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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
259/292

光、統べる者 10.

県警特査に到着するや否や、赤羽根は湖洲香こずかを医務室に引っ張り込んだ。点滴を受けさせるためである。


「いい? 今のあんたの毛細血管は中年並みにくたびれているの。放っておくと本当に手足が老人みたいに動かせなくなるわよ。頼むから私の処方だけは受けて。少なくともあと四、五時間、大人しく横になってなさいね。」

「はい。わかりましたわ、博士。」


もう治った、大丈夫だ、と言い張る湖洲香が観念したように素直に言うことを聴いたのには、赤羽根の後ろで腕を組んで笑っている遠熊倫子とおくまりんこの一言が一役買っていた。

捜査打ち合わせに来たのに寝ていられない、と抵抗した湖洲香に遠熊がさりげなく掛けた一言。


「おや、赤羽根博士の治療が受けられないんじゃ高校の潜入警護も解任ねぇ。風見さんに継続を頼んでおこうかしら。」


その時の湖洲香の驚いたような顔。それが可笑しくて、可愛くもあり、遠熊は笑いをこらえられなかった。

赤羽根は大人しく点滴を受け始めた湖洲香を見届けると、遠熊に苦笑を見せつつ医務室を出た。


「ありがと、遠熊さん。コズカ、まだまだ子供のくせに妙に私にたてつくようになってきて……」

「ふふっ、自立心の表れでしょう。結構じゃないの。」

「自我意識の芽生え? ずいぶん遅い反抗期だわね、全く。」

「それよりも、危険な目に合わせてしまって、伊織いおりちゃんは本当に大丈夫なの?」

「ええ、私は。」

「そう、良かった……。打ち合わせには諸星もろぼしさんも加えます。能力者の事は私から説明する。それと、ちょっと風見さんに言伝ことづてがあるのよ。」

「風見さんに?」


遠熊はサマージャケットのポケットから紙の資料を出し、赤羽根に見せた。


「これ、門守かどもり君にプリントアウトしてもらったんやけど、城下桜南高校の化学準備室から押収した物、で、こっちが学校の備品と認められて学校に返却された物。その中の……ええと、これやね。」

「ああ、深越ふかごし先生の事件の時の……」

「そう。言伝は深越さんご本人からでね、これを紅河くれかわ君に渡してあげて欲しいってことで、ほら、一度押収したから元の場所に戻されているか深越さんも知らないらしくてね。」

「そうですか。でもこんなもの何に……あ、ああ!……なるほど。」


その品目を見て赤羽根も用途に気付き、頷く。


「無いよりはマシかも知れない程度よ、って深越さんはおっしゃっていて。」

「うん、まぁ、うん。」


それは化学の実験に使われた言わば玩具のような溶剤混合液の類いだ。

でも赤羽根は刹那思った。あの紅河少年なら効果的な使い方をしてくれるかも知れない、と。


「わかりました。すぐに電話して来ます。」

「あ、いいのよ、私がするから。まず伊織ちゃんにも伝えてからって思ったので。」

「いえ、だって遠熊さん出られないでしょう、刑事局の指示で。」


特殊査定班の事務所からは許可なく外線は掛けられない。

多忙を極める特査にありどう考えても矛盾した規定だが、情報漏洩の徹底遮断、その強化指示が降りた今にあり遵守せざるを得ない。

遠熊も赤羽根も規定を破った時の“つまらない面倒”に時間を取られるよりははるかにましだと考えている。

上層部の皮肉と対策の為の更なる追加規定にかまけている暇など、それこそない。


「ええ? ああ、特査エリアから出るなって? そんなん無視やわ。七月二十九日も迫ってる言うのにびくびく隠れていろって言わはるん? 冗談きついわ。」


関西なまりが急に強まり、加えて語尾が早口。

顔は笑っているが、少し苛立った時の遠熊倫子の特徴だ。

苦笑しつつ赤羽根が言う。


「内容的に総務部の外線もうまくないわね。他部署には聞かせられない。せめて深谷さんと一緒に外に出て下さいね。」

「わかった。ありがとね。ちょっと待っていてね。」


遠熊が深谷巡査の警護付きで署を出ると、赤羽根は早足で研究室に戻った。

デスクには野神のがみが向かっており、赤羽根に気付いた彼は目で会釈する。その表情は険しい。

赤羽根は右手の平を軽く野神に向け、まだ使っていていいですよという意味のジェスチャーをした。

野神が開いている電子ファイルは彼自身が起票した申請書で、古見原警視の承認欄は空欄、佐海さかい警視監の欄には『保留』が入力されていた。


…またしても保留か。


保留、それは事実上の却下に等しい。

無茶な申請であることは重々承知している。だが奈執なとりが動き出してからでは遅過ぎる。いや、奈執の元に集まった使い手達が、と言うべきか。

申請内容は、野神自身が天草羽多あまくさうたを同行させて四国地方の再捜査に加わる、というもの。

根津ねづとの合流ではなく、同時に二箇所をあたる。

養老研究所と、そして小松島市の魚市場。

碓氷うすい巡査の報告にある『ポルターガイスト』という表現……検察に提出している報告書では『局地的な地殻変動』という言葉に置き換えられているのだが……これが本当に霊の仕業だとしたら深刻な事態だと考えなければならない。

碓氷という使い手刑事が釣り出され、法的に身動きを封じられたのだ。霊によって。


御笠秀重みかさひでしげ渋木賢太郎しぶきけんたろう。天草は渋木遥子しぶきようこと精神感応による対話。


連れて行かないわけにはいかない。

一般市民に負傷者を出してしまった魚市場での一件が事故なのか事件なのか、その事後検証が検察庁に委ねられている今、碓氷巡査の行動制限含め刑事局の一存では揉み消すなど出来ない。

そして、幽霊の仕業でした、などという戯言は検察庁には通じるはずもない。


…必要なんだ。天草がどうしても必要だ。


下手な考えや常識に囚われている時では、最早なくなった。

相手は『二者』だと認識しておかなければならない。

使い手脱走者と、霊。


…しかし、保留……


野神は唇を噛んだ。

栂井翔子とがいしょうこの面会で下手を打ってしまった野神。

今日の栂井誘拐捜査打ち合わせ、その方針案提起の後に出る指示を待つのが当然の流れ。その意味でも四国行きの保留は当たり前である。

若邑わかむら特査員の容態が完全ではないことへの不安は、山本光一の精神感応聴取を執り行うにせよ、城下桜南高校の学生警護にあたるにせよ、栂井捜索の任が与えられるにせよ、自分が四国に飛ぶのであれば警察庁を中心とするこの関東を守るのは彼女一人に任せることになる、その不安。

その、不安。

そう、野神はもう内心では決めていた。


…命令無視の越権行為か。刑事局の『灰色の戦士』であったこの私が。


そう言えば亡き古見原所長が“離反”という表現をよく使っていたな、とふと思い出す。

と同時に、突如不思議な情感も湧き上がる。

それは、その離反という言葉が肯定的な意味合いを持ち始めた様な、そんな感覚。

疑問を持ち、背き、離れる、という禁忌。

稚拙な負けん気や反発心などこなごなに砕かれ、恐怖心すらも超えたその先で執拗に擦り込まれた禁忌。

それが、古見原所長の威圧的で冷酷な目が、全く逆のことを言い始める。


『野神君、疑問を持て。そして、背け。』


それはただの空想でしかない。

切羽詰った状況で思い描いただけの空想。

その空想の中の古見原所長は、ラボ教育で笑顔など一度も見せたことがない古見原一成は、なぜか優しい目で笑っていた。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


鏡水かがみずさん白楼へご到着。


来た。

絶好のタイミング。

ほくそ笑む奈執。

野神、若邑が白楼から県警へ移動したことで、警察庁内で実務処理をしていた鏡水が白楼へ移動。

連れ出そうと思えば人体転送で簡単に連れ出せる包帯の男と美馬。それを白楼に拘束させたままにしているのにはこういう意図もある。

この二人がいる限り、白楼には少なくとも三人の使い手刑事を常駐させる。今は碓氷、新渡戸、そして鏡水。つまり……


『警察庁ががら空きになった。頼むよお二人さん』


それぞれ別々の場所にいるその“二人”、棚倉たなくらと栂井に奈執のテレパシーが入った。

要求文書にある次の火曜、七月二十九日の国営放送を待ってから動く手筈だったことを考えればフライングになるのだろうが、この程度の行動の前倒しは問題ない、と奈執は考える。

問題は機会、好機を逃しては事を仕損じる。

何よりも自分は包帯の男に託されたのだ。

そして奈執の遠隔転送が始まる。


警察庁の無機質な格子状の外観は、容赦ない真夏の陽光に炙られ陽炎のように揺らいでいる。

その庁内、警察庁長官室に転送された棚倉は、室内に長官がいないことを確認するとクレヤボヤンス範囲を拡げた。

探す。何度も視て覚えた警察庁長官の魂の色、その光を。


…ん、次長も近くに……何かの会議か?


『光の帯』の先端を第一階層に出現させ、クレヤボヤンスを実体視界に切り替える。

警察庁長官、次長、それに組織犯罪対策課の主任クラスが二人、合計四人。

奈執の情報通り伴瓜ともうり警視正はいない。

長官と次長が同席しているとなると何か重要な会議か。それならそれで好都合だ。

棚倉はすぐ傍らに待機している紫の『光の帯』にテレパシーを送る。長官のいる会議室の正確なポイントを、記憶している警察庁の見取り図に重ねて伝える。


…後は『赤紫』が現れたと同時に、長官に要求と警告のテレパシーだ。


少し前までは目標としていた刑事局捜査課着任、その上の上の更に上に位置する人物、警察庁長官。

事実上、警察庁のトップだ。

そう思うと緊張するなと言われても無理な話だが、自分達を苦しめてきた組織の統括。

緊張はすぐに怒りと憎しみが飲み込み始めた。

これから人間らしい生活と自由を手にする、そのために必要な成すべき行動に自分は参加している。

防御こそ最大の攻撃。

護るために、やる。

そうだ。安来やすぎも天草も、事が終わった後は自分に感謝するだろう。

それまで白楼で大人しくしていろ。

邪魔だけはしないでくれ。


…ん! 来た! 赤紫!


いささか不気味な少女、栂井翔子。

だからこそ、かも知れない。奈執が長官の目の前にテレポーテーションする役目を彼女にした理由。

長官が白楼ラボ教育生をどこまで知っているかは不透明だが、佐海刑事局長から報告くらいは上がっているはずだ。

栂井はインパクトが強い。平気で人を殺せるどこかおかしい子だ。

要求と警告に切迫感を伴わせるには適任なのだろう。切迫と言うよりは恐怖感、か。


棚倉が天井付近から視る会議室。会議中の四人は突如現れた少女に動揺している様子。

棚倉は灰色の『光の帯』を長官と次長の頭上に伸ばした。

そして、精神感応で言葉を送り込む。


『警察庁長官、そして次長、国家公安委員の杉浜氏に要求した慰霊碑と刑事局の悪行表明の準備は順調のことと思う。今日は警察庁長官殿への要求を伝える』

「なんだ?」

「なんだこれは!? 頭に、頭の中に直接……」

「どうされました、長官、次長!」

「これは……まさか、君、なのか?」


長官は努めて冷静を装いつつ、陽炎のように何もない空間から現れた女の子に視線を向けた。

長官にも次長にも、組対の二人にも、まだこの少女が誰なのかわからない。

ただ、例のあれ……刑事局管轄の超能力者に絡むことなのは容易に想像がつく。

栂井は黙って長官の顔を見上げている。


『何もしなくていい、ただ、拳銃などを目にしたら自分の身を守れ』


これが、栂井が奈執に言われたことだった。

長官室にいる棚倉のテレパシーは続く。


『要求は二つ。刑事局に組織配属されている能力者、県警刑事部捜査課及び特殊査定班に配属されている能力者、その他、警察組織に属する能力者全員の即時解雇を求む。これが一つ目。二つ目は、能力者の解雇に伴う関連業務の廃止と組織解体、及び関連施設の解体破棄』

「君なのか、と聴いている。」


長官が声のトーンを下げ、威圧的に少女に問う。

だが、栂井は何も答えない。


…何もしない。そうすればおじさんが喜ぶ。あそこを出てお店もやれる。


ニヒロはそう言った。

マユミも警察を出て学校に行かせてもらえるって言ってた。学校なんかつまんないのに。

私はおじさんと暮らしたい。

一緒にお店をやりたい。

遠熊所長と古見原所長は悪い人だった。

良いことをしたんだよって言われた。

悪い人は死んでもいい。

痛くて怖くても、悪い人は自分が悪い。

でも、約束した。

私、おじさんに言った。

もう人を殺さない。

もうキラキラ使わない。

あとちょっと。

あとちょっとニヒロの言うことをやれば、おじさんのとこに行ける。


『尚、これらの要求に対する理由や必要性の問答は全く不要と考える。そして、この要求には即答を求める。この場で返答して欲しい』


長官が目を細め、眉間にしわを寄せた。


「君、なのだな? 即答など出来……」


ビシッ……バリィン!


長官が言い掛けた時、いきなり会議室の窓ガラスが一枚割れ、破片が内側へ飛散した。

栂井がちらっと視線を窓に向ける。

『灰色』のテレキネシス。やったのは棚倉だ。


ドン! ドンドン!


廊下から会議室のドアを叩く音。

そして複数の男の声が聞こえてくる。


「長官! どうされました! 警備局公安課です! 大丈夫でしょうか!」


組対の一人がドアへ駆け寄り、内側から鍵を開けた。

公安課の警官が三人、廊下から飛び込んで来る。

そのうちの一人が割れた窓ガラスを見て叫んだ。


「狙撃か!? 伏せて下さい、長官、次長!」


警察庁の強化ガラスがこうも簡単に割れるとは常識では考えられないが、事実は事実だ。

公安課警官の一人が長官と窓の間に入るように立ち、外の様子に注意し始める。

しかし、その警官の肩を軽く手で触れ、長官が言った。


「いや、待て……これも君の仕業か? 超能力を持っているのだな? そうだな?」


だが、少女は答えない。

この時初めて公安課の警官は形相を変えてその少女、栂井を見た。

嘘か本当かはともかく、警備局でも妙な報告書は目にしたことがある。確か所轄、光が丘署だったか。

“見えない手に引っ張り出されたように救助された”、“何もないアスファルト上に透明の器”、“見る見る溜まっていく消防の水”、“輪切り状に崩れていく警察署”……


「何も答えんか。ふん、答えられまい。君は刑事局の特殊医療研究所に確保された犯罪超能力者……そうだな?」


長官のその一言で、公安課警官の三人は一斉に拳銃を抜き構えた。

銃口は栂井に向いている。

その様子を視ていた棚倉は慌て、栂井にテレパシーを送る。


『おい栂井! 拳銃だぞ! 張れ! 壁を出して防御しろ!』


そろそろ潮時だろう。

奈執の“お迎え転送”はどうした。

警備局が駆け付けるのは想定済み、廊下などに待機している警備警官がいるなら数秒と掛からない。

だから事前に取り決めた。即答の要求までテレパシーで伝えたら、すぐに人体転送で自分達を瞬間移動させてもらう、と。


…おまけで脅しの窓ガラス破壊までやった! 奈執さん! 早く!


役割は百パーセント果たした。

自分も栂井もテレポーテーションは出来ない。

早く引き上げないと……


…まさか、奈執さん、サイコスリープ……


そう言えば人体転送はかなりの精神力を消耗すると言っていた。

それに奈執志郎という人はいつ寝ているかわからないほど行動的な人だ。

棚倉の額に汗が浮かぶ。

あろうことか、まだ栂井は『赤紫』を出していない。


『栂井! 身を守れ! そいつら本当に撃つぞ!』


奈執達脱走者から散々聴かされている。

警察庁の、能力者に対する非人道的な扱い。

我々使い手は警察にとって人間ではないのだ、と。


「ああもう! ちくしょう!!」


切迫した状況に棚倉は思わず叫び声を上げ、警察庁長官室の床をぶち抜き始めた。

とりあえず助けなければならない。

あの不気味な少女、栂井翔子を。

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