第八章 竜の峠
村を出てから半日ほど進むと、街道は二つに分かれた。
一方は北へ、もう一方は東へ伸びている。道標は古く、長い年月の雨と風に削られていたが、辛うじて文字を読み取ることはできた。
北――《カラド峠》。
東――《リュナ街道》。
キースは馬車を降り、道標の前へ立った。
北へ伸びる道は、遠くに見える灰色の山並みへ真っ直ぐ続いている。山は雪を頂くほど高くはなく、地図の上でも大山脈とは分類されていない。
それでも、いくつもの岩峰が鋭い歯のように並び、その間を縫って走る細い峠道は、見るからに険しかった。
一方、東へ向かう道は緩やかだ。丘陵の裾を大きく回り込み、やがて北側へ抜ける。
安全な道。
その代わり、遠い。
「どのくらい違う?」
キースが尋ねると、マーカスは馬車の荷台から地図を取り出し、地面へ広げた。
「峠を抜けりゃ、明日の夕方には北側の宿場まで行ける」
「東へ迂回した場合は?」
「天気が良くて三日余計にかかる。馬の具合が悪けりゃ四日」
「四日……」
キースは地図へ目を落とした。
紙の上なら、ほんの指二本ほどの違いでしかない。だが、その指二本が現実では三日にも四日にもなる。
神殿で地図を眺めていた頃には、分かっていなかった感覚だった。
「峠はどのくらい危険なんだ?」
「時期次第だな」
マーカスは顎を掻いた。
「春先なら雪崩。冬なら凍結。今はそのどっちもねえ。雨もここ数日は降ってないから、崖崩れもたぶん大丈夫だ」
「たぶん」
「またそこ気にすんのか?」
「君が絶対という言葉を使うなと言ったんだろう」
「覚えがいいな」
「本を読むのは得意だからな」
マーカスが笑った。
少し離れた場所では、シビウが北の山々を眺めている。
「道自体は通れるよ」
彼女が言った。
「昔、二度越えたことがある」
「二度?」
「ああ。一回目は秋。もう一回は初夏だった」
「何かあった?」
「一回目は山賊。二回目はロックウルフ」
キースは顔をしかめた。
「それを安全とは言わないだろう」
「安全なんて言ってないよ」
「通れるって言っただけだ」
マーカスが横から補足する。
「二人とも、言葉の使い方がおかしい」
「神官様は細かいねえ」
「神官長だ」
「旅に出てから、一番元気に言える言葉がそれになってないかい?」
シビウが笑った。
キースは言い返そうとして、やめた。
そんなことより、決めなくてはならない。
北か。
東か。
峠を通れば早い。迂回すれば安全。
単純な二択に見える。
だが、キースには簡単に答えを出せなかった。
昨日までは、一日でも早く北へ進むべきだと思っていた。
アムドアの大穴。
世界各地で増え続ける〈混沌〉。
数百年前の記録に残された《アムドアの穴》。
一日でも早くラルソウムへ辿り着き、調査を進めたい。
世界で何が起こっているのかを知りたい。
いや、知らなくてはならない。
だが、その思考に黒い毒針の記憶が割り込んだ。
キラービー。
自分へ向かって迫ってきた針。
身体が動かなかった。
マーカスが助けてくれなければ、死んでいた。
たった数日前までなら、峠の危険など数字で考えられただろう。怪物出現率、遭難記録、旅人の死亡数、護衛人数。そして、自分には強力な魔導がある。
そう計算すればよかった。
だが今は、その危険の中に自分自身が立っている。
崖から落ちれば死ぬ。怪物に襲われても死ぬ。
そして危険に晒されるのは、自分だけではない。
ローゼン。
マーカス。
シビウ。
四人分の命がある。
「東へ行こう」
キースは言いかけた。
だが、声にはならなかった。
昨夜の少年を思い出した。
何もできなかった。
知識があっても、薬がなければ救えない。
知らなければ、もっと何もできない。
もし本当に〈混沌〉が世界を少しずつ喰らっているのなら、三日、四日という時間のあいだに何が起きるのか。
新しい穴が開くかもしれない。
アムドアの封印が崩れるかもしれない。
もちろん、そんなことは何も起きないかもしれない。
分からない。
まただ。
旅へ出てから、分からないことばかりだった。
「難しい顔してるね」
シビウが言った。
「考えている」
「道を一本選ぶだけだよ」
「その一本で誰かが死ぬかもしれない」
シビウの笑みが、少しだけ消えた。
「そりゃそうだ」
あまりにもあっさりした返答だった。
「東へ行っても?」
「死ぬときゃ死ぬさ」
「君はいつも極端なんだ」
「でも本当だろ」
シビウは道標へ背を預けた。
「安全な道で盗賊に会うこともある。危険な道を何事もなく抜ける日もある。先のことなんざ、全部分かるわけじゃない」
「だから勘で決めろと?」
「そんなこと言ってないよ」
「なら、どうする」
「分かってるところまでで決める」
キースは顔を上げた。
「分かってるところ?」
「ああ」
シビウは北の山を指した。
「雨は降ってない。雪もない。道も生きてる。少なくとも今の季節なら越えられる」
次に東を指す。
「あっちは安全。でも三日は増える」
「それは分かっている」
「なら、残りはあんたが何を優先するかさ」
キースは黙った。
意外だった。
シビウなら、「峠でいいだろ」と即決すると思っていた。
だが、決めてはくれない。
「護衛なんだから、君たちが決めてもいいだろう」
「嫌だね」
「なぜ」
「あたしらは道について意見を言う。怪物が出たら戦う。でも、旅の目的まで決めるのはあたしらの仕事じゃない」
マーカスも頷いた。
「そういうこった」
キースは二人を見た。
「無責任じゃないか?」
「逆だよ」
シビウは言った。
「世界が危ないから急ぐって言ったのは、あんただろ」
返す言葉がなかった。
確かにそうだ。
自分が旅をすると決めた。
メミスを出ることも、ラルソウムへ向かうことも。
神託ではない。
巫女が決めたわけでもない。
神官会の命令でもない。
自分で決めた。
ならば、道だけ他人へ決めてもらい、何かあったときに「あの二人が選んだ」と言うのか。
それは違う。
「……少し考える」
「どうぞ」
マーカスは道端の岩へ腰を下ろした。
「昼飯にするか」
「今?」
「考えるのにも腹は減る」
キースは呆れたが、マーカスは本当に荷袋から干し肉を取り出し始めた。
「ローゼンも食うか?」
「ありがとうございます。ですが、わたくしは――」
「ああ、そういや精霊はあんまり食わねえんだったか」
「食べることはできます」
「じゃあ食え」
「では、少しだけ」
「君たちは緊張感がなさすぎる」
キースが言うと、マーカスは干し肉を噛みながら答えた。
「決まるまで腹空かせてる理由がねえ」
「道を選んだら、もっと腹が減るかもしれないしね」
シビウもパンを取り出している。
結局、キースも食べることになった。
*
食事を終える頃には、答えは出ていた。
「峠へ行く」
キースが言った。
誰も驚かなかった。
マーカスだけが短く答える。
「そうか」
「反対しないのか?」
「する理由がねえ」
「危険なんだろ」
「危険だ」
「なら――」
「キース」
マーカスが立ち上がり、大きな手で地図を畳んだ。
「危険だから行くなって言ってたら、俺たちみたいな奴は仕事にならねえ」
「しかし」
「心配すんな」
マーカスは笑った。
いつもの豪快な笑みだった。
「俺とシビウが守ってやる」
シビウが片眉を上げる。
「勝手にあたしまで格好つけた台詞へ入れるんじゃないよ」
「守るだろ?」
「仕事だからね」
「ほら」
「だからって、あんたと一緒に言われると腹立つんだよ」
「なんでだ!」
「なんとなくさ」
「ひでえ!」
二人の喧嘩が始まった。
キースは苦笑する。
妙なものだった。
ほんの数日前、キラービーの毒針の前で動けなくなった自分を、マーカスが救った。
それを思えば、彼の言葉には十分すぎるほどの重みがある。
「頼りにしている」
キースが言うと、マーカスが喧嘩を止めた。
「おう」
シビウも一瞬だけキースを見る。
「だからって、全部あたしらに任せるんじゃないよ」
「分かっている」
「本当に?」
「……努力する」
「そこは即答しな」
ローゼンが楽しそうに笑った。
一行は北へ進んだ。
*
カラド峠へ近づくにつれ、大地から緑が減っていった。
低い草原はやがて岩混じりの斜面へ変わり、道の両側には切り立った岩壁が迫ってくる。車輪の下では、小石が絶えず音を立てていた。
がたん。
ごとん。
馬車が揺れる。
神殿を出た直後なら、キースは早々に気分を悪くしていただろう。
今は少し慣れた。
とはいえ、本を読む気にはならない。
御者台の横へ座り、キースは周囲を見ていた。
「ずいぶん見張るようになったな」
マーカスが言った。
「悪いか?」
「いいことだ」
「怪物の痕跡は?」
「今んところねえな」
「足跡は?」
「山羊だ」
「あれは?」
「鳥」
「あの岩の傷」
「古い崩落跡」
「では――」
「ちょっと黙れ」
「なぜだ!」
「俺が疲れる!」
後ろからシビウが笑った。
「ほら。坊やのお勉強につきあってやりな」
「お前がやれ!」
「あたしは後ろを見張ってんだよ」
「都合のいいこと言いやがって」
軽口は続いていた。
それでも、平地を進んでいた頃とは空気が違う。
マーカスの視線は何度も岩壁の上を走り、シビウも喋りながら、手はいつでも剣を抜ける位置へ置かれている。
二人も警戒している。
キースには、それが分かった。
つまり、この道は本当に危険なのだ。
そして、その道を自分で選んだ。
胸の奥で、不安が少しずつ膨らんでいく。
判断を間違えたか。
東へ行くべきだったのではないか。
三日。
たった三日だ。
世界が数年かけて崩れ始めているという話なのに、三日を惜しむ必要などあったのか。
アムドアの異変はすでに数年前から続いている。
ならば、数日遅れたところで――。
「キース様」
隣からローゼンが声をかけた。
「何だ」
「先ほどから、同じところを何度もご覧になっています」
「同じところ?」
「はい」
指を差される。
自分では周囲を警戒しているつもりだった。
だが実際には、何度も同じ崖の裂け目へ視線を戻していたらしい。
「……少し考えていただけだ」
「峠を選んだことですか?」
キースは答えなかった。
それで十分だった。
「お戻りになりますか?」
ローゼンが尋ねる。
「戻る?」
「はい。まだ引き返せない場所ではないと思います」
キースは振り返った。
これまで登ってきた道が、岩壁の向こうへ曲がりながら続いている。
確かに戻るなら今だ。
「君はどう思う」
「わたくしですか?」
「ああ」
ローゼンはしばらく考えた。
「わたくしは、キース様がお決めになった道でしたら、どちらでも参ります」
「それでは参考にならない」
「申し訳ありません」
「謝らなくていい」
キースは前を向いた。
また、自分で決めろということか。
神殿にいた頃は、自由が欲しいと思った。
決められた役目。
決められた人生。
決められた婚姻。
何もかもが窮屈だった。
だが自由とは、自分で決めるということは、決めた結果も自分で背負うことなのかもしれない。
「進もう」
キースは言った。
今度は、さっきよりはっきりと。
「戻らない」
「はい」
ローゼンが微笑む。
マーカスは何も言わなかった。
聞こえていたはずだ。
ただ手綱を軽く鳴らし、馬車を峠のさらに奥へ進ませた。
*
午後になると、空の色が変わった。
青空そのものは残っているが、山の稜線から薄い雲が流れ始め、ときおり陽光を遮っている。
風も強くなった。
岩の隙間を抜ける風が、低い笛のような音を立てる。
道幅も狭まっていた。
左手には岩壁。
右手には崖。
遥か下に、細い川が見える。
キースは崖下を覗き、すぐに顔を戻した。
「高いな」
「落ちたら助からないね」
シビウが言う。
「なぜ君は、そういうことだけ即答する」
「分かりきってるからさ」
「縁起でもない」
「崖の上で『落ちても大丈夫』って言う方が無責任だろ」
反論できない。
車輪が大きな石を踏んだ。
馬車が傾く。
「うわっ」
「動くな!」
マーカスが手綱を引く。
車体は揺れながらも元へ戻った。
キースの顔が引きつる。
「今のは?」
「普通」
「普通?」
「峠道ならな」
「……東へ行けばよかったかもしれない」
小さく呟くと、マーカスが笑った。
「今さら言うな」
「分かっている」
「ま、初めてなら怖いわな」
「君は怖くないのか?」
「怖いぞ」
「そうは見えない」
「怖いから、崖側の車輪見てんだろ」
言われてみれば、マーカスは先ほどから何度も右後輪を確認している。
「怖くても進めるものなのか」
キースが訊いた。
「進まなきゃならんときはな」
「それだけ?」
「それだけだ」
マーカスは前を向いたまま続ける。
「怖くなくなってから動こうなんて思ってたら、たぶん一生動けんぞ」
キースは黙った。
キラービーのとき、怖かった。
そして動けなかった。
次に同じことが起きたとき、自分はどうなるのか。
まだ分からない。
「その顔」
シビウが後ろから言った。
「また蜂のこと考えてんだろ」
「……分かるのか?」
「分かりやすいからね」
彼女は外を見たまま続ける。
「怖いなら、怖いままでいな」
「何?」
「忘れようとするから余計に怖くなるのさ」
キースは振り返った。
「君も何か怖いものが?」
シビウの目が、ほんの一瞬だけ遠くを見た。
日が落ちた夜。
暗闇。
幼い頃の記憶。
キースはまだ知らない。
「あるよ」
それだけ答えた。
「誰だってある」
「マーカスにも?」
「こいつは女房が怖い」
「元だ!」
「誰のことだい!」
「ほら怖い!」
「谷底へ蹴り落とすよ!」
「やめろ! 今それだけは冗談にならん!」
キースとローゼンが笑った。
峠の冷たい空気へ、四人の声が広がる。
ほんの少し、緊張が和らいだ。
だから、最初の異変に気づいたのは人間ではなかった。
*
二頭の馬の耳が、同時に立った。
次いで、ぴたりと足を止める。
「どうした?」
マーカスが手綱を緩めた。
馬は進まない。
低く、苦しそうに鼻を鳴らしている。
「おい」
マーカスの表情が変わった。
手綱を引く。
「進め」
馬は逆に一歩退いた。
「マーカス?」
キースが尋ねる。
「静かにしろ」
声が低かった。
シビウもすでに立ち上がっている。
「何かいるね」
「見えるのか?」
「見えない」
彼女の手が、ダンシングソードの柄へかかる。
「でも馬が怯えてる」
そのとき、風が止んだ。
ほんの一瞬だった。
峠全体から、音が消えた。
先ほどまで岩の隙間を鳴らしていた風も、崖下の川の音も、鳥の声も。
何も聞こえない。
キースは無意識に右手を握った。
心臓が速くなる。
蜂。
違う。
蜂ではない。
羽音はない。
代わりに、低い振動が地面の下から響いてくる。
ご……。
ごご……。
「地震?」
キースが言う。
「違う」
マーカスが即座に答えた。
「降りろ!」
「何?」
「早く!」
マーカスが御者台から飛び降り、シビウも馬車の後ろから地面へ降りる。
「ローゼン!」
キースは彼女の腕を取った。
二人で馬車を降りた、その直後。
地面が大きく揺れた。
馬たちが悲鳴を上げる。
「ヒィィィン!」
二頭が前脚を高く上げた。
マーカスが手綱へ飛びつく。
「落ち着け! おい!」
だが馬は、人間の声など聞いていなかった。
白目を剥き、泡を吹き、何かから逃れようと必死に身を捩っている。
「何に怯えている?」
キースが周囲を見回す。
岩。
崖。
空。
何もいない。
ただ、ローゼンだけが別の方角を見ていた。
「……下です」
「何?」
「下に」
再び地面が揺れる。
さっきより近い。
岩肌から小石が落ち、ごろごろと崖へ転がったまま谷底へ消えていく。
「全員、馬車から離れろ!」
マーカスが叫んだ。
キースたちは岩壁側へ走る。
シビウはすでに抜剣していた。
細身の刃が陽光を受ける。
地鳴りが響く。
一度。
二度。
そして、前方の岩陰から巨大な何かが姿を現した。
最初に見えたのは角だった。
一本。
二本。
さらに二本。
合計四本。
岩肌と見分けがつかない灰褐色の頭部が、ゆっくりと持ち上がる。
「……嘘だろ」
キースの喉から声が漏れた。
書物では何度も見た。
骨格図。
生態図。
古代絵画。
討伐記録。
神代には空を覆うほどいたと伝えられ、今なお各地の深山や荒野に棲息する大型魔獣。
竜。
だが、本の挿絵は音を出さない。
匂いもない。
地面を揺らすこともない。
目の前の竜は違った。
全長は六メティートほど。
竜としては中型に分類される。
そう――知識の上では。
だが人間の目の前に立てば、十分すぎるほど巨大だった。
太い四肢。
岩のような鱗。
蜥蜴に似た長い頭部。
口の端から覗く牙は、一本一本が短剣ほどもある。
背骨の両側には角状の突起が並び、それは尾の先まで続いていた。
巨大な胸が膨らむ。
吐息。
熱を帯びた獣臭が届いた。
キースの身体が強張った。
頭の中では、竜についての知識が一斉に蘇っている。
鱗は硬い。
腹部は比較的柔らかい。
視野。
突進速度。
噛みつき。
尾撃。
爪。
生息域。
危険度。
全部知っている。
それなのに、その知識とはまったく別の場所で、身体が叫んでいた。
怖い。
「キース」
マーカスの声がした。
キースは彼を見る。
大男はすでに斧を抜いている。
笑ってはいない。
だが、逃げてもいなかった。
「大丈夫だ」
低い声だった。
「蜂とは違うぞ」
キースの心臓が跳ねる。
「お前はもう、一回怖いって知ってる」
マーカスが一歩前へ出た。
その隣へ、シビウが並ぶ。
「今度はちゃんと後ろにいな」
彼女のダンシングソードが、しゃらりとほどけた。刃の節が長く連なり、地面を這う。
「戦うなということか」
「違うよ」
シビウは竜から目を逸らさない。
「死なない場所で戦えってことさ」
竜の黄色い瞳が動いた。
四人を見る。
馬を見る。
そして、頭を低くした。
「来るぞ!」
マーカスが叫ぶ。
次の瞬間、竜の咆哮が峠そのものを震わせた。
轟音。
空気が殴りつけるように押し寄せる。
馬たちが狂ったように暴れた。
キースは思わず腕で顔を庇う。
耳が痛い。
岩肌から石が落ち、谷の向こうでは鳥の群れが一斉に飛び立った。
そして竜は、巨大な爪で岩を砕きながら、一行へ向かって突進した。
「散れ!」
マーカスが叫ぶ。
シビウが右へ。
マーカスが左へ。
ローゼンが後退する。
キースは――一瞬だけ、足が動かなかった。
黒い毒針が脳裏を横切る。
だが、今度は拳を握った。
一歩。
自分の意志で後ろへ退く。
もう一歩。
身体が動いた。
怖い。
それでも、動ける。
右手へ魔力が集まり始める。
竜が迫る。
マーカスの大斧が持ち上がり、シビウの剣が風を切る。
白い髪をなびかせ、ローゼンが何かを叫んだ。
そしてキースは、初めて自分から戦うために術式を開いた。




