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桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
251/292

光、統べる者 2.

治信はるのぶは沢ヶ浦市へとバイクを走らせていた。

沢ヶ浦は緑養の郷が所在する市だが、今回も目的地は違う。

以前『鈴木尚子』の調査で立ち寄ったフリーの放送作家、久代恵美くしろめぐみ宅を訪れるためだった。

用件は他愛ないこと。コーヒーのブレンドが上手くいったので報告がてら世間話でもしようと思い立っただけだ。


暇になった訳ではない。むしろ逆だ。

一度この手の中に在った雅弓まゆみが再び連れ去られた屈辱。

舟岡莉歩、御笠一巳、皆月真人、若邑兼久……掘り下げなければならない調査は釈然としない状態で止まっている。いや、止められている。

私立探偵という立場上、そして治信の性格上、警察という国家権力の横槍などいつもなら意に介さない。

しかし、今回はあの押塚おしづかだ。共同戦線を張った以上彼に従わないわけにはいかない。


奈執なとりめ。


過る苛立ちが波の様に治信の心情を寄せては返す。

おそらく四国地方を捜査した碓氷うすい巡査の報告も、自分には全てが開示されてはいないだろう。

いっそ弟の義継よしつぐを連れて独自捜査に踏み切るか、とも考えたが、今回の件は手の打ちようの無い危険が多過ぎる。


…古見原警視は意識が戻ったとのことだが。


重症で長期入院中の古見原警視と喜多室。喜多室はまだ目覚めないと聞く。

杉浜光平を裏側から攻めてみようと手を尽くしたが、このガードの固さも半端ではない。と言うか、今の刑事局との共同関係ではゴリ押ししたくても出来ないのだった。


まあ、そんな状況とは言え、久代との時間につまらないしがらみは持ち込みたくない。

今はコーヒーだ。

彼女のブルーマウンテンとモカのブレンドを超えたものを出して、唸らせたい。

自分なりに試してからまた来る、と言ったのは自分だ。今日は野暮な話題は無しとしたい。

住宅街の路地を曲がると空家になっている鈴木宅が見えてきた。鈴木尚子……武儀帆海むぎほのみが暮らしていた家。

その隣、『久代』と表札の出ている家の前に、治信はバイクを停めた。


呼び鈴を押そうとすると、二階の窓がガラッと開き、眼鏡が半ばずり下がったボサボサ頭の久代恵美が顔を出した。


「おー、探偵、悪い、あとちょっとで原稿送信すっから勝手に上がっててくれ。玄関開いてるから。」


治信は大きく会釈を返した。

バイクの音だけで自分だと気付くとはさすがだと言うべきか。もしかしたら訪問者など自分くらいしかいないのかも知れないが。

この前訪問した時に通された和室の居間に入ると、クーラーは既に部屋を程よく冷やしていた。


「ん。」


治信の目に止まったのはテーブルに置かれた灰皿だった。


…あの日、私はここでタバコを吸わなかったはずだが。


久代自身もタバコは吸っていなかった。実は喫煙者なのだろうか。でも灰皿は真新しい。

武儀帆海は躁状態の時はタバコを毛嫌いしていたので、影響を与えたであろう久代も吸わないはずだと考え、治信は喫煙を遠慮していたのだが……

彼は敷かれている座布団の上に腰を下ろした。


蝉の鳴き声と鳥のさえずり。

かすかなクーラーの稼動音。

住宅街とは言え、周りを緑に囲まれている沢ヶ浦市はとても静かだ。

車の通りも少ない。


…いいところだな。


自分で挽いてブレンドしたコーヒー豆とコーヒーメーカーをバッグから取り出していると、久代が居間に入って来た。

手には印刷物を数枚握っており、口元をへの字に曲げて頭をガサガサと掻きむしっている。


「あー、ちょっと中断だ。終わらんわ。」


くたびれたジャージを下に履き、上は相変わらずTシャツ一枚である。


「あ、お忙しいのなら、私なら待たせてもらいますが。」

「いいのいいの、納期明日だしな。約束の時間過ぎてしまって済まんな、南條さん。」


メールを入れたのは治信からで、用件と時間を書いて送った。

久代からの返信は二文字、『承知』のみ。


「いえ、ご迷惑ではなかったですか?」

「バカ言え、楽しみにしてたぞ。お、コーヒーメーカー持参か。温度計付きの保温ポットは台所にある。どうせ水もこだわりのを持って来てるんだろ?」

「御察しの通り。」


治信は水の入ったペットボトルも取り出して見せた。


「ところで、久代さん、煙草を?」

「あ? アタシは今は吸ってないな。若い頃は吸ってた時もあったが、やめてから二十年以上経つな。」

「灰皿があるので……」

「ああ、南條さんが来るんで買っといた。」

「え、私、この前、吸ってましたっけ。」

「そんなもん匂いでわかるぞ。遠慮すんな。アタシは気にしない。」


これは参った。気を遣わせてしまったようだ。

しかし一方的にやられっ放しは主義に反する。


「そうそう、これ、使ってみて下さい。」

「あん?」


治信は『美容水』と書かれている30ml入りの小瓶を久代へ差し出した。


「ん? 化粧水か? 見ないデザインだな……メーカーは日本か。」

「まあ、こういうものは人によって合う合わないがありますから、合わなかったら捨てて下さい。」

「ふーん……いつも顔は洗顔フォームで洗いっ放しだからな……男からこんなもん貰ったの初めてだ。」

「では、ちょっとキッチンをお借りしますよ。」

「あ、ああ。」


半ば引きこもりのような生活をしている久代にとって、治信の気遣いは新鮮だった。

タンスのドアを開けて鏡を覗いてみる。


…げ、結構シミ増えてるな。こんなにクマあったか。


仕事を取るために以前はよく化粧をして外出したが、最近は化粧自体していない。

少しは肌にも気を使ってみるか、と久代は思った。


治信のいれたコーヒーは二種類で、一つは久代の味を再現したもの、もう一つは治信自身の好みを反映したもの。

久代は前者のコーヒーに九十八点をつけた。


「む、あとの二点は何です?」

「やっぱ酸味だな。ほんのちょっとなんだがな、まだ違うぞ。」


その後久代もブレンドをいれ、二人は飲み比べながら談義に花を咲かせた。


「ところでな、ちょっと南條さんの意見が聴きたいんだが……」

「ん、原稿ですか、お仕事の。」

「うん、ラジオドラマだ。子育てを放棄したような母親とその子供の話でな、まあ、ちょっと企画書と内容、見てくれ。」


家族愛がテーマになっており、本編の内容には乳児を炎天下の車に置き去りにして遊びに行ってしまう母親が描写されている。

ある意味、よくある社会問題を風刺しているもので、久代が治信に意見を求めたのは母親の病質に関することだった。


「アタシは母親をアスペルガー症候群と設定しているのだが、ディレクターはアスペだとテーマの愛情に辿り着かないだろうと言う。サイコパスなら絶望的だが、アスペルガーは病質ではなく障害の一種だから子供側から求める愛情には繋げられると思ったんだが、どうだ、成立は難しいと思うか?」


サイコパス、というキーワードに治信は一瞬身震いを止められなかった。

実父を思い出したからだ。

だがその恐怖心はなんとか掻き消すことが出来た。

それよりも、本編の様々な状況描写を読み、別の件で治信の頭は一杯になっていた。


…御笠一巳の親……母親はなぜ亡くなった?


調査対象として頭にこびりついていたからか。

御笠一巳は年端も行かない子供だったはずだが、その両親の死は?

久代の原稿は登場する乳児の気持ち、意識も細かく描写されている。それが治信に想起させた。

刑事局の記録には使い手孤児たちの両親の情報が少ない。特に、その死因。


「そう、ですね……この母親に後悔の念が希薄という点で、アスペルガーという設定は成立するとは思います。ただ、家族愛というテーマにおいては、やはり母親が正常な愛情を取り戻す描写に繋げた方がいいのではないでしょうか。」

「ふん、ディレクターと同じ意見か。そうか、うん……」


まだだ。

調べなければならないことはまだあった。

治信の頭には新たな調査アプローチが整理されつつあった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


遂に『彼』に辿り着いたのか、と思ったのは奈執だけではない。

傍らにいる白髪の男の方こそ、やっと『彼』に会えたという感慨の中にあった。


「初めは騙されたという気持ちばかりだったがな、みやびさん。」


その物言いにはもう嫌悪感的な感情は乗っていない。むしろ感謝の念すら感じる。

奈執は白髪の男、皇藤満秀こうどうみつひでの横顔をちらっと見て、再び『彼』に視線を戻した。

『彼』は医療機器に繋がれ、横たわり眠っている。


「言いましたでしょう、『彼』に会わせます、と。まあ、ここに来れたのは皇藤さんのお陰でもありますけれどもね。」

「しかし、なぜ楠木万凛くすのきまりが関わっていたと判ったのです?」

「それは内緒です。」


奈執の返答に、今度は皇藤が奈執の方へ視線を向けた。

そして、どこか達観したような目で言う。


「ここが終着駅なのだろう? 私も覚悟を決めている。教えてくれてもいいでしょう?」


奈執は皇藤の視線を感じながら横たわる『彼』を見る。

皇藤が口にした女性、楠木から奈執が読み取った思念が導いた『彼』を。


楠木万凛の戸籍上の姓は御笠みかさ。婚姻の後、旧姓楠木が御笠となった。

しかし御笠万凛は入籍後も御笠という姓を名乗らず、楠木として仕事をしていた。

彼女の仕事は霊媒師であり、そのマネージメントをしていたのが夫となった御笠氏だった。

御笠夫妻は子供を一人儲けている。男の子で、名は一巳かずみ

奈執が『彼』を探し出す情報として楠木万凛という人物の存在を知ったのは、包帯の男からである。

全てを包帯の男から託された時、奈執はその計画の全貌とともに知った……のだが、包帯の男の情報の中にも楠木と『彼』の関係やしがらみの詳細は無かった。

それを知っていたのは皇藤であり、奈執は『彼』に辿り着くために皇藤から聞き出す必要があったのだった。


「終着駅……ですか。」


死を覚悟している、ということなのだろう。

しかし、包帯の男からの情報だ、と明かすのはまだ早い。

まだ皇藤にはやってもらわなければならないことがある。

奈執も皇藤と目を合わせた。


「そのご覚悟、今少しお借りしたいのです。」

「ん?」


皇藤は目を細めた。

その表情は、もう杉浜のことで協力は出来ない、と言っているように奈執には見えた。

それでもやってもらわなければならない。包帯の男の最終的な目的。

奈執も細い目をいっそう細め、険しい顔をして見せる。


「警察に従事する全ての能力者、使い手、その解雇……いえ、解放、というべきですか、それを成したい。」


その奈執の要求に、皇藤は一瞬、固く目を閉じた。

苦悶とも取れるその表情に、奈執は強目の口調で被せるように続ける。


「七月二十九日、十五時四十二分、何が行われたのかはっきりしました。M.M.も誰のことなのか明確になりました。でも、慰霊碑の要求は所詮は前哨戦。警察庁の要人を始末したところで組織は残る。能力者を解放してこそ、全ては終わるのです。」


能力者の捕獲からラボ教育までの基盤を作ってきた皇藤には判る。それがどれほど難しいことなのか、が。


「無理を言う。最早それは不可能なことだよ、雅さん。」


奈執はまた視線を『彼』に戻した。

遠熊蒼甫とおくまそうすけが死に、目の前の『彼』……若邑兼久わかむらかねひさも亡き者とすれば悲劇は完全なる終焉を迎える。


「不可能?……皇藤さん、我々が杉浜に手を出さない理由、判りますか?」


皇藤にも奈執の言いたい事は判っている。

警察庁の監視役としてある国家公安委員会、その役割とは別に権限を超えた人為的圧力を今こそ杉浜に行使させろ、と奈執は言っているのだ。


「……今の私には何も出来んよ。」


皇藤は言葉に、能力者である雅ならば杉浜の暗殺も容易かろう、という含みを込めていた。


「出来ない、では済まされませんよ。」


奈執の声は落ち着いていたが、それ故に高圧的だった。

それは、これまで皇藤が聴いてきた雅のどの言葉よりも重くのしかかり、黒い粘着質の塊のように皇藤の胸中に広がっていった。

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