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十年の外套と、知らない時間

 皇務の合間、ふとした静寂の中で――

 レイラの視線が、ひとつの違和感に落ちた。


 整えられた書簡。無駄のない配置。

 完璧に管理された空間。


 その中で、ただ一つだけ。


 ――テュエルの外套。


 紺色のはずのそれは、わずかに色が抜け、

 時間の経過を隠しきれていなかった。


(……色が、落ちている)


 視線が、わずかに止まる。


 テュエルは、身の回りのものに一切の妥協をしない。

 整備も、補修も、常に完璧だ。


 それでも尚、残る“経年”。


(……手入れしても、追いつかないほど……か)


 指先で触れようとして――やめる。


(……長く、使っているんだな)


 ほんのわずかに、胸の奥が緩む。


(……それだけの時間を)

(……共に過ごしてきた、ということか)


 理由は分からない。


 だが――


 ほんの少しだけ、

 嬉しいと感じてしまった。


 


 そして、同時に。


 


(……だが)


 視線が、わずかに細まる。


(それでいい、という話ではないな)


 色褪せた布地。

 擦り減った縁。


 どれだけ手入れをしても、隠しきれない“消耗”。


(あれは……役目を終えつつある)


 静かに、判断する。


(ならば)


(次を与えるべきだな)


 

レイラ

「……テュエル」


テュエル

「はい、レイラ様」


レイラ

「その外套……そろそろ新しくしたらどうだ?」


 一瞬だけ、間があった。


テュエル

「……いえ」


 穏やかに、だが迷いなく。


「ボクは、これがいいんです」


レイラ

「……そうか」


 それ以上は、何も言わなかった。


 ――理由までは、聞かなかった。


 その日の午後。


 テュエルは兵の指南へ出かけており、不在だった。


 


レイラ

「シャガル」


シャガル

「なんだ」


レイラ

「これを、テュエルの部屋に届けておいてくれ」


 


シャガル

「なんだこれは」


レイラ

「新しい外套だ」

「随分と、古くなってしまっているからな」



ぴくり。


――十年、か。


 


「ふん」


 ほんのわずかな嫉妬。


 ――拗ねた。


 


シャガル

「なぜ余が、猿の部屋などに行かねばならん……」


 


レイラ

「……頼む」


 短い一言。


 


シャガル

「……ちっ」


 渋々、受け取る。


 



 


 ――テュエルの部屋。


 


 整いすぎた空間に、シャガルは顔をしかめた。


 


シャガル

「気持ちの悪い部屋だ……」


 


 そう言うと、

 渡された外套を机の上へ置き――


 


 乱暴に扉を閉めた。


 


 その拍子に。


 


 カタン、と小さな音が落ちる。


 


 背後の気配に、わずかな違和感。


 


(……なんの音だ)


 


 舌打ちし、踵を返す。


 


シャガル

「……ん?」


 


 視線を落とす。


 


 床に落ちていたのは――外套。


 


シャガル

「…………」


 


(風圧で落ちたか)

(情けない外套だ)


 


 内心で毒づきながら、手を伸ばす。


 


 ――だが。


 


 指先が、止まる。


 


(……たしかに)

(予備の外套ですら、色褪せておるな……)


 


「ふん……」


 


(……十年、か)


(余ですら知らぬ時間を――)

(この布は知っておるというのか)


 


(……気に入らん)


 


 吐き捨てるように、拾い上げる。


 


「くそ……」


 


 無造作に掛け直そうとした、その時。


 


 足元。


 


 端を踏んでいることに、気づかない。


 


 


 ぐい、と引き上げた瞬間――


 


 


 ビリッ


 


 


 一拍。


 


 


シャガル

「……………………」


 


 静止。


 


 視線だけが、ゆっくりと下へ落ちる。


 


 裂けた布。


 乱れた縫い目。


 


シャガル

「………………」


 


(……まずい)


(……まずいまずいまずい)


 


 遅れて、理解が追いつく。


 


(これは……やつの……)


(あの……執着の塊の……)


 


 


 顔面から血の気が引く。


 


 脳裏に浮かぶのは、

 冷え切った目でこちらを見下ろすテュエル。


 


 ――殺気。


 


 ぞわり、と背筋が粟立つ。


 


シャガル

「こ、殺される……」


 


 どうする。


 


 どうする。


 


 どうする――


 


 


 はっと、顔を上げる。


 


シャガル

「……そうか!!」


 


 


 閃いた。


 


 



 自室へ籠もる。


 針と糸。


シャガル

「……ぬぅ……」


(なぜ余がこんなことを……)


 針を通す。


「……細い……!!」


 糸が絡まる。


「ぬっ、動かん!!」


 無理やり引く。


「ぐっ……ちぎれた!!」


(なぜだ!!)


(なぜ布一枚に苦戦せねばならん!!)


(レイラのものならまだしも)


(ヤツの物に……!)


「いだぁっ?!!!」


 針が指に刺さる。


(……忌々しい……)


 ぎこちない手つき。


 歪む縫い目。


 無理やり繋ぐ。


 何度もやり直し、結局――


 めちゃくちゃな仕上がり。


シャガル

「……うむ!」


「これならバレまい!!」


 一拍。


※バレる



 夕餉。


 その日はやけにテュエルと距離が近いシャガル。


「猿」



「茶、飲むだろう」



 茶を淹れる。



 甘味を差し出す。



シャガル

「……やる」


(きしょい……)



 自分でも鳥肌が立ちそうになる。



テュエル

(……な、なんだこいつは)


(気持ちが悪い……)



 まるでこの世のものではないものを見るような目。



レイラ

「……ふふ」


「今日はやたらと仲がいいな?」



シャガル&テュエル

「違う」



 即答。



レイラ

「……いつもそうしろ」



シャガル

(ぐ……)

(したくてしているわけではない)



テュエル

(なんだこいつは……)

(……怪しいな)


(何かやましいことでも……?)





 夜。



 テュエルの部屋。



 机を見る。



 ――新しい外套。



「ふ……レイラ様……」

「ありがとうございます……」



(ですが……)



「俺は……これが――」



 壁に掛けられた外套へ視線を向ける。



「……は……?」



 違和感。



 いや――



 “違和感などという程度ではない”。



 外套を手に取る。



 止まる。



 指先が、わずかに動く。



 夕餉での、不自然な距離。



 妙な気遣い。



 不器用な機嫌取り。



 すべてが――繋がる。



(……繋がった)



テュエル

「……^^」



 

 シャガル自室。



 寝台へ身を投げ、息を吐く。



(ふぅ……危ないところであった)



(だが……何も言ってこぬということは)



(バレておらぬな)



 口角が上がる。



「ふ……余は完璧だ」



 ――その時。



 バンッ――――!!



 扉が弾けるように開く。



 乾いた音が響く。



 肩がびくりと跳ねる。




 そこに立っていたのは――




 テュエル。




テュエル

「……^^」



 柔らかな笑み。



 だが、奥に滲むものは隠せない。



シャガル

「……ど、どうした……」




テュエル

「オメェだってことは……」


「わかってんだよ」


「シャガル……^^」




 次の瞬間。





「ぎゃぁぁぁああああああああああ!!!」




 夜気に、断末魔が響いた。







 静寂。



 机の上に広げられた外套。



 テュエルは、ゆっくりと縫い目に触れる。 



(……雑だな)


(ありえない)


(よくこれで直したつもりになれたな)



 一度、すべてほどく。



 糸を引く。



 するり、と外れる。



(……こんな縫い方で、保つはずがない)



 元の形へ戻すように、丁寧に。



 無駄なく。



 正確に。



 完璧に。



 ――そして。



 最後の一針で、手が止まる。



(……)


 ほんの僅かな違和感。



 ほんの一箇所。

 


 元とは違う縫い目。



(……消せる)


(なかったことにできる)



 だが――



(……あいつなりに)


(直そうとは、したんだろうな)



 静かに息を吐く。



テュエル

「……一箇所くらいなら」


「……許容範囲だな」 



 そのまま、針を置く。




 翌朝。



 壁に掛けられた外套。 



 一見、元通り。



 だが――

 


 ほんの一針だけ、違う。



 それは誰にも気づかれない。



 ただ一人を除いて。




 廊下から、そっと覗く。



(……直っておるな)


 シャガルは目を細める。



(……やはり余の腕前か)


 一瞬、ドヤる。



 だが。



(……いや)



(あの男だな)



(……余の縫い目ではない)



 少しだけ沈黙。



(……気に入らんが)


(……悪くはない)







 壁に掛けられた外套は――


 もう、“十年だけのもの”ではなかった。




 それは。




 新しく、重ねられた――



 “時間”の痕だった。

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