ロクスタン男爵
本日2話目
ラドーラ地区にあるラスカルゴ侯爵家のタウンハウスは、かなり広い敷地面積を持っていて、門から屋敷まで馬車でも、かなりの距離がある。
「変わらないわね」
二十年ぶりとはいえ、嫁いでから二十年近く住んだ場所である。メアリーにとっては、どこも息子のエリックとともに過ごした思い出が詰まっており、胸が張り裂けそうになった。
「奥さま……」
向かい合わせに座っているサラがそっとメアリーの手を握った。
「ありがとう。大丈夫よ」
メアリーはそっと頷く。
亡き夫は病だったから、覚悟ができた。最期に愛と感謝を伝えることもできたから、弔いの日は、悲しくはあったがこんなに心がつぶれるような思いになることはなかった。
家令から送られてきた訃報によれば、夫婦で出かけた舞踏会の帰りに馬車が横転したらしい。詳細はまだ警察が調査中だという話だ。
「こんな形で帰ってきたくはなかったわね」
息子夫婦と仲が悪かったわけではない。ただ、首都での人間関係が煩わしかっただけだ。もっと定期的に顔を出しておけばよかったと、メアリーは苦く思う。
その気になればいつでも会いに来れると、どこかで油断していたのだろう。
「大奥さま。到着いたしました」
馬車が停車し、メアリーは御者の手を借りて優雅に降りる。
既に日は傾き始めており、玄関には明かりが灯されていた。
「お帰りなさいませ、大奥さま」
「久しぶりね、セバス」
出迎えた家令のセバスにメアリーは軽く笑む。
「ウォルクは?」
「坊ちゃまは、熱が出て寝込んでいらっしゃいます──病気というよりは、傷心のせいでありましょう」
セバスは答えた。
「告別式はいつの予定?」
「まだご遺体が警察から帰ってきておりません。話によれば、明日の午後にはお戻しいただけるということなので、明後日には執り行えるように手配を始めてはおります」
「そう……」
ということは、まだ息子夫婦はこの家に戻っては来ていないのだ。
「遺体の確認はあなたが?」
「はい。それとロクスタン男爵も──」
「ユキアさんの弟ぎみの?」
メアリーは首を傾げた。本来ならエリックの息子のウォルクがすべきなのだろうが、ウォルクはまだ九歳。親族としてロクスタン男爵が同行するのはそれほどおかしいことではないけれど、違和感が残る。
「それで、私は客室を使っても大丈夫かしら?」
「もちろん構わないのでございますが……」
セバスは言葉を濁した。
どういうことかメアリーが問いただそうとしたとき、玄関の扉がパッと開いた。
「これは元侯爵夫人、遠路はるばるお疲れ様でございますなあ」
なれなれしい笑みを張り付けながら現れたのは、中年の男だった。
「ああ、ロクスタン男爵でしたか」
メアリーはちらりとセバスを見ると、セバスは困ったように顔を伏せた。
「すぐにお食事を用意させますゆえ、中にお入りを」
丁寧だがどこか尊大な口調にメアリーは美しい眉根を寄せる。
「失礼ですが男爵、なぜ、あなたが私をもてなすのでしょう?」
「それはもちろん、元侯爵夫人が私の甥っ子の祖母でいらっしゃるからですが?」
悪びれもなく、ロクスタン男爵は答えた。にこにことした表情管理はなかなかのものだ。
──なるほど。
メアリーは理解した。この男は、ウォルクの後見人となり、侯爵家をのっとるつもりなのだ。
一年ほど前、嫁のユキアから手紙で相談を受けたことがあった。ロクスタン男爵家は男爵家としてはかなり裕福な家だったが、弟のバクス・ロクスタンの代になってからかなり傾きはじめており、金の無心をされて困っているというような内容だ。メアリーは、ある程度まとまった金を渡してもいいから縁を切るように薦めた。もちろん、その旨をきちんと文書に残す形にするようにとアドバイスも添えて。その後、ユキアからの返事はなかったから、結局、どうなったのかはわからない。ただ、ここにいることを考えれば、縁切りまではしなかったのだろう。
「勘違いなさっているようですから申し上げますが男爵、ここは私の屋敷です。歓待して差し上げるのは私の方ではないでしょうか?」
にこりとメアリーは笑う。
「ですが、元侯爵夫人は首都から離れて長くていらっしゃる。ウォルクのことも、最近の首都でのラスカルゴ家の様子も私の方がよく存じております」
男爵も負けじと言い返してきた。メアリーを世間知らずの田舎者だと言いたいのだろう。
「告別式の喪主も私が務めさせていただこうかと──」
「それはご遠慮いたしますわ。喪主は、あくまで孫のウォルクがするべきです。もちろん私が付き添いますからご心配はなさらずとも結構です」
メアリーは肩をすくめてきっぱりと断る。
たとえロクスタン男爵が後見人になるにしても、侯爵位を継ぐのは、ウォルクだ。参列する者たちに、そのことを知らしめる必要がある。
「セバス、ひょっとして男爵は当家に滞在なさっているの?」
「……はい。ウォルクさまを案じられ、その、ご一家で」
言いにくそうにセバスは頷く。どうやら男爵は後見人の認定を待たずに家族で屋敷に乗り込んできたようだ。
「ではセバス、ホテル『プラチナ』のスウィートを十日間ほど押さえてくれない? 男爵一家をそちらにご案内差し上げて」
「承知いたしました」
セバスはうやうやしく頭を下げる。
「なっ、それはどういう意味です? 私を屋敷から追い出そうとなさるおつもりか?」
男爵はムッとした顔になった。
「まあ、とんでもないですわ。当主が不在の状態ではご歓待もままなりませんもの。それとも『プラチナ』では気に入りませんか?」
ホテル『プラチナ』はこの国で一番の高級ホテルだ。そのスウィートとなれば、男爵の収入では一泊することも難しいはずだ。すぐに飛びつかないのは、ウォルクを案じて屋敷に滞在しているという『大義』に反するからだろう。
「……お心づかいありがとうございます。元侯爵夫人」
男爵は渋々というように頷いた。目は憎しみに燃えている。後見人の名乗りに難癖をつけられたと考えているのだろう。
「それからその、元侯爵夫人というのもやめていただけるかしら? 確かに私は元侯爵夫人ですけれど、子爵位も持っておりますのよ」
「え?」
「若い頃は魔獣退治などをしましてね、陛下から爵位を賜りましたの。ご存じなかったのですか?」
メアリーはニヤリと口の端を挙げた。
「ですから、個人としての爵位もあなたより上ですの。ウォルクの後見人としてあなたが私より有利なのは、年齢だけよ。お分かりになられたら、さっさとしっぽを撒いてホテルにご移動になってくださいな」
「くっ──」
男爵は口にしかけた悪態を飲み込んだ。
「くそババアとおっしゃりたいのなら、そうおっしゃってもよろしいのよ? その場合は、スウィートは取り消させていただきますけど。私、とても心が狭いの。さあ、セバス手配を。それからサラ、荷物を運んだら、あなたは休んでいいわ」
メアリーはすたすたと屋敷の中へと入っていった。




