第一章36 『矛盾した想い』
――目を覚ます。
ゆっくりと、体を起こす。
グーっとティアラは伸びをしながら、あの一件を思い出すかのように眠るリーファの顔を一瞥した。
「いてて、筋肉痛……まだ治ってないのね」
五日前、ティアラとミファーはリーファがいじめられているのを目撃した。
あとでわかったが、八月の中旬あたりからずっと、お金を脅し取られたり、サンドバッグのような扱いを受けていたらしい。
犯人の名前はフィエリア・ミーカトゥアヴォーロ。ティアラたちと同じクラスの生徒だった。その行いは先生に厳しく咎められ、一先ずフィエリアは三ヶ月の停学になった。その後学園に残れるかは本人の反省次第らしい。
五日も経てばリーファも少しずつこれまで通りの表情をするようになった。まだ心の中心には恐怖が強く染み付いているかもしれないが、それはゆっくり解いていけばいい。
そう言えば、事件当日からミファーがやたらリーファを気遣っている。最近はだいぶ落ち着いているが、リーファの事情に気付けなかったのが相当ショックだったようだ。
「まぁ、それはあたしもだけど……」
今日は休みの日だ。気楽に過ごそう。
ティアラは喉が渇いてたので、部屋を出て水を飲みに食堂へ向かう。
と、そんな時――――、
「――――」
廊下で、フィエリアとすれ違う。
ティアラはその姿を追いかけるように目を動かした。
自分はおかしいのだろうか。リーファを傷つけた相手だ。それなのにティアラはどこかで、その表情が絶望に満ちていることを心配していた。
フィエリアのやったことは学園に周知されている。
だから、あんな表情をするのもわかるし、むしろそのくらいの苦痛は味わうべきなどと思ってしまう自分もいるのだ。
「でも…………」
自分が何をしたいのかわからない。
答えが出るよりも先に、フィエリアは自分の部屋へ姿を消した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「やったぁ! ミファーの勝ち!」
「ねぇティアラ、さっきからぼーっとしてるけど大丈夫?」
「え? ぁ、えぇ、大丈夫よ……あたし、ちょっと外の空気吸ってくるわ」
十五時頃まで、ティアラたちはトランプをして過ごしていた。
だがその間も、ティアラの頭にはフィエリアのあの表情が過り続けている。気分を変えようと立ち上がり、不思議そうな表情をする二人に背を向けて部屋の外へと空気を吸いに出る。
「――――」
自分は何を悩んでいるのだろう。
リーファをいじめていたやつを心配など、どうかしている。
それなのに、ティアラの視線は無意識にフィエリアの部屋へと向いていた。
「――――!」
気づくと、ティアラはフィエリアの部屋のドアノブを握ろうとしていた。
咄嗟に手を引っ込めようとして、
――――止めた。
何がこんな気持ちにさせるのだろう。
わからない。わからないから。わかるために、だ。
ティアラは意を決して、そのドアノブを捻った。
部屋の中へ入ってすぐに、ティアラは目を疑った。
ナイフを首にあてがうフィエリアが、そこにはいた。
そのフィエリアが部屋の開いた音でこちらを向き、ポカンと口を開けたまま硬直する。
「な、何してるのよ!」
「な、なんで入ってきたの……」
――――睨まれた。
息が詰まる。
膝がガクガクと震えた。
――――怖い。
怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い――――。
怖い。怖い怖い。早く逃げなきゃ、殺される。早く逃げて――、
振り返ってドアノブを掴んだところで、ティアラは動きを止めた。
「逃げ、たら……」
フィエリアは今、おそらく死のうとしていた。
このまま逃げたら、きっとすぐにフィエリアは――、
「なっ……!」
振り返り、ティアラは睨みつけてくるその瞳に視線を合わせた。
予想外だったのか、フィエリアは驚きの声を漏らす。
「何のつもり……」
「そ、そそそ、そっち、そっちこそ、な、何のつもり、よ……」
「……話す必要ある? それより早く出てって!」
「――――っ!」
――――怖い。怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
怖い怖い過ぎる。なんで怖い。なんで、なんでなんでなんで。怖い。怖い怖い。怖い怖い怖い。体が動かない。なんで、なんでだ。わからない。怖い。わからないのが怖い。わからないから怖い。怖い怖い怖い。視界が狭窄してきた。なんで怖い。怖い。怖いのが怖い。怖いから怖い。怖くなくなっても怖い。怖くなくなったら怖い。全部怖い、全て怖い、何もかも怖い、何もなくても怖い。
「――っ、なんで、逃げないの……」
「ぁ……くっ、ぁ……」
――――息が、できない。
「――チッ」
舌打ちと共にフィエリアがティアラから視線を逸らす。
するとティアラの恐怖が、なんで怖かったのかわからないほど綺麗さっぱりなくなる。いや、違う、さっきは睨まれた途端に怖くなったが、睨まれてなくてもちょっと怖い。
「なんで、逃げなかったの……」
「に、逃げたら、あなたが死にそうだったから……」
「――――」
はぁはぁと息を整えながら答えるティアラに、フィエリアは視線をそらして黙ったままだ。
その表情はどこか、怯えているように見える。
「なんで、死のうとしたの……」
フィエリアは、ピクリと肩を跳ねさせた。
なんだが、苦しそうだ。
静寂が一、二、三、四、五、六、七、八、九、十秒と続いて――――、
「……あなた、ティアラにはわからないよ」
「――――ぁ」
その言葉は、ティアラがこの前までずっと思っていたことと同じだ。
苦しみに耐えるように顰めたその横顔は、昔の自分を想起させる。
「また来るわ……」
そう言ってティアラは踵を返す。
正直、フィエリアがリーファにしたことは赦せないし、赦そうとも思わない。だが、このままフィエリアを悪者と決めつけたら、喉に小骨が引っかかるような気がした。




