十三話(前編)
レイラの手配は手際よく、あっという間にアンジェは小国に戻った。
「まあまあ、まあまあ!」
城の外で待っていたカトリーナ。
馬車から降りるアンジェに抱き着いた。
「不慮の事故ですってね……大変だったわね……。でも、本当に良かった!」
「……よさないか、不謹慎な」
「だって!! そのおかげでこんなに早くアンジェが戻ってきたのよ!!」
「……うむ」
「そもそも私は嫌だったのよ!! アンジェを手放すなんて!!」
カトリーナは殊更に強くアンジェを抱きしめた。
懐かしい臭い。土と汗のむせかえるような臭い。
「死にかけとはいえ、クリスに似たこんな愛らしい娘を、金だけの老人に嫁がせるだなんて……!」
「……死者を悪く言うものではない」
アンジェの髪をなで、カトリーナは優しく目を細めた。
「お帰りなさい、アンジェ!」
「……お帰り、アンジェリナ」
オスカーも無表情でアンジェに言葉をかけた。
何を考えているか不明だが、怒りは感じない。
「大好きよ、私の可愛い娘。会えて幸せよ」
「ただいま。お母様、お父様」
笑顔のカトリーナ。
懐かしい笑顔に、アンジェも嬉しくなって笑った。
「本当に運がいいわ……クリスが天国で見守ってくれているのね」
「ええ、そうね」
カトリーナがそういうならきっとそうだ。
クリスのおかげで、アンジェは早く帰れたのかもしれない。
「さ、オリヴィアにご挨拶してちょうだい。あの子、ずっと寂しがっていたのよ」
「……はい!」
醜いオリヴィア。
臭いを思い出し、具合が悪くなりそうだ。
しかしカトリーナの嬉しそうな表情に、アンジェは明るく返事をした。
カトリーナに手を引かれ、アンジェはホールに向かう。
「オスカー様、アンジェリナ様が持ち帰った金貨がこんなに……」
「……執務室に運んでくれ」
「かしこまりました。……ずいぶん重いですね」
「……あの子は本当に……運がいい……」
後ろでオスカーとサラが会話してる。
「ね、アンジェ。少しの間嫌な思いをしたかもしれないけど……これからは大丈夫よ。安心なさい」
「……はい」
侯爵邸とは全く違う、今にも壊れそうな建物。
古びて劣化している。城と呼ぶにはあまりにも相応しくない。
敷き詰められた柔らかな絨毯もない。
あるのは申しわけ程度に敷かれる、汚れたり破れている薄いカーペット。
「オリヴィア、アンジェが帰ってきたわよ」
ノックしてドアの外から声をかける。
部屋の外からでもわかる、オリヴィアの腐ったような、嫌な臭い。
「アンジェリナ……?」
鈴のように澄んだ声。
綺麗な声が、部屋の中から聞こえた。
カトリーナがドアを開ける。
(………う……)
むっとした嫌な臭い。
久々に嗅ぐ臭いは強烈さを増していた。
意味はないが、顔を背ける。
少しでも臭いが直撃しないようにした。
「嬉しいわ、アンジェリナ……! でも、どうして?」
「使用人によると、相手は事故死したそうよ。だからこんなに早くに戻って来たの。嬉しいわよね」
「事故死? 一体何があったの?」
「さあ……。ねえオリヴィア、あなたはそんなこと気にしなくていいの」
オリヴィアのフケだらけの頭に顔をうずめ、カトリーナは頬ずりした。
「あなたの妹、アンジェが帰ってきた。それでいいじゃない」
そしてカトリーナはオリヴィアの額にキスをする。
(…………)
何度見ても背筋が凍る。
「さ、アンジェ。せっかく帰って来たんだもの。オリヴィアとたくさんお話ししてちょうだい」
オリヴィアを触った手でアンジェの顎を持ち上げる。
オリヴィアに触れた唇で、頬に触れた。
ドアを閉め、出ていくカトリーナ。
堪らず、アンジェは指で頬を拭う。
「アンジェリナ、お相手の方はどうしたの……?」
「…………」
「言いたくなかったら言わなくて良いのよ」
可愛らしく優しい声。
この声だけは安心する。
久しぶりに見たオリヴィアは変わらずに気持ち悪い。
(あれ………?)
臭いにばかり気を取られていたが、ふと気づく。
オリヴィアは、顔の形が変わっていた。
灰色の肌、落ちくぼんだ瞳、こけた頬。これは前と同じ。
変わったのは、目の周り。
ところどころ皮膚が剥がれ、肉がボコボコと崩れている。
「あまり見ないで……。見た目、変わっちゃったから……」
アンジェの表情で察したのか、オリヴィアは逃げるように視線をそらした。
しかし、目と口以外自発的に動けないから意味をなさない。
「さらに気持ち悪くなっちゃって……ごめんね」
「……………」
「私、その……たくさん泣いちゃって。こうなるなんて……知らなくて……」
本来ならあり得ない変形の仕方に、アンジェは背筋が寒くなった。
更に化け物感が増しているオリヴィア。
見た目で言えば、枯れ木老人の方がマシだった。
「びっくりしたよね? 驚かせてごめんね……もう、戻っていいわ」
「あ……」
柔らかな、温かい声。
オリヴィアから部屋を出る許しが出た。
「アンジェリナ、帰ってきて嬉しいわ。……またね」
「………またね……」
一歩下がれば、すぐ後ろのドアに当たった。
アンジェは逃げるように部屋を出る。
「すう……はあ……」
大きく息を吸う。
オリヴィアの部屋は息が詰まる。
とても苦しい。
綺麗な空気を肺いっぱいに取り込み、吸い込んだ汚い空気を出す。
廊下での深呼吸。
またこの日課が戻って来たのだ。




