第六話 終わりなき冬を呼ぶ白き霧 ~アイスエイジ~
「師匠、魔導書の手掛かりを見つけてきました!」
秀隆達は今、カルスと呼ばれるそこそこ大きな街にやってきていた。
ブリオニア帝国にムルグから入った秀隆は、ブリオニア帝国を西に向かって旅しながら終末魔導書の手掛かりを探していた。
これまで終末魔導書の頁を探し求めてきた者達からすれば、ずいぶんといいかげんで行き当たりばったりな行動に見えただろう。
だが、意外と情報が集まってくるのだ。
そこに、終末魔導書の修復機能が働いていることは間違いないだろう。
これまで秘匿され、忘れ去れてきた終末魔導書がまるで自己主張をするかのように、多くの情報が世の中に出回るようになったのだ。
そうして世の中に出回るようになった情報が、巡り巡って秀隆のところまで届くのである。
ルーカスが見つけてきた手掛かりも、そうした情報の一つだろう。
カルスの街で手分けして情報収集を行っていた秀隆達が待ち合わせ場所として利用したのが、多くの人で賑わう商店街の一角に作られたフードコートのような場所である。
商店街に並ぶ屋台で買ったものを飲み食いするために無料開放されたテーブルに先に戻っていた秀隆とアンジェリカ座っていると、満面の笑みを浮かべたルーカスがやってきたのである。
「それは良いんじゃがの。ルーカス、お主の後ろにおるのは誰じゃ?」
「は? え? ……うわぁ!」
ルーカスは、言われて初めて自分の背後に見知らぬ男がいることに気付き、仰天した。
「自分は、帝国軍第二師団情報部ライナー・フォン・ヴェルマン少尉であります。貴殿等には少々伺いたいことがあるので同行願いたい。」
「て、帝国軍!?」
ルーカスが再び驚く。
この世界の多くの国では軍が警察を兼ねる。
戦地でもない帝国内の平和な街に一人で現れたその軍人は、警察としての仕事をしているのだろう。
帝国内を旅しながら魔導書の情報を集めている秀隆達は、胡散臭いよそ者として職務質問を受けたこともあった。
だが、街中の治安維持を行うのは基本的にその領地を守る領軍の衛兵、領軍の常駐していない小さな村などでは自警団が対応していることもある。
帝国軍が直接動くのは、帝都や皇族の直轄地など特別な場所か、あるいは帝国の複数の領に影響する規模の大きな犯罪などに限られる。
帝国の東の端の田舎に住んでいたルーカスは見たこともないような存在だった。
アメリカで例えると、州警察を飛ばして連邦捜査局が出てきたようなものである。
(これはちと面倒なことになったかもしれんのぉ。)
これまで、職務質問を受けても冒険者だということで納得してもらえた。
冒険者ならば街から街へと移動を繰り返す者もいる。
特に魔術師ならば魔導書を探していても不思議ではない。
しかし、今回現れたのは帝国軍である。
見慣れないよそ者を見かけてとりあえず職質する地元の衛兵とは違う。もっと大きな事件を追っているはずだった。
ルーカスは、後を付けられたのだろう。魔導書の手掛かりを集めていたルーカスの行動を怪しみ、その背後を探るために泳がしていたのだ。
そして秀隆にたどり着いた。
特に後ろ暗いところはない秀隆だが、強力な魔法に関する魔導書を所持収集すること自体を問題視されると弱い。
終末魔導書は国家レベルで危険視されておかしくない魔導書である。
その自覚は、秀隆にもあった。
そうなると、冒険者と言う身分だけでは心許ない。
しかし、冒険者の立場がなくなると、秀隆ほど怪しい人物はそうはいない。
この世界において、過去の経歴が一切ないのである。
公式な記録は冒険者としてツィーテで登録した時のものが最初で、それ以前の情報はどこをどう探っても出てこない。
正体不明、経歴不明、身元不明の謎の爺さんなのである。
疑いの目で見れば、信用できる要素がない。
取り調べを受けたら、さぞや面倒なことになるだろう。
だからと言って、逃げることもできない。
ヴェルマン少尉と名乗った軍人は、丁寧な口調ではあるがその眼光は鋭く、絶対に逃がさないと視線と態度が語っていた。
それに、この場を逃げ出したとしても帝国軍に目を付けられることになる。
いきなり指名手配とか逮捕とかにはならなくても、事あるごとに妨害されてはたまらない。
終末魔導書の頁探しにまだまだ帝国内で活動する予定なのだ。
なるべく早く終わるように祈りながら、秀隆達はヴェルマン少尉の後に続くのだった。
◇◇◇
「お三方とも身元の確認が取れました。」
秀隆の悪い予想は外れて、秀隆達はその日のうちに解放されることになった。
理由は、今の秀隆がそこまで身元不明ではなくなっているから、だった。
なにしろ、秀隆は自宅を持っているのである。
学術都市ニリアのライエン邸に住む資産家。それが今の秀隆である。
同じ旅する冒険者であっても、住所不定の根無し草とは段違いの信用がある。
ついでに、留守中のライエン邸の管理と資産の運用を引き続き任せているライエン財団が秀隆の身元を保証する形になっていた。
国が違うのでどこまで通用するか不安があったが、どうやら問題なかったようで一安心する秀隆であった。
「ムルグのルーカス・ケスラー殿。世界救世教会のアンジェリカ殿、そして学術都市ニリアの賢者ヒデタカ殿。ご協力感謝する。」
「うぐぅ、何故それを!?」
「学術都市ニリアでライエン邸の謎を解き明かした賢者が現れたと帝国でも話題でありました。問い合わせた際にヒデタカ殿こそがその賢者であると教えてもらったのであります。」
百年間誰にも解けなかったライエン邸の謎を解き明かしたことで、学術都市ニリアの一部の者が秀隆のことを賢者と呼んでいることは知っていた。
しかし、秀隆が学術都市ニリアを離れている間に、ずいぶんとその話が広まってしまったようである。
だが、秀隆は中学生レベルの数学の問題を解いたくらいで賢者呼ばわりされて喜べるほど若くはなかった。
あまりのいたたまれなさに変な声が漏れてしまったくらいである。
「師匠も賢者だったのですか!」
「うむ、ライエン邸では数々の難問を簡単に解いてしまっていたぞ。」
同行者二人は素直に称賛の声を上げるが、それも秀隆の精神をガリガリと削った。
異世界にやってきて、秀隆の黒歴史が一つ追加されることとなった。
「そんな貴殿等を見込んで、もう一つご協力願いたいことがあります。」
どうやら、まだ完全に解放されたわけではないようだった。
秀隆は、とりあえず話だけでも聞いてみることにした。
「我々は、反社会的魔術結社『黄金の無花果』の動向を調べていたのでありますが、最近彼の組織は『異界黙示録』なる強力な魔法が記された魔導書を探しているとの情報があったのであります。」
「なるほど、それで魔導書を探しておったワシらのことを取り調べたんじゃな。」
「異界黙示録と言えば、外道聖典――ヒデタカ殿の探すワールドエンドグリモワールの異名の一つだな。」
「以前、強力な魔術による無差別破壊活動事件を起こそうとした魔術結社だけに、何としても阻止したいのであります。」
無駄に強力すぎて使い勝手の悪い終末魔導書であるが、唯一ど素人でも可能な使用方法がある。
それは、無差別大量破壊。
特に、自らの命も顧みない自爆テロとは相性が良すぎた。
何しろ、終末魔導書があれば呪文を唱えるだけで魔法が発動するのだ。
魔法文字の読み方は知られているので、解読した呪文を憶えさせれば子供にだって魔法を発動させることができる。
理解が足りなければ狙った通りの効果を発揮することは難しいが、ただ無差別に破壊と殺戮を振りまくだけならば、程度の差はあれだいたいどの呪文でも目的を達することができる。
その危険性を、誰よりも熟知しているからこそ、秀隆は顔を顰めた。
「賢者殿が魔導書を探しているのならば黄金の無花果と衝突する可能性が高いでありましょう。その時のために、自分を賢者殿と同行させていただきたいのであります。」
ヴェルマン少尉の提案を聞いて、秀隆はなるほどと思う。
要は、秀隆達を囮にして黄金の無花果のメンバーを捕まえようとしているのだ。
だが、秀隆側にもメリットはある。
本当に黄金の無花果とやらと衝突した場合、帝国軍――最低でもヴェルマン少尉が味方に付くということである。
ここで受けようが断ろうが、同じ魔導書を求める者同士ぶつかる可能性は常にあり、非合法な組織相手に戦力が多いに越したことはない。
他にも、帝国軍の活動の協力をしているのだから多少は便宜を図ってもらえる可能性がある。
逆に制約を受ける場面もあるかもしれないが……
「さて、どうするかのぉ。」
秀隆は考えながら同行者の方をちらりと見る。
「僕は師匠の判断に従います。」
「私はヒデタカ殿の手伝いをするだけだ。」
二人とも秀隆に任せる、と言うか何にも考えていないようだ。
頼りにならない仲間は置いておいて、秀隆はヴェルマン少尉に向き直った。
「黄金の無花果とやらは任せるとしても、見つけた魔導書を差し出せと言われても困るんじゃがのぉ。」
「自分の目的は黄金の無花果であります。魔導書の方は悪用しない限り感知するところではありません。」
「ならば構わぬよ。危険な連中の手に渡る前に、さっさと回収しに行くとするかの。それと、ワシのことを賢者と呼ぶのは止めてもらえんか。」
こうして、秀隆の同行者が一人増えた。
(どうせ、ワシ等の監視も兼ねておるんじゃろうしなぁ。)
そのまま準備をして、魔導書探しに出発することになった。
「自分のことは、ライナーと呼んでください。」
ヴェルマン少尉改めライナーは軍服から着替えていた。
軽装の皮鎧と剣を装備した姿はいっぱしの冒険者だった。
実際に冒険者としても登録してあるので、身分詐称にはならないらしい。
「ようやくまともな前衛が加わったのぉ。」
秀隆、アンジェリカ、ルーカスと全員が魔術師である。
冒険者のパーティーとしてはバランスが悪い。
消去法でルーカスが前衛のまねごとをやっているが、正直頼りない。
秀隆はライエンの遺産を受け継いでからはあまり冒険者の活動をしていないからさほど問題はないが、反社会的な組織との戦闘の可能性がある現在、一時加入とはいえ前衛が加わることは心強いものがある。
「それでは行くとするかの。目的地はヴァイサーバーグ、あそこに見えるておる山じゃ。」
ヴァイサーバーグはカルスの街の北にそびえる標高三千メートルを超える高い山だった。
カルスの街から徒歩で一日足らずで到着する近場にあり、夏場にも融けることのない白い山頂が美しいと評判の山である。
ルーカスの見つけてきた手掛かりは、そのヴァイサーバーグに魔導書があるらしいという。
「この歳で山登りはちときついのぉ。」
カルスの街を出て一日歩き、ヴァイサーバーグの麓にあった村に泊めてもらうことができたのでそこで一泊し、翌朝早くからてくてくと山登りをしている最中である。
「目的地が山頂でなかったのが幸いじゃったな。」
「山頂近くは本職の登山家でも踏破困難な難所ばかりだと聞きます。我々ではお手上げでしょう。」
現役軍人なだけに体力のあるライナーが答えた。
完全に誰の手にも届かない場所では終末魔導書が完成しないので、自動修復機能がどうにかしているのだろう。
「師匠、見えました。あそこです!」
秀隆達は山の中腹の開けた場所に来ていた。
遠目にカルスの街を一望できる風光明媚な高原と有名で、街からも近く、この程度の高さならばさほど危険もなく登ることができるとあって、観光地となっていた。
ただし、それは夏場の話である。
既に晩秋から初冬に入ろうかという今の時期には、全く人気が無かった。
麓でも既に肌寒いこの季節、標高が上がり風も強い高原では防寒着を着込んでいてもかなり寒かった。
その高原に、不思議な物体が鎮座していた。
「これです、師匠。この氷の中に魔導書らしき紙片が入っているという話です。」
それは、大きな氷の塊だった。
高原は涼しいとは言っても、夏場の気温が氷点下になることはないし、冷え込んできた今の時期でも日中から凍てつくほどでもない。
それにもかかわらず、何年も、何十年も、あるいはそれ以上。
融けることなくそこにあり続ける不思議な氷。
人はそれをこう呼ぶ。
「永久氷塊か。不思議なもんじゃのぉ。」
よくよく見れば、その氷塊の中に紙片らしき影が透けて見えていた。
「本当は毎年少しずつ小さくなっているらしいのですが、融けきるまでには何百年かかるか分からないそうです。」
ルーカスが魔導書の手掛かりと共に聞き込んだ蘊蓄を披露する。
だが、それは氷が融けるまで待っていたら何百年もかかるということだ。
「そんなに待ってはいられないであります。試しに氷を斬ってみましょう。」
そう言うと、ライナーは剣を抜いた。
その剣を大きく振りかぶると、一気に振り下ろした。
――カーン!
しかし、振り下ろした剣は跳ね返され、氷には傷一つ付いていなかった。
「硬い! 剣では氷を壊すことは無理そうであります。」
一太刀で無理を悟ったライナーが剣を鞘に納めて退く。
代わりにルーカスが氷を調べて言った。
「氷に魔力を感じます。何か魔法的な作用で氷が頑丈になっているのだと思います。」
「だったら、魔術をぶつけてみよう。」
今度はアンジェリカが進み出た。
「集うは火、求むるは破壊、我が前の敵を討ち倒せ。ファイアーボール!」
火球が飛び出し、氷に向かって進んで行く。
――バン!
氷塊にぶつかって火球がはじけたが……
「無傷だと!」
正確には無傷ではない。氷の表面がわずかに削れていた。
だがこれでは、魔力が尽きるまで魔術を放っても、氷塊の大きさはほとんど変わらないだろう。
このままでは、せっかく見つけた魔導書(らしき紙片)を手に入れることができない。
「仕方がないのぉ。皆、ちと下がるのじゃ。」
全員を下がらせ、自分も氷塊から距離を取ると、秀隆は終末魔導書を取り出した。
開く頁は1頁。
「地獄の業火!」
詠唱を飛ばし魔法名だけを唱えれば、秀隆の目の前に魔法陣が浮かび上がり、そこから一条の黒い炎が飛び出した。
――ブオン!
突風が巻き起こった。
黒い炎は氷を融かすだけにとどまらず、そのまま蒸発させてしまった。
発生した大量の水蒸気は周囲の空気を押しのけ、それが突風となって押し寄せてきた。
水蒸気爆発である。
これがあるから、秀隆は距離を取り、皆を下がらせたのだ。
発生した水蒸気は高原の涼しい空気に冷やされて霧となり、風に散らされて薄れていった。
後に残ったのは、大穴の開いた氷塊と、その穴の中に見える一枚の紙切れだけだった。
「どうやら、当たりのようじゃの。」
氷塊に大穴をあける威力の魔法である。普通の紙だったら跡形も残らなかっただろう。
原形を留めている時点で終末魔導書の頁であることはほぼ確定である。
終末魔導書以外の貴重な魔導書だったらこの世界の魔術師にとって大いなる損失になるのだが、秀隆にとっては割とどーでもいいことだった。
「そ、それでは、魔導書を回収しよう!」
魔法の威力に呆然となったアンジェリカが、気を取り直して言う。
自分の魔術ではかすり傷にしかならなかった氷塊に一撃で大穴をあけた秀隆の魔法に、アンジェリカはショックを受けていた。
無詠唱の地獄の業火はあまり派手ではない。特に秀隆は必要最低限の部分だけ燃やすように注意して使用しているので余計に地味だ。
だが、それでも強力無比な終末魔導書の魔法である。
それを、あらためて思い知らされたのである。
だが、今は驚いている場合ではない。
終末魔導書を回収するために、一歩踏み出した。
「! 危ない、下がれ!」
その時、強い言葉で静止したのはライナーだった。
――バン!
思わず止まった足元に、何処からともなく飛んできた火球が着弾し、破裂した。
牽制用だったらしいその魔術の威力は低めだったが、それでも直撃すれば大やけどを負っただろう。
「何者だ!」
剣を抜いたライナーが強い口調で誰何する。
その剣を向けた先には、いつの間にか一人の男が立っていた。
「ふっ、私の名前はオットー。オットー・フォン・シュミットソン。黄金の無花果の幹部にして、いずれは黄金の無花果もこの国も全てを支配する者です。」
男――オットーは妙に気障ったらしい仕草と気障ったらしい口調で堂々と非合法活動を続ける組織の一員であると名乗った。
秀隆は引いた。ドン引きだ。
極力関わりたくない種類の人間だと思ったが、そうも言っていられない。
オットーの手には、氷塊から取り出したと思われる紙片が握られていた。
おそらくは、牽制としてはなった火球に意識が向いている間に奪い取ったのだろう。
そこまでは理解できるが、謎も残る。
オットーの格好はかなり派手だ。
魔術師の象徴であるローブは目に痛いショッキングイエロー。
そのローブの下にちらりと見えるシャツやズボンは鮮やかなを通り越してどぎつい赤。
動けばジャラジャラと音を立てそうな煌びやかなアクセサリーをいくつも身に着けている。
ローブの上に羽織った小ぶりのマントだけが唯一地味な灰色だったが、その程度では派手な印象は覆らない。
秀隆が引いた理由の半分が、この趣味の悪い派手な格好だった。
(もう半分は「喋り方が気色悪い」である。)
これだけ派手な人物の接近に気が付かないはずがない。
最初に高原に人がいないことは確認したし、見晴らしの良い高原に隠れ潜める場所はほとんどない。
秀隆達に気付かれることなく、何処からどうやって現れたのか?
「そ、そのマントは隠蔽系のアーティファクトですね?」
言い当てたのは、ルーカスだった。
「御明察。この『ハイディングクローク』は姿だけではなく、音も臭いも気配も魔力も全てを隠蔽するのです。貴方達が来る前から私は場にいたのですよ。」
実際、火球を放たれるまでは本職の軍人であるライナーでさえ気が付かなかったのである。
オットーが自ら出てこなければ、最後まで誰も気付かなかっただろう。
「そんなアーティファクトを使って隠れられたら、捕まえることなどできないではないか。」
これも世界救世教会が管理すべきアーティファクトなのではないかとアンジェリカは内心考えていたが、オットーはアンジェリカの言葉を否定した。
「いやいや、お嬢さん。私はもう逃げ隠れする必要はないのですよ。どうしても融かせなかった邪魔な氷に大穴をあけてくれたおかげで私は最強の力を手に入れたのです!」
そういって、オットーは紙片を持った手を見せつけるように持ち上げた。
「この異界黙示録さえあれば何でもできる。邪魔者は排除すればよい。そこの政府の犬も、それに協力する貴方達も!」
どうやら、ライナーの正体はばれていたようである。
「させん!」
終末魔導書の魔法を使うつもりだ判断したライナーが飛び出した。
そのまま剣で突き殺す勢いで、オットーに向かって突っ込んで行く。
「ヘリオスは死んだ。」
だが、一歩遅かった。
呪文の最初の一節を唱えた時点で発生した魔力による防御が、突進したライナーの剣を逸らす。
「く、この!」
ライナーは二度三度と剣を振るが、魔力の防御によって弾かれ、あるいは逸らされてしまい、オットーには届かない。
「戻るんじゃ、ライナー。詠唱が始まってからでは止められないんじゃ!」
秀隆はライナーを呼び戻し、全員を下がらせてさらに距離を取る。
「あの魔法の効果範囲は広いんじゃ。今から逃げても間に合わんし、麓の村やカルスの街まで全滅しかねんのじゃ。ワシがこの場で対処する!」
そう言うと、秀隆は終末魔導書を仕舞った。
その間もオットーの詠唱は続く。
「日は翳り、コキュートスは溢れ、終わらないイエンスが訪れる。」
その一方で、秀隆も詠唱を始めた。
「地に蔓延るは悪徳の民。」
それは、また別の呪文だった。
「草木は枯れ、動物は眠り、大地は白く染まりゆく。」
二つの呪文が同時に紡がれて行く。
「善なる人はもういない。救いの船は失われた。」
「全てを白く塗りつぶす、ヨトゥンの吐息を今ここに。」
「天の窓開き、水を呼べ。雨となりて六日六晩降り注げ。」
「凍てつけ、アイスエイジ!」
先に完成したのは、オットーの方だ。
オットーの足元に魔法陣が浮かび、周囲の地面から白い霧が湧き出した。
「不浄なるモノを洗い流し、悪徳なる者を沈めよ。」
地面を凍結させながらゆっくりと広がる霧に目もくれず、秀隆は詠唱を続ける。
「全てを呑み込め、神罰の大水!」
そして、こちらも完成した。
秀隆の頭上に魔法陣が浮かび、そして――
――ザバァー!
オットーの頭上から、大量の水が滝のごとく降り注ぐ!
「ハハハハハ、そのような攻撃は無意味です! 全て凍り付き、私には届きません!」
しかし、霧に触れた水はその場で凍り付いてしまう。
凍った水はオットーの周囲でドーム状の氷となり、水の侵入を防ぐ。
人を押し潰し、押し流す大量の水も、オットーにまでは届かない。
氷のドームの上から降り注ぐ水は、一部はそのまま凍り付いてドームの一部となり、残りはドームに沿って流れて周囲の地面へと落ちる。
周囲に流れ落ちた水も、凍った地面から立ち上る霧に触れると凍り付いて行く。
やがて、氷のドームを中心に分厚い氷の床が地面を覆うと、氷に遮られて霧も出てこなくなった。
凍り付くことなく地面に溢れた水が、秀隆達の足元までやってきたころ、空から降り注ぐ水も止まった。
「どう、なったのでありますか?」
「魔法の効果を封じたのじゃよ。」
状況の分からないライナーに、秀隆が解説する。
「あ奴の使った魔法は、氷結世界。大地から触れるもの全てを凍らせる霧を湧き出させる魔法じゃ。その霧を外に漏らさぬために、氷で蓋をしたと言うことじゃよ。」
氷結世界の魔法の効果は、霧に触れたものを凍らせることにある。
つまり、霧に触れさえしなければ問題はない。
だが、普通に蓋を作ったとしても、相手は霧なのでわずかな隙間から漏れ出てしまう。
そこで、大量の水をかけることでできた氷を蓋としたのだ。
これならば、霧の漏れ出る隙間があっても、入り込んだ水が凍って塞いでくれるだろう。
凍っていない水が周囲に溢れるようになった時点で霧の封じ込めに成功したということになる。
ただし、完全に霧を封じ込めるためには大量の水が必要となる。普通の魔術では到底間に合わない。
だから、秀隆が使用したのは神罰の大水の魔法だった。
ナグラ海を生み出すほど大量の水を出せるこの魔法ならば、水量は十分。むしろ、多すぎて近隣の都市を水没させかねない。
適切な水量に調整するために、秀隆はあえて終末魔導書を使用せずに魔法を発動したのだ。
「霧に触れて凍り付いた地面からも霧は湧き出るようになるから、放置しておくと霧だらけになるのじゃ。冷たい空気は下に向かうから、こんなに高くて見晴らしの良い場所で使ったらどこまで被害が広がるか分からん。今ここで封じ込めるしかなかったのじゃ。」
怖ろしいことをさらりと言う秀隆。
氷河期を冠した魔法名は伊達ではない。
無制限に使用すれば、大陸丸ごと氷漬けにするくらいのポテンシャルはあるのだ。
そこまで正確に把握したわけではないだろうが、被害甚大になりかねなかったことは理解したライナーの表情が引き締まる。
「それで、あの中はどうなっているのでありましょう?」
ライナーが氷のドームを指して質問する。
ここでオットーを取り逃がしたら、どこかで氷結世界の魔法を使ってテロ事件を起こすだろう。
その時に被害を出さずに済む保証はない。
都市レベル、国レベルで壊滅しかねない魔法なのだ。
オットーを捕らえるか、せめて終末魔導書を取り上げなければこの件は終わらないのだ。
「中は見てみぬことには分らんのぉ。ただ、ドームができてからは水は入っておらんはずじゃからそれなりの広さはあるじゃろう。氷結世界の霧は魔法の使用者を避ける形で発生するが、密閉空間で霧が充満すると本人も凍ってしまうのじゃ。閉じ込められたことに気付いて魔法を止めていれば無事じゃろうが、気付かずに魔法を使い続ければ既に凍り付いておるかもしれんのぉ。」
隆秀の答えを聞いてライナーは考えた。
オットーが氷漬けになって死んでしまう分にはまだよい。
黄金の無花果の動向を知る手掛かりを一つ失うことになるが、テロ事件を一つ未然に防いだことになる。
最悪を想定するならば、オットーが無事で脱出の機会をうかがっている場合を考えるべきだろう。
特に厄介なのが、オットーの持つ姿を消すアーティファクトである。
一度見失えば、オットーを再発見することは困難になるだろう。
狙い目は、氷のドームから出てくるその瞬間である。
たとえ姿が見えなくとも、出てくる瞬間だけは確実に氷のドームに開けた穴を通ることになる。
だが、氷のドームのどこから出てくるかは分からない。
大きな氷のドームを360度全方位から監視するには、今いる人数では心もとない。
今から応援を呼んで来るとして、間に合うだろうか?
術者すらも凍り付かせる霧がドーム内に充満している間は動けないだろうが、霧が晴れれば即座に行動を開始してもおかしくはない。
「中の霧が晴れるまで、いかほどの時間がかかるものでありましょうか?」
「ふむ。氷で蓋をしてしまったから霧が吹き散らされることもないからのぉ。即座に魔法を停止したとしても一晩、魔法を止めなければ一、二ヵ月は残るじゃろうな。」
秀隆だって実際に試したことがあるわけではないのだが、そこは設定を元に推測する。
氷結世界の魔法は凍らせるだけで直接的な破壊は行わない。
一瞬で終わる破壊ではないからこそ、魔法の効果は持続する。
魔法を止めても一度発生した霧は残るし、凍り付いたものがいきなり融けることもない。
そして、魔法を発動した術者が凍り付いたとしても、即時に魔法が停止することもない。
そうした、様々な設定を加味した秀隆の推測は、条件によって大きな差が出るものの、かなり正確だ。
「つまり、最短で明日の朝にオットーが出てくるか可能性があるというわけですな。……今から兵を集めれば間に合うだろか?」
「いや、おそらくあ奴は自力では出てこられんぞ。」
「はぁ?」
真面目に考えていたライナーの思考を、秀隆の一言がぶった切った。
「氷結世界は時間凍結の要素もあって、霧に直接触れて凍ったものは簡単には壊せなくなるのじゃ。永久氷塊も壊せなかったあ奴に、氷のドームを壊せるとは思えんのじゃよ。」
「……師匠、永久氷塊は山頂近くの氷河の一部が欠け落ちたものと考えられていますが、もしかすると……」
「可能性は高いじゃろうな。氷結世界の魔法で作られたのならば、融けず壊れぬ氷に説明が付くのじゃ。」
ヴァイサーバーグの山頂近くには、夏でも融けることのない硬く凍った氷河が存在する。
氷河の存在によって登頂は困難となり、白い頂を持つ美しい山として有名になった。
その氷河の誕生秘話が今明らかになった……かもしれない。
秀隆とルーカスがそんな話をしている間にも、ライナーはこれからの方針を考え続けていた。
新しい情報を得たのだから、よく吟味して正しく判断しなければならない。
終末魔導書の怖ろしさを体感した以上は、判断を誤るわけにはいかない。多くの人が不幸になってしまう。
冒険者のライナーではなく、帝国軍の情報士官であるヴェルマン少尉として、じっくりと考え抜いた。
そして、非常な決断を下した。
◇◇◇
「ふう、やはり山登りはしんどいのぉ。」
「でももう着きましたよ、師匠。」
「おお、あの氷はそのままだな。」
あれから半年後、秀隆達は再びヴァイサーバーグの高原にやってきていた。
季節は初夏。高原の涼しい風が心地よい季節である。
時期的に観光客がやってくるにはまだ早いが、数名の軍人が駐在していた。
ヴェルマン少尉の部下に当たる軍人がこの場で監視しているのは、氷のドームである。
ドームの周囲には杭とロープで簡易的な柵が作られていた。
そうした周囲の状況以外、氷のドームは全く変わらない姿でそこにあった。
半年前、ヴェルマン少尉の下した決断は、「放置」であった。
最悪は、魔導書を持ったままのオットーに逃げられて大規模なテロが行われてしまうことである。
だが、オットーが自力で氷のドームから抜け出せないのなら、そのまま放置するだけで凶悪犯罪を防ぐことができる。
そして、半年も経った今ならば、たとえオットーが凍り付いていなくても餓死しているだろう。
オットーが収納庫を持っていたとしても半年分の食料と水を入れられるほどの容量はないだろうし、入れられたとしてもそんな無駄な準備をしているとは考えにくい。
犯罪者とはいえ、助かる可能性を完全に無視して社会の安全のために見殺しにした。
それがヴェルマン少尉の決断だった。
「それではヒデタカ殿、お願いするであります。」
「分かったのじゃ。手筈通りに行くぞ。」
ライナーに促されて、秀隆は終末魔導書を取り出す。
現状、氷結世界によってできた氷を確実に破壊できるのは秀隆だけである。
「地獄の業火!」
一条の黒い炎が飛び出し、氷のドームに向けて放たれる。
――ドン!
水蒸気爆発の衝撃はとともに、突風が押し寄せる。
「集うは水、求むるは生成、我が眼前に水を生み出せ。クリエイト・ウォーター!」
爆風にもめげず、魔術による放水が行われた。
万が一にも氷結世界の霧が残っていた場合の対策である。
氷結世界そのものを封じるには大量の水が必要だが、氷のドームに開けた穴から漏れ出る霧をふさぐだけならばアンジェリカの魔術でも十分に対応できた。
「大丈夫そうじゃのぉ。」
貫通することを優先して開けられたこぶし大の穴から霧が噴き出す様子はない。
放水した水も、凍り付くことなく流れ落ちた。
開けた穴から内部を軽く確認し、再度秀隆の魔法で今度は人の通れる大きさの穴をあける。
そして、氷のドームの中に入ると、すぐにオットーの姿を発見した。
「これは、気が付かずに最後まで魔法を止めなかったようじゃのぉ。」
氷のドームの中央、なんとも珍妙なポーズで凍り付いたオットーがいた。
中央にいたということは、魔法を使用した場所から動いていないということ。
つまり、ドームから出ようとしてうっかり霧に触れたのではなく、ドーム内に逃げ場がないほど霧が充満したということだ。
おそらくは、破壊的な魔法と同じ感覚で使用して、邪魔なもの全てを魔法の力で排除しようと頑張ってしまった結果なのだろう。
「お、あった、あった、これじゃわい。」
秀隆は、近くに落ちていた紙切れを拾い上げた。
終末魔導書の頁である。
地獄の業火の炎でも燃えることのない終末魔導書は氷結世界の霧でも凍り付くことはない。
オットーが終末魔導書を握り込んだまま凍っていたら、その手を地獄の業火で焼き尽くさなければならないところであった。
「約束通り、こいつはワシが頂いていくよ。」
「はい。魔導書の管理はお願いするであります。」
時間はかかったが、終末魔導書の頁の一枚を無事に回収することができた。
☆☆☆
終末魔導書
No. 005
氷結世界
呪文:
太陽は死んだ。
日は翳り、嘆きの川は溢れ、終わらない冬が訪れる。
草木は枯れ、動物は眠り、大地は白く染まりゆく。
全てを白く塗りつぶす、霜の巨人の吐息を今ここに。
凍てつけ、氷結世界!
効果:
全てを凍らせる霧を発生させる魔法。
極低温のみでなく時間凍結の作用もあるため、霧に直接触れて凍った物体は非常に硬くなる。
霧に触れて凍った地面からも霧が発生するようになるので、放置すると加速度的に霧が増加する。
霧を発生させる地面の範囲は術者が調整できるのだが、明確に制限しないと地面のある限り霧の領域がどこまでも広がっていく。
霧は術者の周囲から外部に向かうように発生するが、一度発生した霧に触れれば術者であっても凍るので注意が必要。
・ハイディングクローク
ドラえもん風に言うと、「透明マント」。
姿が見えなくなるだけでなく、音、臭い、魔力等様々な索敵能力を欺き、存在を隠蔽する強力なアーティファクト。
オットーはその能力を駆使して諜報活動を行っていた。帝国軍の施設内部にまで入り込む無敵のスパイである。
だが、秀隆が永久氷塊に穴を開けた際に、近い位置にいたために水蒸気爆発の爆風をもろに受けてその機能に支障をきたしていた。
秀隆達の前に姿を現したのは、姿を隠していられなくなったためである。




