光、統べる者 7.
体育館に響くバスケシューズの擦れる音やボールのバウンド音。
ふと桜南女バスの梅原監督は目を閉じる。
去年の音と違う。勢いがある。
…む。
誰か転んだ音か?
目を開ける。
高島遙香か。
ゴール下で巻谷と絡んで転倒したようだ。
思わず梅原監督は苦笑した。
…あいつだけは変わらんな。一年生だった去年からずっと、遙香だけはいつも全力だ。
聞いた話によると、遙香はあの房生が他の部へ体験入部に行った時に後輩を使って呼び戻させたらしい。
何部だったか、確か文化部だ。茶道……いや、書道だったか。
…バスケの申し子みたいなあの子が書道?
梅原はまた口元を緩めたが、すぐに険しい表情に戻る。
ウインターカップ出場を目指すなど、不可能に近いだろう。
不可能に、近い。
そう、あくまでも“近い”であって、不可能と決め付けてはいない。
『全国大会に出られるバスケ部にしたいんです!』
房生がキャプテンの桐山聡美に言っていたのを、梅原は離れたところで聞いていた。
元気な一年生だな、だがこの学校では全国は無理だ、と内心思った。
これまで何年も部員達の好きにさせてきたこの城下桜南高校女子バスケ部。
技術や戦略云々と言うよりも、無理なのだ。
部員全員の意志が真っ直ぐ全国大会へ向かないと、スタート地点にも立てない。
そう。房生舞衣というプレイヤーがどれほど優れていようと、だ。
…紅河を巻き込むなんて、聡美のやつ。
紅河と房生は知り合いだったらしいが、動いたのは房生ではなく、キャプテンの聡美。
部員全員の意志統一などよく成せたものだな、と梅原は改めて思う。
“無理”を“不可能に近い”という状態まで引き揚げてくれた。
そして考える。監督として、今自分に出来ることは何なのかを。
この夏休みが勝負。
ウインターカップ地区予選への参加資格はねじ込めた。
インターハイ予選緒戦敗退では、県によっては参加すら出来ない。この県で良かった。
九月に地区予選開幕。文字通り最後に与えられた二ヶ月弱。
梅原の頭を過るのはコーチの導入。
一人、あてはある。
しかし、どうなのか。ついてこられる部員は何人いるのか。
今退部者を出すのは本末転倒もいいところだ。
紅河の小生意気な目や物言いが頭をちらつく。
…サッカー部ならわかるだろう。やる気や闘志だけではついてこられんのだよ。
心当たりの一人は桜南女バスOGだ。
今大学三年、女子日本代表選抜に不合格だったと聞いたが、来期も受けると言っていた。
バスケ技術は房生の比ではない。高校一年の時からずば抜けた選手だった。
…センスは房生も近いものを持って……ん?
無意識に比べていた。
彼女と房生。
無理もない。桜南女バスの歴史の中で、この二人は群を抜いた逸材だ。
プレイ姿のインパクト、それが梅原の記憶に強く焼き付く二人。
…房生と遙香、それに聡美が調子を取り戻せば、或いは……
練習中の聡美を改めて見る。
シュート力が比較的高く、スタメンでパワーフォワードをやらせているキャプテン桐山聡美。
だがどうだ。ジャンプシュートのフォームがガタガタではないか。
今までの綺麗なシュートフォームは見る影もない。
普通のコーチなら練習を止めさせ矯正するだろう。
だが梅原監督は辛抱強く聡美のジャンプシュートを注視した。
フォームが崩れたのには何か理由があるはずだ。
大抵、何か新しいことをやろうとして崩れる。
それが何なのか判れば……
…ボールがかなり高い弧を描いている。まさか……
「聡美。」
梅原監督はパンッと手を叩き聡美を呼んだ。
「はい!」
駆け寄る聡美。彼女は思った。あんなシュートを見せて、これはさすがに注意されるだろうな、と。
でも、自分でもどうしようもなくなっていた。
…もう! 須崎君が変なこと言うから!
内心で愚痴る。
それが八つ当たりだと自分で判っているから、余計に焦りが募る。
「調子悪そうだな。」
梅原監督は頭ごなしに部員を叱ったことは一度もない。
その柔らかい言い方に、聡美も思わず言いそうになる。須崎に提案された『ゴールを見ないジャンプシュート』をやろうとしてフォームまで壊れた、と。
しかしさすがにそれは言えない。
常識的に考えても『馬鹿かお前は』と一蹴されるのが落ちだ。
「すみません……フォームは取り戻します、必ず。」
「うん。ボールの軌道が高いようだが、もしかして、あれをやろうとしているのか?」
「あれ、って?」
そして梅原監督はあるシュートの名前を一つ口にした。
「えっ!?」
聡美も聞いたことのあるシュート名だが、そんな高等技術など考えもしていなかった。
高校の全国大会でも滅多に目にしない特殊なシュート。
「い、いえ、えっと、そんな、いえ、そんなのやろうなんて思っても……」
「聡美、今ちょっと考えていたんだがな、お前、少し練習を抜けて私と行ってみないか。」
「え、はい?」
「笹丸女子体育大学の女子バスケ部に。」
「え! えあ、あの笹丸女バスですか!?」
バスケに関わる者でその名を知らない者はいない。
誰でも一度は耳にする名門中の名門、笹丸女バス。
…監督なに急に! どうしよ、サイン書いてもらう色紙買っとこうかな……
聡美の脳裏には女子日本代表の有名選手が浮かんだ。
何人かはまだ現役で笹丸女子体育大学に籍を置いているはずだ。
「い、行く、ます……」
梅原監督が笹丸女バスと繋がりがあったとは知らなかった。
聡美はシュートスランプのことも忘れ、色紙何枚いるかな、とミーハー心で目を輝かせる。
その目の輝きぶりを見て、梅原は決心した。
…相当に練習はきつくなるが、呼ぶ方向で考えるか、“彼女”を。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
…おっと赤い魔女さんか。今はまずいかなこれは。
白楼の上空から赤羽根の様子を伺っていた奈執は、彼女とほぼ同一の座標点に湖洲香がいるのを視た。
雅弓との約束通り赤羽根の意識喪失状態を解除しようとしたのだが、これでは紫の『光の帯』を近付けられない。
今の湖洲香はその能力をどこまで覚醒させたか判らないからだ。
包帯の男と対峙するまでの湖洲香は奈執に取ってそれほどの脅威ではない、という認識だった。
穂褄や美馬が手を焼いたのはスピリウルの使い方の問題だ、と考えていた。
高次元空間における周囲の空間認識能力やテレキネシスの発動スピードは甘く見てはいけないレベルだが、所詮は第一階層と第二階層を行き来するだけの能力。
スピリウルを使えない片端能力者だった。
しかし今は違う。
次元反転結界、外から視ると黒い空間に見える結界を使えるに至っており、付随して気付くスピリウルの使い方は奥深い。
…或いは、放っておいても起こしてくれるかな、魔女さんが。
その奈執の読みは適中した。
野神や新渡戸に止められていたにも関わらず、湖洲香は仕掛けた。赤羽根に精神感応を。
「……コズカ?……」
「博士! 起きたのね!」
「……あれ、私……」
意識喪失状態の赤羽根は睡眠中に夢を見る時に出るとされているθ波中心の脳波に、再びα波が特殊な被り方をするという状態が見られた。
α波は覚醒時に生じるもので、湖洲香の侵入した赤羽根の意識世界が妙にリアルだったのはその為のようだ。
分析は白楼研究員の報告を待つが、湖洲香が思ったのはサイコメトリーに似ているということだった。
使い手の能力にサイコメトリーは今のところ発見されていないが、可能性の一つとして計量心理学は既に学んでいる。
…残された記憶、博士の過去、そこに意識が閉じ込められたんですわ、きっと。
いつのことだったか、喜多室もサイコメトリーを模索していると言っていた。
でも赤羽根は非能力者だ。サイコメトリーの空間を知覚するには、まず自らその能力を発動する必要があり、謎は深まる。
…そして自分が発動したサイコメトリー空間を現実と認識しちゃう……
だから自分ではそこから帰ってこられない。
その証拠に、と言うわけでもないが、赤羽根の意識はまだ現実とサイコメトリー空間を混同していた。
「私、確か……蓮田班長は……あ、れ……」
「班長は亡くなりましたわ。平気? 頭痛くない?」
「……あ、違う、諸星さんに、そう、話そうとして、能力者のことを……」
「まあ。それを話そうとしていたのね、諸星さんに。」
「コズカ……呼んでくれて……母さん、あ……あっ、コズカ!」
「はい。」
「ここは?」
「白楼の病室ですわ。お帰りなさい、博士。」
赤羽根はベッドからゆっくりと起き上がり周りを見渡した。
確かに白楼だ。
「コズカ、水、ある?」
「はい。」
常温の水をコップに注ぎ、赤羽根に手渡す。
それを赤羽根は一口飲み込んだ。
そしてガサッと髪に手をやり、しばらく目を泳がせた後、湖洲香の方に目を向けた。
「あ、ありがと、コズカ……呼んでくれたわね、私を。」
「うん。」
柔らかい笑顔を返す湖洲香。
この子の笑顔。この安心感は筆舌に尽くしがたいな、と赤羽根は思った。
「あ、今何時? 今日、何日?」
「ふふ。まずはゆっくり休んで、博士。」
「そんなこと言ってられないわよ。」
「だから倒れてしまうんですわ。お仕事に戻りたいならまず休まなきゃね。博士が私に言ったのよ。」
「そうだけど……あ、あんた、点滴どうしたのよ、関節炎がひどいはずよ。」
「もう治ったの。心配いりませんわ。」
「そんなに時間が経ったの?……あ、コズカ、ちょっと変な話するようだけれど、」
「はい。」
「なんだか、夢で見たのか、急に思い出したのよ。特殊査定班があの県の県警本部に設置された意図。」
「まあ。意図?」
「うん、使い手事件に絡むことが多かった城下桜南高校のある県に設置された理由。と言うか都合、かな、意図があるとしたら蓮田班長にあったはずで気になっていて。私もそれ忘れかけていたんだけれど、蓮田班長と今さっき話したような気がして……」
「確かに変な話ですわ。班長はもういませんし。」
「んー、そうね、そうなんだけど、なんか頭に引っ掛かるような……」
「ふふふ。精密検査が始まるまでまた眠ったら? 睡眠の大切さは博士の方がよくご存知でしょ。」
「寝ていられる気分じゃ……」
「寝、な、さ、い。じゃないと『光の帯』で寝かせちゃいますよ。」
悪戯っぽく笑う湖洲香に、赤羽根はあからさまに不機嫌な表情を作って見せた。
奈執は赤羽根への接近を中止し、『紫』を白楼の上空から消した。
そして考える。
赤い魔女、若邑湖洲香の弱点となる人物は誰なのか、と。
使い手を統率するにはその精神を拘束出来る人身御供を抑えることが手っ取り早い。
若邑湖洲香のそれは誰なのか。
父親の若邑兼久ではない。彼女の記憶に父親はいない。
赤羽根でもない。厚い信頼を向けてはいるが、白楼事件での行動を見れば人質にはなり得ないのがわかる。
恋心を抱いている男性はいるのか。
否、好きな男性がいたとしても、その男性も人質にはならない気がする。
人との距離感が、彼女の場合どこか異質だ。
心を許している人物は周りにいるだろう。
だが、その者を人質にしても向かってくる。
この赤い魔女の場合、死を賭して向かってくる。
…駄目か。こちらに付いてくれれば百人力なんだけどなぁ。
刑事局の使い手刑事たち同様、若邑も無理だ。
同じように喜多室も無理。
深越も接して判った。無理だ。
安来凌平と天草羽多はグレーだがどうなのか。
…『灰色』なだけに。
などと駄洒落紛いなことを考えている場合ではない。
栂井翔子で手駒は打ち止めと考え、動き出すことにするべきか。
…『黄色』の子、なんだっけ……あ、小林京子か。
ふと思ったが、すぐに考えから除外した。
精神感応しか出来ない使い手など、やはり使い道は無い。
邪魔してくるとも思えない。
…さてと。
邪魔と言えば彼、あの非能力者の高校生だ。
予測の付かない邪魔立てをしてくる彼。
南條も言っていた。彼は彼の意思で行動している、と。
彼の“牙”は抜いておく必要がある。
いざとなれば消すのは造作もないが、出来れば非能力者を殺めたくはないし、テレキネシスが通用しないのは面倒だ。
『薄ピンク』、『青緑』、『灰色』、『赤紫』、四種の『光の帯』にも動いてもらう都合上、やはりあの気紛れで凶暴な“牙”は邪魔だ。
奈執は自分の周辺でふわふわと漂う『動物の霊』に意識を向けた。
…スナールはスナールで。頼むぞ、おい。




