第一章38 『矛盾してもいい想い』
「――!――、傷が治ってる」
フィエリアの部屋のドアノブに手を伸ばして、ティアラは気づく。
ついさっき、ティアが図書館の本で指を切った。――はずなのだが、それが今見るとないのだ。綺麗さっぱり治っている。
『え? なんで治ってるの!?』
「あ、あたしもわかんないわよ。なんでなのかしら?」
考えるが、わからない。
少なくとも、自然治癒で治ったとは考えづらいが――――、
「……考えてても仕方ないわ。それより今はこっちね」
ティアラはもう一度周囲に人がいないのを確認すると、ドアノブを捻って中へ滑るように入った。
「また来たんだ……」
「――――っ!」
――――睨まれた。
怖い、とそう思った。
だが最近は初めてこの部屋に来た時より、睨まれる回数も、睨む時の目の鋭さも、生じる恐怖も、下がっているように思う。
その変化が呆れからなのか、それともティアラに心を開き始めてくれているからなのかはわからないが。
後者なら嬉しいと、自分がそう思ったことにティアラは思わず目を見開く。
なによ、それ……
「何しに来たの……」
「別に、なんでもいいじゃない。ここ、座るわよ?」
そう言ってティアラは、フィエリアが座るベッド――その隣によいしょと腰を下ろす。
「今日は刃物持ってないのね」
「別にいいでしょ……」
話すことなど、ティアラはあまり考えていない。
それも当然と言えば当然だ。なにせティアラは、自分がフィエリアに関わる理由を自分でもわかっていないのだから。
つまり、ここに来る目的もわかっていない。
「あなた、いつも何して過ごしてるの?」
「……することなんてない。ただぼーっとしてるだけ」
「ふ~ん」
それを最後に、沈黙が訪れる。二分か、三分くらいだろうか。
やがてフィエリアが口を開いた。
「ティア……あなたは」
「ずっと思ってたけど、別にティアラでいいわよ?」
そう言うと、フィエリアは少し考えて――、
「ティアラは、どうしてその……ここに…………」
「ん?」
「や、やっぱりなんでもない」
ちょっと焦ったように話を切るフィエリア。その横顔を見ながら、ティアラは困惑気味に小首を傾げた。
それからは、たびたび沈黙を挟みながらも会話して、やがて夕食が近づいてきたところで、ティアラは『あたし、そろそろ行くわね』と言って立ち上がる。
「――――」
フィエリアは、何も言わなかった。
ティアラはそんなフィエリアを一瞥すると、背中を向けて振り返ることなく部屋を出た。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「美味しかったねティアラ!!」
「わぁ!? 急に抱きつくんじゃないわよ!」
「ご、ごめん……」
後ろから抱きついてきたミファーの頭頂部にチョップしながら一喝すると、しょぼんとしたミファーが視線を落とす。
「まぁでもたしかに、美味しかったわね」
「――!――、だよね!!」
パァっと一気に表情を明るくして、満面の笑みを浮かべるミファー。
そんなミファーを前にすれば自然と頬が緩む。
「あっ……」
『『ん?』』
と、そんなティアラとミファーの意識と視線は、少し先を歩いていたリーファの方へと移動する。
何やら、思わず漏らしたと言った感じの声だったが、
「どおしたのリーファぁ」
言いながらリーファのもとへ走るミファーを、ティアラは追いかける。
リーファの様子を確認したミファーは、リーファと同じ方向へ体を向けた。その直後、困ったような表情になる。
「どうしたのよ、何が……ぁっ」
ようやく二人のもとまで来たティアラもまた、二人の見る方向へ視線を移動させた。
そしてわかる。この妙な雰囲気の正体。
――――そこには、フィエリアの姿があった。
ただじっと、こちらを見ていた。
「行こう……」
怯えるような、でも同時に憎んでもいるような表情でただ一言そう言って、リーファは自室のドアノブを捻って入っていく。
ミファーは慌ててそのあとを追った。恐らく、リーファを一人にしたくないと思ったからだろう。
いつものミファーならティアラ一人残すようなことはしない。
「ティアラ……」
「ど、どうしたのよ? 部屋の外に出るのは嫌なんじゃないの?」
以前、ティアラが外には出ないのと質問した時に、そう言っていたはずだ。
だがそれもそうなのだ。むしろ、そうじゃないはずがない。
学園中にフィエリアのしたことが広がっている以上、今やフィエリアはいじめっ子というレッテルを貼られている。
学園の全ての人が自分を悪としか思わない。そんな中、わざわざ寮内を出歩きたくはないだろう。それをするのは、かなり辛いと想像できる。
だが今、フィエリアは目の前に立っていて――――、
「あの、その……これ、置いて行った、から…………」
「えっ?」
差し出されたのは、ティアラが最近熱心に読んでいる本だ。
それを見てティアラは自分のポケットを慌てて確認した。
「ない……」
比較的小さめの本だったから、ティアラはいつもポケットに入れていた。
「あっ!」
思い出す。
フィエリアの部屋にいた時、会話と会話の合間に本を読んでいた。恐らく、帰る時にベッドに置いたまま放置してしまったのだろう。
そんなティアラのために、出たくないはずの部屋を出て、わざわざ届けに来てくれたというのだろうか。
もう一度ティアラは、フィエリアを見た。
その表情はどこか不安そうだ。
「ありがと」
「え?」
素っ頓狂な声を出して、目を見開くフィエリア。
そんなフィエリアに、ティアラは笑みを返した。
「フィエリアって、呼んでいい?」
「えっ、と……ぅ、うん」
「ありがと。また明日、そっちに行くから」
「わ、かった……」
そう言って背中を向けたフィエリアが、自分の部屋に入るまでを見送る。
「ティア、あたしわかったわ」
『何のこと?』
「あたしはずっと、人を救いたいって想いから、フィエリアに関わってたんだと思う。けどフィエリアのことは赦せなかった。だから、救いたいと赦せないがぶつかって、自分でも何がしたいのかわからなくなってた。どうりで、フィエリアの苦しそうな顔見てモヤモヤするわけよ」
要するに、ほっとけなかったのだろう。
けどもう、答えは決まった。自分の気持ちに、答えが出た。
「フィエリアは、外に出たくないって言ってたのに、あたしにわざわざ本を届けに来てくれた。やっぱり、完全な悪者なんかじゃ、なかったのよ」
きっとこれは、誰にだって言えること。
誰しも悪いところがあり、でも同時に良いところだって存在しているのだ。
だったらもう、迷う必要などどこにもない。
「フィエリアのしたことを赦すつもりも、赦されるべきだとも思わない。だけど、フィエリア自身は赦されてもいいと思うのよ。だからあたしはフィエリアを救い出したい」
『フィエリアのしたことが赦せないのにフィエリアを救い出すの?』
「たしかに矛盾しまくりね。でもね、これまでは、フィエリア自身にまで赦せない気持ちが向かってた。けど今は違うのよ。フィエリアにも良いところがあるって、わかったから。フィエリアのしたことを赦さないまま、あたしはフィエリアを救い出すわ」
『そっか。まぁ、ティアラが決めたことなら否定しないよ。それよりずっと気になってたんだけど、ティアラのその本なに? なんか難しい内容だったけど……』
「へ!? みっ、見たの!?」
『ん? まぁ、ちょっとだけだけど』
「やっぱりティアが起きてる時はダメね……」
『なんて言った?』
「へふえ!? な、何でもないわよ!! 何でもないからぁ!!!」
そう言って、ティアラは話を強制的に終わらせた。
――――ティアにバレるわけにはいかないのだ。今は、まだ。




