第一章21 『ティアラ・フォーカム』
「なんで……」
動かない自分の手。
まだ頑張れるのに。そうでなくとも、頑張らないといけないのに。
それすらできない自分に、価値なんかない。
それなのに――、
「なんで! なんで動いてくれないのよ! なんでぇ!」
涙が、溢れ出す。
声が震える。
「頑張らないと、いけないのにぃ……! 動いてよ! 動きなさいよ!」
『ティアラ!』
ティアの声が響く。
それと同時に、ティアラは強制的に精神世界へ連れてこられた。
『な、なに……勝手なことしてるのよ! あたしは、学園に行かないといけないの!』
『もういんだよティアラ』
『良くなんか、ないわよ! どうせあんたもあたしのこと嫌ってるんでしょ! 勝手に期待したくせに失望してるんでしょ!』
『してない!』
『嘘よ!』
『嘘じゃない! ティアラが頑張ってるの、ずっとみてた。みてたんだよ……』
『ぁ……』
涙が、こみ上げてくる。
その言葉が、たまらなく嬉しい。嬉しかった。
けどその気持ちを認めるわけにはいかないのだ。頑張ってなんかいないから。頑張れてなんかいないから。頑張るようなことじゃないから。
してあたりまえのことを頑張っているだなんて、認められるはずがなかった。
『違う、違うわ。あたしは頑張ってなんかない!』
『頑張ってる!』
『なら! ……こんな簡単なことすら、頑張ってもできないって、言うの?』
簡単なことなのに頑張る必要があって、あまつさえそれでもできないのだとしたら、自分の価値はどこにあるのだろう。
『ティアラ、もう休もう?』
『休む? こんなことで?』
『こんなことなんかじゃない!』
『勝手なこと言うんじゃないわよ! あんたは、何も知らないでしょ!!』
『――っ知らないよ!! 知らないから、教えてよ……ティアラが、そんなになっても頑張る理由、教えてよ……』
『ぁ……あたしはぁ!』
涙はもう、こらえることはできなかった。
もうこれ以上、この胸の重みを自分ひとりで抱えるなどできなかった。
感情はとめどなくあふれ出た。止まることなく出続けた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ティアラは自分の両親が国を支える立場にあることを知った時、とても嬉しかった。
だから、その二人に相応しい娘であろうとした。
自分に加護があるとわかった時、それが叶うと思った。なにせ加護は国内でも数百人しか持つ人がいない。
そんな珍しく、さらに強力な力を自分が持っている。その事実にティアラはただひたすらに舞い上がった。
――――けどその希望は簡単に打ち砕かれた。
ティアラの加護は制御が難しかった。周囲にいる人の加護を無差別に無効化するものだった。
剣術は、才能が一切なかった。
だからティアラは魔法だけでもと思ったのだ。けど発動できなかった。ありとあらゆる魔法を試したができなかった。
魔法陣を展開したあとに、消えてしまうのだ。
『ティアラ大丈夫?』
根を詰めるティアラを、レリーファが心配してくれたのを覚えている。
けど――、
『――っ! レリーファ、あたしを見下してるんでしょ! 魔法が使えるからって!』
『違う。私は――っ!』
『帰って!』
家に遊びに来てくれたレリーファを、追い出した。
『さようなら、レリーファ様……』
あからさまに、距離を取った。
疎ましかった。レリーファは魔法がとても上手かったから。
あれ以降、レリーファは家に来なかった。
あたしはただひたすらに、魔法の練習をし続けた。
――何年も何年も。
静まり返った部屋の中、左手の上に開かれた本――魔法のことが書かれたそれを見ながら、ティアラは一縷の望みで一番難しいとされる生成魔法を行うことを決めた。
でも――、
『今度こそ、今度こそ成功させないと……』
視線は本から正面へと移動する。すると深呼吸の音がして、視界が若干上下する。
そして次の瞬間、ティアラの正面に魔法陣が構築される。構築されて――、
『ぁ……』
次の瞬間、魔法陣は消えた。
『なんで……なんでできないのよおおおおおおお!!!!』
悲痛な叫び声が木霊する。
左手にあった本は正面の壁に投げつけられる。続けざまに本棚を倒し、大量の本が床に散らばる。全身鏡を放り投げ、割れた鏡の破片が額に当たって出血する。
ぐたりと、その場にへたり込んだ。
『なんで、どうして……』
額から出血した血が落ちて、床を汚す。かなりの量だ。
涙が、視界を歪めた。
『あたしは、ただ……お母様とお父様に……あの二人の娘として、相応しく、ありたい、だけなのに……』
世界は、残酷だった。
あれだけ頑張り続けていたのに、ティアラには魔法が使えなかった。
だからティアラは相応しくない娘として、最低限の贖罪として、迷惑をかけないように生きることを選んだのだ。
――欲を、封じ込めた。
ひずると出会った時、異世界の人間と知って、もしかしたら自分の苦悩を理解してくれるのではと思った。
けど――、
『……理由、言った方がいいかしら』
『別に言わなくていいよ』
希望はことごとく打ち砕かれた。
その時わかったのだ。自分を理解してくれる人など、いないのだと。
自分の心に嘘をつくようになったのはその時からだっただろうか。
『――――っだから、だからあんたにあたしを心配する資格なんかないのよ!!』
『ないとしても! 私はティアラを救いたい!』
『勝手なこと言わないで! そもそもあたしは助けなんか必要としてない!』
そうだ。助けなど必要ない。
自分は苦しんでいない。この程度で頑張っているなんてことも、この程度で苦しんでいるなんてこともない。
だから助けなど必要ないのだ。
『だったらなんで泣いてるの!』
『泣いてないわ! 泣いてるわけない!』
『泣いてるよ!』
『泣いてないわ! この程度で泣くならあたしは死んだ方がいいわ!』
わかっている。自分が涙を流しているだなんてこと。
だがそれを認められるわけがない。最低限の贖罪すら満足にこなせず、挙句の果てに泣いているだなんて、認められるはずがない。
『ティアラは泣いてるよ。苦しんでるよ。がんばったんだよ!』
『そんなこと――っ!』
『もうやめて!!!』
『――――っ!』
叫ぶようなティアの言葉に、ティアラは言葉を失う。
『もう、自分の心に嘘つかないで……』
『――――。――なら、ならあたしはこんな簡単なことにも苦しくなっちゃうクズだって言うの? ……そうよ、えぇそうよ! あたしはずっと苦しんでたわよ! お母様とお父様に迷惑しかかけないのに、それを最低限に抑えることすら苦しいと思っちゃうクズ野郎なのよあたしは!! なんであたし生きてるのかしら? もういっそ死んだ方がいいわよね? こんなあたし生きてる意味ないわよ。魔法も加護も扱えないくせに、迷惑の塊のくせに、辛くて苦しくて、助けてなんて思ってるのよ? 死んだ方がマシよ。誰も、あたしなんか必要としてないのよ!』
自分の心を直視してしまったら、ティアラにはもう自分を苦しめることしか贖罪方法が残らない。
もういっそ死んでしまおうと思って――、
『わたしは、ティアラがいなくなるのは、絶対やだよ』
『――――っ!』
その言葉に、思考が揺らぐ。
『……あの時、聞いてくれなかったくせに』
『うん、だから今聞かせて。――あの時ティアラが言えなかった想いを』
そして言うのだ。
――――ティアラが今まで一番言ってもらいたかった言葉を。
『今まで独りで、よく頑張ったね、ティアラ』
『ぁ……』
気付いたら声を上げて泣いていた。
感情の波はとどまることを知らず、ため込んでいた想いを吐き出さずにはいられなかった。
『…………頑張った、頑張ってたのよぉ! ずっと独りだった! 独りだったのぉ! 誰も気づいてくれなくて! 辛かったの! 痛かった、苦しかった! なんであたしだけこんな目に遭うのって、ずっと思ってたの! あたしだって! もっと相応しくありたかったの! だから頑張って、頑張ったのになんで! なんでぇ!!』
ティアラの体をティアが優しく包み込む。
それがとても温かかった。
『あたしなんで魔法使えないのよぉ!』
『頑張ったねティアラ。辛かったね』
その肯定が、嬉しかった。
なにも否定せずに、ただ抱きしめて受け止めてくれる。
『誕生日の時も、お母様たちが優しくて……だから辛かったのよぉ! あたしは、なにも返せないのに! なのにあんなにしてくれるからぁ! ごめんなさいって思ってたの!』
『苦しかったよね。えらいよティアラ、ホントに』
涙きそうなティアの声。
共感してくれている。ずっと独りだと思っていたのに、理解してくれる人はこんなにすぐそばにいた。
自分はあんな簡単にティアを見限ったというのに。
『あたしどうすればいいの? 考えちゃうの! みんなあたしのこと嫌ってるんじゃないかって、失望してるって思っちゃうのよ!』
『わたしは知ってるよ。ティアラがすごい頑張れる人だってこと。でも独りは辛かったよね』
『ぅ、うん、辛かったぁ! 苦しかったの! 寂しかったぁ!』
涙枯れるまで、ティアは背中をさすってくれた。
ティアラのずっと偽っていた想いの奔流を、しっかりと受け止めてくれた。やがてそのティアラが落ち着きを取り戻した頃。
『ティアラさ、これからどうしたい?』
『どう、するって……?』
そう言って鼻を軽くすすりながら、ティアラは顔を上げる。
『正直、この先どっちに転んでもティアラは苦しい。けどずっと逃げ続けるより、立ち向かった方がいいとわたしは思うんだよ』
『それって……』
『今度は、わたしがいる。ティアラが何度泣いても、何回でも助けてあげる。だからまた、頑張ってみない?』
『――――』
その提案は、とても重い。
またあの時のように、なってしまうのが怖い。
けどティアラは、やっぱりあの二人に相応しくありたいと思うから――、
『ホントに、何回でも助けてくれるの?』
『一万回でも話聞くよ?』
『……怖い。怖いけど……ぅ、うん、わかった』
このままでいいとは思えなかった。
またあの時のようになるのも怖いけど、このままあの二人の傷であることは、もっと苦しいし怖いから。
あたしはもう一度、手を伸ばそうと思う。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
あのあと、ティアと相談して、しばらく学園を休むことに決めた。
それはティアラにとって、とても怖くて、不安で張り裂けそうなくらい重大な決断だ。
休むことが、さらにあの二人の名前に傷を作るのではないかと、そう思ってしまう。
でも――、
「先生……」
みんなが帰った教室に残っている先生へ、声をかける。
すると気付いたのか、こっちに近づいてきてくれる。
「ティアラちゃん。今日は大丈夫だった? 具合悪いから休むってリーファちゃんたちから聞いてたけど」
「え?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
すぐにわかった。ティアだ。ティアがティアラのために、リーファたちに休む言伝を頼んだのだ。
その優しさに、ティアラは頬が緩んでしまう。
「あの……」
意を決して、ティアラは事情を先生に伝えた。
今学園に通うことが、とても辛いこと。
だからしばらく学園を休みたいということ。
伝え終わると先生が安心したような顔をした。
「よかった。ずっと心配してたの、ティアラちゃん無理してないかなって」
「心、配? なんで、ですか?」
「――? 生徒だからだよ?」
「え?」
驚く。
そして、感情があふれ出すのをティアラは悟った。
「ぅ、うぅ……」
「学園を休むことは私がなんとかするからね」
そう言って先生は抱きしめてくれる。
最初から、独りなんかじゃなかったのだと思い知る。
振り返れば、ミファーやリーファも心配してくれていたように思う。
ずっと誰も自分を理解してはくれないと思っていたのに、実際は違っていたのだ。
――歩み寄ってくれていたのに、歩み寄っていなかったのだ。
寮に帰り、リーファとミファーに事情を話すと、快く受け入れて応援してくれた。
世界が突然優しくなったように感じた。
けどきっと違うのだ。
――もとから世界は思っていたより優しかったのだ。
自分で自分の視野を狭めていただけで、ずっと心配してくれていたのだ。ずっと見ていてくれていたのだ。
――世界は残酷で、でも優しくもあったのだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
ついに山場を投稿できました。ティアラちゃんはあの二人にふさわしい娘になれるのでしょうか。
続きが気になった方は、ブックマークや評価をいただけると励みになります!
また、次回更新から投稿時間を19:30→21:00(※修正:明日のみ19:10。それ以降21:00)に変更します。
今後もよろしくお願いします!




