第7話
身体が優しく横に揺られる。耳元にこそばゆい吐息が掛かっていた。
「リィラ、姉さん!?」
ボクはハッとして目を醒ます。
周囲を見渡して、しかし求めていた姿がなかったことに落胆する。ちなみに、ボクを起こしたのはシロさんだった。
ここは馬車の中で、動きは既に停まっていた。どうやら目的地に着いたらしい。
「……緊張感がなさすぎるだろう。ここからが、人喰いの森だ。移動は徒歩になる」
呆れ顔のダフネさんが、言いながら馬車を降りて行く。ボクは寝起きの頭を振って、シロさんに手を引かれながら馬車を降りた。
目の前には、陽射しさえも遮るほど深く暗い森が広がっており、なるほどいかにも怪しい連中が根城にしそうな雰囲気があった。けど、腐った空気は漂ってないので、ただただ不気味な森、という印象である。
「あ、ところで、ダフネさん。ここはどうして、人喰いの森、って呼ばれてるんです?」
たった一人、蒼い甲冑姿で堂々と森の中を先行し始めたダフネさんに、ボクは疑問をぶつけてみた。人喰いとはそもそも穏やかではない名称だ。恐ろしい何かが巣食っているのだろうか。
いや、まぁ、一番恐ろしい化物は、間違いなく傍らに居るシロさんだろうけど。
「――森の主が、人を喰らう虎のような魔物なんだ。だから基本的には、誰もここには寄り付かない。魔物は退治しようにも、逃げ足が速くて――」
「――おい、私たちを貶めるつもりなのかも知れませんけれど、そんなに出鱈目ばかり言ってると、その口を凍らせてから、四肢を引き千切りますよ? ロゥも、適当な嘘には騙されないでくださいね?」
ダフネさんの説明に被せて、シロさんが冷ややかな殺意をぶつけていた。その全身からも、冷気が漂っており、周囲の木々を少し凍て付かせていた。
何が嘘なのかな、と首を傾げつつ、どういうことかダフネさんの弁明を待った。
「失礼した……そうだな。実は、人喰いの魔物は、古城跡に封印されている。馬車の中でも補足で説明したが、盗賊団の首領の最後の手段とは、この魔物を解放することで――」
「――もう、結構です。ここまで嘘を吐き続けるということは、もう初めから、私たちに真実を説明するつもりがない、と言うことですね? 何が目的か全く分かりませんけれど、分かりました」
「…………ど、どうしたのさ、シロさん?」
「ロゥ。私に、魔力を解放する許可をいただけませんか? 時間の無駄なので、いっそこの森全体を一瞬で凍り付かせて見せましょう」
シロさんはふと立ち止まり、先行するダフネさんを見限って、ボクにそんな許しを求めてきた。理由が不十分過ぎて、許可なんかできるはずはない。
ボクは混乱する頭で、どういうこと、と首を傾げる。話が全く掴めない。
「まず、この森には、彷徨いの術、どころか、魔術の類は一切施されておりません。また、盗賊団が居るという設定の古城跡ですけれど、いま私の感知出来る限りだと、武装した騎士が百名ほど駐屯しているように思えます。これについて、弁明は?」
「…………」
シロさんの問い詰めるような口調に、ダフネさんは顔面蒼白になりながら押し黙った。無言だが、図星、とその双眸が何よりも雄弁に語っていた。
ボクは、それ本当、と疑いの眼差しをダフネさんに向けつつ、シロさんに腕を引かれるまま後退る。
これはつまり、ボクらを排除する為の罠なのだろうか。それにしては、短絡的過ぎる気もする。
「ロゥ。そういう訳で、これは何らかの罠と断定いたします。ということは、殺しても良いですよね?」
「……いやいや、だからね? 殺すのは駄目でしょ。そもそも、どんな罠だろうと、シロさんなら何の問題もないでしょ? しかも、事前にもう分かってるんだから……」
どこか拗ねるような口元をするシロさんだが、拗ねたいのはボクである。
いちいち釘刺しをしないと、何でもかんでも圧倒的な暴力で解決しようとする気質は何とかして欲しい。もう少し人間の常識を持ってもらいたい。
とはいえ、ダフネさんの嘘を暴いた今、一番の問題は、罠云々ではない。どうして、ボクたちをここにおびき寄せたのか、ということだ。
もし万が一、この罠がボクたちを仕留めるつもりの策略であれば、ちょっと甘すぎるし、あまりにも杜撰すぎやしないだろうか。
もしかして、シロさんとクロさんを舐めているのかな。
「ねぇ、ダフネさん。ボクたちは、言われた通りに『ドノバン盗賊団』とやらを退治するよ? だから、そこに関する嘘は辞めて欲しいんだけど? これは、どういうことなの?」
「――すまない。実はドノバン盗賊団というのは、もともと我が騎士団の出身で、親衛隊に所属していた連中でね。しかも護衛騎士は、現エンドロール騎士団長なんだよ。奴らは、首領と副首領に唆されて、アルファ国に買収されてしまったようなんだ……こんな我が騎士団の恥部、エンドロールの裏事情を、貴殿たちのような冒険者に説明するのは、領主さまより止められていたんだ」
「――それはつまり、盗賊団を退治するという名目ではあれど、ただの内輪もめ、ということですか? コロコロと理由を変えて、私たちを騙そうとしているようにも思えますよ?」
「…………騙すつもりは、ない」
シロさんの殺気に震えながら、ダフネさんは俯いていた。どうでもいいけど、ボクたちは結局、何をすればよいのだろうか。
「それで? 古城跡に居座っている騎士たちは、殺してしまって良いのでしょうか?」
「駄目だよ、シロさん? 殺しは御法度――」
「――全員、殺し切って欲しい。奴らはもはや騎士ではない。盗賊団を名乗っている以上、退治されてしかるべきだ」
シロさんはボクに問い掛けて、ダフネさんはシロさんに懇願している。
それにしても、ダフネさんの懇願は理解出来なくはないが、かなり物騒な考えだろう。ボクとしては絶対に拒否したい。
「退治はしますよ? けど、殺しはしません。シロさんなら全員を殺さず、無力化できますよ?」
「それでは困る。生かしておくわけにはいかない。どうせ死刑となる連中なのだから、ひと思いに殺して欲しい」
「……いや、そう言われても、殺しませんよ? シロさん、全員、殺さないように手加減して、気絶させておいてよ――出来るよね?」
「当然です。かしこまりました――殺さないのであれば、魔力を解放する必要はありませんね」
つまらなそうに溜息を漏らしてから、シロさんはスッと前を見据えた。ダフネさんの立つ森の奥には、目を凝らすと微かに見える古城の面影が視える。
どうやら、そこが目的地だと思われた。
「ところで、事前に説明のあった首領と副首領、守護騎士とやらはここに居ない様子ですが? あの話も嘘だったのでしょうか? 私たちを誘き寄せる口実でしたか?」
細めた糸目を少しだけ開いて、シロさんがダフネさんを一瞥した。
え、そうなの、とボクは思わず問い掛けるが、驚きはダフネさんも一緒だった。馬鹿な、と口汚く否定の言葉を吐いていた。
「それはあり得ない。首領と副首領は必ず、あの古城跡に居るはずだ。だから、こうして我がここまで、足を運んで――」
「――嗚呼、結構。退いてくださいませ。一瞬で終わらせますわ」
シロさんが目をクワッと見開いた。
碧い光を放つ二つの翠玉が真っ直ぐに古城跡を捉えており、ユラリと右腕が上がった。ボクは慌てて頭を下げつつ、シロさんの背中に回り込む。
その掌の射線上に居たら、問答無用に凍り付いてしまう。
「っっっ――はぁあ!?」
「あら、思ったよりも反射神経があるのですね?」
ダフネさんを射線上に残したまま、シロさんの絶対零度の氷雪魔術が放たれた。
けど、ダフネさんもそれなりの強者だったようだ。ギリギリで魔術の軌道を読み切り、横っ飛びで倒れ込むように避けていた。一度、丘で味わったことがあるから、挙動を覚えていたのだろう。
「…………はぁ……空気が、冷たいなぁ……」
はてさて、一瞬にして目の前は、一面銀世界と化していた。
光の届かない暗い樹海が、氷柱だらけで雪塗れ、地面は表面が凍り付いた状態になっている。シロさんが放った魔術は、真っ直ぐに古城跡までの道を凍らせて、空気中に雪まで振らせていた。
そんな光景を前にして、ボクは現場の被害状況を確認する為、森の奥へと足を踏み出す。
ツルツルして滑りそうになるが、そこは慣れたもんだ。すぐ後ろをシロさんも付いてくる。
「……それにしても、恐ろしい威力だよねぇ……これで魔力解放してないんだから、シロさんもクロさんも本当に危険だよ」
「あら? ロゥに褒められるのは嬉しいのですけど、この程度は正直、多少腕に覚えがあれば、割と誰でも出来ることですよ?」
「…………それが謙遜じゃなくて、本当にそう思ってるところは、質が悪いと思うよ?」
シロさんの感覚は、たぶんだいぶ狂っている。だって、この程度、という表現で、数百メートル以上の空間を一瞬にして氷の世界に変えられる魔術師はいない。
まあ、シロさんの正体を考えれば当然ではあるけども、ちょっと人外過ぎる強さである。
「な、何が、起きた……んだ……」
「凍える……寒い……」
「た、助けて……いったい、どうして……こんな……」
古城跡に辿り着くと、見事なまでに氷の城と化していた。
その入口付近では、門番か見張りか、五名の騎士たちが、全員、脚部を凍らされており、動けず氷の彫刻になる寸前で震えていた。
良かったぁ、と安堵する。とってもちょうどいい塩梅で手抜きしてくれたようで、死傷者は出ていなさそうである。
「これで、とりあえず城内の騎士たちも、凍っているはずですけれど? 盗賊団はこれで壊滅――依頼は完了ですか?」
「いや――探し物がある。城内に入ろう」
「探し物? なんのことですか?」
遅れてやってきた蒼い甲冑姿のダフネさんは、感謝や驚きの言葉を放つより先に、城内に駆け出していた。これはもしや、また嘘を吐かれたのだろうか。
ドノバン盗賊団を退治する、という目的のはずなのに、何を探すというのか。
ボクもいい加減、状況に付いて行きたくなくなってきた。
「……けど、仕方ない。行こうよ、シロさん」
「ええ。ロゥ、足元に気を付けてくださいませ」
「――――早く来てくれ」
サッサと先行するダフネさんは、当然のようにボクたちに同行を強要してきていた。はいはい、とおざなりに返事をしながら、氷山の洞窟みたいになった城内を歩いて行く。
どうやら廊下の松明はつい先ほどまで灯っていた様子だが、いまやシロさんの魔術により消えていた。
「宝物庫は、地下か――こっちだ」
先行するダフネさんは、そんな独り言を呟きながら地下に続く階段を発見して、警戒もなくすぐさま降りていく。薄暗い城内を、まるで長年住んで熟知した屋内のように迷わず進む様は、今までの言動から考えても怪しかった。
けれど、どれだけ怪しかろうとも、とりあえず騙されることに決めたボクは、ダフネさんに従って後を追った。ちなみに、地下の方はどうしてか、シロさんの魔術の影響を受けておらず、壁も凍ってなければ空気も冷たくなかった。
「なるほど――どうやらこの地下に、噂の首領とやらが居そうですよ、ロゥ。念のため警戒してください。事前に、魔術的な結界が張られていたようです。私の魔術を中和するだけの実力者が居ます」
「……え? 中和、って、さっきのシロさんの魔術を、相殺させた、ってこと?」
「ええ、そうです。まあ、それくらいはさして驚くことではありませんが――それよりも、地下全体を覆っている魔術的な結界の質が、驚くほど精巧ですね。少なくとも、雑魚ではないようです」
「……ぇぇええ……それ、シロさんが、手加減なしでやらないといけないレベル?」
嫌な予感に顔をしかめた。すると、シロさんが不敵に笑いながら、首を横に振る。
「いえいえ、まだまだこの程度では、英雄と呼ぶには力不足でしょう。そうですね……相手のことを過大評価して見ても、魔力解放せず、五分程度の力で充分ですかね?」
それを聞いて、ボクは何一つ安心できなかった。
だって、シロさんの五分程度の力ってことは、ボクの王国で言えば、極大魔術を操る大魔術師レベルと同格という意味である。巻き込まれたら、確実に即死する自信がある。
「――ダフネ!? 貴様、どうやってここに!?」
「見つけたぞ、ドノバン!! もうこれ以上、逃げられない!! 貴殿らは、我が連れてきた冒険者たちには、決して敵わない!! さあ素直に、翡翠の霊玉を渡せ!!」
階段を降り切ると、何か儀式的な祭壇と魔法陣の描かれた広い空間があった。奥には幾つかの部屋があり、地下だからか全体的に黴臭い空間だった。
そこには、紅蓮の騎士とドレス姿の令嬢と魔術師風の杖を持った男性が立っていた。そんな三人と、ダフネさんが向かい合って言い争っている。
「くそ……ダフネ、貴様……どこまでも腐った外道め!!」
「腐っているのは、貴殿だろう、ドノバン!? ディック殿も、無駄な抵抗はやめろ」
ダフネさんは三人のうち、紅蓮の騎士と魔術師風の杖を持った男性、その二人に、鋭い視線と殺意を向けていた。
何がなんだかよく分からないが、やはりただの盗賊団退治という展開には思えない。
「……なんだ? 子供と修道女……冒険者か?」
ダフネさんと向かい合う紅蓮の甲冑を纏った騎士が、地下の空間に降りてきたボクたちを認めて、何やら難しい表情で呟いていた。
騎士は、紅蓮の甲冑と銀色の大剣を握った巨躯の男性だ。歴戦の騎士という空気を纏い、厳つい表情はもの凄く強そうだ。
そんな紅蓮の騎士の背後で、魔術師風の男性が控えている。その魔術師風の男性は、豊かな髭を蓄えており、年季の入った古い杖を持って、かなりの魔力を放っていた。紅蓮の騎士を差し置いて、ダフネさんと凄まじい剣幕で怒号を掛け合っている。
そんな二人の傍らには、妖艶な空気を纏うドレス姿の美女が立っていた。
「貴様ら、どうやってここまでやってきたのじゃ!?」
髭を蓄えた魔術師風のダンディな男性が、ボクたちに向けて杖を突きつけながら叫んだ。その叫びを合図に、傍らのドレス美女がゆらりと動いて、一瞬でその姿を掻き消した。
「――ロゥに危害を加えたら、殺しますよ?」
「ぐぅ、っ!? は――――ッ、あ!?」
シロさんが容赦なく拳を振るった。
瞬間、姿を掻き消したドレス美女が、ボクのすぐ傍から壁まで凄まじい勢いでぶっ飛んだ。どうやら、一瞬でボクまで跳び掛かってきて、それをシロさんが叩き落とした構図である。
ボクじゃ反応さえ出来ないほど滅茶苦茶素早かった。ドレス姿なのに驚きの速さである。
「リリック!? クソッ、この――」
「――無駄です。抵抗は美徳ではありませんね」
魔術師風の髭ダンディは、すかさず杖をボクに向けて、先端から凄まじい光を放った。
それは高度な攻撃魔術だった。衝撃波を伴った火炎系統の魔術で、この地下を一瞬で炎の海にしようとする威力があった。
けれど無駄だ。その程度では、クロさんが放つ単純な拳にも及ばないだろう。攻撃魔術が結実する前に、シロさんは掌を光に向けて広げた。
「――――ぁ!? ぐぁあっ!?」
刹那、シロさんの掌から全てを凍て付かせる波動が放たれて、地下は一面が氷雪世界になっていた。あっという間に、魔術師風の髭ダンディを含めて、その場に居たボクとシロさん以外の全員が凍り付いた。
「…………寒い、ね」
「あら、出力を誤りましたか? まさか、これで終わりではないでしょうね?」
シロさんが退屈そうに白い吐息を吐いていた。
ちなみに、紅蓮の騎士も、髭ダンディも、吹っ飛んだドレス美女も、ついでに巻き添えでダフネさんも驚愕の顔で氷漬けされていた。
まあ、これも一つの決着だろうか。
とりあえずボクも手を擦り合わせながら、白い息を吐いた。




