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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
263/292

光、統べる者 14.

やはりメンタルの弱さと見るべきなのか。

それともマルサンが起こし得る現象を読み切れないまま現場に飛び込んだ判断力の欠如か。

組対第二会議室の様子をモニターで見ている佐海さかい警視監は苦悶の表情をした。

“精神力”のみを見るならば彼女の放つ能力の強靭さは比類無い。が、非能力者の警官に怪我を負わせてしまったとあってはその精神力も“強い”と評するべきかは疑問だ。

例え多くの人命救助に貢献した彼女の実績を以ってしても、この状況に警察庁長官は理解を示さないだろう。


残念ながら今の若邑湖洲香わかむらこずかは、非能力者にとって理解を超えた凶器でしかない。

無意識に放たれてしまったテレキネシスなら彼女を使う側、指揮官に問題があったとすることも出来なくはない。

しかし自分自身の意思で能力により拳銃を弾き飛ばし、同時に裂傷と熱傷を与えてしまったと発言している以上、それは弁護のしようもない。


だから現場に出すのは時期尚早だ、と佐海は釘を刺していた。

若邑を捜査員に加えるという話も出てはいたが、決して許可は出さなかった。

こうなってしまっては護衛官の任務も解任、いや、それだけでは済まない。


「なるほど母親殺しの超能力者だったか。」

「判断能力も無い二歳児の時分です。不可抗力との結論であります。当時の事故の詳細は改めて報告書をご覧頂きたく存じます。」

「しかし今は特殊査定班の警官だったな。懲戒免職は無論、然るべき処置をしたまえ、警視監。」


しかも今尚会議室での緊迫状態は続いている。

現場から退避して来た長官と次長を前に、佐海とモニター越しの警視総監が指揮をとらされている。

そして彼女は確保対象だ。

守らなければならない存在だった。赤羽根博士のもとで育てるはずの原石だった。

ラボの擦り込み教育から切り離した意味、託した想い、それらが佐海の脳裏を過る。

何よりも、湖洲香自身に裏切りや離反の意識などかけらも無いこと、それが判るからこそ、余計に佐海の胸は締め付けられる。


SATという武力行使に、佐海の口からは「逆効果です」という言葉が出掛かった。

機関拳銃装備など使い手の前では全く意味をなさない上に、若邑特査員がいるのであれば対話による解決が十分に望め、包囲や火器武装の威圧感で相手を動揺させる必要など無い。


「なんと、この少女も人殺しか。暴れ出す前に脚を奪えたのは幸いだった、ですかな。」


しかし、次長のしたり顔。

栂井に怪我を負わせたことで銃が通用すると勘違いし、警備局公安課の発砲を褒めてすらいる。

佐海にはよく判る。何らかの理由で栂井は敢えて能力による防御をしなかったのだ。


『能力』というものを、『光の帯』という能力媒体を知らない長官と次長は、窓ガラスの損壊や銃弾の防御を使い手がどう行っているのか知らない。

知らない者にとっては、それこそ超常的な念力によって念じたことが具現化されていると思い勝ちだ。

だから畏怖し、容赦しない。

遠熊蒼甫とおくまそうすけ所長の研究記録を目にするまでは佐海もそうだった。

非能力者の畏怖は簡単に払拭出来るものではなく、故に能力者を人間だとは思えない。

人間ではなく、化物。

化物に人権など無い。


「恐喝、とおっしゃっておりましたが、栂井は何と?」

「君は事態を収束させたまえ、警視監。」


長官も次長も肝心な事を言わない。額に縦じわを寄せる佐海。

そして懇願するように唱え続けている湖洲香の要請に、長官は耳を貸さない。


「こんなに苦しがっていますわ! ここにも医務室はあるでしょう!? 早く手当てしてあげて!」


泣きながら叫んでいる湖洲香をモニター越しに見つつ、ふん、と鼻を鳴らす長官。


「指示通りだ。あの母殺しにも一歩も動くなと言え。」

「……」


佐海は一瞬硬く目を閉じ、すぐさまマイクに向かって長官指示を伝えた。

その指示は現場に残っている組対警官、移動中のSAT隊員、今し方現場に駆け付けた碓氷うすい巡査らの耳にイヤホンを介して入る。


「若邑さん、まずは能力を消して……」

「碓氷さん! お願い! 栂井さんが撃たれているの! ここじゃ無理ならすぐ白楼に連れて行ってあげて!」


碓氷のクレヤボヤンスに映る湖洲香の赤い『能力霊体』は帯状ではなかった。

栂井を抱く湖洲香を中心に半径二メートル前後の球状で、水中に漂う気泡のようにその表面はゆらゆらと波打っている。

そして所々黒ずんでおり、その黒い部分は薄くなったり移動したりしていた。

その表面の一部は上階へも伸びており、棚倉たなくらを拘束しているようだ。

特査のマルサン研究報告から、おそらく山本光一が作り出していた“黒い空間”と性質は同じものだろう、と碓氷は推測する。

『輪郭線は透明で内側に金色と白の光がランダムに明滅している』という能力媒体を喜多室きたむろが目撃している。防御意識か攻撃意識か、何かの精神操作で真っ黒にも透明にも変わる能力媒体の真の姿、厚みのない『光の帯』が裏返り容積を持った姿、『完全体』というものがこれなのだろう。


「落ち着いて下さい。栂井の手当は対応されるはずです。まずあなたの能力媒体を消して下さい。」

「はずです、ってなんですの!? こんな、こんなに痛がってるのに栂井さん! もう私が連れて行きますわ!」


苦渋の想いで口調を強める碓氷。


「若邑さん! あなたに指示を二つ提示します! 一つ、その場から一歩も動かないこと。一つ、即時に能力媒体を収めること。猶予は一秒たりともお与えすることは出来ません。」


手当てよりも確保が優先、これも佐海刑事局長から直々に出されている指示だ。

状況を理解してくれ、と碓氷は心の中で叫ぶ。

指示は警察庁長官から佐海刑事局長へ、そして現場に降りて来ている。

刑事局の能力者に関する報告などろくに見もしない警察庁長官が相手では理不尽が当たり前だ。

そして許可が無い限り碓氷も湖洲香に対して精神感応テレパシーは使えない。

どうか察してくれ……碓氷は祈る様に湖洲香を睨み付ける。


「そんな! だって解いたら! 視えているでしょう! 棚倉さん逃げようとしているのよ! 放したら、それなら碓氷さん説得して! 棚倉さん抑えてよ!」


もちろん視えている。

しかしながら、今の碓氷には自身の判断でテレキネシスを使うことは許されていない。

それは検察庁が関与する小松島の魚市場の一件も関係しているが、佐海刑事局長の指示でもある。いや、局長ではなく長官の意向という方が正しいか。


「冷静になれ若邑さん! 私は警察庁刑事局の碓氷、あなたの管理者だ。その私が改めて言う。能力を解きたまえ!」

「だまらっしゃい! この分からず屋!!」


湖洲香の苛立ちが沸点を超えた。

その意識の根幹には嘲笑う『紫』がちらつく。


…皆んな奈執なとりさんに振り回されて!!


組対第二会議室の天井を透過して上へ伸びていた『赤の完全体』の一部、それがぐわっと太くなり、その輪郭に沿って天井が円の形に崩れ、粉々になった。

霧のように散った天井の粉はまるで重力に逆らうように空中を漂い、湖洲香の『赤の完全体』の外側に抜け出たものは床へと静かに落ち、積もる。

碓氷を始め、組対警官、そして廊下から入って来た盾と機関拳銃を装備したSAT隊員達は息を呑んだ。


…天井が、音も無く……


どんな近代兵器でも瞬間的に物質を霧状にするなど不可能だ。

能力による物質の分断を知っている碓氷すらも、背筋に悪寒が走った。

素粒子分解。仮説の段階でしかない異次元空間の作用、それが目の前で起こったのだ。


…時間的、空間的に、そこに存在すると矛盾が起こる物質に働く作用。


能力者ラボの教育課程にも理学はあり、『光の帯』が引き起こす現象に関連するものは特に深く学ぶ。

その中に反物質、反粒子等も出てくるが、大抵は部分的に仮説を織り交ぜた理論で括られる。

もしそれを操れる能力がマルサンなのであれば……考えただけでも碓氷は身震いが抑えられなかった。


やがて天井の穴から『赤』に掴まれた棚倉が降りて来た。

碓氷は我に返り、口にする。言わなければならない言葉を。


「若邑さん、あなたは能力を収めず、そして動いた。我々は……」


…無駄だと判っていても……


「……武力行使を以ってしてもあなたを止めなければならない。」


碓氷の後ろでSATが機関拳銃を構えた。その銃口は湖洲香と栂井に向いている。


「碓氷さんだって知っていますわよね、鉄砲なんか無駄だって。皆さんをこれ以上怪我させたくありませんわ。私もどうなっちゃうか判らなくて……さっきも怪我させるつもりじゃなかったの。行かせて。棚倉さんはお預けします。栂井さんを白楼に運ばなきゃ。」


その落ち着きを取り戻したかのような湖洲香の口調が、碓氷には逆に恐怖心を与えた。

赤く明滅する光の球体を周囲に漂わせ、涙で充血したその目はやや上目遣い。そして時折『完全体』の表面を黒が影のように過る。

直感的に碓氷は感じた。

この赤い魔女に機関銃掃射など浴びせたら逆にこちらが全滅する、と。

しかし警視総監の指示は、発砲開始。

どうする、どうする……


「……も、ぎっ、い……」


栂井の声。

震える声で栂井が何か言った。

湖洲香が栂井の口元に耳を寄せる。


「え? なに、栂井さん……」

「……もう、いい、コズカ、も、いい……」


湖洲香の赤い能力霊体の中にいた栂井には、精神感応によってずっとその思考が流れ込んで来ていた。

自分の脚の痛みを我が事のように情を向け続ける湖洲香。

出来ることなら代わってあげたいとさえ想っている湖洲香。

早く治療してあげたいという気持ち。

痛みを取り去ってあげたいという気持ち。

白楼で真面目に言う事を守っていた自分を偉いと思っている湖洲香。


…こんな優しいの、魔女っ子のくせに。


この感じ。

似てる。

よしつぐさん。

でもちょっと違う。

コズカ、女だし。

女の人で優しいの、知らないな。


「……優しくて、ありがと……だから、も、いい……消して、きらきら、赤い、の……」


助けなきゃ。

コズカ、悪くない。

コズカ、警察の人なのに。

このままじゃ捕まって閉じ込められる。

閉じ込められるの、本当に嫌。

助けなきゃ。

コズカは助けなきゃ。

私、もういい。

私がこんなに馬鹿だから。

私のためにコズカも悪い人にされる。

もういい。

もういい。

もうわかった。

優しいって何なのか。

私も優しくなる。

自分のことばっかり考えない。

優しくしなきゃ。

お母さん殺したの、本当に辛かったんだね。

偉いと思ってごめんねコズカ。

私、馬鹿だから。

紫が悪いんだね。

紫のニヒロ。

おじさんもニヒロにやられて。

嫌。

もう嫌。

私のせいで優しい人が辛いの、もう嫌。

嫌。

絶対に嫌。

あ。

また泣いた。

魔女っ子泣き虫。


「え、だって、栂井さん連れていくの、光の帯使わないと大変なのよ?」

「へっ、いき……わたし、くっ、ウスイさんとこ、行く、くっ、から……」


そう言うと栂井は赤紫の『光の帯』を足元に出し、湖洲香を押し退けるようにして床に立った。


「まあ、平気なの? 痛いんでしょ?……」


…またコズカ泣きそうな顔。笑わなきゃ。痛いけど、笑わなきゃ。


栂井は無理に笑みを作り湖洲香に見せた。

そして『赤紫』で片脚を補い、よたよたと碓氷に向かって歩き始める。

湖洲香は心配ながらも『赤』を消し、頬の涙を指先で拭いつつ栂井の後ろ姿を見守った。

碓氷には確保対象の『光の帯』の放出を能力を使う前兆として報告する義務がある。それを察知出来るのは碓氷だけであり、その為の現場要員でもあった。

襟元のマイクにそれを告げる碓氷。


「栂井翔子、能力媒体放出を確認。」


『どうした? 化物どもがまた何かする前に撃て。』


イヤホンの警視総監の声がSAT隊員達に囁く。

隊員各位に緊張が走る。

ためらいはある。超能力者と言えど見た目は小学生くらいの少女なのだ。

無防備な少女に機関拳銃の掃射など、躊躇しない方がおかしい。

各小隊長は心を鬼にして再度口にした。


「構え……てぇ!」


湖洲香のマルサンが引き起こしていた異常な空気対流が収まった組対第二会議室に、機関拳銃の掃射音が響き渡った。

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