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九話(前編)

小国の生活にも慣れてきた。

一日二回、カトリーナとオスカーと一緒にとる食事。

三日に一回、温かいお湯で身体を洗ってくれるサラ。

そして毎日、カトリーナに連れられておばけのようなオリヴィアと喋る時間。

それ以外は、アンジェは窓の外を眺めたりしている。

天気は変われど景色は変わらない。人も変わらない。


『今日はあの村に行きましょう!』


ときおり思い立ったカトリーナが、近くの村に行くと歩かせるくらいだ。

その中のどこかの村で、森で迷ったアンジェを助けたアニーの姿があった。


「………はあ……」


繰り返される同じリズム。

変化のない穏やかな日々。

アンジェの心は重い。


「どうされたんですか、アンジェリナ様」


起床後、髪をとかしているサラが不思議そうに質問してきた。

ラードや皮脂で汚くなったこの髪も、べっとりとしている。


「痛いですか?」

「……痛い……? うーん……」

「ごめんなさい、優しくしますね!」


そう言ってサラは優しく、触れるように髪をなでた。

ブラシの感触が気持ち良い。

終わると、するすると髪が結ばれた。

一本のみつあみにするのが好きなようで、最近はずっとこの髪型だ。


「はい、できました!」


サラの弾んだ声。いつも楽しそうだ。


「そうそう、アンジェリナ様に今日はですね、お見せしたいものがあるんですよ!」


少し待っていてくださいと言い残し、サラは部屋の外に出てすぐに戻った。


「ふふふふ………」


少し低い声で、楽しそうに笑っている。

いつもの笑い方とだいぶ違う。

そんなアンジェに構わずに、サラは畳んでいる布を見せた。


「あ! それって!!」


思わず声が明るくなる。ぱっと笑顔になった。

その様子にサラも頷いた。


(新しいお洋服!)


アンジェの洋服と言えば、ワンピースが三着と寝間着が一着だけだ。

その一着も、森で破いてしまったために今は二枚のワンピースしかない。

新しいワンピースの登場。心が躍る。


「そうです、その通りです!」


そういって、サラは新しいワンピースを広げた。


「あ……それ」

「ええ! アンジェリナ様のお洋服!」


サラは殊更嬉しそうに笑顔になる。

広げられたワンピースは、アンジェが森で迷った日に来ていたもの。

茂みの中を走り回ったから酷く汚れたり激しく破れたりしていた。

汚れは、綺麗に洗濯されすこしのシミになっている。

破れた部分は、似た色の糸で目立たないように丁寧に縫われていた。


(これ……?)


とっくに捨てられたと思っていた。

ワンピースとは言えない、ボロ雑巾のように汚くなった布。


「アンジェリナ様のお洋服、とても高価な布で……。あう糸がなかなか見つからず、探すのに時間がかかっちゃいました」

「…………」

「でも、どうですか? 結構いい出来栄えではないでしょうか!」


自慢げにサラは胸を張る。

対して、アンジェの気持ちはさらに重くなった。


(……縫う……?)


小国に来てからは一着もドレスを仕立ていない。

ドレスどころか、ワンピースも。

お城御用達の仕立て屋たちは忙しいのだろう。

だからこそ、サラの言葉に浮かれてしまった。

落胆が大きい。


(………いらない……)


そんなボロ布、捨ててくれていいのに。

破れた洋服を縫ってまで着る。

しかし、誇らしげに笑顔で報告してきたサラ。


「……ありがとう、嬉しいわ」


それなら、これはきっと正しいことなのだ。

ボロ布を着ればサラは喜んでくれる。

同じく満面の笑みで返す。


「よかった! それじゃあ今日はこのワンピースにしましょう!」

「ええ、お願いね」


すぐにサラが着せてくれた。

アンジェも楽しそうに笑う。

支度を終えれば、二人で食堂へ向かう。


「アンジェ、おはよう」

「おはようございます、お母様」


いつも通り、アンジェの席につく。

そして運ばれる銀の皿。

潰した芋をふやかしたもの。薄く色のついたスープ。

何の草かわからない、苦くて硬いソテー。


「………これを」


オスカーが用意した、アンジェのためだけに特別な一品。

今日は黒いパンだ。


「ふふ、よかったわね。アンジェ」

「ありがとうございます」


オスカーは笑っていないが、カトリーナは笑っている。

アンジェも笑顔で返す。


(……………)


黒いパンをちぎって口に運ぶ。

甘くないしパサパサしている。

そして、ざらついた舌触り。

口の中に残る粒。


(……美味しくない……)


でも、カトリーナが笑顔で食べる様子を見つめている。

なので、アンジェも笑顔で口に運ぶ。


「最初食事が口に合わないかと思っていたけど、最近は美味しそうに食べてくれて嬉しいわ。ね、オスカー」

「…………」

「アンジェは本当に、クリスにそっくり! 特に笑顔が可愛いわ」


そう言ってまたにっこりとカトリーナが笑う。

つられてアンジェもにっこりと笑う。


「本当に、本当に可愛いわね!」


はしゃぐカトリーナ。

カトリーナが嬉しそうだとアンジェも嬉しくなる。

芋と黒パンをスープで流し込みフォークを置く。

カトリーナはすかさずアンジェのソテーが入った銀の皿をオスカーに渡した。

渡されたオスカーは無言で食べる。


「それでね、アンジェ……今日は大事な話があるの」


急に神妙な表情でカトリーナが話し出す。


「その……私たち……大国に払うお金がね……なくて……」

「………………」

「あの男がとんでもない金額を要求して来て……」


カトリーナがあの男、と指す男は一人しかいない。

皇帝ガブリエル。

瞬間、脳裏に鮮明に王座の間の姿が蘇る。

最後に見た姿。冷たい視線。低い声。

しばらく忘れていた、底冷えするような恐怖。

顔面が蒼白になるアンジェを、カトリーナは包み込むように優しく抱きしめた。


「違うわ、お金が払えなくてあなたを返すんじゃないの。大丈夫よ」


優しい声。温かい体温。

なつかしい温もり。安心感。


「あなたがここにいるっていうのに、あの男……本当に憎たらしい……」


ギリギリギリ……と耳元で音がする。

カトリーナが奥歯をかみしめる音。


「……その話はやめないか。アンジェリナが怖がっている」

「あ、そうね。違うの、アンジェ。そうじゃなくて……その、私たち本当にとても心苦しいんだけど……」


抱きしめながらカトリーナは震えた。

泣いている。


「あなたを……あなたを嫁がせようと思っているの」

「…………?」

「せっかく敗戦を受け入れてまで手に入れたアンジェを手放したくない、これは本当よ!」


カトリーナがアンジェを抱く手の力を込める。


「せっかくクリスが……クリスの娘が返ってきたのに……」

「…………」

「でも、でもごめんなさい。私たち、一昨日ついに賠償金の催促をされて……だから……ね。嫁いでほしいの」


涙ながらにカトリーナいう。

アンジェリナは理解ができなくて戸惑う。


(嫁ぐ……? 賠償金……?)


泣いているカトリーナの肩にオスカーは無表情で手を置いた。


「オスカー……ありがとう。大丈夫よ、アンジェ。安心して。あなたを長くは手放さないわ」


身体を離し、カトリーナは涙で赤くなった顔でアンジェを見つめる。

泣いているのに笑顔だ。優しい表情。


「あなたの相手はね、大国の独身の貴族よ。もうずいぶんお歳を召されているから長くはないわ……」

「そんな言い方はするな……」

「だって!! どうせ長くない命よ! ……だからね、少しの間だけ我慢してね……」


数年だけ、数年だけよとカトリーナは呟く。

オスカーはいつもより険しい表情でカトリーナに視線を落としている。


(お父様……怒ってる……?)


泣いているカトリーナのことを怒っているのだろうか。

わからない。


「アンジェ、大丈夫。少しの辛抱だから。ね?」


しかし、カトリーナは笑っている。

かつて見たことのない、不思議な笑顔だ。


「……わかりました」


笑っているならきっと正しい。

アンジェは笑顔で頷く。


「良い子ね、アンジェ! あなたは本当に良い子よ!」


涙でと笑顔でくしゃくしゃだ。

カトリーナの声が一段と高くなる。


「アンジェ! アンジェ! ありがとう!! この国も、私たちも、オリヴィアもサラも助かるわ!」


かつてないほどの喜びの様子に、アンジェも更に笑顔になった。


(喜んでる! よかったわ!)


口元に手を当てて、ふふふ、と声を出す。


「………はあ……」


笑顔のアンジェに、オスカーは深いため息を吐いた。

その姿を見て、笑顔が引きつる。


(…………?)


カトリーナは喜んでいるはず。でも、オスカーは怒っている……?

普段よりも表情が暗い気がする。

しかし、泣きながら笑うカトリーナによってアンジェは再び笑顔になるのだった。

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