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集め始めた日

護衛となってから、もうすぐ一年が経とうとしていた。


 最初の頃と比べれば、レイラも随分と自分を受け入れてくれるようになった――と、テュエルは思っている。


 もっとも、それはあくまで「最初と比べれば」の話だ。


 今でもレイラは必要以上に人を頼らない。


 困っていても言わない。


 辛くても言わない。


 欲しいものがあっても言わない。


 だからこそ、見ていなければならない。


 誰より近くで。


 誰より先に気づけるように。


 それが護衛である自分の役目だと、テュエルは本気で思っていた。



「レイラ様」


 書庫の高い棚へ手を伸ばしていたレイラへ声をかける。


「危ないですよ^^」


「……取れる」


「取れてませんが」


 くすり。


 小さく笑う気配。


 からかわれている。


 レイラはじとりとした視線を向けた。


「……む」


 あと少し届かない。


 背伸びをしているが届かない。


 だが本人は諦める気がないらしい。


 テュエルは苦笑しながら近づいた。


「どれです?」


「……上から三段目」


「ああ、これですね」


 軽く手を伸ばすだけで本は取れた。


 その瞬間だった。


 ぱさり。


 何かが床へ落ちる。


「あ」


 小さな紙だった。


 本の間に挟まっていたらしい。


 拾い上げると、それは簡素な栞だった。


 厚紙を切っただけのもの。


 端には小さな花の絵が描かれている。


「レイラ様のですか?」


「……そうだ」


「手作りですか?」


「昔、暇だった時に作った」


 そう言ってレイラは本を受け取る。


 テュエルは手にした栞を軽く持ち上げる。


「これは?」


「別にいい」


「……はい?」


「また作る」


 あまりにもあっさりした返事だった。


 テュエルは栞を見下ろす。


 小さな花。


 丁寧な切り口。


 少しだけ歪んだ形。


 おそらく幼い頃のレイラが作ったものだろう。


 それを。


 捨てるのか。


「……捨てるんですか?」


「使えれば何でもいい」


 当然のように言われた。


 レイラは本を抱えたまま、すでに別の棚へ視線を向けている。


 テュエルは栞を見つめた。


 少しだけ考え。


「では、処分しておきます」


「任せる」


 レイラはもう聞いていなかった。


 そしてその日の夜。


 処分されるはずだった栞は、なぜかテュエルの机の引き出しへ収まっていた。


 理由は分からない。


 ただ。


 なんとなく捨て難かったのだ。


 それだけである。



 その数日後。


 今度は琴の練習だった。


 静かな音色が広間へ響く。


 レイラは琴を弾くのが上手い。


 幼い頃から続けているだけあって、音に迷いがなかった。


 だが。


 ぴん、と高い音が響いた次の瞬間。


 一本の弦が切れた。


「あ」


 レイラが手を止める。


 テュエルはすぐ近づいた。


「お怪我は?」


「ない」


「なら良かった」


 切れた弦を摘み上げる。


 交換すれば済む話だ。


 そう思っていた。


 だが。


 レイラはあっさり言った。


「……捨てておいてくれ」


「はい」


 まただ。


 と、思った。


 その夜。


 栞の隣に琴の弦が並んだ。


 なぜ並べたのかは分からない。


 本当に分からない。


 ただ。


 なんとなく。


 捨てなかった。



 書き損じた紙。


回収。


数日後。


切れた髪紐。


回収。


使い古した琴爪。


回収。


舞の稽古で壊れた扇子。


回収。


練習で潰れた筆。


回収。


 そしてある夜。


 テュエルは自室で引き出しを開いた。


「……」


 栞。


 切れた琴の弦。


 書き損じた紙。


 切れた髪紐。


 使い古した琴爪。


 舞の稽古で壊れた扇子。


 潰れた筆。


 気づけば増えている。


「……」


 少しだけ考えた。


 何をしているのだろう。


 自分でもよく分からない。


 だが。


 捨てる気にもなれなかった。


 どれも。


 レイラが使っていたものだから。


 レイラが触れていたものだから。


レイラと過ごした時間の一部だから。


「……」


引き出しの中を見つめる。


(入れ物……)


 そこまで考えて。


 ふと我に返る。


 夕餉の時間だった。


 テュエルは引き出しを閉め、立ち上がった。



  その日の夕餉には、煌龍国から届けられた海魚が並んでいた。


 海を持たぬ双国では珍しい品だ。


 そしてそれは、レイラの好物でもある。


 箸を手に取る速度が、普段よりほんの僅かに早い。


 本人は気づいていないのだろう。


 だが、テュエルは気づいていた。


 こういう小さな変化を見るたびに。


 少しだけ嬉しくなる。


 そんな中。


 気づけば皿の魚も半分ほど減っていた。


 レイラは次の一口を口へ運び――


「……っ」


 ほんの僅か。


 表情が固まる。


 テュエルは気づいた。


「レイラ様?」


「……なんでもない」


「そうですか」


 返事はした。


 ただ。


 その違和感だけが、心に残った。



 夜。


 レイラは机に向かい、本を読んでいた。


 その傍らでは、テュエルが針を動かしている。


 レイラの着物だった。


 袖口へ銀糸の刺繍を加えている。


 最近よく着ている着物だから。


 少しだけ華やかにしたかった。


 別に頼まれたわけではない。


 静かな時間だった。


 だが。


「……?」


 テュエルはふと顔を上げる。


 どこか様子がおかしい。


 先ほどから、レイラの手が何度も止まっている。


 頁をめくる間隔も遅い。


 普段なら見逃してしまいそうな変化。


 だが。


 テュエルは気づいてしまう。


「レイラ様?」


 テュエルは眉を寄せる。


「どうかされましたか?」


「……別に」


「別にではありませんよね」


 ぴくり、と肩が動く。


「いつも見ていますから」


「…………」


「苦しそうです」


「……気のせいだ」


「違います」


 即答だった。


 レイラが少しだけ視線を逸らす。


 その仕草だけで確信する。


 何かある。


 しかも言いにくい類の何かだ。


「レイラ様」


「……なんだ」


「話してください」


「…………」


「レイラ様」


「…………」


「レイラ様」


「しつこい」


「そうですね」


「ですが、やめません」


 即答。


 レイラは深いため息を吐いた。


 しばらく沈黙。


 やがて観念したように口を開く。


「……笑わないか?」


 テュエルは瞬きをした。


「なぜ笑うんです?」


「……いや」


「約束します」


 真っ直ぐに見つめる。


「辛いことなら、なおさら言ってください」


 レイラはしばらく黙り込み。


 そして。


 本当に小さな声で言った。


「……骨」


「はい?」


「……骨が」


 さらに小さくなる。


「……刺さった」


 一瞬。


 空気が止まった。


 次の瞬間。


「医官の元へ行きましょう」


「嫌だ」


「では医官を呼びます」


「嫌だ」


「では見せてください」


「嫌だ」


「レイラ様」


「大袈裟だ」


「大袈裟ではありません」


 真顔だった。


 レイラは顔をしかめる。


「こんなことで騒ぐな」


「こんなことではありません」


「たかが骨だぞ」


「されど骨です」


「……」


「喉です」


 さらに真顔。


 レイラは思わず目を逸らした。


「……父上に知られたくない」


 ぽつり。


 テュエルは沈黙した。


 そして。


(本当に……あの岩は)


 心の中だけで毒づく。


 あれだけ娘を大切にしているくせに。


 その気持ちは、未だにレイラへ届いていない。


 不器用にも程がある。


「レイラ様」


「……なんだ」


「……ボクが取りましょうか」


レイラが目を瞬く。


「できるのか」


「やったことはありません」


「……」


「ですが」


「絶対に傷つけません」


レイラはしばらく黙り込む。


たしかに放置も良くない。


そして何より。


父には知られたくなかった。


「……頼めるか」


「もちろんです^^」


 笑顔で答える。


「……父上には」


「言いません」


「……」


「ボクとレイラ様だけの秘密です^^」


 その言葉に。


 なぜかレイラは少しだけ黙った。


 胸の奥が、妙にざわつく。


 二人だけ。


 秘密。


 それは不思議な響きだった。


「……笑うなよ」


「笑いません」


 レイラはゆっくり口を開く。


 灯りを近づける。


 テュエルは慎重に覗き込み。


 鑷子を手に取った。


 細心の注意。


 本当に僅かな動き。


 息を止める。


 集中する。


 そして。


「……取れました」


 小さな白い骨が、鑷子の先で揺れていた。


 レイラは何度か唾を飲み込む。


 痛みはない。


「……うん」


 思わず息を吐く。


「……痛くない」


「良かった……」


 テュエルは本当に安堵した顔をした。


「かなり太い骨でした」


「……そうか」


「痛かったでしょう」


「少し」


「少しじゃないでしょう」


「少しだ」


「嘘ですね」


「……うるさい」


 そのやり取りに、ようやく普段の空気が戻る。


 テュエルは心底ほっとした。


「でも本当に危なかったです」


「大袈裟だ」


「これからは魚をほぐして差し上げますね」


「いらない」


「冷ますのもボクが」


「いらない」


「全部」


「いらない」


 即答だった。


 テュエルは少しだけ肩を落とす。


 レイラは呆れたようにそれを見た。


 本当に。


 過保護だ。


 だが。


 不思議と嫌ではなかった。


 むしろ――。


 そこまで心配されることに、少しだけ慣れてしまった自分がいる。


 それに気づいた瞬間。


 妙に居心地が悪くなった。


「……もう寝る」


 反射的にそう言った。


「かしこまりました^^」


 テュエルは綺麗に一礼する。


「おやすみなさいませ」


 そして踵を返した。


 離れていく。


 その背中を見て。


 レイラは何故か焦った。


「あ……」


 呼び止めたい。


 だが何を言えばいい。


 胸の中でもたついた言葉が、ようやく形になる。


「テュ、テュエル」



 ふと



 足が止まった。


 ぴたりと。


 まるで時間が止まったように。


 レイラは少しだけ後悔した。


 やはり恥ずかしい。


 だが。


 言わなければならない気がした。


「……ありがと、う」


 数秒。


 沈黙。


 テュエルは振り返らない。


 ただ肩だけが微かに震えていた。


 そして。


「いえ……^^」


 いつも通りの声。


 少しだけ優しい声。


「お役に立てて良かったです」


 そう言って再び歩き出す。


「おやすみなさい、レイラ様」


「……うん」


  戸が閉まる。


 静寂。


 その向こう側で。


 テュエルはしばらく動けなかった。


「…………」


 戸へ背を預ける。


 ゆっくりと天井を仰いだ。


 数秒。


 いや。


 もっと長かったかもしれない。


「…………」


 目を閉じる。


 思い出す。


 つい先ほどの声。


『テュ、テュエル』


 胸の奥が熱い。


 何度も何度も再生される。


 初めてだった。


 レイラが、自分の名を呼んだのは。


 それだけのことなのに。


 どうしようもなく嬉しい。


『……ありがと、う』


「…………」


 思わず口元を押さえた。


 なんだこれは。


 たったそれだけだ。


 名前を呼ばれただけ。


 礼を言われただけ。


 護衛として当然のことをしただけ。


 なのに。


 どうしようもなく嬉しい。


「……やばいな」


 ぽつりと呟く。


 誰もいない廊下へ。


「それだけなのに」


 笑みが零れそうになる。


 慌てて引き締める。


 護衛がこんな顔をしていてどうする。


 冷静になれ。


 落ち着け。


 いつも通りだ。


 いつも通り。


「…………」


 無理だった。


 どうしても思い出してしまう。


 あの少し照れたような顔。


 視線を逸らしながらの礼。


 勇気を振り絞ったような呼び方。


「……少しは」


 呟く。


「近づけたのだろうか」


 答える者はいない。


 だが。


 もしそうなら。


 それはとても嬉しいことだった。


 ふと。


 右手に違和感を覚える。


「……?」


 手を開く。


 そこには。


 鑷子。


 そして。


 小さな魚の骨。


「…………」


 しばらく見つめる。


 取った時から握ったままだったらしい。


「……捨てるか」


 当然だ。


 魚の骨である。


 取っておく理由などない。


 回廊の外へ向かい。


 手を開く。


 ぽとりと落とせば終わりだ。


「…………」


 だが。


 指が動かない。


 なぜだ。


 自分でも分からない。


 ただ。


 先ほどのことを思い出してしまう。


 苦しそうなレイラ。


 助けを求めるのを躊躇うレイラ。


 そして。


『テュ、テュエル』


「…………」


 魚の骨を見る。


 もう一度見る。


「……」


 しばらく悩み。


 そして結論を出した。


「戒めとして残しておくか」


 誰に言い訳しているのか分からない。


「レイラ様を危険な目に遭わせた」


 うん。


 そうだ。


 だからだ。


「次からは魚も確認しよう」


 そういうことだ。


 決して。


 決して名前を呼ばれた記念ではない。


 断じて違う。


 そういうことにした。



 その夜。


 夜警の前に少しだけ自室へ戻る。


 机の引き出しを開く。


 中には。


 古い栞。


 切れた琴の弦。


 書き損じた紙。


 切れた髪紐。


 使い古した琴爪。


 舞の稽古で壊れた扇子。


 潰れた筆。

「…………」


 改めて見ると意味が分からない。


 なぜ持っているのだろう。


 自分でもよく分からない。


 だが。


 捨てる気にもなれない。


 少し考え。


 裁縫箱と工具箱を取り出した。


「箱でも作るか」


 前々から思っていた。


 引き出しでは散らかる。


 保管するなら保管するで、まとめた方がいい。


 それと。


 細かなものを入れる小物入れ。


 こちらも一つ作っておこう。


 夜警までまだ少し時間がある。


 簡単なものなら作れるだろう。


 そうして。


 黙々と作業を始めた。


———


「よし」


 木箱。


それと

 

 小物入れ。


 掌に収まる程度の大きさ。


 持ち運びもできる。


 紐付き。


 落ちぬように。


 なかなか悪くない出来だった。


 テュエルは満足げに頷く。


 そして。


 箱と小物入れへ、一つずつ納めていく。


 栞。


 箱へ。


 琴の弦。


 箱へ。


 書き損じた紙。


 箱へ。


 切れた髪紐。


 小物入れへ。


 使い古した琴爪。


 小物入れへ。


 舞の稽古で壊れた扇子。


 箱へ。


 潰れた筆。


 箱へ。


 最後に。


 魚の骨。


「…………」

 指先で摘まむ。


 しばらく眺める。


 そして。


 小物入れへ入れた。



「……増えたな」


 ぽつり。


 独り言。


 そしてふと気づく。


 どれも。


 レイラに関するものだった。


 偶然だろうか。


 いや。


 偶然ではない気もする。


 だが。


 深く考えるのはやめた。


「まあ、いいか」


 どうせ大したことではない。


 思い出の品だ。


 それだけだ。


 小物入れへと入れる瞬間


 ふと魚の骨へ視線が落ちる。


 脳裏に蘇る。


『テュ、テュエル』


 少しだけ笑った。


「……いい日だったな」


 きゅっ。


 紐を閉じる。


 その夜。


 テュエルは上機嫌で夜警へ向かった。



———


 そして翌年。


 ある日の昼下がり。


 いつものように本を読んでいたレイラが、不意に手を止めた。


「……ん」


 小さな声。


 テュエルは顔を上げる。


「レイラ様?」


「どうされました?」


「……いや」


 レイラは指先を口元へやった。


 そして。


 ぴっ。


 何かを摘まみ出す。


「………?」


 テュエルが首を傾げる。


 レイラは確認するように掌を見た後、


 何事もなかったように立ち上がった。


 そのまま部屋の隅にあるゴミ箱へ向かう。


 ぽい。


 かつん。


 小さな音。


「……?」


 そして席へ戻ることもなく、そのまま部屋を出て行った。


 静寂。


「…………」


 テュエルはしばらく扉を見ていた。


 そして。


 なんとなく。


 ゴミ箱へ近づく。


 中を覗き込む。


「……あ」


 歯だった。


 小さな乳歯。


 白い。


「…………」


 数秒。


 沈黙。


 テュエルはそれを拾い上げた。


 掌の上で転がす。


 そういえば最近、少しぐらついていると言っていた。


「抜けたんですね」


 誰もいない部屋で呟く。


 そして。


  ごく自然な動作で懐へ手を入れた。


 取り出したのは小さな布製の小物入れ。


 紐を解く。


 中を覗く。


 切れた髪紐。


 使い古した琴爪。


 魚の骨。


「…………」


 乳歯を見る。


 小物入れを見る。


 乳歯を見る。


 小物入れを見る。

 そして。


 迷いなく中へ納めた。


 魚の骨の隣に、綺麗に収まる。


「よし」


 満足げに頷く。


 紐を閉じる。


 きゅっ。


 そのまま懐へ戻した。


 何一つ疑問はなかった。

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