第一章39 『恐怖に満ちた期待』
一週間が経つ。
今日は金曜日、ティアが情報収集をする日だ。
それが終わり、ティアラは寮に帰ってくる。と、それを見たミファーが目をキラキラさせてティアラに抱きつく。
「わぁ!? ど、どうしたのよ」
「ティアラティアラ! ミファーすごいんだよ!」
「わ、わかったから一回離れなさい」
「わかった!!」
と、そう言ってベッドにダイブするミファー。
「それで、すごいって何かあったの?」
言いながらリーファを見やる。
「取るに足らないと思うけど……」
「ううぇ!? そんなことないもん!!」
「それで? 何があったのよ」
「リーファと帰ってる時にね? 店の屋根の上に鞄が上がっちゃったって困ってる子がいたんだけどぉ」
「ちょっとツッコミたいところあるけど……それで?」
「ミファーが取ってあげたの!!」
すごい、とはならなかった。
それよりもティアラの頭には、どうやって取ったのかという疑問と、屋根の上に鞄が上がった経緯が気になるという思考が蹂躙していた。
「リーファ! ティアラミファーがすごすぎて声出てないよ!」
「ミファーがバカだからじゃない?」
「今ミファーのこと悪くゆったぁ!?」
と、目を見開くミファー。だがミファーはすぐに、『そお言えばティアラぁ!』と話題を変える。
「何よ」
「ティアラのソースって何なの?」
「ソース?」
さっきまでミファーがすごいすごくないと話していたのに、急にソースの話題に切り替わった。
これはまさに――、
「ミファーね……」
「ねぇねぇティアラぁ」
「わ、わかったからちょっと待ちなさい。えっとあたしのソースが知りたいんだっけ? けどあたし、自分でもわかってないのよ」
「ううぇ!?」
ティアラの体を大きく揺らして急かしてたミファーの動きが止まる。
「そんなことあるんだぁ」
と、目を大きくして驚きを噛み締めるミファー。
「そうだ! あたし行くところがあるのよ、ちょっと行ってくるわ」
「行ってらっしゃい!!」
と、元気よくミファーに見送られ、ティアラは部屋を出た。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「…………また持ってる」
フィエリアの部屋に入ったティアラは、思わず眉をひそめた。
最近、フィエリアの部屋に来ると高確率でナイフを手に持っている。
「ティアラ……」
若干の恐怖が走るも、それはもうないに等しい。
やはりこの恐怖は、ティアラの予想通り――、
「もしかして、フィエリアのソースって睨んだ相手を恐怖させる?」
フィエリアの隣に座って、話しかける。
「ぅ、うん……」
「やっぱり。あれよね、睨む強さで恐怖の強さも決まるのよね?」
「あと、遠すぎると効かない……」
「――! それは知らなかったわ」
「…………ティアラは、どうして、その……」
「――? どうしたの?」
ちょっと考える仕草をみせて、フィエリアはティアラを見る。
それにティアラは小首を傾げて見せると、
「えっと、その……」
フィエリアはもう一度視線を落として、黙り込んでしまう。
「別にゆっくりでいいわ」
「うん……」
それからしばらく、フィエリアは口を閉じていた。
だがやがて、ゆっくりと口を開いて――、
「……ティアラは、私のこと、その……どう、思って…………」
る、とまでは言わなかったものの、フィエリアが何を聞きたいのかはわかった。
ティアラは『そうね』、と言って唇を当てて考える。考えて――、
「特別、こう思ってるみたいなのはないわね。リーファにしたことだって、怒ってるしね。けど……」
――――フィエリアの目が、すっと冷めた。
次の言葉を言おうと口を動かしながら、ティアラはフィエリアを見やった。
「――――」
フィエリアの表情は絶望に満ちていた。
その手は、ナイフを握っていた。
勢いよく、そのナイフの先端がフィエリアの喉を貫こうとしていて――――、
「――――ッッ!!!」
咄嗟に、ティアラはフィエリアに飛びかかり、腕を掴んだ。
勢い余ってフィエリアを押し倒す形になるも、ティアラはフィエリアの上に跨って腕を止める。
「――っ何やってるのよバカ!!」
「ティアラには関係ない!!」
「な、なんで、泣いてるのよ」
その頬を、涙が伝っていた。
その声は、震えていた。
その目は、痛みに満ちていた。
「ティアラには関係ないって言ってるでしょ!!」
「フィエリアを死なせるわけにはいかないのよ!!」
「嘘つき! 怒ってるんでしょ!! さっき言ったじゃん!!」
「――――ッ!!」
理解する。
フィエリアをこんな行動に走らせたのは、自分が原因なのだと。
フィエリアが苦しんでいることをわかっていたのに、なんで自分はあんなことを言ってしまったのだろう。
けど、あれには続きがある。だから――、
「放してッッ!!!」
「――っ! ぁ、が……」
――――全力で睨まれた。
息ができない。
ゆっくりと、ナイフがフィエリアの喉に近づいていく。
ダメだ。どうにかしなければ。何かないか、フィエリアの自殺を止める方法。何か、何か――、
「――――ッ!!」
「…………ぁ?」
咄嗟の行動だった。
少なくとも、フィエリアにナイフを放させることには成功した。
だが――、
「ティア、ラ……」
ポタポタと、フィエリアの胸に液体が落ちる。
その真っ赤な染料が、フィエリアの服を赤黒く染め上げた。
「……ぁ、痛っ……ぅ」
ナイフが、ティアラの右手を貫通していた。
痛い。痛い。痛い。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
だけど――――、
「……ぇ?」
ティアラはナイフを引き抜いて遠くに放り投げ、フィエリアを抱きしめた。
「ごめんね、フィエリア」
「なんで? ……私のこと、怒ってるんでしょ? なんでぇ?」
「えぇ、怒ってるわ」
「――っ! やっぱりそうなんじゃん! なら、私はぁ!!」
フィエリアに突き飛ばされる。
だがティアラは、ナイフを取りに行こうとするフィエリアの腕を咄嗟に掴み、引き寄せた。
「ちゃんと聞きなさい!!」
「ぇ……」
「あたしはあんたのこと、怒ってるわ。リーファにあんなことしたのよ? 怒ってないわけないじゃない!!」
「ぁ、ぅ……」
ティアラの威勢の良さに、フィエリアは瞳を震わせてこちらを見つめる。
「けど……けどあたしは、あんたのこと、嫌いじゃないわ」
「――っ!! 嘘、嘘だ! そんなの嘘!!」
「嘘じゃないわ!!」
「嘘!!」
「――っ!! 嫌われたくないって思ってるのは、あんたじゃない!!!」
「――――ッ!!」
フィエリアは、言葉を失った。
ゆっくりと、ティアラから逃げようとしていた体から力が抜ける。
「だって、だって……もう、信じたくなかった、から…………」
信じるということは、期待するということでもあり、そして期待するということはその期待が裏切られることもある。
だからこそ、信じたくないというのだろう。けどティアラは、期待を裏切るつもりなど一切ない。だから――、
「信じなさい。あたしは、フィエリアに死んでほしくないもの」
「そんなの、矛盾してる」
「関係ないわ。あたしがこう思ってるんだからそれがすべてよ」
「…………本当に? 本当に嫌いじゃない?」
「えぇ」
「……なら、好き?」
「へ? ぇ、えっと、ま、まぁ……好きなところも、ないわけじゃないわ……」
頬をほんのりと赤くしながら、ティアラは言う。
その様子を見て確信したのか、フィエリアは目を見開いた。
「…………わ、私、どうすればいいの?」
「え? ちょ、ちょっとフィエリア!?」
突然大泣き出したフィエリアに、ティアラは困惑する。
「だって、ティアラに怪我させちゃった。私、最低だ。ごめん、ごめんなさい、私ずっと不安だからって、ティアラを試してた」
「え?」
「ティアラがなんでここに来るのか、わからなかったから、私のことを思ってだったらいいなって期待して、けど怖くて、仕返するためなんじゃかって」
「ぁ――」
それは、完全にティアラの盲点だった。
だが当たり前だった。自分がいじめていたリーファの友達が、理由も言わず自分に関わってくる。そんなの、仕返しを考えているようにしか思えない。
「だから、心配って言ってほしくて、あれ持ってた」
そう言ってフィエリアが見やるのは、ティアラが遠くに投げたナイフだった。
最近ナイフを持つ頻度が増えていたのは、それが理由だったのだ。
期待と恐怖が入り混じり、ティアラから一言心配と言ってもらい、期待を叶えようとしていたのだ。
けど思わぬ形で、ティアラの怒っているという言葉が、その期待を打ち砕いてしまった。
「気持ち悪いよね。リーファをいじめたくせに、心配してほしいなんて思って、私最低だ。気持ち悪い、やっぱり死んだ方がいい。こんな私、生きてる意味なんかない。ティアラに、怪我までさせちゃった」
大粒の涙が、フィエリアの頬を伝った。
思わず、ティアラはフィエリアを抱きしめる。
「……ぁ、なんで? 私、ティアラにひどいことしたのに? ティアラの友達のリーファにだって、ひどいことした。それなのに、どうして?」
「それはさっき言ったわ。あたしがフィエリアに、死んでほしくないからよ!」
「ぁ……」
ずっと、苦しんでいたのだろう。
全生徒から忌み嫌われる中、唯一関わりにくるティアラの仕返しを恐れ、同時に期待していたのだとしたら、怒っていると聞いてどれだけ胸を痛めただろう。
「あたしも、配慮が足りなかったわ。けどね、あんたが死んだところで、誰も喜ばないわよ。リーファもきっと、逃げたって考えるんじゃないかしら」
「ティアラは?」
「怒るわ」
「ぅ……」
ティアラはフィエリアの両肩を掴んで移動し、顔を見合わせて言う。
「いいわね? もう死ぬなんて考えるんじゃないわよ!」
「ぅ、うん……でも、私、ティアラの手、刺しちゃった」
「あっ、そうだったわね…………あれ?」
見れば、ティアラの血が沁み込んだはずのフィエリアの服は、染み込んだ痕跡がなかった。
いやそれ以前に、ナイフが貫通したはずのティアラに右手には傷がない。それどころか、放り投げたナイフにすらティアラの血はついていない。
「え? ティアラ……?」
「な、治ってる? あっ……」
思えば、この前もティアが紙で切ったはずの指が治っていたように思う。
だが何がどうしてだ。ティアラには、怪我が治る能力などない。それに少なくとも、今までこんなことはなかった。
いやそもそも怪我をしたのが、この前ティアが指を切ったのが久しぶりだ。
ならなぜ――、
いや、今はフィエリアの方ね……
「フィエリア、大丈夫。なんか治ったわ」
「へぇ? そ、そんなのおかしい」
「治ったわ! わかった?」
「ぅ、うん……」
フィエリアを強引に頷かせると、ティアラはナイフのもとへ歩いて行って、それを手に取った。
「この刃物、えっとナーフはあたしが預かるわ。いいわね?」
「ぅ、うん……」
「そろそろ帰らないとだから、あたしは行くわ」
「ティアラ!」
背中にフィエリアの声がぶつかって、ティアラは足が止まる。
「また、来てくれる?」
思わず、目を見開く。
ティアラは微笑みを浮かべて振り返り――、
「えぇ、また来るわ」
そう言って、ティアラはフィエリアの部屋のドアノブを捻り、外へ出る。
と、そこでティアから声がかかった。
『どうなることかと思ったよ……』
「あたしも、あんなことになるとは思ってなかったわ。それにしても……」
右手を自分の前まで持ってきて、ティアラはもう一度よく見る。
「ない……」
『それ、どうなってるの?』
「わからないわ。刺さったわよね?」
『うん! それは絶対! わたしみたいもん!』
『う~ん』と、ティアラは小首を傾げながら小さく唸る。
『そう言えばティアラ、それのことナーフって言わなかった? ナイフじゃなくて?』
「――? 何よそれ。こういう戦いに使わない短剣みたいなのをナーフって言うのよ」
『わたしの世界と違うね』
「そうなの?」
「ティ、アラ……?」
「ぁ……」
一瞬で、背筋が凍った。
ピンと張りつめた空気。息が思わず止まるほどだ。
ティアラはゆっくりと、声の方向へ振り返って――、
「なんで、なんでティアラが、その部屋から出てくるの?」
信じられないと言わんばかりの表情を浮かべ、リーファの金色の瞳が震えながら、ティアラのことを見つめていた。




