男爵夫人
「大奥さま、お帰りなさいませ」
ホールに入ると、整列した使用人たちが頭を下げた。
「久しいわね。アンリ。今は家政婦長になったと聞いたわ」
使用人たちの中心に立つ懐かしい顔に、メアリーは破顔した。
エリックがまだ幼い時に、見習いで奉公にやってきた少女は、今ではこの屋敷になくてはならない存在になっているようだ。
「それで私はどちらの客室を使えばいいかしら? 男爵家はどちらの客室をご使用になられているの?」
「大奥さまには、特別室をお使いいただくようにとセバスさまからいいつけられております。男爵さまは……」
アンリは言いにくそうに口ごもったが、意を決したようにメアリーをみつめた。
「男爵さまご一家は、旦那さまと奥さまのお部屋をご使用になられております。お子さまは一階の客室をお使いになられておりますが……」
「あら。随分と大胆なことね」
メアリーは息を吐いた。
予想はしていたがそこまで阿呆とは考えていなかった。後見人を狙うならもっと慎重に動くべきだ。あまりにも品位がなさすぎる。おそらく、他に有力な親族がいないとタカをくくって、有頂天になっていたのだろう。それにしたって、後見人は、侯爵になることではない。あくまで、当主が成人になるまで保護をし、財産を一時的に管理、運営するだけだ。そしてそれはあくまで、後見人の申請が王に認められてからの話である。エリックの告別式も終えてない段階で、認可がおりるわけなどないのだ。
メアリーは振り返り、自分の後ろからホールに入ってきたロクスタン男爵とセバスを見た。
「セバス、男爵一家の荷づくりは、うちの使用人でやって差し上げて。くれぐれも忘れ物や、うっかりうちのものが混入していないか念入りに確認なさい。書類は特に気を付けてね」
「承知いたしました」
頷くセバスに、ロクスタン男爵は顔色を変える。
「人を泥棒のようにおっしゃるとは、し、子爵さまと言えども侮辱でございますぞ!」
「あら。息子の死については事故か事件か警察は決めかねているようだと聞いておりますわ。万が一にも事件だった場合、この時期に被害者の部屋に出入りしていたとなれば、なんらかの証拠隠滅を狙ったと警察は見てもおかしくないのではなくて?」
「私は何も!」
「ええ、そうでしょうね。ですからこれはあなたのためにもなることでしてよ。痛くもない腹を探られたくはないでしょう?」
くすりと、メアリーは笑う。そしてホール正面の階段の上に目を向けた。不必要に着飾った男爵夫人が階段をおりてこようとしていた。一応は、メアリーに挨拶をする必要を感じたのかもしれない。タイミングとしては遅すぎるが。
「まあ、これは元侯爵夫人。遠いところをわざわざお越しいただいて」
男爵夫人は会話が聞こえていなかったのか、傍までやってくるとメアリーをにこやかに迎え入れた。まるで自分がこの屋敷の女主人になったかのようだ。
夫婦そろって、おめでたいというべきか。
メアリーは男爵夫人の首元をじっと見る。見覚えのあるネックレスだ。それにドレスのサイズが微妙にあっていないところを見ると、ユキアのドレスを勝手に着用しているのかもしれない。
「ねえ、男爵。私の記憶が正しければ、夫人が今しているネックレスは私が義娘のユキアさんに差し上げたラスカルゴ侯爵家に伝わる家宝のようにみえますけど、そんなことはないですよね?」
メアリーは冷ややかに二人を見つめた。
「ホテル『プラチナ』ではなくて、窃盗で刑務所にぶち込んで差し上げてもいいのよ? お忘れかもしれないけれど、私の実兄はこの国の警視局長なの。特別に部屋をお願いすることもできないわけじゃあないわ」
「なっ──」
男爵の顔色が青ざめる。夫人も事情が分からないまでも、メアリーの眼光に言葉を失ったようだ。
「まあ。冗談よ。さすがにまだ盗まれてもいないものを盗んだといって通報するボケ老人ではないわ」
メアリーはホホと笑った。
「親族であるあなたがたにおかしな行動があるとなれば、ウォルクが侯爵家の爵位を継ぐことを認められず、爵位を返上することを求められる可能性だってあるのよ。私を過去の人間扱いなさるのは結構だけれど、軽率な行動は慎まれることね」
「そんな返還だなんて……ウォルクの為にならないことをするとおっしゃるの? 祖母でいらっしゃるのに!」
男爵夫人はメアリーに対して怒りをぶつけた。
「あら。誰がウォルクの為にならないことをしていると?」
メアリーは小首をかしげた。
「失くしたばかりの母親の遺品を勝手に漁る行為は、孫を傷つけないとでも思っていらっしゃるの?」
言いながら、メアリーは男爵夫人を睨みつけた。彼女の周囲の床が薄い氷を張り始め、冷気が彼女を包んでいく。
「えっ、何?」
突然の寒さに、男爵夫人は自分の腕で自分を抱きしめ震えあがる。
「大奥さま、ホテルの手配ができました」
セバスの声に、メアリーは夫人から視線を外す。すると冷気がすうっと消えていった。
「そう。では、指示通りにお願い。よろしいわね、ロクスタン男爵夫人。あまり私を怒らせないで。若い頃と違って、力の自制が利かなくなっているの」
メアリーはわざとらしくため息をつく。
「まったく年は取りたくないものね。うっかり誰かを殺しかねないもの」
その言葉に男爵夫妻は腰を抜かし、抱き合うようにして震えはじめた。若い頃、魔獣との闘いで生死をかけてきたメアリーからみれば、軽いジャブのつもりだったのだが、そういったことに縁のない二人には、殺人鬼にでも会ったように感じたのかもしれない。
「ウォルクの部屋に案内してもらっていいかしら」
恐怖で動けなくなってしまった男爵夫妻に興味をなくしたメアリーは、若いメイドに声をかけた。
「こちらでございます」
その言葉を合図に、使用人たちはメアリーの命じた仕事をこなすべくあちこちに散っていった。




