「興味がない」と言われた妖王、最強を追い続けた過去
妖界。
名も知らぬ妖が一体。
城も持たず、群れも持たず、ただ歩いていた。
留まることもなく、ただ止まり、眠り、また歩く。それだけを繰り返す存在。
その周囲には、常に空白があった。妖は近づかない。気配を感じれば道を変える。視線すら長くは向けない。触れれば終わると、知っているからだ。
ある時、噂が流れた。新しく、力をつけ始めた妖がいる、と。
(……)
気配が近づいてくる。速い。隠す気もない。まるでこちらを追ってくるように。
(……来ている)
場所を移した。
数日後。また、近い。
さらに遠くへ移る。それでも距離は消えない。
(……はぁ)
何度目かの移動の後。ついに、それは目の前に現れた。
「……貴様」
紅い瞳が細められる。圧が、空間ごと歪ませる。周囲の妖気が逃げるように引いた。
「余の気配を感じていたのだろう。……なぜ逃げる」
(……)
「強い気配を辿って来てみれば――逃げ回るだけとはな」
(……)
「余は酒呑童子。貴様、名はなんと言う」
沈黙。
「……勝負しろ」
(……)
「……貴様ッ!!喋らぬか!!」
返答はない。
視線も、動きも、何も変わらない。
まるで、最初から“いないもの”として扱われているかのように。
「……ちっ」
踏み込む。
間合いに入る。
それでも、反応はない。
「……舐めているのか」
声が低くなる。
空気が重く沈む。
「余を、無視しておいて――」
一歩、踏み込む。
「ただで済むと思うな」
だが――
沈黙は変わらない。
その無反応が、
火に油を注ぐ。
「……いいだろう」
「……そうか、死にたいか」
圧が膨れ上がる。
妖気が軋む。
「望み通り、終わらせてやる」
その瞬間、空気が裂けた。
黒と緑の炎が爆ぜる。
抑えきれぬまま荒れ狂いながら広がり、逃げ場も時間も奪い尽くす。
触れたものを焼くのではなく、“終わらせる”ためだけに存在する火――冥炎。
「消えろ」
炎が満ちる。
逃げ場はない。
終わりを確信する一撃。
だが――
その中で、そいつは歩いていた。
音すら、しない。
「……は?」
炎が届いている。
包み込んでいる。
それでも
“何も起きていない”。
触れているはずのそれが、
そこに存在していないかのように消えている。
揺らぎも、爆ぜる音もない。ただ、“成立していない”。
「……何だ、それは……」
理解が追いつかない。
その間にも歩みを止めない。
「――逃げるなッ!!」
踏み込む。
「なぜ戦わん!!」
さらに距離を詰め、刀を振るう。
「やり返さぬか!!」
その瞬間、視界から消えた。
「――な」
懐に、いる。
振り抜くよりも早く、鈍い衝撃が突き刺さる。
――ドッ
「ぐぉ……ッ」
息が抜ける。骨が軋む。
(……なんて重さだ)
距離を取る。呼吸が乱れる。
「ぐ……な、何をする……!」
(……?)
(……やり返すのではないのか?)
(……)
(……わからん)
「……今のは、何だ」
(……)
「どちらが上か…、どちらが王に相応しいか」
「決めようではないか…!」
「本気で来い!!!」
「……興味がない」
一拍。
「お前が上でいい」
そのまま、また歩き出す。
(……)
「……ふざけるな!!」
その時――
すれ違いざま、小さく音が落ちた。
「……あいん」
「……は?」
振り返る。もう、いない。
焼け焦げた空間だけが残る。
風が通り過ぎる。
「…………」
「……ちっ」
その後、近くに潜んでいた妖を一体引きずり出す。
「……あの妖は何だ」
妖は震えながら答える。
「あ、あれは……亜韻です……」
「……亜韻、だと」
「攻撃が、と、通らないんです……」
「だ、誰も……勝てません……」
「関わらない方がいいです……」
沈黙。
雑に妖を放り投げる。
「……くだらん」
「あやつと同じなど、冗談ではない」
(刀を見る)
「こんなもの、捨ててくれる」
やがて、酒呑童子は小さく笑った。
「……ふん」
「ならば余が決める」
「すべて、余が踏み潰してな」
視線を上げる。
「次に会う時には――否定させぬ」
「誰が上か」
「余が王である」
その瞬間、周囲の妖気が震え、散った。
その後も、折を見ては酒呑童子は亜韻の元へ現れた。
一度ではない。
十でも足りぬ。
百を越え、なお。
――それでも、終わらなかった。
「今日こそ決着をつけるぞ!!!」
(……)
炎が満ちる。
だが、変わらない。
「今日こそは逃がさん!!!」
(……)
距離を詰める。
だが、変わらない。
「余と勝負しろ!!!」
(……しつこい)
やがて、その言葉すら変わらぬまま、
時間だけが過ぎていく。
季節が巡る。
地形が変わる。
妖が生まれ、消える。
それでも。
「よぉし!!!勝負だ亜韻!!!」
(………はぁ)
「……しつこいな」
初めて返された言葉。
その一言に、酒呑童子の動きが止まる。
「はっはっは!!余は一度決めたことは曲げぬ!!」
「今日こそは逃がさん!!覚悟せよ!!」
声は変わらぬ。
だが、
わずかに、熱が混じる。
「……貴様とは勝負にならん」
「お前の勝ちでいい」
「やってみねばわからぬだろう!!!」
笑いながら、踏み込む。
冥炎が、再び広がる。
(はぁ……)
(……騒がしい)
変わらぬはずのその背中を、
それでも、
追い続ける。
理由など、
考えたこともないまま。
(……)
(……まだ来るのか)
わずかに、歩みが止まる。
(……妙なやつだ)
そしてまた、
何事もなかったかのように歩き出す。
「はっ……いいだろう」
「何度でも来てやる」
追い続ける。
勝敗は、とうに決している。
それでも――
「余が王である」
そう言い続けるしかなかった。
――――――――――
「……シャガル?」
「どうした、ぼーっとして」
現実に引き戻される。
「……レイラ」
「珍しいな?考え事か?」
(……余の女)
いや――
(――余の妻)
気づけば、腕が伸びていた。
腰を引き寄せる。
「……ど、どうした」
「……美しいと思ってな」
「………?」
「やはり、余の女は美しい」
「…な、なんだいきなり……」
「何がおかしい?」
「事実を述べているだけだが?」
「……っ」
そのまま指を絡める。
「その瞳も」
「風に揺れる髪も」
「全て――」
「も、もうやめろ……!!!」
「なぜだ?」
本気で首を傾げる。
逃がす気もなく、そのまま抱き寄せた。
——それが、当たり前であるかのように。




