八話(前編)
チカッとした強い光に意識がもどされる。
「ん……んん……!」
目を開けると鋭い光。
眩しさに目を細める。
(ここ……どこ……)
ゆっくりと起き上がる。
見慣れない風景、狭い小屋。
「あ……!」
カトリーナに村に案内され、その帰りに小屋に連れてこられたのだ。
たくさん話していた気がする。
あまり内容は覚えていない。
ただ、好きに使っていいと言っていた。
(……そろそろ戻らないと……!)
立ち上がり、ぶるりと震える。
窓を開けていたからか冷えた身体。
そして、節々の痛み、筋肉痛。
ずっと体重を支えていた足の裏も痛い。
(戻りたくないなあ……)
この状態で城まで戻るのは気が滅入る。
窓の外をもう一度見る。
夕方にしては空が白んでいる。
一晩を過ごしてしまったようだ。
くうう、と小さくお腹が鳴った。
(……戻りたく、ないなあ)
そうすると丸一日何も食べていないことになる。
お腹は空いている。
だが、戻ってもふやかした芋や薄いスープが待っていると思うと腰が重い。
かといってここにいても退屈だ。
埃臭い、牢屋のような部屋。好きじゃない。
(帰ったらお風呂に入りたい……)
渋々立ち上がり窓を閉め、外に出る。
手に握っていた鍵で施錠した。
そして立ち止まる。
(そうだ、私……。ここ、どこ……)
四方を森に囲まれているので皆目見当もつかない。
またあの茂みに入ると思うと足がすくむ。
(でも、だって……)
一晩経っても迎えに来ないところを見ると、希望が持てない。
自分から動くしかない。
ただ、記憶に自信がない。
多分こちらだろう、という辺りをつけて茂みに入った。
「うう………」
掻き分けるたびにアンジェの頬や手を傷付ける
枝や長い草が何度もワンピースを切りつける。
もうボロボロだ。しかしそんなことはどうでもいい。
(はやく、はやく……)
ガサガサ、ガサガサ、と途方もなく歩き回る。
まだ昨日の筋肉痛も脚の裏の痛みもあるのに、辛いことこの上ない。
ガサガサ、ガサガサ、ガサガサ。
(なんで……なんでよ………)
こんなに長かっただろうか。
まっすぐ歩いているつもりなのに全く小道に出られない。
泣きそうになる。
「う……ううう……」
ガサガサ、ガサガサ、ガサガサ。
涙が出る。
カトリーナと歩いた踏みしめられた硬い土。
石ばかりのゴツゴツした道。
あんなに嫌だったのに、今はもう恋しい。
(やだ、やだやだ……)
このまま一生彷徨うのではないか。
そんな恐怖に襲われる。
「誰か……誰か……!」
怪我やドレスなんてどうでもいい。
なりふり構わず声を上げて進んだ。
「助けて………助けて……!」
誰に届くでもない声を上げ、悲痛に叫ぶ。
そしてついには力尽きてその場に座り込む。
「わあああ……わあああああん!!!」
恐怖を吐き出すように、大きな声で泣く。
「わああああん、わああああん!」
途切れない涙、止まらない叫び。
身体も痛い、疲れた、そして孤独。
ただただ泣き叫ぶことしかできなかった。
「わあああ……ああ、あ……」
しかしいつまでもできることではないようだ。
次第に気持ちは収まり、声も枯れていく。
涙はもう出ない。
「あ、あ、ああ………」
「どうしたの、大丈夫?」
ガサガサっと近くで音がし、人の声。
「……アンジェリナ様?」
現れたのは十歳くらいの子どもだった。
驚いたような真ん丸の目をして見ている。
「……だれ……」
「アニー」
名前を言われてもわからない。
聞いたことのない名前。
「道に迷ったの?」
「………。……ええ……」
それでも人と出会えたことに心底安堵した。
「じゃあついてきて、アンジェリナ様」
そういうなり、ガサガサと進んだ。
慌ててアンジェは立ち上がる。
アニーはひょいひょいと上手く枝を避けている。
そしてあっという間に懐かしい道へ出た。
「あ……ああ、ありがとう……」
その場にへたり込む。
皇女として生まれ育ち、人一倍見た目を磨かれてきた。
でも今は、服装とか、髪型とか、怪我とか。
そんなものはどうでもよかった。
やっと道に出られて、ぽかんと口を開けてアンジェは空を見る。
また泣きそうだ。
「大丈夫?」
「…………」
「お城まで送る?」
「……お願い……」
「こっち」
アニーはまたすぐに歩き出す。
(あ……そっちなのね……)
意識が半分飛んでいたが、慌てて着いていく。
くたくただ。
昨日はこれ以上ないほど疲れたと思った。
しかし、今はそれを軽く超えている。
蓄積もあるとはいえ、数時間でこんなに疲れるものなのか。
(……もういや……)
幽霊のようにふらふらになりながら歩く。
もう前は向けない。
ただひたすらに前を向くしかできない。
「アンジェリナ様、アンジェリナ様!!!」
遠くから声が聞こえる。
ぼうっとした意識で聞く。
「アンジェリナ様」
今にも倒れそうなアンジェを支えたのはサラだ。
「どうして……何があったのですかこんな……こんな……」
あまりにも悲惨な姿にサラが声を詰まらせる。
アンジェはもう口を開くこともできない。
「村の近くで泣いてたよ」
「村の近く……? クリス様の小屋ではなく?」
「うん、泣き声がしてみんな怖がってた。だから私が見に行ったの」
「あ、そう……なの。……ありがとうアニー。あとは私がやるわ」
ボロ雑巾のようになったアンジェを背負うサラ。
バイバイ、と手を振ってアニーは駆けて行った。
「アンジェリナ……本当にどうして……」
「…………」
「でもよかった、念のため外でお持ちしていて」
「……ごめんなさい………」
「いいんですよ! さ、お風呂に入りましょう」
いくら軽いとはいえ、人を一人背負うサラにアンジェは驚く。
温かい体温と心地よい揺れに、また少しだけ眠った。
「よいしょ、じゃあ脱がしますね」
背負っていたアンジェを静かにおろす。
あっというまに着いた浴室。サラはワンピースを脱がした。
ボロ布になったワンピース。もう着られない。
「あんな美しい肌がこんなに傷だらけに………。後で手当てしますね」
椅子に座らせて、サラは手桶にアンジェの髪を浸した。
そして、手で液体をすくい、アンジェの頭皮に優しくパシャパシャかけた。
「……え?」
「あ!? 沁みましたか?」
「……温かい……」
「ああ、冷めてなくてよかったです」
髪も身体も洗う時はいつも冷たい水だった。
頭のてっぺんから何度も手桶をひっくり返して浴びる水。
(これ、好き……)
サラは優しい手つきでパシャパシャとアンジェの髪を洗う。
心地よい音に、とろりと眠くなる。
「ラードで仕上げますね」
「……ん……」
髪の毛をほぐすよう、丁寧にすく手。
獣臭いラードも今は気にならない。
バシャリ、と大きな音がした。
サラが汚れた手桶のお湯を捨てたようだ。
(ああ……かけてくれてもよかったのに……)
流れていく温かいお湯。
「身体は少し沁みると思いますので、せっけんは使いません」
流すだけにしますね、とサラは大きな桶の傍に行く。
柄杓ですくい、アンジェの身体にかけた。
(気持ちいい……)
肩、背中、胸、腕、脚……。
お湯がじんわりと疲れた身体を温める。
傷口はピリリと痛むが、気にならなかった。
「痛くありませんか?」
「ええ………」
濡らしたタオルでアンジェの全身を優しく拭う。
心地よくて寝てしまいそうだ。
サラは、くるくるっとアンジェの身体を乾いた布で巻く。
長い髪もまとめて、椅子に座らせた。
「お洋服をとってくるので少しお待ちくださいね」
そう言い残し、サラは走って出て行った。
(………眠いわ……)
身体が温まり、心地よい眠りに襲われる。
(寝ちゃダメ……)
そうは思いつつ、こくりこくりと頭が揺れた。
「お待たせしました、アンジェリナ様」
驚きの勢いで戻ってきたサラ。
綺麗なワンピースを着せてもらう。
再び椅子に座る。
一緒に持ってきた、温められた布で髪を乾かす。
(これも、好き……)
乾いた布で強くこすられるよりも、温かい布の方が気持ち良い。
(温かいって……いいわね……)
小国の文化だろうか。
眠気に誘われながらアンジェはそんなことを思った。




