アルコル文書
オスティブが金庫から取り出した書類の束は、かなり分厚いものだった。
「警察で見たものより、随分と分厚いわね」
「一枚一枚、魔術誓願のように陣が描かれているから、情報量は少ない」
メアリーは手にとって、ページを用心深くめくる。
明らかに偽名と思われる名前の横に捺印された、魔力の本人印。そして売買契約の内容とともに、複雑な魔術の陣がそれぞれに描かれている。
「これは……かなりきつい沈黙の誓い?」
「ああ。しかも強力で、陣を解除するには、かなり魔力と時間を要する。逮捕をして、尋問をしても自白させるのはまず不可能だ」
オスティブの表情は苦い。
「でも、まだ誰も捕まっていないということはないのでしょう?」
「ああ。たとえば一年ほど前、西風のドルレイクこと、セルニウ男爵は逮捕された。複数の遺体がみつかり、結社アルコルに関しての自白はないが、爵位ははく奪され、北部に送られた」
強制労働に処せられたのは、いつかアルコルについての自供を期待してのことだろう。
「人を買った人間の理由はさまざまのようだ。セルニウ男爵は、弑逆趣味があった。地下で無抵抗の人間をなぶり殺すために、何度も購入していたようだ」
「……とんでもない奴ね。極刑でもいいのに」
「それはそうだ。ただ、重要な生き証人でもあるからな」
オスティブは首を振る。
「セルニウ男爵は末端だが、かなり政府の中枢部にいる人間がかかわってもいる。そして、何より、この文書それぞれに施された魔術陣。膨大な魔力、豊富な知識。ただものではない」
「魔術省の上層部の魔術師が関与している可能性があるということね」
「ああ──ゆえに、魔術省への協力要請はためらっている」
軍内部は、魔力誓願を提出させることにより、部外者やスパイが侵入できない状態を極力減らせるが、魔術省にそれを要求するのはなかなかに難しい。
オスティブはベン・スミスと書かれた署名を指さした。
「この魔力の本人印。何か気づかないか?」
メアリーはじっとみる。メアリーは攻撃魔術が得意で、魔力の探査、個性や特徴を観察するようなことはどちらかといえば苦手だ。
「よくわからないけれど……かなり個性的な魔力のようね。属性が混ざっているような……」
「そうだ。おそらくこのスミスには、本人以外の人間の魔力がかなりの分量で混じっている」
オスティブは書類をとじた。
「そんなことが可能なの?」
魔力の量は成長とともに変化する。だが属性、その質が変化することはない。
「魔力欠乏症の治療の一環で、他人に魔力を補充する術が存在するのは知っているか?」
「……では、このスミスは、魔力欠乏症?」
メアリーは首を傾げた。
「それはわからない。ちなみに、魔力欠乏症と思われる患者を何人かあたったが、すべて的外れだった。残念ながら、この特徴は二十日もすれば、本人自身の魔力が凌駕してわからなくなるから、もうこの本人印は一致しないだろう」
「だったら……今は証拠にならない?」
「参考程度には、なるがね」
詳細に鑑定すれば、七割近く本人だという確証は得られるが、一致させるのは不可能ということらしい。
「だが、エリックが『スミスの件で、調べてみたいことがある。近いうちに軍に行く』というような連絡が入った」
「それは、いつ?」
メアリーは胸がドキリとするのを感じた。
「亡くなる七日ほど前だ」
「七日前……」
メアリーは首をひねった。
エリックの日記は、亡くなる前日までつづられていたはず。何か手掛かりはあっただろうか。メアリーは何となく持ち歩いていた日記を取り出した。
「七日前……軍に連絡後、図書館で、ミ・アプラ・キドゥスの医学論文を読んだと書いてあるわね……」
ミ・アプラ・キドゥスは、魔力が原因で起こる病気を生涯研究をしていて、魔力欠乏症や、そのまた反対の魔力過多症などの治療法を発見した人物だ。亡くなって三十年たつが、医学界で多大な功績のある人物である。
「何か、魔力欠乏症のことでわかったことがあったのかもしれない」
オスティブが頷く。
「見せてもらっても?」
「ええ──私が許可していいものでは本来ないのだけれど」
日記はあくまで個人のもので、親兄弟といえども、勝手に読むのはやはり失礼だとメアリーは思ってしまう。だが、少しでも手掛かりが欲しいのは事実だ。
「エリックは人に見られる可能性を考えていたのか、日記もずいぶん気を付けて書いているわ」
アルコル文書のことも、何があって何を調べようとしていたのかも、詳細を書いていない。それがもどかしい。
「ねぇ、ジム。そのあたりでエリックの行動で覚えていることはない?」
オスティブが日記を繰る間、メアリーはジムに声をかける。
「エリックさまは基本出張以外で護衛をお連れになることは少ないので、どこに行かれたのか全部知っているわけではないのですが──かなりあちこちの省庁で調べものをなさっておいでのようでした。ああ、あと、舞踏会の前日にマードック医師に会いにいきました」
「マードック医師?」
聞いたことのない名前にメアリーは首を傾げた。ラスカルゴ家の専属医師は別におり、よほどのことがないかぎり、別の医師に診察を受けることはない。
「マードック医師は、ミ・アプラ・キドゥスの孫弟子にあたる、魔力にまつわる病気の専門医だよ」
オスティブが脇から説明をする。
「それなら今からでも会いに行くべきね。ジェイムズ、お世話に──」
「俺も行こう。これでも今は『将軍』だ。肩書があったほうが、話が進むことも多い」
オスティブは立ち上がって、メアリーに手を差し伸べた。
「でも、お忙しいのではなくて?」
「今は魔獣の活動もおとなしいものだし、国境も平和で安定している。平時に上官が仕事をしすぎると、下士官に迷惑が掛かるものだ」
「軍人と警官は暇な方がいいわ。では遠慮なく、エスコートをお願いするわね」
くすりとメアリーは笑い、オスティブの手を取った。




