七話(前編)
小国ですることと言えば、窓の外を眺めること。
侍女のサラはメイドも兼任しているらしい。
アンジェに呼ばれない限りは掃除をしている。
それゆえに、一人で過ごす退屈な時間は苦痛だった。
しかし、今日は違ったようだ。
「悪いけどアンジェリナも一緒に村に来てくれないかしら」
朝食の後、部屋で過ごしているアンジェにカトリーナは頼んだ。
「……村?」
「もちろん、無理にとは言わないわ。でも……ほら、あの国との戦争が終わったばかりでしょう」
申し訳なさそうにカトリーナは言う。
(……戦争、終わったんだ)
知らなかった。
大国と小国が戦争をしていることは知っていたが、終わったことは知らなかった。
まあ、戦争していようがアンジェの生活には影響はない。
「それで……近くでいいの、村の人たちを一緒に励まさない?」
「……励ます……」
「もちろん、無理強いはしないわ……ただ、良ければ……」
「…………」
「ごめんなさいね、本当はオリヴィアの役目なんだけど……あの子、ほら……難しいでしょ?」
確かにあのオリヴィアが村に行くことは難しい。
「……ね、お願い。一緒に来て? そうしたらみんな喜ぶわ」
喜ぶ、という単語にアンジェは深く考えずに頷いた。
喜ばれることならそれは良いことだ。
途端に顔が明るく、笑顔になるカトリーナ。
「よかった! それじゃあ行きましょう、今すぐに」
弾んだ声でアンジェの背中を押す。
言われるままアンジェはホールに向かって歩く。
「オスカー、アンジェリナが一緒に来てくれるそうよ」
「……そうか。……頼んだよ」
「は、……はい……」
少しだけオスカーは目を細める。
笑ってはいないと思うが、優しい表情だ。
カトリーナと一緒にアンジェは外に出た。
その間までは寒かった気温も、今ではすっかり温かい。
「ここから歩いてすぐなのよ、行きましょう」
思わずカトリーナを見る。
(お馬さんは乗れないのね……)
村までどれほどかはわからないが、歩いて行ける距離なのだろう。
カトリーナと二人、肩を並べて歩く。
「ねえアンジェリナ。養子の件、考えてくれた?」
「………えっと……」
「……確かにこの国は貧しいわ。敗戦国になってしまったもの……。でも、人は良いと思わない?」
明るくカトリーナが言う。
「サラ、オスカー、オリヴィア……みんな優しいのよ? もちろん、私も」
とぼとぼと歩きながら、アンジェは俯く。
(でも、エミリーもルーシーもお兄様も優しい……)
懐かしい三人の顔。
温かい食事、綺麗な部屋。
「あなたの優しい家族になれるわ」
「…………」
「……ねえアンジェリナ。だったらあなたは……ガブリエルと一緒にいたい?」
その単語に少し目を見開いた。
久々に聞く名前。恐ろしい、冷たい目の男。
身体の芯から凍る視線。王座の間で味わった重圧。
恐ろしく冷えた空気。
ぞわりと背中に鳥肌が立つ。
そして、先ほどまで温かかったのに震える身体。
思い出しただけなのに、恐怖で足が止まる。
「……アンジェリナ……そう、そうよね。ごめんなさい、思い出させてしまって」
腕を抱きしめて震えるアンジェの肩に手を置いて、カトリーナは小さく謝る。
そうして、俯いたアンジェの顔が見えるようにしゃがんだ。
覗き込むカトリーナの表情は、とても悲しそうだ。
「怖がらせたかったわけじゃないの……。でもね、あなたが正式に養子に来たら、あの城へ戻らなくていいのよ」
「……え?」
「あの男に会わなくてすむのよ」
「…………」
ガブリエルに会わないですむ。
意味が理解できずに固まるアンジェリナ。
カトリーナは小さくため息を吐き、少しだけ笑った。
「何も知らないの……? あなたは期限のない来賓としてこの国に来ているのよ……」
そういえば、昨日も来賓という単語が語られていた。
「でも養子になれば帰らなくてもいいの。ずっとここにいられるわ」
「……………」
「あの男に、会わなくてすむのよ」
「……本当に……?」
「ええ、本当よ。ずっとここにいていいの。あの男と会う必要なんてないわ」
「……会わなくて…いいの?」
ぽそりと出た言葉。
不安そうな表情のアンジェの手を握り、カトリーナはゆっくりと抱きしめた。
「もちろんよ。あの男になんて返さないわ。ずっとここにいましょう」
「……はい……ええ、わかったわ」
「アンジェリナ……いいえ、アンジェ……ありがとう。ありがとう」
肩を震わせてカトリーナは泣いている。
(あの人に二度と会わなくていいの……?)
反対に、アンジェの顔は笑顔になる。
見上げた空の色は青く、空気は柔らかく清々しかった。
カトリーナも口元を綻ばせ、慈しむ視線を向けていた。
(小国に来て、初めて幸せな気分になったわ……!)
しかし、ボコボコとした森の中を歩き、村に着いたのはそれから三十分後だ。
いくらドレスではなくワンピースとはいえ、長時間の徒歩は疲れた。
大国にいたときは柔らかいカーペット、柔らかい芝生だった。
だから知らなかった。今の今まで。
舗装されていない、土を踏みつぶして固めた道を歩くのは堪える。
なのに、疲労困憊のアンジェに気付かないカトリーナは楽しく一人で喋っていた。
ええ、ええ、と相槌を打つのが精いっぱいだ。
身体だけではなく、心も擦り切れる。
(やっと……休める……)
木々に囲まれた小さな集落。
今にも壊れそうな小さな家がぽつぽつと建っていた。
ちらほらと外にいる村人たち。
薄汚れた、擦り切れている薄い布をまとっている。
「カトリーナ様!」
「カトリーナ様だ!」
「おーい、カトリーナ様だぞ!」
カトリーナの姿を見て、小汚い村人たちは声を上げて小走りで近付いてくる。
「……ひっ」
驚いてカトリーナの背に隠れる。
「……大丈夫よ、アンジェ」
背中を押され、前に出される。
隠れていることは許されないようだ。
わらわらと近付いてきた村人を直視できずに俯く。
「そのお嬢様は?」
「美しく可愛らしい……」
「いや、見たことある……」
「……クリス様……?」
クリス様、と村人たちが歓声をあげた。
カトリーナはふふふ、と嬉しそうに笑う。
ラードで臭くなったアンジェの髪をなでる。
「違うわ、この子はクリスの娘、アンジェリナよ」
似ているでしょ、とさらにアンジェを一歩前に押し出す。
「クリス様の!?」
「クリス様のお嬢様!?」
「お戻りになったんですね、アンジェリナ様!」
「ほら、アンジェ。ご挨拶は?」
「ご、ごきげんよう……みなさま……アンジェリナです……」
髪を掴まれて人の波に飲み込まれ、押し倒されるのではないか。
そう恐怖が頭をよぎるほどに、村人たちの勢いは凄い。
「アンジェはね、うちの子になったのよ」
「ということは、第二の姫ですね!」
「ニノ姫様!」
「アンジェ王女様!」
わああっと歓声が上がる。
(なに、なにこの状況………)
早く座って休みたいのに、なぜ立ちっぱなしなのか。
痛む足の裏、膝も痛いし腰も痛い。
痛みと疲労で座り込んでしまいたい。
そんなアンジェに構わずに、村人たちは笑顔を向けている。
「カトリーナ様の悲願でしたものね……」
「ああ、あんなに優しいクリス様が……」
「生き写しのように美しいアンジェ様……」
女性陣は泣いている。
(なぜ……泣くの……?)
笑ったり泣いたり怒ったり。
様々な感情の村人たち。
アンジェは困惑する。
「アンジェ、どうしたの? 疲れたかしら……?」
「え、ええ……はい」
カトリーナに優しく声を掛けられ、頷く。
脚はもう、棒のようだ。
痛いを通り越して感覚がない。
そうよね、とまたカトリーナは優しく微笑む。
「私たち、今日は様子に見に来ただけよ」
アンジェの肩に手を置く。
その少しの重みが足に加わる。
「長く苦しめてきたあの国との戦争はやっと終わったわ」
小村人たちが手を叩く。
やはり、笑ったり泣いたり怒ったり、様々な表情だ。
「これからこの国は豊かになるわ」
カトリーナの演説に歓声が上がる。
「みんなが希望を捨てずに頑張ってきたからよ。これからも頑張りましょうね」
ひと際大きな村人たちの声。
(……これは、怒ってるの?)
叫ぶ姿に怯える。
「それじゃあまたね。……アンジェ、帰りましょうか」
カトリーナはそういって歩き出す。
(そんな……休憩は……?)
まさかまた何十分も森の中を歩くのだろうか。
顔面が蒼白になる。
気が遠くなりそうだ。
「ほら、行くわよ」
差し出される手。
逆光が眩しく、カトリーナの表情は暗く見えない。
「……はい」
手を掴んで、アンジェは静かに歩きだした。




