表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜は城下いとあはれ  作者: 木漏陽
第二章
249/292

夷草の唄 10.

『おかえりなさい』


そう、聞こえた。

青白い霊帯の者、皆月岸人みなづききしとを抱き込み、その魂を連れて行くはずだった。

教えてくれた。彷徨う子供が、教えてくれた。

『廃病院にいたよ』と、教えてくれた。

首を落とされた子供、御笠一巳みかさかずみに、私は導かれた。

羽多うたが心配だった。

桜の花びらのような霊帯、まゆみ。

でも、まゆみは強く、眩しく、重なることが出来なかった。

羽多が心配。か弱く、流され続ける灰色の羽多。

痛みを思い出す、山吹色の羽多。

出来た。

羽多には重なることが出来た。


『おかえりなさい』


そう聞こえた瞬間、私という個を包む殻が溶け始めた。

待って。

ちょっと待って。

ああ、そうだ、そうだ……

遥子ようこちゃん、あなたはもう……可哀想に、可哀想に……死んでいるのよ』

思い出した。

でも、それさえも、風見かざみ先輩の声さえも柔らかく溶けて……

ああ……ああ、終わるのか……

誰の声だったのかな。


『おかえりなさい』


海? 宇宙?

溶けて、包まれて、ああ、温かい……なに? 赤い……赤い、孔雀?……


『こうしないと君は離れられないからね』

『え?』

『渋木遥子さん、君は飛べない。仔駒雅弓こごままゆみからも、天草羽多からも』

『え、なに?』

『大いなる力に引き揚げられし魂達』


御笠一巳のテレパシー。

この子供を自分はなぜ知っているのか、どこで知り合ったのか……個の殻から内側へと染み込んで来る、言い知れぬ無限の意識体が語りかけてくる。

そう、私はこの人を知らない。知り得るはずが無い。

私が白楼はくろうに拘束された時、既に御笠一巳は死んでいたのだから。


『大いなる力? 何を言っているの?』

『きっかけは作ったよ。後は君の意志次第かな』

『何が? 何のこと?』

『僕は、二度死んでいる』


意味がわからない。

御笠一巳の言葉は不可解なものばかりだ。


ゆらりゆらりと えぬころぐさや

すすきのはなは まだかいな

ほいじゃあこっちの やまぶきいろは

せんじてのまんば はらもすく……


まただ。呼んでいる。

お父さん、お母さん。

よく歌っていたよね。憶えてる。とてもよく憶えているよ。

御笠一巳さん。

わかった。決めた。

行く。私は行く。溶けてしまう前に……


『おかえりなさい』


いいえ……『まだなの。ごめんなさい』


渋木遥子の浮遊霊は、対峙する光一こういち湖洲香こずかの前で別のビジョンを視た。

廃病院の一室で、全く別の景色を。

それは父が働いていた故郷の魚市場……小松島市の漁港だった。


湖洲香の守護霊、ジールは見ていた。

魂の浄化とともに次の輪廻の準備へと向かう浮遊霊の群れの中、一つ、はぐれた魂を。

だが、赤帝せきていの“まなこ”はそれを追わなかった。

意識体への帰還を労う言葉『おかえりなさい』を、その逸れ者は聴いたはずだった。にも関わらず帰らなかったのなら、それは捨て置け、という赤帝のご意志なのだろう。

魂の彷徨は汚れを誘い、益々自身の意思での成仏は遠退く。その分、守護神の導く霊力も強さを要される。


…自ら門戸を狭めし魂よ。


守護神の力を持たないジールは、刹那祈りの念を渋木遥子の魂へと向けた。


霊の還るべき場所、個にして全なる意識体に触れた渋木遥子の霊は、現世うつつよのしがらみを半ば達観した目で見ていた。

皆月岸人のことも、蓮田忠志はすだただしの指示も、全ては遠い日の世迷言に過ぎない。

今はただ父と母のいた故郷を見たい、白楼へ移送される前にいた地、生まれ育った町に帰りたい、そんな思念が強く残っていた。


生死の概念も希薄なまま、無意識に探してしまう。

逢えるものなら会いたい。足が不自由なまま必死に家庭を支えていた父に。

会いたい……

もういない……

でも会いたい……会いたい……


遥子の霊は魚市場を徘徊していた。

卸売りが片付き一般客への小売りが続けられている市場。

遥子と目を合わせる者はおろか、存在に気付く者もいない。


会いたい……いない……会いたい……会いたい……


『……遥子……』


ノイズの様な、微かな思念。


どこ? いるの? どこ? どこ? いるの? いるの? どこ? どこ? いるの? どこ?


生前の肉体の記憶が惑わせる。

目も耳も無い遥子には探し方が判らない。


『遥子……遥子……』


少しづつ近付いてくるような、深淵から響く思念。


どこ? どこ? どこ? どこ? どこ?……


だが遥子には視えない。


『……まさか……遥子……まさか……死……』


その思念はもう耳元で囁かれているような響きだ。


『いるの? お父さん! いるの? どこ? 見えない……どこなの?……』

『し、死んだ……遥子、死んだ、死んだのかああぁぁ! ああああうあああああ!!』


「何だ!?」


小松島警察署から到着した碓氷うすいが、この世のものとは思えないテレパシーらしき叫び声を察知したのはその時だった。

既にクレヤボヤンスは展開しているが『光の帯』は視えない。


「!」


漁港に停泊中の大型漁船が唐突にグラグラと揺れ始めた。

それは徐々に激しさを増し、海水は防波堤を越える高さまで上がってきている。

まるで生き物の様に海水が暴れ出し、不自然な高波が通路へと降り注ぎ始めた。

市場の通路に撒き散らされた海水が床にある物を押し流し、歩行者も足を取られる。

漁船は転覆しそうなほどの揺れを呈し、停止中のターレットトラックがいきなりガタガタと揺れ出した。

地面が揺れている感覚は無い。


…これはまるで、ポルターガイスト!


碓氷は人命保護を優先しつつ、『光の帯』で暴れている物の食い止めを始めた。

大型漁船をテレキネシスで押さえ付け、高波に対し『壁』を張る。

一般客の悲鳴、店員の喚く声が響き、重なり合う。

被害は徐々に市場内へ広がり始め、陳列されている魚介類が爆発でもしたかのように方々へ飛び散る。


…誰だ! どこだ! 使い手は!


「警察庁捜査課の者だ! 場外へ速やかに退避して下さい! 繰り返す! 速やかに市場から出なさい!」


陳列棚の硝子が弾け飛び、飛散する物につまづき転倒する店員や一般客が出始めた。

人の血か、魚の血か、床に赤く滑る液体が増えていく。

透視視野が届く限りテレキネシスの半径を広げ、必死に被害を食い止め続ける碓氷。


…!!


背後から一台ターレットトラックが飛んで来た。

数トンの重さになる運搬車を投げ飛ばすなど、使い手の仕業以外考えられない。

危うく『壁』を張って止めた碓氷は、ようやくポルターガイストの“媒体”らしきものを見た。

それは無色透明の『膜』のようなもので、白楼地下十五階の『能力者結界』を思わせるものだった。

発見に苦労したのは、無色透明だということもあるが、『膜』の表面が三次元物質と接触したりしなかったりするためだった。


…なんだこいつは!?


論理的に考えるならば、三次元空間へ出現したり消えたりしていると考えられるが、こうもランダムに能力媒体を操ることは簡単ではない。

例えるなら、感情に任せて盲目的に第一階層と第二階層を行き来する『光の帯』の暴れ方か。

クレヤボヤンスでの視え方からすると、第三階層から放出され次元を越えてくるようだが……とにかく本体の所在が判らない。


『やめて、やめて、お父さんならもうやめて、やめて、お父さん、やめて、やめて……』


滅茶苦茶に荒れていく魚市場の中で、父の姿も見つけられないまま、遥子はひたすら念じていた。

次第に弱まっていくポルターガイスト現象。

遥子の父親、渋木賢太郎しぶきけんたろうの霊は、額から血を流す娘のビジョンを苦悶の念で見ていた。


遥子の霊と父賢太郎の霊は三次元座標で言えば数メートルと離れていない距離に在った。

ただ、賢太郎は遥子に“像”としての意識を向けていない。ただ感情に任せて怒りと悲しみだけを向けていた。

この魚市場にも地縛霊は多い。肉体を持たない霊同士は、意識を向けないとお互いの生前の姿を視ることが叶わない。


ポルターガイスト現象が収まった頃、賢太郎の霊に語り掛ける存在があった。


『君はまだこんな所にいたのか。仕事に未練があるのか?』


憶えている。忘れようもない。本州和歌山北港から乗り付けていた業者、事故で死んだ御笠秀重みかさひでしげ

しかし渋木賢太郎に最早特別な感情は無い。

あるのは妻と娘への未練だけだ。

賢太郎は意識を閉ざし、ただただ悲嘆に暮れる地縛霊として在った。

その御笠秀重の霊は、遥子には御笠一巳に視えていた。

御笠一巳は首から血を滴らせ、にやっと笑うと、遥子の視界からすうっと消えた。


碓氷は『透明の膜』を使う能力者を、結局見つけ出すことが出来なかった。

死者こそ出さなかったものの、捻挫や切傷など負傷者を二十数人出してしまう惨事となった。

小松島警察署の捜査が入り書類送検、地震も観測されず不可解さを残すこの事故は徳島県警を通り警察庁へも速やかに報告された。

問題は、検察庁を通されたことに付随し、碓氷に事故原因が特定し切れなかったことだ。

目撃証言も含め“不可解な超常現象”の扱いになり、それを秘密裏に能力者を捜査投入している刑事局が隠し切れない事態にあった為、その矛先が……


「碓氷巡査、捜査は一旦打切りです。検察の動きを見る。戻って来たまえ。」


刑事局局長の佐海さかい警視監も碓氷に謹慎を言い渡さざるを得ず、養老研究所の捜査は見送りとなった。

超常現象の中に使い手が碓氷一人とあっては、刑事局としても碓氷に能力者聴取を行わざるを得ない。


東京への帰路で、碓氷は一つの恐るべき仮説に頭を巡らせていた。

小松島警察署で見かけた子供、激しいポルターガイスト現象、御笠秀重という死亡者の名、夷草の歌……こうは考えられないか。夷草の歌は使い手刑事を渋木賢太郎の霊の前に誘き寄せる罠だった、と。


…嵌められたというのか、幽霊に。


死者にその様な理性的な計略が策せるものなのか。

天草羽多までもが利用されたと言うのか。

しかし、もしそうであるならば一つはっきりした事がある。

それは……


…土佐清水の養老研究所には大きな秘密がある。脱走者達が隠し通したい何かが。


これで少なくとも二日は捜査の足止めを食らったことになる。

皇藤満秀こうどうみつひではどこにいるのか。

まだ、生きているのだろうか……。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あれ!」


雅弓まゆみは思わず声を上げ、慌てて口を塞いだ。

調理場には舟岡ふなおかがいる。これは見られたらまずい。

湖洲香に借りている漫画の最新巻、そこにメモが挟まっていたのだ。


『いおりんとくまりんが腕相撲をしました。さて、どっちが勝ったでしょう? 正解したまゆみちゃんにはもれなく“わんこ注入”を差し上げます。おうぼ期間 七月二十八日まで 正義の味方かどもりんより』


「え、どっちかな。」


くまりんが強そう。

あ、でもイオリもなんか強そう。

わんこ注入ってあれかな、ワンて鳴く注射かな。


「ふっ、ふふ、ふふふ。」


にゃあ


雅弓は猫の注射器を押してみた。

しばらく飽きていたが、たまに触ると思い出す。


…コズカ元気かな。ユウキ面白かったな。


あれからハルノブも来ない。

こんな遠くじゃ来れないか。

みんな怒ってないのかな。

帰ろうかな。

でも学校も行きたいしな。


雅弓がメモを覗いているその頭上、第三階層に、紫の『光の帯』が揺らめいていた。


…ふん。こちらも手を打つか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ