第四十章 四季は混沌ではない
名を置いていった青年の姿が、古都の上層へ続く道の向こうへ完全に消えるまで、キースたちはその場を動かなかった。
胸の奥には、《王》からキルスを経て自分へ続いているらしい魂核が残っている。だが、以前のように何者かの記憶が内側から自分を押し広げてくる感覚はなかった。《王》の残滓は《ガイアの臍》へ還り、あるいは世界のどこかへ散っていったのだろう。
静かだった。
過去が消えたわけではない。ただ、自分を動かそうとする声が一つ減ったのだ。
「行きますわよ」
先に振り返ったのはメルリルだった。
「分かっている」
「ずっと見送っていらっしゃるから、感傷に浸っているのかと思いました」
「別れくらい見送らせてくれ」
「否定はしておりません。ただ、ローゼン様は待っております」
その名を聞いた瞬間、キースの視線は祭壇の向こうへ続く階段へ向いた。
さらに下。
ソーサイアが向かった場所。
「行こう」
今度は迷わなかった。
シビウが《踊る剣》の柄へ手を置き、フユは地面から僅かに浮かび上がる。まだ本調子ではないらしく、高さは以前の半分ほどしかない。それでも誰かに運ばれるつもりはないらしい。
四人は、《ガイアの臍》のさらに深部へ降りていった。
*
階段は、途中から人工物ではなくなった。
石段が巨大な根へ呑み込まれ、その先には、人の足で歩くために作られたとは思えない起伏だけが続いている。フユが《世界の根》と呼んだ構造は、深くなるほど数を増し、互いに絡み合いながら壁と床と天井の境界さえ曖昧にしていた。
根そのものが淡く光っている。
青。
白。
ごく薄い緑。
色は絶えず移り変わるが、魔導灯の炎のような揺らぎはない。光は表面から放たれているというより、根の奥深くを何かが静かに流れ、その通過した場所だけが透けて見えているようだった。
「魔力を感じませんわ」
メルリルが歩きながら言う。
「私もだ」
「では、何が光っておりますの?」
「知らない」
「即答なさいましたわね」
「最近、それを褒められることが多い」
「誰も褒めてはおりません」
少し前を進んでいたフユが振り返った。
「光ってるから光ってる」
「君には聞いていない!」
「うるさい」
シビウが笑った。
「いつもの調子が戻ってきたね」
「何がだ」
「あんたら三人さ」
「フユをそこへ数えるのか?」
「二人で一人だって言われてただろ。そこへフユが入れば、三人で二人くらいじゃないかい」
「計算が合わない!」
短いやり取りが、張りつめていた身体を少しだけ緩ませる。
しかし、その余裕は長く続かなかった。
根の向こうに、黒が見えた。
キースの胸でイースが強く脈打つ。
「止まれ」
全員が足を止めた。
巨大な根が幾重にも絡み合って生まれた空間。その中央に、〈混沌〉が湖のように広がっている。
そして、その上にソーサイアが立っていた。
「遅かったね」
蒼い法衣。
長い髪。
その身体の内側では、皮膚の下へ別の生き物を飼っているように黒いものが脈打っている。
「ローゼンはどこだ」
挨拶を返す必要などなかった。
ソーサイアは笑い、足元の〈混沌〉へ視線を落とす。
「随分、余裕がなくなった」
「質問に答えろ」
「中だよ」
キースの指が強く握られた。
「生きているのか」
「生きているという言葉を、どこまで広く使うかによる」
その瞬間、光が迸った。
撃ったのはキースではない。
メルリルだった。
「答えになっておりませんわ!」
圧縮された風が槍となり、ソーサイアの胸へ一直線に突き進む。
彼は避けなかった。
足元の黒が膜のように立ち上がり、風槍へ触れる。次の瞬間には術式も衝撃も残さず、すべてが消えていた。
「やはり駄目ですわね!」
「確認済みだろう!」
「腹が立ったので撃ちました!」
「研究者としてどうなんだ!」
「今は仲間として撃ったのです!」
ソーサイアが小さく笑った。
「人間は面白いな。無駄だと理解していても、感情で同じ行動を繰り返す」
「無駄かどうかは」
シビウが地を蹴る。
「あたしが決める!」
《踊る剣》が伸びた。
分節した刃が弧を描き、ソーサイアの頬を狙う。
今度は彼が避けた。
黒い触手が横から伸び、剣へ絡みつく。金属そのものは消えないが、刃を自在に操るための魔導だけが吸われ、分節剣の動きが一瞬鈍った。
「ちっ!」
シビウは即座に魔導制御を切った。
《踊る剣》は、ただの連結された金属片へ戻る。
それでも彼女は止まらない。腰を捻り、身体の回転だけで剣を振り抜いた。
刃がソーサイアの肩を裂き、蒼い光が血のように散った。
「やはり」
キースが呟く。
「物理的に存在している部分までは消せない」
「でも、剣を動かす魔導は吸われる!」
シビウが大きく後退する。
「長くは保たないよ!」
「十分だ」
ソーサイアは肩の傷へ手を当てた。
黒いものが傷口へ集まり、裂けた部分を瞬く間に塞いでいく。
「君たちは、同じことを何度繰り返す?」
「通る方法が一つあるなら」
キースは答えた。
「増やせばいい」
そして視線をフユへ向ける。
「お願いできるか」
「何を」
「前と同じだ」
「全部?」
「できる範囲で」
フユはソーサイアを見た。
「嫌い」
「知っているよ」
「だからやる」
小さな手が上がる。
「春」
*
何もなかった根の表面から、芽が吹いた。
一つではない。
幾千もの淡い緑が一斉に広がり、細い蔓となってソーサイアへ伸びていく。
黒い膜が開き、蔓を呑み込む。
それでも、すべては消えない。
黒に覆われたはずの場所から、新しい葉が突き出した。
「またか」
ソーサイアの眉が寄る。
「夏」
フユの声とともに、空気が熱を帯びた。
炎が生まれる。
だが、キースには今度こそ分かった。
新しく作られた炎ではない。
根。
石。
空気。
フユ。
自分たちの身体。
そこにすでにあった熱が移動し、集まり、《夏》という一つの状態へ近づいている。
「冬」
今度は熱が失われた。
いや。
失われたのではない。
動いたのだ。
水分が凍りつき、巨大な根へ白い霜が走る。ソーサイアを包む黒い膜まで、表面が薄く曇った。
「秋」
風が吹いた。
これもまた、何もない場所から生まれた風ではない。暖められた空気と、冷やされた空気。そのあいだにすでに存在していた差を、フユが世界の流れへ従わせたのだ。
「……そうか」
キースの声は、自分でも驚くほど小さかった。
「何が分かりましたの!」
メルリルが叫ぶ。
「私たちは、ずっと勘違いしていた」
「説明は後!」
「今だから必要なんだ!」
ソーサイアの触手が迫る。
シビウが《踊る剣》で切り払った。
「喋るなら手短にしな!」
キースはフユを見る。
ラルソウムで初めてフユの四季を見た時。
枯れ木へ春。
水へ冬。
炎へ夏。
風へ秋。
そして、その後に見た《旅水》。
――つながってるものを、つないでるだけ。
あの時は理解できなかった。
いや。
人間魔導の前提で理解しようとしたから、分からなかった。
「フユ!」
「なに!」
「春を使う時、君は木を生やしているんじゃない?」
「うん」
「冬を使う時、氷を作っているんでもない?」
「うん」
「夏の炎も?」
「火はある」
「秋の風も?」
「ある」
フユは、なぜ今さらそんなことを聞くのか、本気で分からないという顔をしていた。
「やっぱり」
キースは、自分がこれまで使ってきた魔導を思い出す。
火を作る。
風を作る。
光を作る。
術式を組み、必要な現象を世界へ一時的に成立させる。
では、その現象はどこから来る。
「メルリル!」
「聞いております!」
「一般魔導を使う直前、イースは何に反応する!」
「何って――」
メルリルも途中で止まった。
アムドア。
〈混沌〉。
黒化症状。
魔導士だけが発症するという偏り。
ソーサイアが人間魔導を吸収すること。
これまで別々だった事実が、一本の線へ繋がっていく。
「……まさか」
「私たちは、世界へ直接命令していたんじゃない」
キースは言った。
「術式が作っているのは、現象そのものだ」
「どこから?」
シビウが問う。
キースはソーサイアの足元へ目を向けた。
黒い。
まだ何にも定まっていないもの。
「〈混沌〉」
その一言で、空気が変わった。
ソーサイアから笑みが消えた。
*
「人間魔導は」
メルリルが息を呑む。
「〈混沌〉から……?」
「一時的な形を引き出している」
キースの中で、長年学んできた魔導理論が逆向きに組み直されていく。
炎術。
術者の前に存在していなかった炎を成立させる。
風術。
そこにはなかった流れを術式で作る。
光。
壁。
鎖。
刃。
どれも、世界にすでに存在しているものをそのまま動かしているのではない。未確定な領域へ構文を与え、必要な形へ固定し、一定時間だけ現実へ接続している。
「だからソーサイアは吸える」
キースは言った。
「自分へ戻している?」
メルリルが問う。
「正確には分からない。でも少なくとも、私たちの術と、こいつが取り込んでいる〈混沌〉は根が近い」
「近い、ではない」
ソーサイアが口を開いた。
キースは彼を見る。
「なら答えるのか」
「そこまで辿り着いた者へ、隠す意味もない」
《蒼魔の君》が右手を開く。
掌の上に黒が生まれ、そのさらに上へ炎が浮かんだ。
人間魔導で作られたものと、見た目には変わらない。
次の瞬間、炎は輪郭を失い、再び黒い〈混沌〉へ戻った。
「人間が魔導と呼ぶものは、完成した世界の外縁にある未確定を、一時的な構文へ固定する技術だ」
「世界の外?」
「言葉の問題だ。地理的な外ではない」
ソーサイアは黒を指先で転がした。
「まだ、この世界の一つの形として決まっていないもの。可能性。未成立。矛盾を許した領域。君たちはそれを〈混沌〉と呼んでいる」
「なら」
キースはフユを見る。
「四季は違う」
「そうだ」
ソーサイアの声へ、初めて露骨な不快さが滲んだ。
「だから面倒なのだよ」
フユはきょとんとしている。
「何が」
「君だ」
「知ってる」
「褒めてはいない!」
「フユも」
一呼吸置く。
「ソーサイア褒めてない」
シビウが吹き出した。
「そこ張り合うのかい」
だが、ソーサイアの目は笑っていなかった。
本気でフユを警戒している。
「四季は〈混沌〉ではない」
キースは、ようやく確信を持って言った。
「世界の中に、もうある」
春。
生命が芽吹くこと。
夏。
熱が満ちること。
秋。
移ろい、実り、落ちること。
冬。
冷え、眠り、止まること。
そのすべては、誰かが無から作り出さなくても、すでに世界の中にある。
「フユは現象を作っていない」
メルリルも理解へ追いつく。
「すでに世界にある循環へ、触れている?」
「たぶん」
彼女はソーサイアを見る。
「だから、あなたは完全に吸えない」
ソーサイアの目が細くなる。
「正解だ」
*
「だから何だというのだ」
〈混沌〉から黒い触手が一気に増えた。
「仕組みを知っただけで、君たちが使えるわけではない!」
シビウへ。
フユへ。
キースへ。
同時に襲いかかる。
「散れ!」
四人は別々の方向へ飛んだ。
シビウが刃を振るい、メルリルは魔導を使わず足元の小石を蹴り飛ばし、触手の軌道を僅かに逸らす。
「最強の魔導士二人が石投げですの!?」
「生き残る方が重要だ!」
「屈辱ですわ!」
「死ぬよりいい!」
フユは触手の隙間を、小さな身体ですり抜ける。
「冬」
〈混沌〉そのものは凍らない。
だが、その周囲――ソーサイアが人の形を維持するためにまとっている空気中の水分が凍りつき、動きがほんの僅かに鈍った。
「今!」
シビウの剣が走る。
肩。
胸。
二度の斬撃が入った。
「ぐっ……!」
ソーサイアが、初めて明確に声を漏らす。
「通る!」
シビウが叫んだ。
「でも足りない!」
裂かれた傷へ黒が集まり、すぐに塞いでいく。
「フユ!」
キースが叫ぶ。
「もっと大きくできる?」
「何を」
「四季だ!」
「どれ」
「全部!」
「無理」
「では一つ!」
「どれ」
キースは答えようとして、止まった。
自分で選ぶのか。
それでは、また人間魔導と同じではないか。
「フユ」
「なに」
「今、この場所は何の季節だ」
フユが初めて、少し驚いたようにキースを見た。
巨大な空洞。
世界最深部。
地上の季節など届かないように思える場所。
それでも彼女は、根を見た。
光を。
水を。
空気を。
そこに残る生命の気配を。
「春になりたい」
答えた。
「……何?」
「ここ」
フユは足元へ視線を落とす。
古い都市。
何千年。
あるいは何万年。
どれほど長く眠っていたのかも分からない根。
「ずっと冬みたい」
小さな掌を、地面へ向ける。
「だから」
静かに言った。
「春になりたい」
キースの胸で、何かが震えた。
*
構文ではなかった。
少なくとも、キースが知る魔導の意味では。
文字もない。
詠唱も。
計算も。
魔力配分もない。
そこにあるのは、関係だった。
地面と。
根と。
水と。
温度と。
長く眠っている何か。
それらは、フユが介入する以前からすでに互いに繋がっている。
キースは、精霊たちの《旅水》を思い出した。
――つながってるものを、つないでるだけ。
「……見るんじゃない」
自分へ言い聞かせるように呟く。
「作るんでもない」
フユの隣へ立った。
「キース?」
「教えてくれ」
「何を」
「春」
「無理」
「なぜ!」
「人間だから」
即答だった。
「知っている!」
「じゃあ無理」
「でも!」
ソーサイアの触手が迫り、シビウが切り払う。
「喧嘩してる場合か!」
「してない!」
「してるよ!」
キースは焦りを押さえ込んだ。
「フユ」
「なに」
「君は、春をどうやって見つける?」
小さな妖精は少し考える。
「見つけない」
「では?」
「いる」
「どこに」
「ここ」
胸の中ではない。
周囲そのもの。
「キースにも?」
「分からない」
「世界には?」
「いる」
それだけだった。
キースは目を閉じた。
*
《世界一の魔導士》。
その肩書きが、今ほど邪魔に感じられたことはない。
魔導とは術式。
構文。
制御。
イース。
未確定なものへ形を与えるもの。
そう教えられ、そう使ってきた。
だから自分は、何かをしようとしてしまう。
春を作ろうとする。
けれど、それでは違う。
春はある。
どこに。
答えを探そうとして、また思考を止める。
探すということは、まだここにないものとして扱うことだ。
キースは足元の感触へ意識を向けた。
硬い根。
その内部を流れるもの。
メルリルの呼吸。
シビウの足音。
フユ。
水。
温度。
長く眠る都市。
そして遥か上方、地上の氷の森。
凍てついた土の下にも、生命は残っている。
冬のあと。
何が来る。
指が無意識に動いた。
術式を組もうとして――止まる。
「……頼む」
誰へ向けたのか、自分でも分からなかった。
世界。
それでは大きすぎる。
根。
土。
春。
どれでもいい。
「ローゼンみたい」
フユが言った。
キースが目を開ける。
「何?」
「石にお願いした時」
ラルソウムでの出来事が蘇る。
キースは石へ、動けと頼んだ。
動かなかった。
シビウは、自分に蹴られないよう少し避けてくれと頼んだ。
石は動いた。
「……そうか」
キースは笑った。
「私は、ずっと間違えていたのか」
春を使わせろ、ではない。
足元へ手を置く。
「少しだけ」
呼吸を整える。
「一緒に来てくれないか」
何も起きなかった。
一秒。
二秒。
ソーサイアが笑う。
「くだらない」
黒い槍がキースへ走った。
「キース!」
フユが叫ぶ。
その瞬間。
キースの手の下から、小さな芽が出た。
*
黒い槍が止まった。
正確には、その前へ根が伸びた。
新しく無から生み出されたものではない。
古い根の内側で長く眠っていた細い枝が芽吹き、伸び、キースを庇ったのだ。
〈混沌〉が触れる。
半分は呑まれる。
だが、すべては消えない。
「……嘘でしょう」
誰より早く、メルリルが呆然と声を漏らした。
「あなた」
キースも自分の手を見る。
「使った?」
フユが近づく。
「たぶん」
「人間」
「ああ」
「なんで?」
「私が聞きたい!」
ソーサイアの顔から、完全に余裕が消えた。
「あり得ない」
彼が初めて、その言葉を口にする。
「なぜ、人間がそれへ接続できる」
「知らない!」
キースは即答した。
「知らないまま使うのか!」
「君にだけは言われたくない!」
メルリルが叫ぶ。
「本当にその通りですわ!」
キースはもう一度、世界へ触れる。
春。
今度も作ろうとはしない。
眠っているもの。
すでに動き始めようとしているもの。
「頼む」
芽が増えた。
一つ。
二つ。
十。
百。
根の隙間から、何千年ぶりかも分からない小さな白い花が咲いていく。
ソーサイアが後退した。
「キース!」
フユが初めて、はっきりと嬉しそうな声で呼んだ。
「できた」
「ああ」
「少しだけ」
「君はいつも一言多いな!」
「本当」
「でも」
キースも笑った。
「十分だ」
*
なぜ使えたのか。
問いは、当然のように浮かんだ。
セーレ以後。
名も。
祈りも。
存在の仕方も。
以前とは変わった。
人間と世界との関係まで変化したのかもしれない。
可能性。
キルス。
さらにその前の《王》。
同じ魂核。
四季使いへ触れられる何かを、どこかの時代から持っていたのかもしれない。
可能性。
人間ローゼンの魂を、キルスは自分へ宿した。
今のローゼンとは〈混沌〉の内部で互いの名を呼び合い、輪郭を保った。その接続を通して、精霊側の構造へ触れられるようになった可能性もある。
あるいは。
すべて違う。
人間にも、最初からできたのかもしれない。
「分からない」
キースは言った。
誰にも聞かれていない。
「今は、それでいい」
答えを決める時間ではない。
ローゼンを取り戻す。
そのために使えるものが、一つ増えた。
「フユ!」
「なに」
「次は?」
「何が」
「春の次だ!」
「夏」
「そのままだな!」
「四季だから」
「分かった!」
キースは笑いながら立ち上がった。
「教えてくれ!」
「嫌」
「なぜ!」
「自分で」
「今それを言うのか!」
フユがほんの少し笑った。
「見てて」
両手を広げる。
「夏」
キースは、今度は見るのではなく感じようとした。
春。
芽吹き。
生命が動き始めたことで、根の中に熱が巡り始めている。
それを、新しく作る必要はない。
「もっと」
その熱へ、意識を向ける。
「動いてくれ」
根を走る光が、少しずつ赤みを帯びていった。
「嘘ですわ……」
メルリルの声が震える。
「二回目まで!」
「メルリル!」
「何ですの!」
「あとで驚け!」
「驚くくらい許しなさい!」
シビウが大声で笑った。
「いいねえ!」
《踊る剣》を構える。
「やっと反撃らしくなってきた!」
ソーサイアの周囲で、〈混沌〉が大きく盛り上がる。
「たかが」
《蒼魔の君》が低く言った。
「世界の循環へ触れただけで」
「そうだ」
キースはフユの隣へ立つ。
「たかが、だ」
自分は四季使いではない。
フユのように自然な形で世界を感じられるわけでもない。
今、ようやく。
指先が触れただけだ。
「でも」
キースは足元に咲いた白い花を見る。
「それは、お前が喰えない」
ソーサイアの瞳が細くなる。
キースの胸では、イースがいつもの魔導を求めて脈打っていた。
〈混沌〉へ接続し、そこから必要な形を引き出そうとしている。
キースは、それを使わなかった。
代わりに、足元の根へ。
空気へ。
熱へ。
水へ。
すでに、ここにあるものへ意識を伸ばした。
隣でフユが告げる。
「秋」
キースもまた、世界の中ですでに移ろおうとしている流れへ、初めて自分の意志で触れた。
今までの魔導とは違う。
何かを世界へ書き込むのではない。
すでに書かれているものとともに、次の頁へ進む。
風が、《ガイアの臍》を駆け抜けた。




