「私は非常食なのか……?」とレイラに真顔で聞かれた妖王
静かな執務室。
レイラは机へ向かい、
書類へ視線を落としていた。
隣ではシャガルが頬杖をついている。
最初の五分は平気だった。
十分も耐えた。
十五分。
暇だった。
とても暇だった。
レイラはまだ書類を読んでいる。
視線すら向けない。
シャガルは考えた。
どうするべきか。
そして――
あぐ。
「……」
レイラの手を噛んだ。
「……シャガル」
「なんだ」
「手を噛まないで」
「暇だ」
即答だった。
「……知らない」
レイラは書類へ視線を戻す。
シャガルも少し考えた。
確かにそうだ。
だが暇だった。
なので。
あぐあぐ。
もう一度噛んだ。
「やめろ」
「うむ」
返事だけは良かった。
⸻
午後。
中庭。
柔らかな風が吹いている。
レイラは湯呑みを手に、
ゆっくり茶を飲んでいた。
その隣では、
シャガルも茶を飲んでいる。
平和だった。
数分前までは。
あぐ。
「……」
湯呑みを持つ手だった。
レイラは視線だけ向ける。
「……なんだ」
「なんとなくだ」
「噛む理由になっていない」
「そうか?」
「そうだ」
シャガルは少し考えた。
だが。
やはり噛みたかった。
なので。
あぐ。
「やめろ」
「うむ」
やめなかった。
⸻
その後。
再び執務室。
レイラは皇務へ戻った。
書類。
決裁。
報告。
相変わらず忙しい。
シャガルは相変わらず暇だった。
しばらく見ていた。
だが。
やはり構ってほしい。
なので。
後ろから近づき――
あぐ。
首筋だった。
「っ……」
レイラの肩がぴくりと揺れる。
あぐあぐ。
「……シャガル」
「なんだ」
「……私を、食べるつもりなのか?」
静寂。
シャガルは眉をひそめた。
「そんなわけなかろう」
「……では、何故最近よく噛む」
「…………」
そこで初めて。
シャガルは考えた。
(なぜだ?)
(余はなぜ噛みたい……?)
少し考える。
だが。
分からない。
「なんとなくだ」
「そうか……」
レイラは真顔だった。
そして。
ぽつりと呟く。
「……お前、人間の女を食べていたんだろう?」
「昔食べたことはあるな」
即答だった。
レイラ
「…………」
沈黙。
シャガルは首を傾げる。
「どうした」
「いや」
レイラは少し考える。
そして。
「私はもしかして」
一拍。
「非常食なのか……?」
「は?」
今度はシャガルが真顔になった。
「違う」
「本当か?」
「本当だ」
「だが最近よく噛む」
「そうだな」
「食べる前兆では」
「違う」
「信用できない」
「何故だ」
「食べたことがあるからだ」
それはそうだった。
「怖い……」
「…………」
シャガルは少し考える。
だが。
何故怖がられているのか、
いまいち分からなかった。
⸻
夜。
シャガルの私室。
レイラは寝台へ腰掛け、
本を読んでいた。
静かな時間。
頁をめくる音だけが響く。
その隣で。
シャガルは見ていた。
ずっと。
レイラを。
「……」
「……」
「……」
「……」
レイラが本から目を離さず言う。
「何だ」
「別に」
別にではない。
レイラは知っていた。
こういう時のシャガルは、
何かしたい時だ。
案の定。
あぐ。
顎だった。
「いたい」
「そうか」
全く悪びれない。
レイラは本を閉じた。
「……お前は本当に何なんだ」
「何がだ」
「何故噛む」
静かな問いだった。
シャガルは少しだけ考える。
今日一日。
手を噛んだ。
首筋も噛んだ。
肩も。
耳も。
顎も。
色々アグアグした。
なぜだろう。
分からない。
だが。
一つだけ分かることがあった。
シャガルは手を伸ばし、
レイラを引き寄せる。
自然に。
当然のように。
腕の中へ。
「……落ち着く」
ぽつりと言った。
レイラが瞬きをする。
シャガルはその銀糸の髪へ顔を埋めた。
「相変わらず冷えておるな」
「そうか?」
「あぁ」
だが。
嫌ではなかった。
むしろ心地良い。
抱いていると落ち着く。
触れていると安心する。
離したくない。
シャガルは少しだけ考える。
そして。
ふと答えに辿り着いた。
(……愛しさ故、かもしれんな)
「なぜ噛むか」
「……うん」
「余にもよく分からん」
「……そうだろうな」
レイラは呆れたように息を吐いた。
⸻
灯りが消える。
静かな寝所。
レイラは目を閉じた。
その隣で。
あぐ。
「……」
あぐ。
「シャガル」
あぐあぐ。
「聞いておる」
聞いているだけだった。
やめる気はないらしい。
レイラは諦めたように息を吐く。
「噛み跡は残すな」
「取り決めだろう。分かっておる」
「本当にか」
「多分な」
「信用できない」
「余もそう思う」
「……おい」
くつり。
暗闇の中で、
シャガルが笑った。
そしてその夜も。
取り決め通り、
跡が残らない程度に。
シャガルは手を、肩を、頬を、
時折首筋までも甘噛みしながら、
まるで。
大切なものが、
本当にそこにいることを確かめるように。
「……ほどほどにしろ」
「善処する」
「信用できない」
「余もそう思う」
「おい」
再び小さな笑い声。
二人が眠りについたのは、
もう少し後のことだった。




