第9話
人喰いの森の出口までやってきて、ボクはどうやって馬車を呼ぼうか、と悩んでいた。
傍らのシロさんは涼し気な顔で、日が落ちて暗くなり始めた空を見上げている。雲間から顔を出す月が綺麗だ。
「そう言えば、帰り道のことはダフネさんに聞いてなかったね……」
「ええ。けど、迎えは別で用意している、とか言っていた気がしました。ここで待っていれば、やって来るのでは?」
シロさんはサラリとそう言って、ボクの手を握ってくる。ひんやりと冷たい。けど、温もり以上に安心感はあった。
しばらくその場で呆けたように迎えの馬車を待ってみるが、しかし誰も現れる気配はない。気付けば、辺りは真っ暗で、月明かりだけが足元を照らしてた。
うん、もう三時間は待った。これで迎えが来ない、ということは、きっとダフネさんには、何らかの帰還手段があったのだろう。いまから聴きに戻ろうか、悩ましい。
「……一向に来る気配ないし、待ってても無駄な気がしてた……シロさんから見て、遠くから何か馬車とか来てそうだったりしない?」
「いませんね。少なくとも、私が感知出来る範囲には、人の気配がありません。けれど、野生動物はいますので、食事するのであれば狩りをしてきますが、どうします?」
「いやいや、シロさん? 待ち惚け喰らっている状況で、狩りをする、って発想は、なかなか、ないかなぁ……」
「そうですか? そろそろ晩御飯の時間かな、と思ったのですが……ロゥが良いなら、良いですよ」
さて、そんないつもの問答は置いておいて――とにかく周辺には誰もおらず、迎えもちょうどいま向かって来てるとかじゃないことが分かった。シロさんの感知範囲は、軽く半径2キロを圏内として掌握出来るほどだ。そんな範囲内に、少なくとも人の気配がない、と断言されてしまったのであれば、もう待つのは無駄でしかない。
はぁ、とボクは空を見上げて、雲に陰った月を眺めた。ここで野宿は嫌だなぁ。
「方角は……月の位置から分かるから、戻れなくはない、んだよなぁ」
独り言ちた。距離感は分からないけど、方角さえ分かればなんとかなる。ただ、移動手段が限られているから、どうするかな。
ボクは悩まし気に頭を掻いた。移動手段も別に、なくはない。だけど、積極的には使いたくない。
「ロゥ? どうしましたか? ここで野宿しますか?」
「しません――いや、ね? こっから多分、そっちの方角に進めば、街に戻れるはずなんだよね。街道がないし、なんか山みたいになってるから分かり難いけど、馬車から降りた時の感覚と、去って行った方角からすると、恐らくは……」
「流石、ロゥ! 素晴らしいです!! ええ、ええ。間違いなく、そちらの方角からヴリトラの魔力が感じられます。距離も、20キロくらいでしょうね! それほど遠くはないです」
シロさんが糸目のままで飛び切りの笑顔を魅せてくれた。だが、ボクはその笑顔に渋面を向けざるをえない。知ってたなら、早めに言って欲しい。
ボクは用事が済んだらすぐに帰りたい派である。リィラ姉さんを一刻も早く追いたいのだから。
「シロさん……クロさんの位置が分かるなら、どうやって帰るか考えよ?」
「あら? 歩いて行けば良いでしょう? 月明かりに照らされた二人のお散歩デート。とっても素敵ではありませんか?」
「いやいや、シロさん? 歩いて戻ると、何時間かかるのさ? それじゃ月明かりどころか、朝日が昇って来ちゃうよ」
「疲れたら休憩しましょう。私は大丈夫ですよ? ねぐら以外でも、ロゥの性欲の赴くままに――」
はぁ、とこれ見よがしに溜息を漏らして、ボクはそれ以上、シロさんの言葉を聞くのを辞めた。
はてさて、ここから戻る方法は、徒歩を論外としたら二つある。どちらにしろ、シロさんに協力してもらうのだが、どうしよう。
「シロさん……ボクを乗せてくれませんか?」
恐る恐ると、無難な方法を提案してみた。するとシロさんは一瞬固まって、次の瞬間、薄目を開けて頬を赤らめた。
あ、これ、間違いなく勘違いしてる。
「ええ、ええ。勿論、お乗せしますよ。そうですよね。私が上だと、ロゥの背中が汚れてしまいますし、私も初めては、ロゥに責められた方が――」
「はいはいはい、シロさん。それは勘違いです。ボクが言ってるのは、ここから戻るために、シロさんを足にしたい、という至って利己的で自分勝手なお願いです」
「――は? 嗚呼、つまり、私に騎乗したい、と? まぁ、それも吝かではありませんね。身も心も結ばれるのが最終ではありますけど、まずは私を自由自在に使役する、ということですね? 夫たるもの妻の手綱をしっかり握る必要がありますものね?」
「……間違ってはいないけど、言い方が変だよ」
シロさんは一瞬だけ落胆したが、すぐに手をポンと叩いて、意味不明なポジティブシンキングを見せていた。表現方法がいちいち不思議だが、それは事実である。ボクは困り顔で頷いた。
すると、やはり想像通りに、何の躊躇もなく衣服を脱ぎ始めて、真っ裸になる。慌てて背中を向けた。
「シロさん!? どうして脱ぐのさ!?」
「あら? 当然ではありませんか、ロゥ。だって、服を着たままでは、破れてしまいますよ?」
「だろうね!? けどごめん、シロさん。ボクは、シロさんにおんぶしてもらいたいんだよ! 竜化はしなくていいです!!」
目をギュッと閉じて、ボクは叫んだ。背後で膨れ上がるシロさんの気配と、放たれる凄まじい冷気が、ピタリと止まる。理解してくれたようだ。
「おんぶ、ね。なるほど。私に抱き抱えて欲しい、抱き締めて欲しい、と。それならばそうと、最初から言ってくれればよいのに――相変わらずロゥは、焦らすのがお上手です」
「……そんなつもりは毛頭ないけども……とにかく、服を着てください!?」
「ええ。仕方ありません。私もロゥ以外の他人に裸を晒す趣味はありませんからね」
背後で衣擦れの音が聞こえる。良かった、と安堵した。何とか説得出来たようだ。
「そうと、決まればロゥ? ほら早く、私に捕まってくださいませ」
ボクの前にシロさんが回り込んでいた。両手を広げて、抱き付け、という態度だ。おんぶ、と伝えたはずだけど、どうして正面から向かい合うのか、とっても謎である。
「シロさん? ボクがお願いしたのは、おんぶ――」
「――ロゥ? 早く、私に捕まってくださいませ」
シロさんが有無を言わせぬ威圧と、半眼で睨みつけてくる。否、睨みつけるというよりも、微笑しているのだが、いっそう威圧感を高めている。もはやこれは強迫でしかない。
まあ、逆らう気などないけども――ボクはシロさんに抱き付いた。
「良い匂いです、ロゥ。もっと強く抱き締めてください――」
「――むぎゅぅ!?」
シロさんがボクの顔に薄い胸元を押し付けてきた。相変わらず、見た目からは想像できないほど強い力である。
息苦しい、とシロさんの腕を叩いた。けれど、それを抑え込み、ギュッと抱き締めてくる。
「シ、ロ……さん、死ん、じゃう……死んじゃうよ……ギブ……ギブ、アップ」
「――ハッ!? 失礼しました。ロゥの抱き心地が最高過ぎて、夢中になってしまいました」
「……はぁ、はぁ……危なかった……」
ボクの顔が蒼白になっていることに気付いて、やっとで力を緩めてくれた。ボクは息も絶え絶えに、呼吸を落ち着かせる。
「それでは、ロゥ。行きますよ。舌を噛まないようにしてくださいね」
ボクが落ち着いたのを見てから、シロさんはスッと足の下に腕を入れた。そのまま軽々とボクを持ち上げてお姫様抱っこする。慌てて、シロさんの首に腕を回した。
次の瞬間、凄まじい速度でシロさんが走り出した。
まるで風になったような速さで、周りの景色が高速に過ぎ去っていく。轟々と耳元では風切り音が響いている。
舌を噛まないようにギュッと口を閉じて、眼が痛くなるので瞼も閉じた。肌に感じる風圧と、聞こえてくる風切り音が凄まじい。
「――ロゥ。付近に、巨大な猪が居ますね。食事しますか?」
「…………」
耳元で囁かれたシロさんの台詞に、即座に首を振った。
野宿してる訳でもなければ、お腹が減ってて死にそう、ということもない。いまは一刻も早く、クロさんが待ってるエンドロールの街に向かって欲しい。というか、この状況で質問自体しないで欲しい。舌を噛んでしまう。
「ふむ。あの山を一つ、駆け抜けた方が疾いかも知れませんね。ロゥ、少し速度を上げますので、もっとくっ付いて頂けますか?」
不穏当な台詞だが、ボクに選択権はない。言われるがまま、振り落とされないようギュッと強くシロさんの身体にくっ付いた。抱き心地はひんやりしている。
「ぁぁあ――いいですね、ロゥ。幸せホルモンが分泌されてるのを感じます。嗚呼、このまま、どこかで契りを結びませんか? 街に戻るのは、その後でも問題ないでしょう?」
「…………」
シロさんがトロンとした声で、そんな世迷い事を口走っている。
ボクはそれどころじゃないし、了承は絶対にしないのに――勝手に一人盛り上がって、はぁはぁ、と興奮し始めている。正直、本気で引くほど怖い。
けれど、残念ながらいまのボクにこれを否定する余裕は一切ない。だって、シロさんが興奮すればするほど、駆け抜ける速度は加速していき、身体に掛かる遠心力は倍化していく。もはや堪えるだけの銅像になった心積もりである。
「ロゥ? ちょうどそこに、良さそうな洞窟がありますので、寄ってもいいでしょうか?」
「…………」
耳元に冷たい吐息が届く。抱き締める腕に力がこもり、興奮はいっそう強くなっている様子だ。
いや馬鹿だろ、とボクは強く思考しながら、一瞬だけ拒否の意思を篭めた首振りをする。それが精一杯の抵抗だった。
「……え? 駄目、ですか?」
瞬間、ボクの反応にようやく気付いたか、シロさんは速度を落としてくれた。駆け抜ける脚が止まった訳ではないが、興奮していた数秒前と比べれば、十分の一以下に落ちているだろう。
身体に掛かる風圧や、聞こえてくる風切り音が、かろうじて喋れる程度には落ち着いていた。
「だ、駄目に、決まってる、でしょ!? それと……死んじゃう、から……もうちょっと、ゆっくり……」
「え、でも、ロゥ。もうこの山を下ったら、すぐに街へ着いてしまいますよ? 街に着いてしまったら、馬鹿ヴリトラが――」
「――え? もう、街に、着く、の?!」
ハッとして、ボクは目を見開いた。少し風圧が目に痛かったが、この程度ならば問題はない。
走り出してからまだ、ものの五分程度しか経っていない。馬車で移動した時は、寝てしまっていたので正確な時間は分からないけど、馬車から降りた時見た陽の高さから推測すると、軽く三時間近くは掛かっていたはずだ。
それが、もう、街に着く、という衝撃に、腕を緩めて周囲を見渡してしまった。
「ロゥ!? 危ない――」
「うぇ!? あ、ちょ、マジかっ!? あぶ、っ!?」
シロさんの首から手が離れた瞬間、慣性の法則に従って、ボクは身体が宙に投げ出されてしまった。
しかも不運にもここは、断崖絶壁にある細い獣道だった。チラと一瞥した眼下には、鋭い岩肌と奈落を思わせる谷間が広がっていた。
あ、こりゃ死んだな――と、ボクは身体を硬直させて、とりあえず落下の衝撃を抑えるべく丸まった。
「――凍れ!」
しかし、そこは流石のシロさんである。ボクが丸まったのを見てから、氷の魔術を発動させていた。一瞬で編まれた極大の魔力が、崖からボクの方まで真っ直ぐに氷の足場を造り出す。
「――痛っ! つ、冷たっ!?」
おかげさまで、谷底への落下は何とか防げて、氷の足場に転がった。だけど、氷の足場はとんでもなく冷たくて、身体を打ち付けた痛みよりも、凍傷しかねないその寒さで悲鳴を上げる。
ボクは慌てて身体を起こすと、慎重に崖まで駆け戻る。シロさんは下手に動かず、そんなボクを待ってくれていた。
「ふぅ。心配しましたよ、ロゥ。何をいきなり手を離すんですか? 私にしっかりくっ付いていてくれないと困ります――流石に、ここから落ちたら、ロゥでも大怪我しますよ?」
「いや、いや、いや、シロさん? こっから落ちたら、ボクは間違いなく死んでます」
「……そうでしょうか? まあ、それはそれとして、洞窟はそちらにあります。休憩しましょうか?」
獣道まで戻って来たボクの手を掴んだシロさんは、右手奥、木々の生い茂った森の中にある洞窟を指差した。その戯言を無視して、ボクは遠目に視える街の明かりを確認する。
「――あ、本当だ。あれ、エンドロールの街だよね? 手前の丘って、ボクたちが居た場所だし……」
「ええ、そうですよ? ですので、戻る前にそこの洞窟で休憩がてら、熱い契りを――」
「あのね、シロさん!? さっきからそうだったけど、ちょっと興奮し過ぎだよっ!? ボク、死にそうになったんだよ!?」
シロさんの平然とした態度に、ボクは憤慨してます、と怒りをぶつけた。けれど、キョトンとした糸目のまま、首を傾げながら口だけの謝罪をされた。
「失礼、しました? けれど、ロゥとくっ付いて、興奮しないのは不可能ですよ? あと、ロゥが私と一緒に移動しているのに、死ぬことはあり得ませんよ?」
「……うん。まぁ、そうだよね……」
言うだけ無駄か、とボクはすぐさま引き下がる。
分かっていたことだけど、シロさんに悪気はなかったようで、ボクの怒りは通じなかった。さて、切り替えよう。
「それでロゥ、休憩――」
「――ここまで来たら、あとちょっとだ。シロさん、悪いけどここからは、ゆっくりペースで向かってくれない?」
シロさんの言葉を遮って、ボクは首に手を回して抱き付いた。途端、シロさんが薄目を開けて、嬉しそうに頷いてくれた。
「ええ、ロゥ。了解いたしました。それでは、ロゥを堪能しながらゆっくり向かいましょう」
「うん……あと一時間くらいで、着けばいいよ」
ボクは一応、時間指定の釘刺しだけする。これで、無駄に時間を掛けないはずだ。
シロさんがボクを抱え上げて、またお姫様抱っこしてくれる。少し恥ずかしいけど、もはや諦めているので何も言わなかった。




