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八話(後編)

「アンジェリナ様、アンジェリナ様」


優しくゆすられて意識が戻る。


「おはようございます。終わりましたよ」

「……あ………」


どうやら髪を乾かしてもらっているうちに寝てしまったようだ。

目の前に置かれた鏡。

髪も綺麗に結わえられている。

裂けた皮膚には包帯もされている。

まだぼうっとする頭。まだ眠い。


「立てますか? お食事の用意がありますよ」


その言葉に、お腹が鳴る。


「ふふふ、行きましょうか」


サラは口元を隠して笑った。


(……はしたない……)


恥ずかしくなる。

こんなにお腹が空いたのは初めてだ。

気持ち悪ささえ覚える。

食堂に行き、いつもの場所に座る。

ほどなくして、サラが銀のお皿を運んできた。


(………ああ……)


運ばれてきたのは、ふやかした芋を潰したもの。

うっすらと色のついた、底の見えるスープ。

そして、見たことのない草を加熱したもの。


(……やっぱりこれなのね……)


コンポートやパン、クッキーが食べたい。

柔らかいお肉。紅茶も飲みたい。

がっかりする。

だが空腹には勝てない。

しかたなく芋を口に運んだ。


(……土臭い……)


相変わらずの風味。

塩の味は効いているが食べられたものではない。

それなのに、


(美味しい……?)


一段と美味しく感じた。

必死に食べる。


「……だから様子を見に行けといったんだ」

「だって! クリスとの時間を邪魔したくなかったの!」

「……それでも、一度夜に迎えに行くべきだった。そう言った」

「だって、だって! 嫌われたくないもの」

「……そんなことで嫌わないだろう……」

「でもクリスはこんな……ああ、アンジェ! お帰りなさい!」


カトリーナとオスカーが会話しながら入ってくる。

アンジェの姿を見るなりカトリーナは素早くアンジェの傍にしゃがむ。


「ねえ、こんなことになるなんて……本当にごめんなさい」


潤んだ瞳でカトリーナは包帯が巻かれた手をなでる。


「まさか迷ってしまうなんて……こんなに怪我をして……」


ぽろりと涙をこぼす。

アンジェは最後の芋を飲み込んだ。


「……アンジェリナ、お腹が空いただろう」


オスカーは銀の皿を持ってきて目の前に置いた。


「……これくらいしかないが……」

「あ……これって……」

「まあ、オスカー……あなたって本当に……」


皿の上には三枚のクッキーが乗っていた。

顔を綻ばせてアンジェは一つ掴む。


「わあ! 嬉しいわ……!」


そうしてサクッと噛む、つもりが、バキッという音になった。


(…………?)


不思議な食感にゆっくりと咀嚼する。

口の中でパキパキと崩れる。

クッキーほど濃厚な味わいはない。

あっさりした、クッキーのような何か。


「オリヴィアの好物なのよ。アンジェも好きでよかったわ」

「……まあ、そうだな……」


笑顔になるカトリーナ。

じっと見つめてくるオスカー。


(……なに、これは……)


一枚食べ終わる。

不味くはない。しかし美味しくもない。

香りもしない。芋程度の甘さの、パサパサした何か。

疑問符が浮かんだ。


「ビスケット美味しいわよね」

「……ビスケット……。……はい」


ただ、空腹のアンジェには十分だった。

夢中で残りの二枚も食べ終わった。

スープも飲み干す。


「………はあ」


食べ終わり、息を吐いた。

満たされたお腹。

これなら、草を食べなくてもよさそうだ。

また眠くなってくる。


「ねえ、アンジェ。せっかくうちの子になったんだからオリヴィアにご挨拶しましょう」


手が止まったアンジェに、カトリーナはすかさず提案する。


「……え……?」


今すぐベッドで眠りたい、そんなアンジェを急かしカトリーナはオリヴィアの部屋に向かう。


「オリヴィア、入るわよ」


カトリーナが明るく声をかけると、綺麗な声で返事があった。


(やだな……入りたくない)


開くドア。

変わらず臭い部屋。

ベッドからこちらを見ているオリヴィア。

カサカサの灰色の肌。くぼんだ瞳。こけた頬。

おばけのような見た目のオリヴィア。


「いらっしゃい」


声だけは可愛い。


(う………)


それでも脚が重い。

部屋の中に入れない。


「オリヴィア、昨日も言ったけどアンジェはあなたの妹になったのよ」

「ふふふ、嬉しいわ」


カトリーナはオリヴィアのベタベタの髪をなでながら優しく言う。


「さ、アンジェも」


オリヴィアの髪に頬ずりをして、カトリーナは優しく微笑んだ。

促され、アンジェは一歩部屋の中に入る。


「ほら、オリヴィアの……お姉様の手を握ってあげて」

「…………」


一歩一歩足を踏み出す。

ゆっくりとオリヴィアに近付いた。

震える手で、オリヴィアのカサカサの手に触れる。

恐る恐るカトリーナを見ると、満足そうな笑みを浮かべていた。


「良い子ね、アンジェ。お姉様ができて嬉しいでしょう?」


カトリーナはオリヴィアの頬をなぞった。


「私も妹がいたからわかるの。オリヴィア、たくさんお話ししてあげるのよ」

「わかったわ、お母様」


そしてオリヴィアの髪を撫でてから頬にキスをした。


「ほら、アンジェも」


カトリーナはオリヴィアをなでた手をアンジェの顔に伸ばす。


(……やだ……)


一瞬首をすくめる。

そんなアンジェの前髪を触り、額にキスをした。

背筋に悪寒が走る。


「それじゃあ、姉妹でたくさんお話するのよ」


嬉しそな声で、カトリーナは部屋を出て行った。

乱れた前髪を指の先で少し直す。


(……汚れちゃった……)


先ほどサラに丁寧に洗ってもらった髪。

そこにオリヴィアのべっとりとした脂がついたようで気持ちが悪い。


「アンジェリナ、大変だったわね」

「………え?」


綺麗な、歌うようなオリヴィアの声。

心を見透かされたと思い思わず声が出た。

オリヴィアは落ちくぼんだ瞳でじっとアンジェを見ている。

目があい、ほんの少しアンジェは視線を外した。


「森で迷子になっていたんでしょう?」

「あ……」

「お母様がね、アンジェリナはクリスおば様の小屋で懐かしんでるって言ってたけど……違うわよね?」

「……………」

「思い出を邪魔しちゃ悪いからって、一人にしたって言ってたの……」


綺麗で可愛らしい声が、少し声が低くなった。


「ずっと放置されている荒れたあの道……初めて行くんだから迷うわよね……」


干からびた唇から紡がれる綺麗な声は悲しそうだ。


「お母様がごめんなさい……」

「……………」

「悪気はないの。ただ、クリスおば様のことが大好きで……アンジェリナが来てくれたから張り切ってるみたい」

「……………」

「私も、強くお母様にいえなくて、ごめんなさい……」


いつのまにかオリヴィアを見ないようにと外していた視線は、可愛らしい声が出る唇を見ていた。

カサカサで血色の失せた唇。

動くたびに、可愛らしい耳に心地よい音が出る。


「長く話してごめんね、これだけ言いたかったの」


そう言って、ほんの少しその唇が横に動く。


「疲れたでしょう。戻っていいわよ」


優しく穏やかな声には、悲しみはもうなかった。


「あ……」


その言葉にハッとする。

唇ばかり見ていたアンジェは、そこでようやくオリヴィアの顔を見た。


「……………」


灰色の肌の。汚い、フケのたまった髪。

不気味な目。交わる視線。


(う………)


一歩、また一歩と少しずつ後ずさる。


「またね。アンジェリナ」

「……またね……」


そういいながらドアを閉める。

オリヴィアの姿が見えなくなってから、アンジェは大きくため息を吐いた。


(……怖い……)


緊張が解けて、どっと疲れが押し寄せる。

新鮮な廊下の空気が美味しい。


(オリヴィア……いや……)


生理的に不快で、部屋に入りたくない。

一番奥の部屋。オリヴィアが迎えるドア。

身震いして、アンジェは部屋に戻った。


(もう……眠いわ……)


そのままベッドに倒れこむ。

昨日今日と歩き疲れた身体。

緊張感。ほどよい空腹。

それらが心地よい眠りに誘うのに時間はかからなかった。

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