七話(後編)
「本当に、今日はなんて良い日なのかしら!」
城に戻る道で、カトリーナは一人で喋り続けている。
「アンジェがうちの娘になり、民にもクリスの娘をお披露目できて、そして天気も素晴らしいわ!」
わずかに手を広げて、カトリーナは鼻で大きく息を吸った。
「ね、外に出てよかったでしょ、アンジェ」
にっこりと笑うカトリーナに、アンジェもつられて笑った。
しかし笑みは引きつる。上手く笑えている気がしない。
「今日ほどのお散歩日和はありませんわ」
そんなわけがない。
足の裏も脚も膝も腰も痛い。
(お散歩……?)
柔らかい草と土の大国の城回り。
香る花。流れる川。訓練場。馬。
踏みつぶされた硬い土。石でゴツゴツの……道?
(お散歩って……なんだっけ)
引き摺るようになんとか動かしているが、その感覚すらない。
意識が飛びそうだ。
「そうだアンジェ、あなたに見せたい場所があるの。こっちよ」
手招きをし、カトリーナは茂みを掻き分け道なき道を進む。
「大丈夫、怖くないわ」
呆然と立ち尽くしているアンジェ。
ガサガサと音を立て、茂みの中から笑いかけた。
(だって、だってこんなところ……)
入ったら洋服が切れてしまう。
肌だって怪我をしてしまう。
そうしたら、ルーシーに叱られる。
「あ………」
ルーシーの笑顔。厳しくも甘やかしてくれる声。
温かい身体。なでてくれる手。
抱きしめてくれる腕。薔薇の香油の香り。
(もう……会えないのね………)
すっと脳裏によぎる。
「アンジェ? 大丈夫よ、来なさい」
「……はい、カトリーナ様……」
疲れきった脚を動かしてカトリーナが待つ茂みに入る。
(………っ)
先に道を作ってくれていたとはいえ、木の枝が刺さる。
ワンピースが裂けていく。
「この先にあるのよ、ふふふ! きっと驚くわ、きっとよ!」
心底嬉しそうに声を上げて笑っている。
アンジェとしては、身体が限界で驚くほどの思考はない。
それでも黙ってカトリーナの後に続いた。
「小さな小道があったんだけど……何年も放置していたから荒れているわね……」
言われて足元を見る。
確かに小道は見えなかった。
ただ、カトリーナが踏みしめる後に続く。
「あった、あったわ……あれよ!」
少し足早にカトリーナは進んだ。
バサッと大きな音ともに視界から消える。
茂みを抜けたようだ。
「懐かしいわ、懐かしいわ!!」
興奮したカトリーナの声だけが聞こえる。
そして笑い声。
(そんなに……?)
死にかけていたアンジェの心に、少しの期待が湧く。
ガサガサと掻き分け、カトリーナが向かった方へ飛び出した。
「……痛っ」
勢い余って倒れ、地面に両手をつく。
ひんやりとした感触。
(……気持ち良い……)
鋭い痛みが膝に走る。
乾いた土に擦れたようだ。
四つん這いの状態で呼吸する。
「……はあ、はあ……」
体重さから解放された脚はじんと痺れた。
絞めつけられていた身体に空気が入っていくようだ。
(ずっとこうしていたい……)
手のひらが痛いが、それよりも痛い足の裏。
静かに呼吸をしていると、カトリーナが目の前に立った。
「アンジェ……あなた、体力ないのね……」
「…………」
「クリスは活発な子だったからつい……。ごめんなさいね。大丈夫?」
「……はい」
「じゃあほら、行きましょう」
腕を引っ張られ、乱暴に立たされる。
仕方ないわね、とアンジェの腰を支えてカトリーナは歩き出す。
「ねえ、ほらほら、見て! あなたに早く見せたくて!」
指を刺した方向。
森に隠れるように、ポツンと小さな木造の小屋。
小汚い村人たちの家よりも小さい小屋がひとつ。
(……休めるかも……)
疲れた身体に再び希望が灯る。
カトリーナはその小屋を目指してたようだ。
「暫く来ていなかったけど……大丈夫よね」
アンジェから離れ、おもむろに鍵と取り出した。
ハンカチで鍵を拭いてからドアにある鍵穴へ差し込む。
カチリ、と乾いた音が響く。
「開いたわ、アンジェ!」
一刻も早く中に入りたいアンジェはカトリーナの後ろで待機する。
静かに開くドア。
部屋の中は一室だけだ。
窓が二つ、簡易的な炊事場とベッドと棚。
小さな丸テーブルと椅子が一つ。
それだけがある、小さな小屋。
(ベッド……!)
長年閉じられていたことで床や家具の表面は白い。
砂埃が、ドアを開けたことできらきらと舞う。
一つの、光の筋になった。
ふらふらと中に入る。
漂う木の香り。
白い床にはアンジェの足跡がつく。
そのままベッドに座った。
「まあ、アンジェ……窓を開けるわね」
白い煙のような埃で部屋が充満する。
袖で口元を覆いながら、カトリーナは窓を開けた。
「あなたにここを紹介したかったのよ」
懐かしむような顔で、カトリーナは見まわしている。
「ここはね、クリスが通っていた場所よ」
隣に座り、カトリーナはアンジェの手を握った。
「あの子は明るくて、好奇心が旺盛で……そして慈愛に満ちていて……」
優しい瞳。
間近で見るカトリーナの顔。
瞳に映るアンジェの金髪。
その姿がゆらりと揺れる。涙が浮かんでいた。
「……怪我をした人を放っておけなかった、……そんな子よ」
しかし、その瞳はアンジェを見ていない。
そう感じた。
「ここに連れてきては手当てをしてたわ。民も、兵士も分け隔てなく……」
アンジェもじっとカトリーナを見つめる。
ベッドに二人並んで座り、見つめあう二人。
(……脚、苦しいわ……)
こっそりとばれないよう、少し足を浮かせる。
じんわりと血が通う感覚がした。
「みんなから好かれていて、優しく……それなのに、どうして……」
顔を歪め、カトリーナは顔を伏せた。
暫しの沈黙。
そして再度顔をあげたカトリーナは、いつもの穏やかな表情に戻っていた。
「……あなたにこの場所を与えるわ。好きに使ってちょうだいね」
「………。……え?」
「これが鍵よ。なくさないようにね」
アンジェの手を掴み、しっかりと鍵を握らせる。
「……ダメね、この場所に来ると感傷的になってしまうわ……」
涙を拭きながらカトリーナは立ち上がった。
「この場所にいると苦しいわ……思い出してしまって……」
カトリーナは背を向けて歩き出す。
「先に戻るわ。誰も来ないと思うけど、戸締りはしっかりね」
「……あ……」
待って、という声が出る前にカトリーナにドアを閉められた。
(待って……カトリーナ様……)
そして、ベッドの上に横になる。
更に白い煙が舞う。
硬いし埃臭いベッド。
(私……帰り方知らない……)
疲れた身体はベッドに溶け込む。
窓から流れる涼しい風。
柔らかな光。暖かな部屋の温度。
吸い込まれるようにアンジェは眠りに落ちた。




