ジム・ホプキンズ
翌朝、ウォルクとメアリーが朝食をとったあと、セバスとメアリーが今後のことを応接室で打ち合わせをしていると一通の手紙が届いた。
ダランドあてで、差出人は彼女の実家だ。本物かどうかはわからない。
「兄上に会ってくるつもりだから、ついでにこれは渡したほうがいいわね」
「左様でございますな」
封を開けても構わないかもしれないが、こういうものは警察に任せた方がいい。今回の事件に関連するものの可能性もあるし、そうでなかった場合は、ダランド自身にとって重要な可能性も高い。その判断をするのは、メアリーではなく、警察だ。
「あちこち官庁にも顔を出してくるわ。ウォルクの後見人とか手続きをしないと」
「ロクスタン男爵が既に動き始めていたようですので、少し面倒なことになるかもしれません」
「そうねえ」
後見人は別に早いもの勝ちで決まるというものではない。
ただ、複数人手が上がった場合、ウォルク自身の意思、経済力や社交界の影響力なども鑑みて、決定される。
「二十年、社交界にほぼ顔を出してないから、そこは致命的だわ」
それにメアリーは六十歳。働き盛りのロクスタン男爵と違って、成人するまで必ず見守れるかというリスクもある。
「大奥さまとロクスタン男爵のどちらを選ぶのかなど、悩む必要もないほど明白でございますので、最終的には落ち着くところに落ち着くかと存じます」
「そうだといいわね」
もちろん、メアリーとて、手をこまねいているつもりはなく、持てるつてはすべて活用するつもりだ。少なくとも、ロクスタン男爵などに負けるわけにはいかない。
「なんにしても、大奥さま。ジムをお連れ下さい。大奥さまに護衛は不要とは存じますが、ラスカルゴ侯爵家の格式にも関わりますので」
「首都は久しぶりだから、案内がつくと思えばありがたいわ」
名門の貴族の婦人の外出には、護衛が付き従うのが一般的だ。
嫁いだばかりの頃は、それが面倒で煩わしく感じたが、さすがに今のメアリーはそれも必要なことだとわかっている。
「そうそう。昨日、駅で子供に怪我をさせてしまったから治療費にってイヤリングを渡したのだけれど、お釣りを持ってくるかもしれないわ」
「お釣りですか?」
セバスは目を瞬かせた。
「ええ。持ってこないかもしれないけれど、もし持ってくるようだったら、うちで雇ってくれると助かるわ」
「……相変わらず大奥さまは、お節介がお好きでいらっしゃる」
セバスは肩をすくめ、仕方ないというように微笑む。
「馬車を用意させます。それから、あまりご無理はなさらないようにお願いいたしますよ。大奥さまがお倒れになったら、それこそ、ラスカルゴ侯爵家が立ち行かなくなってしまいますから』
「そうね」
メアリーは心配気な家令に頷いた。
メアリーの護衛となったジム・ホプキンズは、二十代後半の美丈夫だった。軍ではなく、侯爵家付きの私兵になったのは、騎士としてはかなり小柄だからであろう。とはいえ、小柄だと軍に入れないわけではない。
四人掛けの馬車に向かい合うように座ったメアリーは、ホプキンズを観察する。短い栗色の髪。大きいが鋭い瞳。若い令嬢なら、つい見とれてしまう外見だ。
「あの……大奥さま、どうかなさいましたでしょうか?」
値踏みするようなメアリーの視線に居心地の悪さを感じたのか、ジムは口を開いた。
「いいえ。さぞかし令嬢にモテそうだなあと思っただけよ。軍ではなく、うちに来たのはどうしてなの?」
「給金が良かったからです。それに、どうせお仕えするなら、エリックさまがいいと思ったので」
「そう……ありがとう」
メアリーは微笑する。
「できれば、この先、ウォルクも助けてくれると嬉しいわ」
「……はい」
沈黙がおりた。カタコトという馬車の音が響く。
「エリックさまは、大奥さまを呼び戻したいとお考えでした」
ぽつりとジムが呟くように口を開いた。
「離れを改装する計画もあったのですよ」
侯爵家の敷地内には、メアリーの夫の母親が晩年をすごした離れがある。植物が好きだった義母が手入れしていた庭は見事なものだった。
「そうね。そんなふうに首都に戻ってくる未来もあったのかもしれないわ」
メアリーは車窓に目をむける。二十年の年月は、街の様相を変える。以前からそこにあったものは、記憶より古びて見える。きっと他人から見れば、メアリーもそのように見えるのだろう。
「それにしても首都は人が多いわね」
街を歩く人の波を見ながら、メアリーは苦笑する。
「田舎だとお祭りの時くらいしか、こんなに人を見ないものよ」
「そんなに多いですかね?」
ジムは首を傾げる。おそらく首都育ちなのだろう。メアリーも領地に引っ込むまでは、これが日常で当たり前だと思っていた。
「そうね。領地だと明らかに牛の方が多いから」
くすくすとメアリーは笑うと、ジムはほっとしたような顔になった。
「どうかした?」
「いいえ。昨日の男爵夫妻の話を小耳にはさみまして、怖い方ではないかと緊張しておりましたので」
ジムは頭を掻いた。
「国の英雄、黒豹の魔術師なんて話も聞いておりましたから……」
「昔の話だわ」
黒豹の呼び名の由来となった黒髪は、今はもう白い。
「それにその二つ名、必ずしも誉め言葉だったわけではなかったのよ」
メアリーは肩をすくめた。
「主人のリチャードは軍神なんて呼ばれる侯爵だったから、すごくモテたの。それなのに軍に入って魔獣を退治するような私と婚約したものだから、やっかみもすごくてね。だから悪口でもあったのよ」
メアリーの二つ名は、畏怖と同時に、嘲りの意味もあった。令嬢たちは何としても、メアリーを下にみたかったのだろう。とはいえ、メアリーの手柄を消してしまえるものではないし、そもそもリチャードはメアリーを溺愛していたから、最初から勝負にならなかったのだが。
「随分とカッコいい悪口ですね」
ジムは苦笑する。
「そうね。本当にそう思うわ」
令嬢らしからぬ呼称だが、普通の令嬢からかけ離れた人生を送っていたメアリーからみれば、痛くもかゆくもなかった。もっとも自分のことのように怒ってくれた友人もいたけれど。
「そろそろ到着します」
「ええ。そうね」
警察署の建物が見えてくると、メアリーは思い出を振り払うように背筋をただした。




