く言えないけど……」


不安そうな、悲しいような音。

ついつい寝てしまいそうになる声。


「……私はいつでもここにいるわ」

「…………」

「ここにしかいれないけど……。またね、アンジェリナ」

「……またね」


オリヴィアからのお許しが出て、アンジェは足早にその場を去った。

埃と臭い服。汗臭い髪。土と青臭い肌。

オリヴィアの、気持ち悪い臭い。


(…………)


食事の時間だといわれても、まったく食欲が湧かない。

それでもいつも通りに食堂へ向かう。


「……良い食材……手に入った」

「……卵……久しぶりね」

「……日持ち……どうする?」

「……塩……焼いて……食べ……」

「……茹でて潰して……」

「……でも、調味料……塩……ないわ……」

「……焼こう」


厨房でオスカーとカトリーナが喋っている声が聞こえる。

ぼそぼそした会話で上手く聞き取れない。


(ふわふわの卵……)


レイラが作ってくれたスクランブルエッグはとても美味しかった。

ぐうう、とお腹が鳴る。

お腹の音に、食欲が戻った気がした。

そのあとも、二人は何か喋っている。

何とはなしに聞く。


「……あの男……なんか言って……」

「……昨日使い……送った。暫くは……」

「まったく、うちがどれだけ慎ましく生活しているか! わかっているくせに! がめつい男ね!」


急に大きくなった声。

はっきり聞こえた内容。

ぼんやりしていたアンジェの身が強張る。


「……そういう奴……クリス……強制的に……」

「自分の娘がいる国に、あんな多額の賠償金を請求なんて正気じゃないわ!」

「……元から……正気じゃ……」

「そうだけど!! でもこれじゃあ生活していけないじゃない!」

「……仕方ない……」

「仕方ないけど、でも……! 本当に忌々しい、あの怪物が!!」


そこで会話が止まった。


(あの男……)


背筋が冷たくなる。ガブリエルのことだ。

知りたくないのに、頭に浮かぶ。

座っている足が小刻みに震える。


(いや……)


蘇る記憶。

玉座から見下ろす冷たい視線。

淡々とした、冷たく低い言葉。

何を考えているのか分からない。

ただ、アンジェにとって良いことではないのは確かだ。


(……いや!)


何かされたわけではない。

会話をしたのも数えるほど。

それなのに、恐怖が全身を襲う。

頭を振り、追い出そうとする。


「あら、アンジェ? もういたの? 早かったわね」


ぶんぶんと頭を振っていると、カトリーナに声をかけられた。

顔を上げる。面食らった顔をしたカトリーナ。

しかし、いつもの安心する優しい笑顔になった


「お母様……」

「……なあに、どうしたの?」


つい気が緩み、呼んでしまった。

カトリーナは優しくアンジェの頭をなでた。


「良い子ね。今から食事の時間よ」


取り乱しているアンジェに気付いたのだろうか。

カトリーナは、安心させるように満面の笑みになった。


「今日は卵があるのよ。楽しみね。好きかしら?」


おずおずとアンジェは頷く。


「じゃあ私の分もあげるわね。たくさん食べなさい。お腹がいっぱいになれば、心も豊かになるから」

「……は、はい……」

「クリスもいつもそう言っていたわ」


埃や汗で臭いアンジェのことをカトリーナは抱きしめた。

そして、髪にキスをする。


「アンジェは何も心配しなくていいの。大丈夫だから。大丈夫よ」

「……はい」

「たくさん食べてたくさん寝るのよ。私とオスカーが守るから。……今度こそ」


最後の言葉はまるで自分自身に言い聞かせているようだった。


「……食事だ」


抱き合っていると、オスカーが厨房から出てきた。

カトリーナは最後にアンジェの頭をなで、席に座る。


「オスカー、私の分をアンジェにあげて」

「…………。……いや、わしの分をあげよう」

「ええ!? だってあなた、卵大好きじゃない!」

「……お前もだろう。良いから食べなさい」

「……悪いわ。いつもあなたが我慢してるんだもの……」

「……いいから」


アンジェの目の前に二枚の銀の皿。

目玉焼きが一つずつ。


(あ………)


スクランブルエッグじゃない。

自然のままの卵を焼いたもの。


「そう……? じゃあ、アンジェ。ありがたく食べましょう。ね?」

「……はい」


フォークで切って、ほんの少し口に入れる。

塩味はあるが、無味だ。

黄身の部分も口に入れる。

パサパサして美味しくない。


(好きじゃない……)


ぷるぷるとろとろのスクランブルエッグ。

レイラが作った料理は、舌がとろけるほど美味しかった。

しかし今、目の前にある卵は別物だ。

同じ卵なのに全く違う。


(う………)


毎日のことだが、食事が本当に苦痛だった。

美味しくない、塩気だけの料理。

アンジェだけ毎回一皿追加されることも辛い。

だけど……。


「美味しいわね、アンジェ」


笑顔で食べるカトリーナ。


(あ………)


カトリーナが笑顔なら、美味しいのだ。

塩だけの味も、硬く焼かれた食感も。

少し臭みのある黄身も。無味の白身も。


「……はい、美味しいです」


一生懸命にアンジェは卵を食べた。

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