【未来編】たまには猿だって奥様といちゃつきたい
城内は、まだ朝の静けさを残していた。
柔らかな光が窓から差し込み、
回廊を淡く照らしている。
その一室で、レイラは目を覚ました。
「……」
身を起こすと、寝台の脇に控えていたテュエルが、
静かにこちらへ視線を向けた。
――婚姻を結んだ今、彼が扉の外で待つ理由はもうない。
当然のように手が伸びる。
「おはようございます、レイラ様^^」
穏やかな声。
そこには一切の揺らぎがない。
「……うん、おはよぉ……」
まだ眠気の残る声でそう返すと、レイラは小さく頷き、そのまま身を任せるように背を預けた。
テュエルは慣れた手つきで、銀糸の髪をすくい、寝癖を整えていく。
指先が、やけに丁寧だ。
「少し絡まっていますね……」
「……ごめん」
「いえ」
何でもないやり取り。
着付けも、
いつものように淡々と進む。
互いに慣れ切った、
朝の支度だった。
やがて二人は、
自然な足取りで朝餉の席へ向かった。
――――
長い机の端。
隣には当然のようにテュエル。
窓から差し込む淡い光が、
白い湯気をゆっくり照らしている。
まだ完全には目が覚めきっていないのか、
レイラはぼんやりしたまま椀へ手を伸ばした。
だが。
「……まだ熱いですよ」
テュエルは椀を持ち上げ、
ふぅ、と静かに息を吹きかける。
湯気がゆるやかに揺れた。
その間、
レイラはぼんやりした顔のまま待っている。
まだか、と言いたげな視線だけが向いていた。
(……かわいい)
テュエルは内心で顔を覆った。
やがて温度を確かめると、
そっと椀を差し出す。
「はい、どうぞ」
レイラは静かに口をつける。
「……ん」
丁度よかったらしい。
少しだけ表情が緩んだ。
「ありがと」
その一言だけで、
テュエルの心臓は危うく止まりかけた。
(朝からかわいい……)
(レイラ様……)
(いや……俺の奥さん……♡)
表面上は、
完璧に穏やかなままだった。
その後も、
テュエルは自然な動作で魚の身をほぐしていく。
細かな骨を丁寧に取り除き、
食べやすい部分だけを小皿へ移す。
そして当然のように、
レイラの前へ置いた。
「……ありがと」
「いえ」
まるで、
長年連れ添った夫婦のような空気だった。
レイラはまだ少し眠そうなまま、
静かに箸を進める。
時折、
うとうとしかけている。
テュエルはそんな様子を横目で見ながら、
内心で静かに悶えていた。
(かわいい……)
(眠そう……)
(ちょっと反応遅いのもかわいい……)
(あぁもう……)
(ずっとこうしていたい……)
レイラが小さく瞬きをする。
そのたびに、
銀糸の髪がさらりと揺れた。
テュエルは思わず目を細める。
幸せだった。
とても。
静かな朝餉の時間が終わると、
二人はそのまま執務室へ向かった。
扉が閉まる。
途端に、
机の上には容赦なく積まれた書簡と報告書。
朝だというのに、
既に量がおかしい。
レイラは小さく息を吐き、
そのまま自然に席へ着いた。
「……今日も、多いな」
「昨夜の内に、
各地から追加で届いていましたからね」
テュエルは慣れた手つきで書類を整理していく。
優先順位ごとに分け、
必要なものをレイラの前へ。
その動きには一切無駄がない。
レイラもすぐに集中を切り替えた。
先程まで、
少し眠たげにしていたとは思えない。
静かな目で文字を追い、
必要な箇所へ目を通していく。
さらさら、と紙を捲る音だけが部屋に響いた。
テュエルは隣で補佐をしながら、
時折その横顔へ視線を向ける。
(……綺麗だ)
真剣な時のレイラは、
どこか触れ難いほど凛としている。
だが。
その姿を、
自分だけはすぐ隣で見ていられる。
それだけで、
胸の奥が静かに満たされていく。
(俺の奥さん……♡)
口元が緩みかける。
危ない。
テュエルは無表情を装いながら、
何事もなかったように次の書類を差し出した。
「こちら、東側の水路整備の件です」
「……うん」
レイラは短く頷き、
そのまま目を通していく。
集中している。
凄まじいほどに。
それから、
どれほど経っただろうか。
レイラはほとんど休むことなく、
次々と書類へ目を通していく。
その集中力は凄まじい。
テュエルも補佐をしながら、
時折感心するように目を細めていた。
(……本当にすごい方だ)
朝はまだ少し眠そうだったのに。
今はもう、
完全に“王”の顔をしている。
凛としていて、
美しくて。
……そして、
やっぱりかわいい。
そんなことを考えているうちに。
「……ふぅ」
レイラが小さく息を吐いた。
背もたれへ身体を預け、
ゆっくり肩を回す。
流石に、
少し疲労が見える。
テュエルはすぐに声を掛けた。
「……少し休憩しますか?」
柔らかな声音。
だが内心では。
(当然だ)
(すごい集中力だった……)
(無理をしすぎる)
レイラは軽く目を閉じ、
小さく頷く。
「うん……
ちょっとだけ」
そして。
ごく自然に。
隣へ立つテュエルへ、
そっと身体を預けた。
ぴたり。
肩へ伝わる、
柔らかな重み。
「……っ」
テュエルの心臓が跳ねる。
だが表情には出さない。
いや、
出せない。
平静を装いながら、
そっとレイラの肩へ触れる。
優しく。
労わるように。
凝った箇所を探るように、
丁寧に揉みほぐしていく。
その手つきは、
もはや職人だった。
レイラが小さく息を漏らす。
「……ん」
「凝っていますね」
「少し……
集中しすぎたかも」
「無理なさらないでください」
穏やかな声。
だが。
その内心は、
わりと限界だった。
(嬉しすぎる……♡)
(はぁ……
レイラ様……♡)
(寄りかかってる……)
(近い……)
(朝からかわいすぎる……)
肩へ触れるたび、
レイラが少しだけ力を抜いていく。
完全に安心しきっている。
それがもう、
たまらなかった。
(もっと触りたい……)
(もっと揉みほぐして差し上げたい……♡)
今日は朝から穏やかで。
(……平和だ)
レイラ様も、
少し眠そうで。
朝餉も、
二人でゆっくり食べられて。
しかも今は、二人きり。
(……いいじゃないですか)
(たまには、
少しくらい……)
(いちゃついたって……!!)
テュエルの口元が、
ふにゃりと緩む。
完全に浮かれていた。
ふと、
視線が落ちる。
近い。
レイラの横顔。
静かに伏せられた睫毛。
安心しきった表情。
ほんの少し力の抜けた唇。
(……かわいい)
胸がきゅう……っとなる。
もう駄目だった。
幸せすぎる。
(……少しだけ)
そう思った瞬間。
指先が、
無意識にレイラへ伸びかける。
触れたい。
「……レイラ様」
思わず、
掠れた声が漏れる。
その瞬間だった。
――ガラッ。
勢いよく、
扉が開いた。
「レイラ♡」
空気が止まる。
テュエル
「…………」
そこには、
当然のような顔をしたシャガル。
レイラはぱちりと瞬きをしたあと、
自然に視線を向けた。
「シャガル、
おはよう」
「あぁ。
おはようだ♡」
そして当然のように近づき――
ちゅ♡
レイラの頬へ、
軽く口付けた。
テュエル
「……………………」
バキッ。
心の中で、
何かが折れた音がした。
(こいつ……)
笑顔。
だが、
目が死んでいる。
一方シャガルは満足そうだった。
「今日も愛らしいぞ」
「……そ、そうか」
レイラは少し照れたように視線を逸らす。
その反応に、
シャガルの口角がさらに上がった。
テュエル
「…………」
ぴく。
こめかみが震える。
だが崩さない。
絶対に崩さない。
そんな空気など気にもせず、
家臣達は慣れた様子で朝餉を運び込んできた。
完全にいつもの流れである。
シャガルは当然のように、
レイラの隣へ座る。
そして。
食う。
じー。
食う。
レイラを見る。
また食う。
完全に、
レイラを眺めながら飯を食っていた。
(本当に……)
(邪魔でしかないな、この男は)
テュエルは完璧な笑顔のまま、
静かに書類整理を続ける。
ぴくぴくと、
指先だけ震えながら。
やがて食事を終えたシャガルは、
満足したように立ち上がった。
「うむ」
「ではな」
窓を開け、
ひらりと外へ飛び出す。
そのまま庭の大樹の枝へ移ると、
気怠げに横になった。
しばらくすると。
ぐぅ……
微かに寝息のような気配が漂う。
(……昼寝か)
テュエルは小さく息を吐いた。
(お気楽なものだな)
だが。
執務室の空気は、
再び静かに引き締まっていく。
レイラはすぐに書類へ視線を戻し、
次々と皇務を片付け始めた。
判を押し、
目を通し、
必要な箇所へ短く指示を書き込む。
迷いがない。
集中力も切れない。
その横顔は、
凛として美しかった。
テュエルは補佐を続けながら、
時折その姿を盗み見る。
(……すごいな)
次から次へ届く書類。
本来なら、
とっくに嫌気が差していてもおかしくない量だ。
それでもレイラは、
一切手を止めない。
真剣な眼差し。
時折、
小さく眉を寄せる癖。
考え込む時に、
ほんの少しだけ視線が伏せられるところ。
全部、
目に入ってしまう。
(……かわいい)
思わず、
口元が緩みそうになる。
危ない。
すぐに真顔へ戻した。
そんな時間が、
しばらく続き――
気づけば、
窓から差し込む光は少し傾いていた。
昼を過ぎ始めている。
その時。
「……はぁ〜……」
レイラが、
深く息を吐いた。
そのまま、
背もたれへ身体を預ける。
疲れたように、
首だけを後ろへ反らした。
銀糸の髪が、
さらりと椅子の背へ流れ落ちる。
白い喉が、
無防備に晒された。
そして。
その体勢のまま、
自然と後ろに立つテュエルを見上げる。
ぱちり。
視線が合った。
「……少し休みますか?^^」
「ん……」
小さく返事をする。
それだけだった。
だが、
その気の抜けた声が。
無意識に甘えるような響きが。
テュエルの理性を、
静かに削っていく。
テュエルは穏やかに微笑む。
だが。
内心は穏やかどころではなかった。
(かわいい……)
(なんですかその声…その顔……)
(無防備すぎる……)
疲れて、
少しだけ力の抜けた表情。
ぼんやりと細められた瞳。
そして何より。
わずかに開いた、
その唇。
視線が、
どうしてもそこへ吸い寄せられる。
(……)
ごくり。
喉が鳴った。
近い。
椅子へ深く身体を預け、
首だけを反らしたレイラ。
その体勢のせいで、
自然と顔の位置が近づいている。
見下ろすテュエルと、
見上げるレイラ。
あと少し、
身を屈めれば届いてしまう距離だった。
(……今なら)
(すごく自然に――)
「……レイラ様」
掠れた声が漏れる。
胸がきゅう……っと締め付けられた。
もう駄目だった。
好きすぎる。
(少しだけ……)
ゆっくりと、
引き寄せられるように顔を近づける。
あと少し。
ほんの少しで、
唇が触れる――
その時だった。
――ガラッ。
窓が開く音。
「レイラ♡そろそろ休憩するぞ」
シャガルの声。
レイラは何事もなかったように振り返る。
「そうだな……一区切りするか」
テュエルの動きが止まる。
(……今のは)
(今のは……)
ピク、ピク、と肩が震える。
だが何も言わない。
言えない。
ただ静かに、目だけが細くなる。
(こいつ……)
(本当に……)
執務室には、静かな空気だけが残った。
その後は、
半ば強制的に休憩へ移行した。
昼食。
当然のように、
三人である。
そしてシャガルは、
当然のようにレイラへ張り付いていた。
隣へ座り。
ちらりとレイラを見る。
そして。
「あーん」
かぱっと口を開けた。
「…………」
サァ……
テュエルが真顔になる。
食べさせろ。
何も言わないくせに、
圧だけが凄い。
「……シャガル、あなたは
もう箸使えますよね?^^」
「ならばどうした」
平然と言いながら、
さらに口を開ける。
「使えよ」
テュエルは即座に突っ込んだ。
だがレイラは、
もう慣れたものだった。
「はいはい」
呆れたように息を吐きつつ、
普通に食べさせる。
シャガルは満足そうに目を細めた。
「うむ♡」
(うむ♡じゃねぇよ)
バキッ。
テュエルの箸が、
綺麗に真っ二つになった。
しかも。
食後、
少し庭を歩けば――
今度は当然のように、
シャガルの腕がレイラの腰へ回っていた。
ぴったり。
隙間ゼロ。
「……シャガル」
「なんだ猿」
「近いですよ^^」
「夫婦なのだから当然だろう?」
悪びれもなく返される。
テュエル
(いや?!俺もだが?!)
ぴき。
笑顔のまま、
こめかみに青筋が浮かぶ。
(心底殴りたい)
だが耐えた。
レイラが嫌がっていないからだ。
むしろ。
もう完全に慣れている。
それがまた、
地味に効いた。
そして午後。
再び執務室へ戻り、
皇務が始まった。
しばらくして。
「……ふぅ」
レイラが小さく息を吐く。
少し疲れている。
テュエルは即座に気づいた。
(今だ)
そっと手を伸ばしかける。
肩でも揉もう。
少しくらい、
寄り添ってもいいだろう。
そう思った――瞬間。
「レイラ♡茶をするぞ」
「……あぁ、
そうだな」
シャガルだった。
またである。
テュエル
「…………」
笑顔。
完璧な笑顔。
だが。
完全に凍っていた。
そして始まる、
午後の茶会。
シャガルは終始べったりだった。
自分の茶があるくせに、
当然のようにレイラの茶へ口をつける。
「……なぜ人のを飲む^^」
テュエルが、
笑顔のまま問う。
「レイラのだからだ」
意味が分からない。
さらに。
肩を抱く。
寄りかかる。
ついには、
レイラの肩へ頭まで乗せ始めた。
「……重いぞ」
「気のせいだ」
「まったく……」
レイラはそのままだった。
完全に慣れている。
受け入れている。
テュエル
(…………)
もう駄目だった。
精神的には、
だいぶ白骨化している。
(俺も……)
(俺もイチャつきたい……)
切実だった。
だが。
その後も。
ことあるごとに、
シャガルは現れた。
茶の後も。
湯殿から上がった後も。
夕餉の時も。
全て邪魔される。
「レイラ♡」
「レイラ、来い」
「レイラ、逸らすな」
「レイラ――」
(…………)
テュエルは、
もう何も言わなかった。
ちーーーん。
完全に、
無である。
触れたい、
と思う瞬間ほど。
なぜかシャガルが来る。
なぜ。
なぜ今。
と、
何度心の中で突っ込んだか分からない。
おかげで。
軽く触れることすら、
今日はまともに出来ていなかった。
テュエルは完全に凹んでいた。
そんな時だった。
ふと。
レイラの姿が見えないことに気づく。
「――っ」
心臓が跳ねた。
どこへ?
テュエルは静かに立ち上がった。
まず、
レイラの自室。
いない。
次に、
シャガルの部屋の前。
ぴたり。
足を止める。
「…………」
聞き耳だけ立てた。
静かだった。
いない。
(……よし)
テュエルは小さく息を吐き、
最後に執務室へ向かう。
そして。
いた。
執務机へ向かったまま、
静かに書類へ目を通している。
あれほど積み上がっていた皇務は、
ほとんど片付いていた。
どうやら、
残った最後の数枚を終わらせに来たらしい。
テュエルは、
その背を見つめる。
(……レイラ様)
(そんなに無理をしなくていいのに……)
今日のレイラは、
明らかに集中力が異常だった。
普段なら、
明日に回す量まで終わらせている。
(今日は確かに忙しかった……)
(ですが、
なぜここまで……?)
静かな疑問が胸を過る。
だが。
レイラは止まらない。
最後の一枚へ手を伸ばし、
さらさらと筆を走らせる。
そして。
ようやく。
筆が止まった。
それを待っていたかのように。
テュエルはそっと、
茶を差し出した。
猫舌のレイラでも、
すぐ口をつけられるように。
優しく、
少しだけ冷ました温度で。
「……お疲れ様でした、
レイラ様」
レイラが、
ゆっくり顔を上げる。
「……テュエル」
その声は、
少しだけ柔らかかった。
「お前も、
今日は大変だったろう」
「……ごめん」
「いえ」
テュエルは穏やかに微笑む。
「大丈夫ですよ」
その声に安心したのか。
レイラは、
ふぅ……っと大きく息を吐いた。
そして。
ぽすっ。
自然に、
横へ立つテュエルへ頭を預ける。
「……っ」
テュエルの呼吸が止まる。
少し戸惑ったように目を瞬かせ。
やがて、
そっと目を細めた。
(……ほんと、
お疲れ様です)
(レイラ様……)
愛おしかった。
たまらなく。
だが。
今日はもう、
何度も邪魔され続けたせいで。
精神がずたぼろだった。
だからこそ。
触れようとはしなかった。
ただ、
静かに隣に立つ。
それだけでよかった。
その時。
椅子へ座ったまま、
レイラがゆっくり視線を上げた。
ぱちり。
目が合う。
(……かわいい)
そう思った。
その瞬間。
すっ……
レイラの腕が伸びる。
そして。
テュエルの胸元を、
きゅっと掴んだ。
「……レイラ様?」
ぐいっ。
不意に引かれる。
身体が前へ傾いた。
距離が、
一気に縮まる。
そして――
ちゅ。
唇が、
触れた。
一拍。
二拍。
やがて、
ゆっくりと唇が離れる。
静寂。
テュエルは、
完全に固まっていた。
「…………」
何が起こったのか、
理解が追いつかない。
一方。
レイラはそんな反応を見て、
ふっ……と小さく口元を緩めた。
どこか、
悪戯が成功した子供みたいな笑み。
そしてそのまま。
ぎゅ。
椅子へ座ったまま、
テュエルへ抱きついた。
「――っ!?」
テュエルの思考が吹き飛ぶ。
(は!?)
(な、何が起こっている!?)
(ま、待ってくださいレイラ様!?)
(えっ!?)
(えっ!?!?)
完全に大混乱だった。
そんなテュエルへ、
レイラは顔を埋めながら。
少しだけ、
切なさを滲ませた声で。
けれど。
どこか満足そうに笑った。
「……へへ」
小さな声。
そして。
「……こうしたかったんだぁ……」
ぎゅう。
さらに抱きつく力が強まる。
その瞬間。
ぷつん。
何かが切れる音がした。
「――レイラ様」
次の瞬間。
テュエルは咄嗟にレイラを抱き上げ、
そのまま執務机へ座らせていた。
「……っ!?」
レイラが目を見開く。
だが。
テュエルの瞳には、
もう理性の色がほとんど残っていなかった。
欲しかった。
触れたかった。
抱きしめたかった。
ずっと。
今日一日、
我慢していた全部が溢れている。
吸い寄せられるように、
顔を近づける。
口付けようとした――
だが。
ふと。
脳裏をよぎる。
(……シャガルのやつが)
(また邪魔するのでは……)
ぴたりと動きが止まった。
その時。
「……ふふ」
レイラが、
小さく笑う。
「シャガルは、
もう寝たから大丈夫だぞ」
「……え?」
テュエルが瞬く。
レイラは少しだけ照れたように、
視線を逸らした。
「……あ、明日は」
「ゆっくりできるように……」
「いや……
かなり寝坊できるから……」
「…………」
テュエルの思考が止まる。
(え……?)
(もしかして……)
(そのために……?)
今日の異様な集中力。
普段より多く終わらせた皇務。
全部。
全部――
自分との時間を作るためだったのか。
息が詰まる。
胸が熱い。
「レ、レイラ様……」
掠れた声が漏れる。
「それだと……」
「俺との時間を作るために、
皇務をしていらした……と」
「勘違いしてしまいます……」
すると。
レイラは、
きょとんと瞬きをしたあと。
少しだけ困ったように笑った。
「……そう、だよ?」
「――っ」
息を呑む。
レイラは視線を伏せる。
少し照れながら。
ぽつり、
ぽつりと本音を零した。
「だって……
テュエル、二人きりじゃないと」
「人目を気にして、
必要以上に触れてこないから……」
「……さみしい」
胸が締め付けられる。
レイラは小さく眉を下げた。
「そう思ってるの、
私だけかもしれないけど……」
「いつもシャガルばっかりで、
無理させてるのかもしれないし」
そして。
そっと、
テュエルを見上げる。
「私も……
テュエルとぎゅってしたいよ……」
言葉が、
入ってこなかった。
いや。
入っている。
ちゃんと聞こえている。
けれど。
幸せすぎて、
処理が追いつかない。
胸がいっぱいだった。
頭がくらくらする。
それでも。
なんとか、
声を絞り出す。
「……レイラ様」
掠れた声。
震えるほど、
愛しさが滲んでいた。
「今日は――」
「俺の部屋で休みませんか?」
レイラはぱちりと瞬きをする。
そして。
ほんのり頬を染めながら、
レイラは視線を逸らす。
耳まで、
うっすら赤い。
「……ちゃんと、
加減してね……?」
消え入りそうな声だった。
けれど。
その言葉は、
あまりにも甘かった。
「――っ」
テュエルの喉が、
ひくりと震える。
一瞬だけ、
目を伏せる。
まるで、
何かを耐えるように。
だが次の瞬間。
レイラを見つめる瞳から、
完全に余裕が消えていた。
「……レイラ様」
掠れた声。
熱を孕んだそれに、
レイラの肩がぴくりと揺れる。
テュエルは、
執務机へ座るレイラへ静かに口付けを落とした。
触れるだけの、
優しい口付け。
――のはずだった。
けれど、
離れる寸前。
堪えきれなかったように、
もう一度深く唇を重ねる。
「……今日は、
その約束はできそうにありません」
「――っ」
レイラの頬が赤くなる。
そのまま。
テュエルはレイラを抱き上げ、
執務室を後にした。
パタン――
静かに、
扉が閉まる。
その夜。
久しぶりに、
テュエルは心の底から幸せだった。




