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やきもきティータイム


最近。


シャガルには一つだけ、

気になることがあった。


「……」


机に向かうレイラ。


書類へ視線を落とし、

静かに筆を走らせている。


いつも通りだ。


見慣れた光景。


だが。


「……」


妙だ。


何が妙なのかは分からない。


ただ。


妙なのだ。


カリカリカリ――


静かな執務室に、

筆先の音だけが響く。


その時。


「レイラ様」


テュエルが書類を一枚差し出した。


「こちらを」


レイラは反射的に顔を上げる。


そして。


「――っ」


固まった。


ほんの一瞬。


だが確かに。


肩が跳ねた。


「……?」


テュエルが首を傾げる。


レイラは慌てて書類を受け取った。


「あ、ぁあ……ありがとう」


珍しく吃った。


テュエルは気付いていない。


「いえ」


それだけ言って、

また仕事へ戻る。


レイラも慌てて視線を落とした。


カリカリカリ――


筆を動かす。


だが。


耳だけは妙に赤かった。


「……」


シャガルは二人を見比べた。


そして。


(なんだ今のは)


首を傾げる。


何かがおかしい。


だが。


何がおかしいのかは、

まだ分からなかった。



昼。


食堂。


皇族用の席で、

三人は昼餉を取っていた。


今日の献立は。


焼き魚。


味噌汁。


漬物。


白米。


実に平和である。


(……熱そう)


レイラが味噌汁を見下ろす。


湯気が立っていた。


猫舌である。


昔から。


そして。


昔からの習慣もある。


何も言わず。


テュエルは椀を受け取った。


ふー。


ふー。


丁寧に冷ます。


それは。


本当に昔からのことだった。


レイラも、

それを当然のように受け入れていた。


ずっと。


何年も。


何も考えずに。


「どうぞ」


差し出された椀を受け取り、

レイラは小さく頷く。


「……ん」


そして。


焼き魚。


いつもの昼餉。


いつもの光景。


レイラは特に気にせず箸を取る。


その横で。


テュエルは当たり前のように魚へ箸を入れた。


骨を避ける。


身をほぐす。


丁寧に。


本当に丁寧に。


そして。


小皿へ移した。


「どうぞ」


レイラは差し出された魚を見る。


ほぐされた身。


骨は一本も無い。


食べやすいように。


いつも通り。


当たり前のように。


そこで。


ふと手が止まった。


(……あ)


脳裏を過ったのは。


喉へ刺さった魚の骨。


真剣な顔で鑷子を握っていたテュエル。


そして。


『これからは魚をほぐして差し上げますね』


その言葉だった。


今さら気付く。


あの日から。


一度も骨付きの魚を渡されていない。


毎回だ。


毎回。


当然のように。


ずっと。


そんなことを意識してしまった。


顔が熱い。


一気に。


耳まで。


「……?」


テュエルが首を傾げる。


数秒。


固まる。


そして。


(あ)


気付いた。


最近の外出。


夕焼け。


手を繋いだこと。


胸が苦しいと言われたこと。


全部思い出した。


(……殺す気か)


(いや……)


(死ぬ……)


テュエルの思考が止まる。


レイラは慌てて視線を逸らした。


「ぁ、ぁりがと……」


声が小さい。


普段のレイラなら考えられないほど。


テュエルも妙にぎこちなくなる。


「ぃ、いえ……」


視線が合わない。


妙な沈黙。


そして。


「…………」


シャガルだけが、

二人を見ていた。


(は……?)


なんだこれは。


意味が分からない。


魚だぞ。


魚で何故そうなる。


意味が分からない。


本当に。


意味が分からない。



昼餉の後。


テュエルは席を立つ。


「午後は稽古場へ向かいます」


「……うん」


レイラは頷く。


そして。


「……き、気をつけろ」


テュエルが固まった。


「……はい^^」


妙に機嫌が良い。


シャガルは眉をひそめた。


(は……?)


レイラは妙に名残惜しそうだった。


シャガルは見逃さない。


(……?)


……何だ。


今の顔は。


テュエルが去る。


扉が閉まる。


静寂。


そして。


シャガルは口を開いた。


「レイラ」


「……なんだ」


「午後はどうする」


「……どうって?」


「城下へ行かぬか」


たまには気晴らしもいい。


そう思っただけだった。


だが。


「……な、中庭で茶などどうだ?」


即答。


しかも若干早口。


シャガルは眉をひそめる。


「……中庭?」


皇族の庭ではなく。


わざわざ?


「……あそこも綺麗だし」


「……」


妙だ。


だが。


まあいい。


「いいだろう」


レイラは小さく頷いた。


どこか嬉しそうに。




中庭。


穏やかな風が吹いていた。


用意された茶卓。


湯気の立つ茶。


静かな午後。


そして――


少し遠く。


木刀がぶつかり合う音が聞こえる。


カンッ。


カンッ。


カンッ。


規則正しい音。


稽古場だ。


中庭から少し離れている。


だが。


見ようと思えば見える。


そして。


レイラは見ていた。


「……」


ぼー……


視線の先。


稽古場。


木刀を振るうテュエル。


「……」


ぼー……


「……レイラ」


「……」


ぼー……


「レイラ」


「……っ!」


肩が跳ねた。


「な、なんだ?」


「何度も呼んだが」


「そ、そうか?」


シャガルは答えない。


代わりに。


ゆっくりと。


レイラの視線を追った。


その先。


稽古場。


そして。


テュエル。


「……」


「……」


沈黙。


なるほど。


なるほどな。


理解した。


何もかも理解した。


(……忌々しい)


だが。


まだ早い。


決めつけるのは良くない。


可能性は他にもある。


そう。


例えば。


稽古そのものに興味がある、とか。


そういう可能性だ。


きっと。


たぶん。


恐らく。


……無い気がするが。


「レイラ」


「なんだ」


「見ろ」


「?」


シャガルは立ち上がる。


そして。


中庭の端へ向かった。


そこには。


庭石があった。


大きい。


かなり大きい。


普通の人間なら持ち上がらない。


だが。


相手は妖王である。


「ふん」


ごごごご……


持ち上がった。


普通に。


レイラは目を丸くする。


「おぉ」


よし。


食いついた。


「どうだ」


「すごいな」


勝った。


そう思った。


だが。


次の瞬間。


「……でも」


「ちゃんと戻しておけ」


「……」


沈黙。


「危ないだろう」


「……」


面白くない。


非常に。



第二案。


力が駄目なら。


容姿だ。


余は美しい。


それは事実である。


誰も否定しない。


否定できない。


問題は見せ方だ。


シャガルは腕を組む。


少しだけ顎を上げる。


第一形態。


妖王。


「……」


レイラ

「……?」


反応なし。



第二形態。


長椅子へ腰を下ろす。


足を組む。


頬杖をつく。


完璧である。まるで絵画。


「……」


レイラは茶菓子を食べている。


反応なし。



第三形態。


外套を少しだけ緩める。


さらに衣を緩め。


胸元を見せる。


視線は流し目。


完璧である。


妖界なら百は落ちる。


「……」


レイラは数秒見つめた。


ついに効いたか。


そう思った。


だが。


「……暑いのか?」


「……」


「風邪を引くぞ」


「……」


面白くない。


非常に。


シャガルは近くの水面へ視線を落とした。


映るのは妖王。


完璧である。


顔も良い。


体格も良い。


威厳もある。


「……」


おかしい。


なぜ効かぬ。


なぜ倒れぬ。


こんなに麗しいのに。


「……」


しばらく考える。


やはり分からない。


その時だった。


「……あぁ……♡」


背後で何かが倒れる音がした。


実際。


倒れかけていた。


通りかかった女官たちが。


顔を真っ赤にして固まっている。


「……」


レイラはようやく気付いた。


「何をしている」


「どうだ」


「何がだ」


「麗しいだろう?」


「……」


レイラは数秒黙る。


そして。


女官。


侍女。


巡回兵。


周囲を見回す。


皆どこか様子がおかしい。


顔が赤い。


視線も泳いでいる。


そして。


当の本人だけが。


完璧に決まった顔をしていた。


「……ぷっ」


吹いた。


肩が震える。


「馬鹿……」


「何だと」


「そんなこと」


くすくす。


「外でするな」


完全に笑われていた。


シャガルは周囲を見た。


女官。


顔真っ赤。


侍女。


顔真っ赤。


巡回兵でさえ視線を逸らしている。


「……」


なるほど。


効いてはいたらしい。


「……」


レイラだけだった。


面白くない。


非常に。



第三案。


最終手段。


シャガルは静かに目を閉じた。


王羅(オーラ)を練る。


そして。


白い柴犬。


少しだけふてぶてしい顔。


妙に偉そうな目つき。


どう見ても性格が滲み出ている。


「……!」


レイラの目が輝いた。


その瞬間。


シャガルは確信した。


勝った。


完全勝利である。


犬シャガルは迷わず駆け出した。


目指す先は。


レイラの膝。


一直線だった。


「わっ……」


レイラは慣れた様子で受け止める。


柴犬である。


意外と重い。


だが。


レイラは普通に抱き留めた。


「ふふ……」


犬シャガルは勝利を確信した。


ほら見ろ。


見ている。


余を見ている。


しかも笑っている。


「……どうした」


「今日はさらに甘えん坊だな?」


なでなで。


犬シャガルは目を細めた。


実に良い。


非常に良い。


理想的だ。


先程までの苦労が報われた気がする。


わしわし。


「……可愛いな」


わしわし。


(勝った)


完全勝利だった。


犬シャガルは満足する。


平和だった。


そして。


その平和は終わった。


「レイラ様」


聞き慣れた声。


犬シャガルの耳がぴたりと止まる。


レイラも手を止めた。


振り返る。


そこには。


木刀を持ったテュエルが立っていた。


稽古の休憩中なのだろう。


額には汗が滲み、

手には木刀が握られたままだ。


「テュエル……」


レイラが名を呼ぶ。


そして。


ぱちり。


目が合う。


レイラ

「……っ」


顔が赤くなる。


分かりやすく。


一瞬で。


テュエル

「……っ!!」


気付いてしまう。


(可愛すぎるだろ)


(殺す気か)


犬シャガル

「……」


面白くない。


非常に。



「……?」


テュエルは視線を下げた。


そして。


犬を見る。


数秒。


沈黙。


「……」


テュエルは無言。


首根っこを掴む。


ひょい。


犬シャガル

「!?」


宙ぶらりん。


前足が空を切る。


「何を」


レイラが目を瞬かせる。


テュエルは真顔だった。


「妖だと知られたいのか」


「…………」


犬シャガル硬直。


「城内に犬などいません」


「…………」


「ましてや勝手に中庭を歩く犬など」


正論だった。


あまりにも。


「戻れ」


犬シャガルはじたばたした。


だが。


離してもらえない。


「戻れ」


二回言われた。


犬シャガル。


(猿……!)


(貴様……!)


レイラは吹き出した。


「ははっ」


肩を震わせる。


「捕まっているぞ」


楽しそうだった。


非常に。


面白くない。


次の瞬間。


ぽふん。


犬が消える。


代わりに。


シャガルが現れた。


テュエルが眉をひそめる。


「気をつけろ」


即答だった。


レイラは笑っている。


面白くない。


非常に。


そして。


シャガルがそう思っていると。


「レイラ様」


テュエルが声を掛けた。


レイラが視線を上げる。


テュエルはそのまま歩み寄ろうとして――


ぴたり。


止まった。


「……?」


「……あ、いえ」


何かを思い出したようだった。


「稽古中でした」


額には汗。


木刀を持ったまま。


「汗臭いので……」


一歩下がる。


「……このままで」


レイラは黙った。


「………」


テュエルは困ったように眉を下げる。


(まずい)


(気持ちが先行しすぎた)


(不快な思いをさせてしまう)


(……何をしている)


レイラは少し視線を伏せた。


そして。


「べ、別に……平気だ」


「お前の……匂いだから……」


沈黙。


テュエル停止。


思考停止。


テュエルは息を呑んだ。


「レ、レイラ様……」


そのまま。


二人は見つめ合った。


あからさまに甘い空気が流れる。


シャガル。


(は?)


胃が捻れる。


(余は)


(何を見せられておる)


シャガルは決めた。


もう良い。


十分だ。


これ以上見ていたら。


本当に面白くない。


シャガルは一歩踏み出した。


「レイラ」


「ん?」


そして。


ひょい。


「え?」


姫抱っこ。


「なっ!?」


レイラが固まる。


「なっ!!」


今度はテュエルが固まった。


シャガルは真顔だった。


「知らぬ」


「降ろせ!」


「嫌だ」


「理由を言え!」


「面白くない」


「意味が分からない!」


「余もだ」


完全に掻っ攫いだった。


シャガルは構わず歩き出す。


レイラを抱えたまま。


城の外へ。


草原の方角へ。



草原へ着く頃には、

空はすっかり茜色に染まっていた。


長い草が風に揺れる。


遠くには山々。


聞こえるのは風の音だけ。


ようやく。


シャガルはレイラを降ろした。


「まったく……」


レイラは乱れた衣を整える。


「何を考えているんだ」


「知らぬ」


「知らぬではない」


「知らぬものは知らぬ」


いつも通りだった。


本当に。


レイラは小さく息を吐く。


そして。


ふと空を見上げた。


夕焼け。


赤く染まる世界。


風に揺れる草原。


そして。


目の前に立つ男。


「……」 


(綺麗だな)


胸の奥が少しだけ騒いだ。


思い出す。


(あの日も)


(こんな夕暮れだったな)


その時。


確かに思ったのだ。


――綺麗だ、と。



「……やっぱ」


ぽつりと呟く。


「ずるいな」


シャガルが眉を上げた。


「……何がだ」


レイラは少しだけ目を細める。


夕陽が眩しい。


いや。


違う。


眩しいのは――


「……ん」


少し考えて。


それから小さく笑った。


「私は幸せだなって言ったんだ」



風が吹く。



シャガルは何も言わなかった。


言えなかった。


完全に予想外だった。


レイラは続ける。


「お前もいて」


「テュエルもいて」


夕焼けを見上げる。


「……幸せだ」


飾らない言葉。


だからこそ。


重い。


シャガルは黙ったままだった。


レイラは首を傾げる。


「……?」


「どうした」


返事がない。


珍しい。


本当に。


シャガルはゆっくり息を吐いた。


そして。


「……レイラ」


「なんだ」


「今夜は余と過ごせ」



「……へ?」


数秒遅れて。


意味が脳へ届く。


「なっ……!?」


顔が熱くなった。


「だ、だめだ!」


「なぜだ」


「なぜではない!」


レイラは慌てて一歩下がる。


「取り決めだろう!?」


「……」


シャガルが固まった。



——取り決め。



思い出す。


あの理詰め護衛による。


夜間行動に関する規定。



「原則、二日連続は禁止です」



「…………」


そうだった。


レイラは頬を押さえる。


「昨夜はお前だったじゃないか」


「……」


「だから今日は――」


そこで止まる。


言いかけて。


レイラも固まった。


今日は。


誰だったか。


考えた瞬間。


顔が赤くなる。

 


シャガル

「……」


面白くない。


非常に。


(あの猿か)


面白くない。


実に。


面白くない。


実に。


忌々しい。


レイラは咳払いをした。


「と、とにかくだ」


「取り決めだ」


「守らなきゃ」


珍しく正論だった。


シャガルはしばらく黙っていた。


そして。


一歩。


近付く。



レイラ

「?」


さらに。


一歩。


「……シャガル?」


腰を引き寄せられる。


そして。


唇が重なった。


レイラの思考が止まる。


数秒。


本当に数秒。


だが。


十分だった。


離れる。


「な……」


「なにを……」


声が震える。


顔が熱い。


心臓がうるさい。


シャガルは平然としていた。


「前借りだ」



「へ……?」


「明日まで待てぬ」


レイラの顔が真っ赤になる。



「ば、馬鹿……!」


「知っておる」


本当に。


知っている顔だった。



レイラは額を押さえる。


今日は。


何もかもがおかしい。


シャガルも。


自分も。


きっと。


全部。


おかしい。



二人は草原へ腰を下ろした。



風が吹く。


長い草が揺れる。


空はゆっくりと茜色へ染まっていく。


「……綺麗だな」


ぽつりと零す。


「あぁ」


完全にいいムードだった。



取り決め。



守らねばならない。



その⑥


場所の制限



「任務中・移動中は禁止」



「安全が確保された場所のみとします」



シャガル

「……」


思い出す。


(移動中、に入るのか?)


(いや)


(腰を下ろしておる)


(移動しておらぬな)



「安全が確保された場所」



(余がおる、極めて安全だ)


黙っているシャガルを不思議に思い、レイラは思わず声をかける。


「……どうした」


「……うむ」

「問題ない」


「何がだ」


「さぁな」


レイラは怪訝そうに眉をひそめた。


だが。


それ以上は聞かなかった。



夕陽は静かに沈んでいく。


風は優しい。


隣にはレイラがいる。


実に良い日だった。



シャガルは相変わらず健全な妖だった。

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