ウォルク
若いメイドのキーラに案内されながら、メアリーはホールにある階段を上ると、正面に大きめな花瓶が飾られていた。
ユキアが好きだと言っていた東方の国の白磁。彼女はこの花瓶にいつも花を飾るのだと手紙に書いてくれたことがある。
現在は何もいけられておらず、ただ、花瓶が置かれているだけだ。
「こちらの花瓶は、奥さまが花をいけられておりましたので……」
花瓶を眺めていたメアリーにメイドが説明をする。何の花も飾られていないことを不審に思っているように見えたのかもしれない。
「ええ。わかっているわ。ユキアの仕事だもの。簡単に誰かが担えることではないでしょう」
メアリーは目を伏せる。
「こういうことって感傷にすぎないけれど。ウォルクにとって、ここに花があるのと、花がないことのどちらが心休まるのか、わからないわね」
母を思い出す花瓶を撤去した方がいいという考えかたもあるし、生前のように誰かが花を活け続けるのも慰め方の一つだ。
結局のところ、周囲の大人が考えることだろうが、正解はたぶんない。
「大奥さまは、お噂通りとても優しい方なのですね」
キーラはぽつりと呟く。
「あら、意外ね。さきほどのアレをみても、そう思えたの?」
「ええ。爽快でした」
メアリーがくつくつと笑うと、キーラも笑い出した。
「あの方たち、ユキアさまのご親族とはとても思えないほど、図々しくて傲慢でした。最初にウォルクさまから言質をとるという悪辣さで屋敷に入り込んでしまって、セバスさまも手を焼いておられましたから」
「なるほどね……」
幼いウォルクから滞在の許可を取りつけて好き放題していたということなのだろう。セバスの立場では、ウォルクと叔父の男爵が会うことを阻むことはできず、ウォルクが許したとなれば迎え入れざるを得ない。
「大奥さまがいらしてくださって、助かりました。本当に好き勝手ばかりなふるまいでしたの。ウォルクさまが一番お辛いのに」
メアリーの機嫌を取ろうとしてというより、本気でロクスタン夫妻に腹が立っていたのだろう。
「ウォルクの様子はどう?」
「お熱は下がりつつあります。ただ、男爵夫妻の件もあって、お心が休まらず落ち着きませんね。お二人のご遺体も帰ってきておりませんから、お気持ちの整理も難しいでしょうし」
「そうね」
変わり果てた両親の姿をみれば整理がつくのかといえば、そんなことはないだろう。年老いたメアリーですら、息子たちの姿を見たら平常心ではいられないかもしれない。
「こちらですわ」
案内された部屋は、その昔、エリックの部屋としていた子供部屋だった。もちろん、細かい部分は変わっている。ユキアとエリックが、自分の子供の為に改装して整えたのであろう。壁紙からカーテンに至るまで、センスの良さが感じられる。壁に並ぶ本棚には、エリックに子供の頃買い与えた本も並べられていた。
「ウォルクさま。お婆さまがお見えです」
キーラは寝部屋への扉の向こうへと声をかけた。
「どうぞ」
扉が内側から開き、女性が頭を下げた。服装から見て家庭教師だろうか。
「ありがとう」
メアリーは礼をのべ、中に入った。部屋には既に明かりが灯されており、窓にはカーテンが引かれている。
メアリーの記憶よりも三年分成長したウォルクは、ますますエリックに似てきたようで、それがメアリーの胸をつまらせる。ただ、その頬はこけていて、顔色も青白い。
「お婆さま?」
ウォルクはか細い声で問いかけた。前に会ったのは三年も前。あまり記憶にもないだろう。
「こんにちは。ウォルク」
メアリーは出来るだけ優しく微笑んだ。
「随分と大きくなったわね」
「お婆さまはお変わりないですね」
そつのない受け答えに、メアリーは目を丸くする。九歳にしては大人びた反応だ。貴族の子供は早熟なことが多いから、珍しいというほどではないだろうけれど。
「まあ、ありがとう。すっかり紳士になったのね。あなたのご教育のおかげかしら」
にこりと先程の女性に声をかけると、女性は恐縮したように頭を下げた。
──あら、怯えられているのかしら?
メアリーは苦笑した。
先程、男爵夫妻をやり込めた様子を見ていたのであれば、何の不思議もないが、この女性はウォルクと一緒にいたから見ていないはずだ。
もっとも面識はないが、メアリーがどういう人物か知っていれば、そのような態度をとられてもおかしくはない。かつては黒豹の魔術師と恐れられたメアリーである。
「お婆さまがこんなに早く来て下さるとは思ってなかったです。お婆さまは汽車に乗らないかもって聞いていたから」
ぽつりとウォルクが呟く。
「あら、そうなの?」
メアリーは首を傾げる。
「その……鉄の塊が怖いんじゃないかと思って」
ウォルクがちらちらと家庭教師の方を見た。
なるほど。メアリーは老人だから、新しい乗り物を忌避するのではないかと言っていたのかもしれない。メアリーを少しでも知っている人間なら、そんな発想にはならないだろうけれど。
「全然怖くなかったわ。あなたのお祖母ちゃんは、こう見えて新しいものが大好きだから」
ふふふと、メアリーは笑ってみせる。
「ねえ、お婆さま……ボク、お父さまとお母さまにきちんとお別れできるでしょうか? 叔父さまが、ボクみたいな子供はきっと怖くて泣いちゃうから無理だろうって言うんです」
「え?」
意外な言葉に、メアリーは目を見開いた。
「だからボクみたいな子供は、おうちにいるべきなのでしょうか」
ウォルクは泣きそうな顔でメアリーを見上げた。




