第2話
夜も更けて、月明かりの淡い光が丘を照らしていた。
ボクは三日前から全く変わらず、膝を抱えて俯いて、瞑想するように目を瞑っていた。
空腹は限界に達している。
栄養が足りなくて眩暈がする。
肉体疲労も凄まじく、油断すればすぐに気絶出来るだろう。
「なぁ、ロゥ。クロさま、腹減ったよぅ……食事しようよぅ……」
ゴロゴロと地面に転がりながら、自生している草をモシャモシャ食べてるクロさんには視線も向けず、ボクは貝のように押し黙る。
「ヴリトラ。貴女、さっきからずっと、お食事してるじゃありませんか。黙って寝ていたらどうですか?」
「カッチーン、だぞ。馬鹿白雪! 眠れないから、起きてるんだろ!?」
ギャーギャー、と不毛な言い争いを始める二人の声を聞きながら、ボクは静かに溜息を漏らす。騒げるだけの元気が欲しい。
「――おい、馬鹿白雪」
「ええ、理解してますよ――ロゥ」
その時、取っ組み合いを始めるんじゃないか、と思えるほどに白熱してた口論がピタリと止まって、二人は阿吽の呼吸でボクを囲んだ。
ピンと張り詰めた空気が肌に痛い。緊張感が漂い始めた。何か危険が迫っているらしい。
「……なに? どうしたの。シロさん、クロさん?」
「敵意があり、武装している集団に囲まれています。賊に対して、遠慮する必要はないでしょう。ちょうどいいので、殺して金銭を巻き上げましょう」
「…………いやいやいや。殺して奪うって発想は、ダメでしょ。それはなしで」
シロさんは嬉しそうな笑みで物騒なことばかり口走る。
その提案に、一瞬だけ思考が付いて行かず、ボクはキョトンとして沈黙するが、すぐに首を横に振った。そんな提案は許容できない。とりあえず、人殺しはしない方向で応じたい。
「おやぁ? 一匹だけ、強力な個体がいるなぁ。アレはクロさまが潰すぞ――食べ物を隠し持ってるかもしれないぜ」
「…………クロさんも、人から奪うって発想はダメです。やめてよ」
クロさんがギラリと正面を睨み付けた。ボクは溜息を吐きながら、やはり首を横に振る。
何度言い聞かせても、二人の根底にある発想は、他者から奪う、一択だった。まったく人間の常識を覚える気がないようで、いちいち説明するのが疲れる。
さて、二人が暴走する前にまず、ボクは相手と交渉できるかどうかを見極めなければならない。果たして、賊なのかどうか――
「あの――ボクたちに、何の用でしょうか? それとも、盗賊さんですか?」
呼びかけながら辺りを見渡す。しかしボクの眼には何も見えない。
夜も遅い時間とはいえ、月明かりが照らす丘の上、見渡す限り遮蔽物もない。隠れる場所などどこにもないし、人を見落とす要素もない。そんな中、動物さえ見えず、気配さえ微塵も感じない。
けれどボクは確信して声を上げる。だって、二人が囲まれていると言っている以上、それは真実なのだから。
「交渉の余地、ありますか? 交渉出来ないと、困っちゃうんですけど……」
ボクは暗闇の中にそう呼び掛ける。すると、ゆらりと空間が揺れた気がした。
「――――全軍、隠蔽解除!!」
何もない空間に怒号が響き、途端、銀色の甲冑を纏った騎士団が取り囲むようにして現れた。
よく響く怒号を上げたのは、正面で剣を抜いた蒼い甲冑の騎士だった。
「貴様らはいったい何者だ!? 何が目的で、このロールの丘で野宿を続けている!? 何を探っているんだ!?」
騎士団の中で唯一の蒼い甲冑を纏った騎士が、カシャン、とフルフェイスの冑を外した。現れたのは、金髪で凛々しい顔立ちをした女騎士である。
女騎士は少し鋭い狐顔をしているが、きっと甲冑じゃなくてドレスを纏えば、どこぞの淑女と思われても不自然じゃないくらいには美人だった。
ま、ボクのリィラ姉さんと比べれば、十把一絡げ程度だが――
「――アルファ国の間者か!?」
ボクはハッとする。一瞬だけ、リィラ姉さんの顔を思い出して呆けてしまった。
女騎士は鋭く厳しい声を上げて、右手の銀剣に魔力を篭めている。銀剣は魔法を通す剣のようで、淡く紅蓮に明滅して、周囲を焼き焦がすような炎を纏った。
「なぁ、ロゥ。ムカつくから、殺しちゃっていいか? クロさまに向かって、まさか炎を見せるなんざ、喧嘩売られて――」
「――ヴリトラ。貴女は黙って草でも食べていなさい。そこの狼藉者には、私が直接、格の違いを思い知らせてあげますから」
「ああぁん!? 馬鹿白雪、テメェ、クロさまの獲物を横取りするつもりか!?」
「逆に問います、馬鹿ヴリトラ。貴女、私の怒りを受け止めるつもりですか?」
女騎士の魔力剣を見た途端、クロさんとシロさんが瞬間沸騰器の如くいきり立ち、凄まじい殺意を放ちながら言い争いを始める。
二人は結構本気の口調である。これはマズイ。
「あ、あの……ボクたちは、人捜しをしてて……宿代がないので、ここで野宿を……」
「――人捜し、だと? 嘘を吐け。人捜しをするのに、どうしてエンドロールの都市で大暴れした? しかもその後、去れ、と言われたにも関わらず、わざわざこんな都市を見渡せる丘で陣取って、通行人に話しかけている!? 何を探っているんだ!!」
「あ、う……そ、それは……事情があって……で、でも、ボクたち、怪しい者じゃ……」
「お前たちが怪しくなかったら、どんな賊だって怪しくないだろうが!?」
ここ数日のボクたちを見ていた様子で、女騎士は有無を言わせぬ正論を吐いた。
ボクはそれに反論する術を持たなかった。だって、それは心の底から、ボクもそう思う。こんなに怪しい三人組はそうそういないだろう。
「だいたい、貴様らは、都市で暴れた際にも、身分証を提示出来なかったと聞いているぞ!? 紛失したのであれば、再発行すれば良いだろうに――身分証の再発行も拒否したのだろう!? 身分を明かせない事情がある不審者――他国の間者か、賞金首、もしくは犯罪者でしかないだろうが!!」
女騎士の言葉は正論による暴力だ。だって、それは仰る通りでしかないのだから。
しかし、ボクたちは揃いも揃って、この外界とは異なるところから来ている。それこそ身分証なんて仕組み自体を知らなかった。再発行が出来るとは思えないし、お金もない。
「ロゥ。下がってください。私が一瞬で蹴散らして――」
「ロゥ、クロさまに任せてくれ。一撃で終わらせて――」
ボクを押し退けて、クロさんとシロさんが女騎士と対峙する。二人のその拳には、目で見て分かるほど強大な魔力が湯気のように立ち昇っている。
このままでは、全員即死だ。止めなければならない。
「――――ロゥ・グロワ・イージスが命じる。二人とも手を出すな!」
「――ハッ! 失礼いたしました」
「――チッ! 悪かったよ、ロゥ」
咄嗟の【強制】に応じて、即座に二人は大きくバックステップして、ボクの後方で膝をついて首を垂れた。拳の魔力は霧散しており、辺りを支配していた殺気も掻き消えている。
けれど、そんな温情もどこ吹く風と、女騎士は魔力を纏った銀剣を振りかぶっていた。
あ、これ、あかんやつだ――二人を止められないかも知れない。
「爆炎流魔法剣、一の太刀」
女騎士の銀剣がボクを目掛けて振るわれて、斬撃が鏡面みたいな炎となって飛んでくる。矢より疾く、砲弾よりも強く、真っ直ぐボクを両断すべく放たれる。
剣の間合いの外なのに、距離感で言えば30メートルは軽く離れているのに、その斬撃は、刹那でボクの眼前に迫る。万が一にも当たれば、ボクなんて即死だろう。
「ロゥが何と言おうが、もう許さねぇよ。死んで後悔するなよ」
「――馬鹿ヴリトラ。周りの連中は私が殺ります」
「――――ダメだってばッ!? って、嗚呼!?」
ボクに斬撃がぶつかるよりも先に、クロさんの繰り出した右ストレートが激突する。
当然ながら、クロさんの燃え盛る拳が勝利して、炎の弾と化した拳圧が女騎士の鎧を貫いた。同時に、シロさんが糸目を見開いたかと思うと、周囲の騎士団全員を氷漬けにしている。
ボクが認識した時には、周囲を囲んでいた騎士団は全滅状態だった。生存者は、かろうじて生きている女騎士だけ。
夜の冷気ではなく、シロさんが展開した絶対凍土の冷気が辺りの気温を数度下げていた。
「……ごっ、ほっ……ぐっ、き、貴様、ら……」
「おお? 咄嗟に魔法剣で防御出来たか? お前、割としぶといなぁ」
「手を抜きすぎでしょう、ヴリトラ? ああ、失礼。その程度の実力でしたね?」
「――クロさまの実力、味わってみるかよ、馬鹿白雪? クロさまこれでも、ロゥが嫌がることはしない主義なんだよ。だから、殺さないよう手加減したんだろが」
「あらあら、それは失礼――でも、殺しても良かったのでは?」
蒼い甲冑は腹部を中心に綺麗に砕かれており、銀剣も剣身の半ばから砕け散っている。
女騎士は立ち上がれず、ゴボゴボ、と血反吐を吐きながら、拳大に空いた腹部の穴を撫でている。回復魔法でも唱えているのか、腹部からは優しい光が漏れていた。
少しだけ安堵の息を吐く。致命傷かも知れないけど、生き残ってくれて良かった。
「あのさ、女騎士さん? ボクたち、本当に怪しい者じゃないよ。ちょっと事情があって、遠い国からやってきたから、身分証を発行出来ないだけだよ」
「ぐっ、ゴホゴホ――化物、どもめ……」
話し合いに応じてくれない様子の女騎士に、クロさんとシロさんがヌッと前に出る。それを必死に手で制して、ボクが話すと主張した。
二人じゃ人間らしい交渉ができやしない。
「ボクたち、困ってるんだ。身分証って、出生地とか、名前とか、年齢とか、身分証番号? とかを、ギルドとかいうところに登録しないといけないんでしょ?」
「……あ、当たり前……だろう……が……」
「そうするとさ。ボクたちって、実は、出生地が『エンシェント・イージス』なんだよ」
素直に真実を口にする。途端、女騎士は露骨に苛立った表情で唾を吐く。
「――夢の、理想郷から来た、だと? 馬鹿に、する……なよ?」
ほら、この反応だ。ボクは溜息を漏らす。
正直者のボクからすれば、嘘は言いたくないから、真実を口にするのに、誰もがそれを信じてくれなかった。だから、身分証の再発行も試す気にもならなかった。
ちなみに、このやり取り、異なる門番数人と既に五回以上繰り返している。そのたびに同じ顔をされて、挙句には、出禁にされたのだ。だからもはや街に入ることも出来ず、諦めてこの丘に居る。
「もういいじゃん、ロゥ。ここにさ、馬鹿白雪が凍らせた騎士がいっぱい居るんだから、誰かの身分証を奪えば良くね?」
ガキン、と軽くノックする要領で拳をぶつけて、クロさんは氷漬けの騎士一人の腕を粉砕させた。パラパラと氷の破片と、腕の肉片、血が飛び散った。
「あ、思ったより脆かった。ごめんごめん、ロゥ――おい、馬鹿白雪、強度が足りないだろ!?」
「ヴリトラの馬鹿力を、私の責任にしないでください。ま、命に別状はないでしょう。片手がなくなった程度です」
「――二人とも、ごめんだけど、ちょっと黙ってて」
はぁい、と口を噤む二人を横目に、少しだけ血色が戻ってきた女騎士に向き直る。
「ねぇ、女騎士さん。ボクたち、困ってるんだ。怪しくないのに、こうやって襲撃されるし……身分証も手に入らないし……なんとか、できませんか?」
「……クソッ……脅し、か……」
「いやいや、そんなつもりは――でも、いまならまだ、周りの騎士さんたち、死なないで済みますよ?」
本当の本当に、ボクは心の底から人死にを出したくはない。けれど、リィラ姉さんを探す為ならば、いくらでも悪役になれる心構えでもある。
ここ三日で、出来ることはやり尽くした。それでもリィラ姉さんの足取りが掴めなかったのだ。こうなったら、もう次のステップに進むしかないだろう。
「なるほど。効果的に脅すには、こうすれば良かったのですね? 流石、ロゥ、私の婚約者です」
「おいおい、馬鹿白雪。ロゥが凄いのは最初からだぞ? つか、勝手に婚約者面してんじゃねぇよ。クロさまがロゥの伴侶だっつの!」
「……愛人二号さんは、嫉妬深くて嫌ですね」
「……正妻にでもなったつもりかよ、馬鹿白雪」
背後で言い争う他愛無い口喧嘩を無視して、ボクは女騎士をジッと見詰めた。
きゅるん、と瞳を輝かせながら小首を傾げれば、女騎士は苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
なんて失礼な。
「……皆を、助けられる……のか……?」
「勿論! 大丈夫だよね、シロさん?」
満面の笑みで振り返って、シロさんを見た。
シロさんは、ええ、と強く頷いてから、すぐ傍の氷漬けの騎士の首筋に、スッと手を向けていた。ちょっと握り締めれば、一瞬で首が粉砕されて落ちるだろう。
女騎士さんは観念した風に俯いて、塞がった腹部を見ながら、舌打ちをしていた。
「事情を、聞こう……とりあえず、皆を助けてくれ……」
「誓約は? 貴女が、私たちを無事に街へ招き入れるという保証を頂きたいです」
「…………『誓約』、我は貴様らの事情に最大限配慮することを誓う。対価として、貴様らは我の仲間を助けることを誓え」
シロさんの指摘に、女騎士は歯噛みしながら流麗に魔力を紡いだ。その誓いの言葉は空中に魔力文字として浮かび、女騎士の同意で光り輝く。
「『誓約』、ボクは女騎士さんの仲間を助けることを誓う。対価として、ボクたちを助けることを誓え」
ボクの同意に、浮かび上がった魔力文字がいっそう光り輝き、弾ける。弾けた光はボクの心臓と、女騎士の心臓に巻き付いた。
これで誓約を違えた場合、破った側の心臓が破裂する。逆に、誓約を果たした場合、光は霧散する。
「さぁ、シロさん。注意して元に戻して――」
「――かしこまりました。ロゥ」
シロさんが頭を下げるが否や、一面の氷が一瞬にして溶けた。
辺りは途端に水浸しとなった。そして、気絶した騎士たちはみな丘の上に転がった。
かろうじて死んでいない。ボクは人知れず安堵した。これで心臓の光は霧散した。




