第三十七章 希望は一人分残った
フユは、生きていた。
その事実を確かめたあとも、キースは何度となく彼女の呼吸を見つめた。小さな胸がゆっくりと持ち上がり、わずかな間を置いて沈んでいく。頬には血の気がなく、普段のように地面から浮かぶこともない。それでも、確かに息をしている。
〈混沌〉に呑まれた。
そして、戻ってきた。
夜の草原に横たえられた小さな身体を囲みながら、誰もまだ、その事実が何を意味するのかを正しく言葉にできずにいた。
「脈は弱いですが、乱れてはいませんわ」
メルリルはフユの手首へ指を当てたまま告げた。魔導による診断は避け、呼吸、体温、瞳孔、皮膚の変化を一つずつ確かめている。
「黒化は?」
「見当たりません。少なくとも、アムドアの魔導士たちに起きた症状とは違います」
「意識は?」
「ありません」
キースは唇を噛んだ。
「いつ目を覚ます」
「分かりませんわ」
メルリルは顔を上げた。普段なら、その言葉を口にするときにも多少の悔しさや苛立ちが滲む。けれど今夜は、余計な推測を加えず、ただ分かっていることだけをまっすぐ告げた。
「数分後かもしれませんし、明日かもしれません。このまま目を覚まさない可能性だって、否定はできません」
「ああ」
「……随分、素直ですのね」
「何がだ」
「以前のあなたでしたら、『なら何をすれば目を覚ます』と、すぐに聞いたでしょう」
「今も聞きたい」
キースはフユを見る。
「でも、君が分からないと言っているのに、答えを作らせても意味がない」
メルリルは一瞬だけ目を丸くし、それから小さく息を吐いた。
「本当に、変わりましたわね」
「褒めている?」
「半分ほど」
「残り半分は?」
「昔が面倒だったという評価です」
「君にだけは言われたくない」
かすかな言い争いを、シビウは少し離れた場所から聞いていた。
彼女は、先ほど村の方角を確認して戻ってきたばかりだった。キロスの不可思議な術によって放り出された先は、ラルソウムから相当離れた北方の草原らしい。遠くに家々の灯は見えているものの、この時間に大人数で押しかけるのは避けたい。
「ひとまず、あっちに古い牧草小屋があるよ。屋根も残ってる。夜露を凌ぐくらいなら使えそうだ」
「村へ助けを求めないのか?」
キースが尋ねる。
「何て説明するんだい。『精霊の里で古代の大精霊と戦って、〈混沌〉から妖精を引っ張り出して、変な術でここまで飛んできました』って?」
「事実だ」
「事実だから余計に困るんだよ」
シビウは呆れた顔をした。
「それに、ソーサイアが追ってくるかもしれない。無関係な村へあたしたちが入って、そこを戦場にしたくないだろ」
「……そうだな」
「なら決まり。フユを運ぶよ」
シビウが屈み込もうとすると、キースが先に手を伸ばした。
けれど、その指がフユの身体へ触れる寸前で止まる。
シビウが横目で見る。
「どうした?」
「いや」
黒。
ローゼンの手が、自分の指先から滑り落ちていった光景が蘇った。
白い髪。
深紅の瞳。
――わたくしは、ローゼンでございます。
最後にそう言って。
彼女は、呑まれた。
胸の奥から何かが一気に込み上げ、キースは咄嗟に目を閉じた。呼吸が浅くなり、身体の内側だけが取り残されたように冷えていく。
「キース?」
シビウの声がする。
「……大丈夫だ」
「その顔で言われてもね」
キースは一度息を吐いた。
「大丈夫じゃない」
言い直す。
シビウは何も言わなかった。
「でも、動ける」
キースはフユの身体をそっと抱き上げた。
驚くほど軽かった。
「だから、私が運ぶ」
「そうかい」
シビウは、それ以上何も言わなかった。
*
牧草小屋には、古い藁がまだ残っていた。
屋根の一部から月明かりが細く差し込み、板壁の隙間を夜風が抜けていく。贅沢とは程遠いが、大地へ直接寝かせるよりはずっといい。
メルリルが布を何枚か重ね、その上へフユを寝かせた。シビウは入口付近へ腰を下ろし、《踊る剣》をすぐ抜ける位置へ置く。キロスは壁へ背を預けていたが、彼の顔色も決してよくなかった。
キースは、その様子にも気づいた。
「キロス」
「ん?」
「横になれ」
「フユちゃんの方が――」
「君もだ」
「僕は平気」
「その台詞は、今日だけで何回聞いたと思う?」
「三回くらい?」
「数えていない」
「じゃあ分かんないじゃん」
軽口こそ返しているが、声には力がない。
「《王》は?」
キースが隣へ座る。
キロスは胸へ手を当てた。
「静か」
「消えた?」
「分かんない。いる感じはする。でも、すごく遠い」
「疲弊した?」
「たぶん」
キロス自身も、自分の内側にあるものを安易に断定しなくなっていた。
キースは少し迷ってから、さらに尋ねた。
「キルスという名前は?」
少年の表情が変わる。
「まだ、変な感じする」
「どういう?」
「知らない人の名前なのに」
キロスは自分の胸を指先で軽く叩いた。
「ここに、引っかかってる」
「記憶がある?」
「ない」
「顔は?」
「知らない」
「神殿やローゼンのことは?」
「何にも」
キースは口を閉ざした。
それなら、今はこれ以上聞くべきではない。
「すまない」
「別にいいけど」
キロスは横目で彼を見る。
「キースは?」
「何が」
「大丈夫?」
問い返そうとした。
何について。
けれど、言わなくても分かる。
「……ローゼンのこと?」
「うん」
小屋の中が静かになった。
メルリルも、シビウも、聞いていないふりをしている。
キースは自分の両手を見た。
最後まで掴んでいた。
ローゼンの手を。
「大丈夫ではない」
そう答えた。
「怖い」
言葉にした瞬間、胸の中へ押し込めていたものが、急に輪郭を持った。
「今、何をされているのか分からない。ソーサイアが彼女に何をするのかも、〈混沌〉の中で時間がどう流れるのかも分からない」
アムドアで自分たちが〈混沌〉へ呑まれたとき、外ではほんの短い時間しか経っていなかった。
けれど、その内側でキースは、キルスと人間ローゼンが生きた長い人生を見た。
「すぐ助けなければ」
焦りがある。
「でも、今戻っても勝てない」
それもまた事実だった。
「ローゼンを置いて逃げた」
罪悪感が、言葉になって落ちる。
「違う」
シビウが言った。
キースが顔を上げる。
「置いて逃げたんじゃない」
「結果は同じだ」
「違うよ」
シビウは壁へ背を預けたまま、まっすぐ彼を見た。
「あんたは、あそこでローゼンを助けられなかった。だから生きて逃げた。それと、見捨てたのを一緒にするんじゃない」
「でも――」
「戻るんだろ?」
「当然だ」
「じゃあ、まだ途中だ」
シビウはそれだけ言い、入口の外へ視線を戻した。
キースは返事をしなかった。
胸は痛い。
それでも、そこで一つ、不思議なことに気づいた。
自分は。
壊れていない。
*
その事実へ気づいた瞬間、別の記憶が蘇った。
白い神殿。
毒に倒れた人間ローゼン。
死体を抱き上げ、地下へ降りていくキルス。
死を認めない。
宝物庫。
禁術。
短剣。
胸。
心臓。
――君を消さない。
キースは顔を伏せた。
「キース?」
今度はメルリルだった。
「私は」
喉が乾いていた。
「キルスとは違う」
誰かへ主張するというより、自分自身で確かめるための言葉だった。
「ローゼンを失ったのに」
シビウが眉を寄せる。
「まだ失ったと決まってないよ」
「そう」
キースは顔を上げた。
「そこだ」
全員の視線が集まる。
「キルスは、死んだローゼンを見た」
呼吸は止まっていた。
治癒師も死を確認した。
「それでも、認めなかった」
認めれば彼女を失うから。
だからキルスは、目の前の現実より自分の願いを選んだ。
「私は違う」
キースはフユを見る。
「ローゼンが死んだところを、私は見ていない」
彼女は〈混沌〉へ呑まれた。
それだけだ。
「それどころか」
フユの小さな胸が、今もゆっくりと上下している。
「〈混沌〉へ呑まれた者が、ここにいる」
メルリルが目を見開いた。
「フユが戻れた」
キースの声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「なら、ローゼンも戻せる」
小屋に沈黙が落ちる。
「それは」
メルリルが慎重に言った。
「同じ条件だとは限りませんわ」
「分かっている」
「フユは四季使いです。ローゼンは精霊。同じ〈混沌〉へ呑まれたとしても、内部で起きることが同じとは限りません」
「分かっている」
キースはもう一度答えた。
「私は、絶対に助かると言っているんじゃない」
そこで、メルリルも黙った。
「可能性があると言っている」
フユが戻った。
それは願いではなく、すでに起きた事実だ。
「なら、その可能性を試す」
ローゼンが死んでいないと決めつけるのではない。
死んだかもしれないという恐怖から目を逸らしているわけでもない。
「探す。方法を考える。ソーサイアを追う。それでも駄目だった時は」
言葉が一度だけ止まった。
怖い。
口にしたくない。
それでも、今は逃げない。
「その時に、起きたことを見る」
シビウの瞳が僅かに揺れた。
「今はまだ」
キースは続けた。
「諦める方が、事実に反している」
メルリルがゆっくりと息を吐く。
「……そうですわね」
「君が認めるのか」
「科学的に反論できませんもの」
彼女はフユを見る。
「〈混沌〉からの生還例が一件。条件も機構も不明。再現性も未検証。でも、零ではない」
「そういう言い方すると、急に冷たく聞こえるね」
シビウが言う。
「大事ですわよ。希望を希望のままにしておくためにも、何を根拠に希望しているのかは知っておくべきです」
キースは、その言葉へ静かに頷いた。
「ああ」
希望は、願いとは違う。
今夜は、ちゃんと根拠があった。
*
それでも、眠れるはずはなかった。
夜が深くなり、シビウとメルリルが交代で見張りへ立つ。キロスはいつの間にか壁際で眠っていた。疲れ切った身体が限界へ達していたのだろう。
キースは、フユの傍から離れなかった。
ときおり、ローゼンの声が聞こえたような気がする。
――キース様。
反射的に振り返る。
もちろん、誰もいない。
ローゼンはよく、自分を様付けで呼んだ。
何度、やめてくれと言おうと思ったか。
結局、言わなかった。
サファイアが作られた人格だと知ったあと、ローゼンは泣いた。
自分が何者なのか。
人間ローゼンと同じなのか。
サファイアに愛されていたのか。
何度も、答えのないものへ向き合った。
そして最後。
〈混沌〉へ呑まれる直前にも、彼女は言った。
――わたくしは、ローゼンでございます。
「分かってる」
誰もいない暗闇へ、キースは小さく呟いた。
「君はローゼンだ」
だから、取り戻したい。
キルスが愛した女の代わりではなく。
運命だからでもない。
過去にそう決められているからでもない。
今、自分が知っているローゼンを。
もう一度、ここへ。
その時だった。
「……うるさい」
小さな声がした。
キースの身体が固まる。
「ローゼン?」
「違う」
下からだった。
布の上に横たわっていたフユの瞼が、薄く開いている。
「フユ!」
キースが身を乗り出した。
「うるさい」
「起きたのか!」
「起きた」
「メルリル!」
「大声」
「すまない!」
キースは慌てて声を落とした。
「メルリル!」
「結局うるさい」
入口からメルリルが飛び込んでくる。
「何ですの!」
「フユが!」
「見れば分かります!」
シビウも、物音で目を覚ましたキロスも、すぐに集まってきた。
フユは目だけを動かし、周囲へ集まった全員を見る。
「近い」
「あ」
皆で一斉に後ろへ下がった。
「どう?」
メルリルが尋ねる。
「何が」
「痛いところは?」
「ない」
「気分は?」
「眠い」
「吐き気。眩暈。寒気。身体の違和感は?」
「質問多い」
「答えてくださいませ!」
フユが少し眉を寄せた。
「お腹すいた」
沈黙のあと、シビウが吹き出した。
「そりゃ生きてるね」
「確認としては、かなり心強いですわ」
キロスも笑った。
「よかったあ……」
声が途中で崩れ、少年は顔を伏せた。
フユが彼を見る。
「キロス」
「ん?」
「引っ張った」
「え?」
「フユを」
キロスが目を丸くする。
「覚えてるの?」
「少し」
「僕も、よく分かってないんだけど」
「ありがとう」
キロスは、しばらく何も言えなかった。
「……どういたしまして」
いつもの軽口は出なかった。
*
フユが口にできたのは、少量の水と乾いた果実だけだった。
身体そのものに大きな傷はない。だが、普段なら意識せずに使っている浮遊の力さえ働かないらしく、身体を起こして座るだけでも苦労している。
「魔力が空になった、という感じではありませんわね」
メルリルが観察する。
「フユは、そもそも人間と同じ形で魔力を使っているのかも分からない」
キースはしばらく彼女の様子を見てから、慎重に尋ねた。
「〈混沌〉の中で、何があった?」
乾燥果実を持っていたフユの手が止まった。
「黒かった?」
問い方を変える。
「黒くない」
「なら?」
「いっぱい」
「何が?」
「まだ決まってないもの」
キースとメルリルが、ほとんど同時に顔を近づけた。
フユが嫌そうな顔をする。
「近い」
二人で戻った。
「ソーサイアは?」
ローゼンの名を出す前に、まずそちらを聞く。
フユの表情が少し変わった。
「いた」
「中に?」
「中じゃない」
「では?」
フユは自分の胸を指した。
「こっちにもいた」
キースが眉を寄せる。
「どういう意味だ」
「入ったら、境目が薄くなった」
その言葉に、アムドアでの体験が蘇る。
自分。
キルス。
記憶。
境界。
「ソーサイアの記憶を見た?」
「違う」
フユは首を振った。
「考えてること」
「思考?」
メルリルが身を乗り出しかけ、先ほどの「近い」を思い出して途中で止まった。
「彼の思考が聞こえましたの?」
「聞こえたんじゃない」
「では?」
「混ざった」
フユは不快そうに自分の腕を擦った。
「嫌だった」
キースは、それ以上質問を急がなかった。
ソーサイアは、自ら大量の〈混沌〉を取り込んでいる。
そしてフユも、その内部へ呑まれた。
通常なら互いを隔てている存在の境界が、〈混沌〉の内側では薄くなる。
もし。
ソーサイアとフユの境界まで、一時的に薄れていたのなら。
「何が分かった?」
フユは目を閉じた。
「名前」
「誰の?」
「場所」
小屋の中が静かになる。
「どこだ?」
「北」
「北のどの辺り」
「すごく北」
「また雑ですわね!」
「北より北」
「悪化しましたわ!」
フユは少し考えてから、もう一つ言葉を足した。
「深い」
今度はキースが反応した。
「北で、深い?」
「うん」
「地下?」
「たぶん」
シビウが腕を組む。
「北の果ての地下ってこと?」
「そこにソーサイアが行く?」
キースが尋ねると、フユは頷いた。
「もう行ってるかも」
胸が強く打つ。
「ローゼンも?」
「たぶん」
「確実ではない?」
「見てない」
キースは、すぐに次の結論へ飛びつこうとする焦りを押さえ込んだ。
情報。
事実。
推測。
それらを混ぜない。
「ソーサイアがそこへ向かう意図は感じた。ローゼンが一緒かどうかは分からない」
「うん」
「目的地の名は?」
フユは少しだけ首を傾げた。
その名を口にしてよいのか、自分の中で確かめているようにも見えた。
「ガイア」
キースの表情が変わる。
「何?」
「《ガイアの臍》」
その名が、夜明け前の小屋へ静かに落ちた。
*
「知っている人」
フユが尋ねる。
誰も、すぐには答えなかった。
キースは記憶の中にある書物を探る。
「ガイア……大地を指す古称としてなら、読んだことがある」
「わたくしもですわ」
メルリルが言う。
「ただ、《ガイアの臍》という固有地名は……」
「私は知らない」
「わたくしも存じません」
ラルソウム育ちのフユだけが、平然としている。
「フユは知っていた?」
「名前だけ」
「どこで?」
「昔から」
「誰から?」
「知らない」
キースは、以前ほどその答えに苛立たなかった。
「どういう場所かは?」
「下」
「それは聞いた」
「すごく下」
「だから!」
メルリルが額へ手を当てる。
「あなたの地理情報は、いつも感覚的すぎますわ!」
「合ってる」
「精度の問題です!」
シビウが苦笑した。
「行けるのかい?」
その問いに、フユの表情が少しだけ真剣になる。
「行ける」
「普通に歩いて?」
「無理」
「じゃあ、どうする」
「道がある」
「《旅水》?」
「違う」
「また別の?」
「うん」
フユには、それ以上を今すぐ言葉へ変えるのが難しいらしい。
「北の奥まで行けば、分かる」
「どれくらいかかる?」
「分からない」
メルリルがまた何か言おうとしたが、キースが手で止めた。
「今はそれでいい」
「よろしいの?」
「行く場所は分かった」
《ガイアの臍》。
ソーサイアが向かっている。
今は、それだけで十分だった。
「休んだら出る」
キースは立ち上がった。
身体は疲れている。
魔力も万全ではない。
「今すぐではなく?」
メルリルが確認する。
「ああ」
以前なら、一刻も早くと叫び、そのまま飛び出していたかもしれない。
「フユが歩けない。キロスも限界だ。私たちも消耗している。この状態で追いついても、ソーサイアにまた負ける」
キロスが目を瞬いた。
「キース、本当に変わったね」
「君まで言うな」
「前だったら、『ローゼンが!』って走って行きそう」
図星だった。
「今も行きたい」
キースは答えた。
「今すぐにでも」
胸の内を隠さない。
「でも、急ぐことと、何も考えずに動くことは違う」
マーカスの死。
キルスの禁術。
アムドア。
何度も失敗し、何度も学んだ。
「助けるために行くなら」
キースは自分の手を見る。
「助けられる状態で行く」
シビウが少しだけ笑った。
「それでいい」
*
夜が明ける頃には、草原の向こうが薄青く染まり始めていた。
フユはまだ自分で飛べない。それでも、キースに抱き上げられるのを嫌がる程度には元気を取り戻している。
「歩く」
「歩けないだろ」
「歩ける」
布から降りる。
一歩。
二歩。
三歩目で身体が大きくふらつき、キースが受け止めた。
「歩けていない」
「今のは風」
「風は吹いてない」
「地面」
「地面も動いてない」
「キースが悪い」
「なぜ!?」
シビウが笑った。
「いつものフユだね」
「本当に」
メルリルも安堵を隠さなかった。
キロスだけは少し離れた場所で、朝焼けを見ている。
キースは彼の傍へ歩み寄った。
「行ける?」
「うん」
「無理なら――」
「行くよ」
キロスは振り返る。
「《王》が、あそこを知ってる気がする」
「《ガイアの臍》を?」
「名前は知らない」
胸へ手を当てる。
「でも、フユちゃんが言った時」
「反応した?」
「うん」
笑おうとしたが、うまくいかなかった。
「嫌な感じに」
キースは何も言わず、その事実だけを覚えておく。
キロス。
《王》。
キルス。
《ガイアの臍》。
また、古いもの同士が、見えない場所で繋がろうとしている。
「キース」
シビウが呼んだ。
「行くよ」
「ああ」
荷物をまとめる。
フユは結局、しばらくシビウの背負い袋の上へ座ることになった。
「子ども扱い」
「歩けないんだから我慢しな」
「飛べる」
「飛んでみな」
フユがほんの少しだけ宙へ浮く。
そして、すぐに落ちた。
シビウが受け止める。
「ほら」
「今日だけ」
「はいはい」
メルリルがキースの横へ並んだ。
「ローゼンを取り戻せると思っています?」
キースは北を見る。
空。
その先。
まだ見えない、遥かな土地。
「分からない」
「では」
「取り戻しに行く」
「矛盾しているように聞こえますわ」
「そうか?」
「少し」
キースは考えた。
「成功するか分からないことと、やるかどうかは別だ」
メルリルが目を細める。
「なるほど」
「フユが戻れた」
もう一度、その事実を口にする。
希望を願いへ変えないために。
確かめるように。
「なら、ローゼンも戻せる可能性がある」
「ええ」
「だから行く」
それで十分だった。
失うことを認めないのではない。
まだ失っていない可能性が、ここにある。
キースは、シビウの背で小さく揺れているフユを見る。
〈混沌〉の中から、一人。
確かに帰ってきた。
希望は、形を持って息をしている。
北方最深部。
《ガイアの臍》。
そこに何が待っているのか、誰も知らない。
それでも、ローゼンを連れ戻すための道だけは。
もう、見失っていなかった。




