十三話(後編)
夕飯の時間、オスカーはアンジェの目の前に銀の皿を置いた。
これも以前と同じ光景。
銀の皿の上には、干からびた魚が置かれている。
頭としっぽがついたままだがとても小さい、見すぼらしい魚。
(…………)
干からびているのに生臭い。
目の前に置かれるのすら嫌だ。
ちらりとオスカーを見る。
ほんの少し細くなった目、わずかに上がっている口角。
少しだけだが、笑っているようだ。
「まあ、美味しそうな燻製ね!」
カトリーナが目を輝かせる。
「……お前も食べたいか?」
「良いのよ、私は。あなたが食べて。お魚、好きでしょう」
オスカーは、銀の皿を自分の前に置く。
「アンジェ、あなたのおかげでお夕飯が豪華になったのよ」
ふやかして、すりつぶされた芋。
何の野菜かわからない草。
薄く底が見える、とろみのないスープ。
干からびた魚。そして、黒くて硬そうなパン。
「……もちろん、全部を食事に使えるわけじゃないの」
カトリーナは困ったように、少し悲しそうに微笑んだ。
「でもね、あなたが嫁いだこと、そして遺産を持ち帰ったこと……これは、私たち家族だけではなく小国を助ける、とても素晴らしいことよ!」
「……そう、なんですね」
「ええ! アンジェ、あなたは名前の通り天使ね!」
アンジェに近付き、カトリーナはアンジェの手を取る。
「クリスにも似ていて、そして貧しいこの国を豊かにする。天使が舞い降りたわ!」
力強くアンジェの手を握った。
(そう……なの?)
名前の由来。
カトリーナの言葉は、アンジェには理解できなかった。
しかし、満面の笑みのカトリーナ。
うっすらと涙が浮かんでいる。
アンジェも微笑んだ。
「アンジェリナ……少ないが、これを」
いつの間にかそばに来ていたオスカー。
アンジェに小さな皮の袋を差し出した。
おずおずと受け取る。
「まあ! 良かったわね、アンジェ。中を見てみて」
言われた通り紐を解き中を見る。
金貨が五枚入っていた。
「……好きに使いなさい」
「オスカー、ありがとう。ありがとう、アンジェ……」
カトリーナが、優しい眼差しをアンジェに向けた。
「……遅くなってしまったわね。さあ、食事にしましょう」
席に座り、カトリーナの合図で三人は食事を始めた。
食事が終わり、部屋に戻る。
食べた気がしない食事。
レイラの美味しいスープが懐かしい。
「…………」
自室に戻る。
牢獄のような小さな部屋。
硬いベッド。
蝋燭一つ分の、小さな燭台。
まるで、昨日までの環境が夢のようだ。
敷布団すらない、木の板のベッドに横になってアンジェは眠りについた。
夢すら見ない眠りの中、朝日に意識が引っ張られ目を覚ました。
「う…………」
身体の節々が痛かった。
ゆっくり起き上がり、ドアを開ける。
「おはようございます、アンジェリナ様!」
「……おはよう、サラ」
部屋が変わらないかわりに、サラも変わらなかった。
明るく朗らかな若い侍女。
「お支度をしますね」
はつらつとした笑顔に、アンジェは安心する。
「急なできごとだから仕方ありませんが、アンジェリナ様のカバン、あちらに置いてきてしまったんですね……」
アンジェの髪をすきながら、サラは悲しそうに言う。
「お洋服が着ているものだけだなんて……。寝間着も下着も」
サラは唇を尖らせた。
「あちらの人は本当にケチですね!! 着の身着のまま追い出すなんて!」
「……そう、なのかな」
「そうですよ! アンジェリナ様が宮廷からお持ちになったカバンもお洋服たちも! とても高価なものだったのに!」
もったいない、というサラ。
少し怒っているようだ。
「可哀想なアンジェリナ様。急に嫁いで、かと思えば追い出されて……」
今度は悲しそうだ。
サラの表情がころころ変わる。
「やはりあの国は、ろくでもありません……!」
言いながら、小さな小瓶を取り出す。
ラードだ。そう思った。
「そんなアンジェリナ様に、とっておきのものを……」
小瓶の蓋を開けて、サラはアンジェに嗅がせる。
ふわっとした優しい香り。
知っている匂い。ラードではない。
「実は……蜜蝋にしたんです! アンジェリナ様のおかげですよ!」
サラは嬉しそうに小瓶をなでた。
「アンジェリナ様が嫁いだ時にいただいた金貨、実はオスカー様に一枚もらったんです」
アンジェが嫁いだ時にどうやら金貨がオスカーたちに渡ったらしい。
レイラもそんな話をしていた気がする。
「私には病気の母がいて……その金貨で薬や食事を買うことができました」
蜜蝋をアンジェの髪に塗り、優しくブラシで解かす。
「しかも、余ったお金で蜜蝋まで買えちゃって……こんな高価な、いい香りの……」
「そう、なの……」
嬉しそうに報告するサラ。
「アンジェリナ様……あなたは、本当に天使です。カトリーナ様の言う通り……」
アンジェの髪を綺麗にみつあみにした。
サラはその場にしゃがみ、アンジェよりも低い位置から見上げる。
「感謝してもしきれません……。今後も、誠心誠意お仕えさせていただきます」
とても力強い目で、まっすぐにアンジェを見る。
アンジェは戸惑った。
いつも明るく笑うサラが、とても真剣な表情になっている。
どういう表情をしたらいいのか分からなかった。
戸惑いながら、ただ、サラを見つめ返す。
「……さ、お支度が終わりましたよ。食堂に向かいましょう」
ひとしきり見つめあった後、サラは立ち上がった。
食堂に着くと、カトリーナとオスカーはすでに座っていた。
アンジェの席には既に一品、銀色の皿。
緑色の豆が数粒乗った皿が置いてある。
「…………」
オスカーの仕業だろう。
余計なことをして毎度一品、アンジェの席に置くのは彼しかいない。
無言で食事を食べる。
豪華になった、と昨日カトリーナが言った食事。
しかし昨晩も今も、味の悪さの変化はなかった。
「ねえ、アンジェ。今日は久々にクリスの小屋に行ってみたら?」
食べ終わると、カトリーナは提案した。
クリスの小屋。埃っぽい部屋。
置き去りにされ、道に迷い、怪我をし、知らない子どもに助けられた。
嫌な思いでしかない。
「ね、それが良いわ! あそこに行く道を整理したり部屋を掃除したり!」
「……………」
憂鬱だ。正直、二度とあの場所には行きたくない。
だが、カトリーナは満面の笑顔でそれが良いわ! と頷いている。
「ええ、わかったわ」
だから、カトリーナの言葉に従うのが正しい。
アンジェも微笑み返した。
「迷わないように、道の整備からしないとね!」
カトリーナは張り切ったように言って、食堂から出ていく。
取り残され、アンジェはオスカーの顔を見た。
「…………」
「…………」
「……行きなさい」
アンジェの残した皿を引き寄せながら、オスカーは言った。
慌てて、カトリーナの後を追い食堂から出た。
「アンジェリナ、早く早く! 道具はここよ!」
「はい、お母様」
声を頼りに、カトリーナの待つ場所へ向かった。




