序編第三章32 『ありがとう』
「――よし、じゃあ大企画の仕事の話をしようか」
「んっ」
イラディスの面持ちが真剣に傾いたと同時に、ティアラに緊張が押し寄せる。
息が詰まって、心臓がバクバクと鼓動する。ティアラはそれを落ち着かせようと、大きく深呼吸する。
それを見たイラディスが柔らかく微笑んで、
「そんなに緊張しなくて大丈夫」
「えっ」
「落ち着いて、ね?」
「ぇ、えぇ」
そう言って微笑みかけるイラディスの表情は、ティアラに安心感を与えてくれる。
やっぱりイラディスは優しいと、ティアラは思う。
「ティアラちゃんにやってもらう仕事は、この前も言った通りに司会と実況。だから基本は当日に働くことになるね、ただ当日前に練習を何度か入れるつもりだから、ぶっつけ本番にはならないから安心して」
「そう、よかったわ。ぶっつけ本番だったらあたし絶対噛むもの」
「それはそれでかわいいと思うけどね」
「か、かわっ……」
ティアラの心に思わぬ衝撃が飛んできて、頬が赤らむ。
そんなティアラを前に不思議そうな面持ちになって、イラディスが「大丈夫?」と言いながら眼前で手を振る。
「だ、大丈夫よ」
「そうか? ならよかった」
よくないわよ……
あんなにさらっと言われたら誰だって照れる。
「まず、雪合戦最強決定戦の形式やルールを教えるね」
「えぇ」
それからティアラはイラディスから説明を受けた。
最初はしっかり聞かないとと気張っていたティアラだが、聞いていくうちにだんだんとワクワクが高まっていった。
「面白そうねそれ」
「おっ、ならよかった」
「楽しみになってきたわ」
「それでな、ティアラちゃん」
「んっ」
一人気持ちを高まらせるティアラにイラディスから閑話休題が入り、ティアラはちょっと恥ずかしそうにしながら向き直る。
「ティアラちゃんにやってもらう司会の順序や実況の見本を書いたから、これを参考にしてくれな?」
「えっ」
言いながらイラディスが、半分に畳まれた十枚ほど重なった紙を差し出してきて、ティアラは目を丸くする。
そんなものがあるとは思っていなかった。てっきりティアラは、口頭で話しながら教えてもらうものかと思っていた。
ティアラは差し出された紙を受け取って、開いて――、
「こ、これ、手書きじゃない。イラディスさんが?」
「うん、俺が書いたよ。多かったかな? ティアラちゃんが迷わないようにって考えてたら、いろいろ書いちゃってさ」
「お、多くなんかないわ。……嬉しいわ」
ちょっと頬を赤色に染めながら、ティアラは紙をキュッと握りしめる。
「それならよかった。司会は手順だけだけど、大丈夫だったかな? 実況は、状況別でどう言うといいかとか書いておいた」
「えぇ、頑張ってみるわ」
「一先ずは寮の自室で練習する形になるかな」
「……じゃあ、今日はもうおしまいなのかしら?」
ちょっと残念そうに、視線を落とす。
ギュッとスカートの裾を握りしめた。
その様子を見たイラディスがクスリと笑って、
「なんなら、このあと一般雇用の仕事を見学してみる?」
「えっ?」
「なんなら手伝ってくれてもいいよ。残念ながら給料は出せないから、ティアラちゃんがしたいならだけどね」
「やるわ!」
「はやいな!」
「せっかく大会場に来たんだもの、もうちょっと何かしたいわ」
ティアラとしては、今日もっと仕事をやると思っていたから、このまま帰るのは何か物足りない感じがする。
もちろん、やらなければ失敗はしないし、苦しくもないだろう。だが、この先もっと重要な仕事が待っているのだ。
だったら――、
「肩慣らしにはちょうどいいわ」
「おっ、気合い十分だね。それじゃあ早速行ってみようか。ついてきて」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
イラディスについていくように、ティアラは大会場の廊下を歩きながら辺りを見回す。
さっきより行きずりが多いのは、もしかすると一般雇用の仕事が始まったのが直近だったりするのかもしれない。
そんなことを考えながらついていくと、イラディスが足を止めて、
「わぁ!」
「おっと、ティアラちゃん大丈夫?」
よそ見していたせいで、イラディスの背中にぶつかって、ティアラはちょっとのけぞる。
そんなティアラの方へ振り向いて、イラディスが心配の言葉を投げかけてくるから、「だ、大丈夫よ」と頬をほんのり赤くしながら投げ返す。
「そっか、よかった。それじゃあティアラちゃんにはこれをあっちに運んでもらおうかな」
「……イラディスさんは?」
イラディスの指したものを一瞥すると、ティアラはチラッとイラディスを見やる。イラディスはそんなティアラに目を合わせて、
「俺も一緒にやるよ」
「そう」
嬉しそうに返事すると、ティアラは地面に置かれた箱の前まで歩いて、しゃがむ。それからよっこいしょっと持ち上げて、
「ぉ……」
「重い?」
「そ、そんなことないわ。一人で持てるわ」
意地を張った。
正直に言うとかなり重い。
「そうか? 重かったら言ってね? 俺が持つから」
言いながら、イラディスが隣の箱をひょいっと――否、だいぶ重そうに持ち上げる。
それにティアラは目を丸くして、
「それ重いの?」
「うん、重い……いや、たぶん俺の力が弱いからだ」
「そうなの?」
「うん、メルティアに腕相撲で負けるくらい弱い」
「そうなの!?」
と、驚きの事実を耳にして、ティアラは目を見開く。
本当にそうなのだとしたら、力が弱いのにも関わらず、ティアラの運ぶものの負担を背負おうとしたのか。
そこに思考が辿り着けば、ティアラは自然と頬が緩む。
「これどこに運ぶの?」
「さっきの場所まで」
「結構遠いのね……」
思わぬ重労働に半目になりつつも、ティアラは荷物を深く抱えると、イラディスと一緒に歩き出す。
「他の雇用者たちは何をしてるの?」
「同じだよ。運ぶものが違うから、行く場所も違ったりするけどね。ほら、さっきすれ違った人たちも荷物持ってたでしょ?」
「そう言えばそうだったわね」
言いながら思い返せば、たしかに荷物を持っていたように思う。
「……ねぇ、ティアラちゃん」
「ん、なによ」
ちょっと視線を落としたイラディスを横目にしつつ、ティアラは聞き返す。そんなティアラをイラディスもまた横目にして、そしてまた視線を落とす。
「メルティアとは、最近どう?」
「メルティア、さん? まぁ特に何かあったわけじゃないわね。この前まで距離感が変だったけど、最近はだいぶ落ち着いてるし」
「ティアラちゃんのおかげで、メルティアも考えるようになったからな」
「――? あたしのおかげ?」
おかげという言葉に、ティアラは目を丸くした。
ティアラのおかげで、メルティアが何を考えるようになったのだろう。
「メルティアがな、相談しに来たんだよ、距離感が近いのをどうにかしたいって……ルールを作りたいって」
「えっ?」
思わず、イラディスを見やった。
メルティアが距離感の相談をしたというのが、ティアラには驚きだった。
だが考えてみれば、以前までメルティアの距離感が変だったのも、距離感を掴もうとしていたからなのだとすれば筋は通る。
「あいつのソースな、その……」
「その?」
イラディスが言いづらそうに口を止めた。
それを不思議に思いつつも、ティアラは小首を傾げてイラディスを見つめる。
「……えぇっとな、痛覚と……メルティアらしい感覚が、五倍なんだ」
「ふ~ん」
……メルティアらしい感覚って何かしら?
ティアラは少し考えて、理解した途端、ボンッと、頬が赤色に染まった。
「……そ、そうなのね」
「だからね、昔からそういうことに興味を持ちやすかったんだよ。だけどメルティアは相談の時言ってたよ。これはやっていい理由にはならないって気づいたって」
「ぇ……」
「全部ティアラちゃんのおかげだってよ、俺も感謝してる。何があったかは聞いてないけど、俺はずっとメルティアに強く言えずにいたんだ。だから、ありがとう」
「えっ、と……」
思わぬ感謝にティアラは何を言えばいいのかわからなくなって、口をパクパクと動かす。
「あ、あたしは、あたしの言いたいことを言っただけよ。何もしてないわ」
「それでもだよ。ありがとうな?」
「ま、まぁ……どういたしましてと言っておくわ」
ちょっと歯切れを悪くしながらも、ティアラはイラディスの感謝を受け取った。




