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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
260/292

光、統べる者 11.

株式会社オリーヴァ代表取締役、石井和臣いしいかずおみ。彼が香川県の女木島を訪れたのは数年振りだった。

石垣状の待合所、ずらりと並ぶカモメの風見鶏、女木港の景観は相変わらずだったが、七月下旬にしては観光客が少ない。

曇りがちの天候もあるのかも知れないが、年々進む過疎化も関係しているのだろうな、と石井は思う。

今や島の総人口は百五十人を下回り、それだけ里帰りの島出身者も減る。

インターネットでは『鬼ヶ島伝説』を謳い観光を促しているものの、地元の良さを知る者が減ってしまっては口コミも広がらないのだろう。

事実、石井自身も鬼ヶ島大洞窟くらいしか観光スポットを知らない。


しかしながら迷路のような東浦集落の高い石垣は独特でなかなか風情がある。

島民が“オトシ”と呼んでいる季節風が波しぶきを家々へ撒き散らす、その天災を防ぐ石垣らしい。

石垣に囲まれるようにひっそりとたたずむ木造の民家もどこか郷愁を誘う。

静けさを際立たせる波の音、潮の香りを含んだ湿った風……天気さえ良ければのんびりと過ごせそうな良い島だ。

でも石井がこの女木島を訪れた目的は観光ではない。


…転機、なのか。三度目の。


人生の転機。それを感じ取った石井はある人物に会いに来た。

事の発端は山本光一やまもとこういちが外出から病院へ戻らなかったこと。

それに付随してオリーヴァ本社に現れた私服警官。県警捜査課の崎真さきまという刑事で、山本光一は警察に保護されたという説明を聴かされた。

いつかこういう事態が起こるのだろうと漠然と覚悟はしていたが、唐突と言えば唐突だった。


山本光一は神隠しのように瞬時に別の場所に移動出来る超能力を持っていた。

それを承知で彼の保護者代理を引き受けるに至ったのには、とある理由がある。

理由と言うか、ある体験と言った方がいいかも知れない。

それは光一の超能力に勝るとも劣らない超常的な体験であった。


かつて石井には有限会社を共に立ち上げた学生時代からの旧友がいた。名は御笠正一みかさしょういち

だが御笠は起業二年目にして事故で他界、葬儀の場で初めて御笠が妻帯者だったことを知る。

喪主であった御笠の妻、万凛まりは終始無表情な女性であった。

石井が挨拶をしても口を開くどころか目線も合わせず、虚空を見つめていた。

しかし、葬儀が一通り終わり帰ろうと会釈した石井に、突然万凛の瞳がくるっと向けられた。

そしてポツリと言葉を落とす。


『和臣、これからは情報技術だ。』


その時は初対面の男にいきなり下の名で呼び掛けてきた彼女に面喰らった。

だが今ならわかる。それは御笠万凛の言葉ではなく、亡くなった御笠正一の最後の助言だったのだ、と。


…霊と交信出来る本物の霊媒師。


それは石井にとって一つ目の大きな転機だった。

そして情報技術の分野に手を伸ばした石井の会社は急成長を遂げる。

企業向けのソフトから一般家庭向けのソフト、そしてゲーム業界への参入、会社名を香川県の県木であるオリーブに改名したのもこの頃だった。

そして二つ目の転機……御笠の息子、一巳かずみとの衝撃的な対話。

何が衝撃的なのかは人に話すのもはばかる。夢でも見たのでは、とそれを信じる人はいないだろう。

と言うのも、その時御笠一巳という少年は既に死んでいたのだから。

死者との対話。

万凛が呼び出した霊は最初霧のような黒い点画に見え、徐々に明瞭な子供の姿となっていった。

その子供が、石井に向かって言う。


『山本光一君という人がいてね。彼には医療費と保護者が必要なんだ。それに、光一君は君の力になる人だよ』


言う、という表現が妥当なのかどうか、御笠一巳の霊は穏やかな笑みを浮かべたまま口を動かしてもいなかった。

言葉が頭の中に直接流れ込んでくる感覚。

大の大人である自分に対し“君”呼ばわり、全てを見透かしているような物言い、目の前に現れた姿形は子供のそれだが、とても子供とは思えない威風を感じた。

この女木島に呼ばれたような気がしたのは万凛の不思議な力だとばかり思っていたのだが、それも勘違いだったとその時思った。

自分を呼んだのは万凛ではなく、この子供の幽霊だったのだ、と。


会ったこともなく名も初めて聞いた『山本光一』なる人物。しかしその人物を知るのに数分と掛からなかった。

流れ込んでくる。

ビジョンを伴って山本光一のことが頭に流れ込んでくる。

容姿や気質、出生の背景、胎児の時から脳や肉体に施されていた医療操作……生後間もなく母親に崖から投げ落とされたことまでもが鮮明に石井の脳に焼き付けられていく。


御笠一巳の言葉、いや思念は、山本光一という子供の保護者を求めているというのは判った。

だがしかし、だ。

石井は手足に障碍を持つ子供など育てられる自身は無い、と断った。

死者の頼み事。祟りや呪いなど起こらないだろうか、と恐怖心もあったが、同時に感じたのは穏やかな親密感だ。

御笠一巳の霊が発する雰囲気が、不思議と石井を落ち着かせ、ある種の和やかな空気すら感じさせる。

春の陽だまりのような御笠一巳の霊は、石井の断りの返答には何も答えず、消える刹那ただニヤッと笑った。

そしてフェリーで戻った高松港に、その男性はいた。

今し方御笠一巳の霊に見せられたビジョンの中に現れた男性。

白髪混じりだが顔のしわの感じはそれ程年配には見えない。

ただ、猫背で周囲を気にしている挙動は、誰かに追われてでもいるかの様だった。充血した目での上目遣いはどこか鬼気迫るものを感じさせた。


「石井和臣さんだね?」

「は、はい……あなた、は……」


ビジョンの中の白衣の男。医学者なのか医師なのか、山本光一に医療操作を行っていた男性。


「山本光一はここにいる。一刻を争う。あの子を頼む。」

「え、あ、いや、ちょっと待って頂きたい……」


若白髪の男はそう言うと所在地の書かれたメモを石井に押し付けるように渡し、そそくさと人混みの中に消えて行った。

そのメモを開く石井。


…土佐清水市養老? ずいぶん遠いじゃないか……旧芳明医科大学養老研究所?


メモを渡して来た男性の事はどこの誰なのか、未だに名前も知らない。

それよりも石井の念頭から離れないのは幽霊の存在と、それと対話をした自分だ。

客観的に見ればなんとも薄気味悪い体験なのだが、これまでの御笠正一との出会いからその後の付合いは常に石井を有益な方向へと導いてくれた事実がある。

葬儀の時の万凛の言葉も、石井の会社を成長させるきっかけをくれた。


…そうなんだ。結果的に光一も会社の収益に大きな貢献をしてくれた。


半信半疑ながらも亡き親友御笠を信じ、その妻と子供の“お告げ”通り保護者代理を引き受けることにした石井。その山本光一は小学生とは思えないほど頭の良い少年だった。

今現在会社の稼ぎ頭となっているMMORPGの仕様は山本光一のアイディアが色濃く反映されている。

ゲームタイトルは『精霊憑き魔道戦記』、型破りな各種仕様の斬新さが今尚ユーザーを増加させ続けている。

オンラインゲームの性質上ユーザーは公平さを求めるのが普通だ。

しかしながら『精霊憑き魔道戦記』には不公平も甚だしいゲームバランスを著しく崩す装備仕様が存在する。

“スピリウル”という武器がそれである。

攻撃も防御も出来る装備で、『ある条件を満たせばどのプレイヤーキャラクターでも装備出来る』というオンラインゲームの常識を破り、限られた少数のPCにしか装備出来ない。装備出来る人数に制限があるということだ。

しかもこの“スピリウル”は装備していないPCにはグラフィックが表示されないのである。


見えない武器、スピリウル。

その実装直後は公式掲示板が荒れに荒れた。

そのような時間の取れる暇人にだけ有利な武装を実装されたのでは対人戦はやる気が起きない、と。

しかしながらそれに反し、ユーザーは急増した。

スピリウルを持たないプレイヤーの唯一の救いは、『スピリウルは奪い取ることが出来る』という仕様。

対人戦にて“スピリウル持ち”のPCを殺し、幽霊状態の“スピリウル持ち”を一定時間その肉体に戻らせないよう蘇生を妨害すること。

その妨害に必要な条件は様々で“精霊”という装備の能力も関係してくるのだが、その駆け引きがユーザーを熱中させる。

誰が誰のスピリウルを奪うことに成功、と言った話題が月に数回掲示板を賑わせる。


仮想異世界空間ではユーザーは常に新しい刺激を求める。

“スピリウル”に限らず、光一の新仕様のアイディアは次々と当たった。

そして変えるべきではない部分も光一は心得ているようで、廃止する仕様にも妥当な意見をする。

それは取りも直さず自ら一ユーザーとしてゲームに参加し、他のプレイヤーとも上手く情報交換している彼の社交性もあるのだろう。


…その光一が警察に拘束、か。


外出時に光一がどこで何をしているのか、石井はそれを把握していない。

それを詮索しないのは光一本人との約束であり、また幽霊のお告げでもある。

そう、御笠一巳が石井に告げた、唯一の条件。

瞬間移動などという超能力があるのなら道徳観念の未熟な子供なだけに悪さも出来るのではないか、と考えたこともある。

でもそれには触れない約束なのだ。

崎真という刑事の聴取でも正直に話した。

事業に協力してもらっているという事実と、光一の外出の手引きをしていること、そして外出先で何をしているのかには関与しないということ。

驚いたことに、と言おうか意外にもと言おうか、崎真刑事は次の石井の供述をあっさりと受け入れた。


「車で病院を出た後、人目の無い場所で目を閉じる様に言われます。そして目を開けると光一はもう車内にはいない……私の同伴はそこまでということです。」


あたかも超能力の存在を知っているとでもいうように、不自然な程その刑事の反応はありきたりだった。

後は、警察に対しやましい事など私生活でも会社経営でも一切無い石井は、淡々と崎真の聴取に受け答えしただけだった。


「ん……」


いつの間にか石井の額に浮いていた汗が筋となって頬を伝った。

曇り空とは言え真夏、徒歩での移動は嫌が応にも発汗を促す。


…一時間は見た方がいいな。


石井が向かっているのは鬼ヶ島大洞窟の方向。

バスの時間が中途半端で、彼は歩くことにしたのだった。

地元民も疎らな東浦の集落をゆっくりと歩を進める石井。

と、自転車が一台、彼を追い越して行った。

ゆるい登り坂にあり、よろよろとなんとも頼りない運転の自転車。

乗っているのは細身の男性で、見たところ三十代くらいか。

首から双眼鏡を下げており、よれよれの青いサマージャケットに黒いスリムジーパン、背にはDバッグ、頭には末広がりのベージュ色の帽子、チューリップハットというやつか、それを被っている。

そしてその自転車はよたよたっと停止し、乗っていた男は石井の方へと振り向きつつ言った。


「あー、あのぉ、そこの紳士、ちょっとお訊ね、いいですか。」

「はい?」


石井が答えると、男は後ろ向きで足を地面に突きつつ自転車をバックさせ近付いて来た。

そしてジャケットの内ポケットから写真を一枚取り出し、石井に見せる。


「この人、ご存知ありません?」

「……」


モノクロの黄ばんだ写真で、着物姿の若い女性が写っている。二十代か、もしかしたら十代か。

顔だけでは誰なのかすぐには思い当たらなかったが、着物の独特の柄が石井に想起させた。

もう一度よく顔を見る。


…かなり若い頃のようだが、この目鼻立ち……そうだ、間違いない。


写真に写っているのは御笠万凛だ。婚姻前なら名字は楠木くすのきか。

石井が今から会いに行こうとしている人物、その人だ。

それを答えようかどうしようか、彼は一瞬悩んだ。

別に隠し立てするような理由は無いが、単純に厄介ごとや面倒は嫌だと思ったからだ。

そもそも御笠万凛とは知合いと言えるような付合いは無い。

まともな会話すらしたことが無い女性なのだ。

御笠正一が生前ただの一度も妻がいることを話してくれなかったこともなんとなく気持ちは判る。

無愛想を通り越して全てに無関心な女……いや、敢えて言うなら無感情、か。

生気を感じない、喜怒哀楽を持たない人。


…そうだ。何の音沙汰も交流もなく、彼女が今生きているのかどうかも私は知らない。


自転車の男は石井が写真に目を落としている間も自分の表情を観察しているようだ。

その無遠慮さが少々鼻に付く。

うっとおしく感じた石井は写真から目を離し、知らない、という意味で男へ首を傾げて見せた。


「んん? ずいぶん間がありましたが? 心当たりがあるのでは?」

「いえ、お力になれずすみませんが。」


そう言えばこの男は何者なのだろう。

興信所か何かの調査員だろうか。


「ふぅん……そうですか。ところで、紳士はこの島の人じゃなさそうですね。観光? どちらまで?」


聴き方や態度が益々うっとおしい。


「何処というわけでもありません。一人で歩きたいので失礼するよ。」


石井はそう言うと東浦集落の石垣の中を再び歩き始めた。

あの自転車の男、追いかけて来たら嫌だな、と思ったが、それとなく背後へ視線を向けると男は別の路地を漕ぎ進み石井の視界からいなくなった。

彼は肩で小さく溜息を吐くと、雲の張り詰めた空を仰ぎ見て、また歩き出す。

ぽつんと集落から離れてあるあの一軒家を目指して。


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