十一話(前編)
夕食の準備中、アンジェはレイラの隣で見ていた。
レイラが逐一、一つ一つ詳細を教えるのが手間だと判断したようだ。
「私の作業を見ていてください。そして覚えてください」
隣に立ち、無駄のない動きで作業するレイラの動きを眺めた。
(美味しそう……)
とろりとした、野菜たっぷりのスープ。
小国の食事とは比べ物にならない。
今すぐ食べたい。お腹が鳴る。
「卑しいあなたにはご馳走でしょうけど、何もできないくせに図々しい」
「…………」
「私たちの食事は侯爵様の後です。だからこそ、次からは手伝ってください。早く終わらせましょう」
そう言って、てきぱきと要領よく料理を作っていく。
できあがるスープや果物の盛り付け。
「侯爵様はお口は達者ですが、咀嚼や嚥下する力が弱いです」
鍋をゆっくりかき混ぜるレイラ。
「食材は小さく一口大に。煮込むときはくたくたになるまで」
この言葉を聞くのは五回目だ。
アンジェは頷いた。
「肉は焼かない。魚はほぐす。大事なことです」
この言葉は三回目。
できあがったスープを皿に盛りつけた。
「行きますよ。押してください」
アンジェは料理の乗ったワゴンを押す。
先を歩くレイラ。
まだ部屋の場所を覚えていないのでありがたい。
「スプーンで少しずつすくってください。しっかりと冷ますように」
「……? ……はい」
「スープを飲ませ終わったら果物を食べさせてください」
「………。………?」
謎の指示に、アンジェは無言になる。
部屋の前に着くと、レイラは止まった。
そうしてノックする。
「失礼いたします、お食事の準備ができました」
ドアを開けて中に入る。
レイラは横に立ち、一礼している。
「………」
「……早く侯爵様のもとへ」
入り口で立っているアンジェにレイラは小さく指示を出した。
ワゴンを押してベッドに近付く。
「は、畜生も人間になれるもんだ!」
くすんだ黄色い歯を見せて老人は笑った。
アンジェも一緒に笑顔になる。
「早く食わせろ!」
怒声。この男は短気なようですぐに怒鳴る。
身を縮こまらせながら、アンジェはレイラを見た。
レイラはまっすぐにアンジェを見ている。
無表情の、冷ややかな視線で。
(あ、えっと……スプーンですくって……?)
部屋の前で言っていたレイラの言葉を思い出す。
ぎこちない手でスプーンを掴み、スープをすくう。
口を開ける枯れ木のような男。
まっ黄色の、並びの悪い汚い歯。
(う………)
ぽたた、とスプーンを傾けて老人の口の中に落とした。
「っ熱い!! このクソ女が!!!」
口に入ったスープをアンジェの顔に吹きかける。
とっさに目を瞑る。
洗ったばかりの髪が濡れ、顔に小さく切られた野菜が張り付く。
(汚い………)
髪をなでながらレイラを見る。
レイラは、口元に握った手を当てて俯いていた。
(…………?)
怒り狂う老人に、どうしたらいいのか教えてほしいのに俯いて小さく震えている。
(怖いの……?)
淡々としているレイラが震えて怯えている。
その事実が、アンジェに更に老人の恐怖を植え付けた。
「レイラ!! なんだこのバカ女は! 俺を謀る気か!!!」
「滅相もございません、ただの下賤な国の、無能な王女でございます」
すぐにレイラは、アンジェを押しのけて駆けつけた。
老人の汚れた口元を拭う。
「話が違うだろ!!! 妻を娶れば安く召使が手に入るといったのはお前だ!!!」
「……私も、まさかこんな家畜以下だとは……」
「お前の躾が悪い!!! こいつを調教しなおせ!!!」
「はい、今後このようなことがないようにいたします」
「お前に払う金すら惜しい! 早くあの女を使えるようにしろ!!!」
「誠心誠意を尽くして教育いたします」
怒鳴る老人に怖くなり、アンジェは震える。
だがレイラは怯えもなく、淡々と着替えさせたりと世話をしている。
「……今回は私がいたします。よく見ていてください」
手際よく短気な男を整えた後、食事をさせた。
よく見ていろという言葉に従い、アンジェはその様子を凝視する。
スープに息を吹きかけ冷まし口へ運ぶ。
小さくカットされたフルーツを口へ運ぶ。
老人が口を開けるたびに、レイラはテンポよく食べさせた。
(……………)
次からはアンジェがしないといけないらしい。
食べている間、男は静かになった。
常に食事をしていてほしいものだ。
なんとなく、そう思う。
「あなた、死にかけ――病気の姉がいるんですよね?」
ワゴンを押しながら厨房に戻る途中、レイラに聞かれた。
(オリヴィア……)
いつの間にか窓の外は暗い。
蝋燭の光で窓に反射する自分の姿。
オリヴィアの醜い姿を思い出し、身震いした。
「世話したことないんですか?」
話し相手にはなったが、世話をしたことがない。
そもそも、誰が動けないオリヴィアを世話をしているのかも不明だ。
しかし世話をされていたら、あんなに汚い見た目になっているだろうか……?
「小国って本当にろくでもないんですね。貧しいし卑しいし、家族にも無関心」
「…………」
そういわれたらそうなのかもしれない。
小さくてボロい城。貧相な食事。小汚い村。
オリヴィアに対して良く思っていない気持ち。
(そう、なのかも………)
レイラの言うとおりだ。
「……小国ならではの世話焼きの姫って大噓じゃないですか。本当にはずれ」
「…………」
「良いのは若さと容姿だけ。どうやら、嫁ぎ先間違えたようですね」
「…………」
「そしてあなたを売り込んだ張本人も」
淡々とレイラは言葉を並べている。
アンジェは俯く。
突然の結婚。突然の大国。結婚とは名ばかりの扱い。
(早くスープ、食べたい……)
それでも唯一の希望は、温かく具だくさんのスープ。
「……ああ、早くここを出たい。自由になりたい」
レイラが、ため息交じりに言った。
「私の身代わりになってもらおうと思ったのに……身代わりに……身代わり?」
言葉の最後、レイラの声が少しだけ感情がこもる。
「あなたは要領が悪く時間がかかるため、朝食の仕込みを先にします」
だがすぐに元の調子に戻る。
(え……食事は……?)
そんなアンジェの心を察してか察していないのか、雑巾を渡された。
ワゴンと食器を置き、野菜を台の上に置く。
「皮剥きです。したことは……ないですね」
包丁を二丁だし、レイラは野菜を洗ってざるに置く。
「親指で抑えて……薄く剥きます」
くるくるくる、と少しずつ皮が下がる。
アンジェも包丁を握り、ニンジンにあてた。
(あ………)
力を入れた瞬間、サクっと指に刃が食い込んだ。
切れ込みの入った指の先からプツリと赤い血。
みるみると玉になって床にこぼれた。
「あ………あ………!!」
手を抑えてレイラに駆け寄る。
「動揺しすぎです。……舐めておけば治ります」
「……ああ……」
あしらわれる。
レイラはまた野菜をくるくると剝き始めた。
「……やっぱり包丁も使えないか……」
まだ指を押さえてうろうろしているアンジェ。
その背中に小さくため息を吐いた。
「……指を切ったくらいで? もっと血のにじむような生活、してるんじゃないの……?」
なすすべもなく半泣きになり歩き回っているアンジェ。
切り傷のことで頭がいっぱいで、レイラの声は聞こえなかった。




